それとも、ぼくが悪いことでもしたのだろうか。気に障ることを言ったのだろうか。

 三津谷さんの態度がきのうとは明らかに変わっていて、いろいろと記憶を辿ってみたけれど、心当たりがぜんぜん浮かばない。

 悩めば悩むほど、頭はこんがらがって、わけがわからなくなる。

 そんなふうに考えごとをしながら歩いてきたのに、奇跡的にも、通学路となっている大通りに出られた。

 いまいち、こことプールがどう繋がっているのか理解できないけど、いまはひたすら家に向かって歩いた。


「──ねえ、ちょっと」


 最後の角を曲がったところで、ぼくはだれかに腕を掴まれた。

 びっくりして振り向けば、見覚えのない女の人が立っていた。

 目の回りがまっ黒。唇はつやつやしていて、ぼくの腕を掴む指の爪が長い。


「あ、あの……」

「キミさ、あれ渡してくれた?」

「は?」


 ぼくが目をぱちくりしていると、その人は睨むように思いきり見下ろしてきた。

 なんか、このイヤな感じ、前にも──。


「手紙よ、手紙」

「あ!」


 ぼくは思わず叫んで、女の人を指さした。


「ちょっと、指ささないでくれる? ていうかさあ、ねえ。なんの連絡もないんだけど」

「え? 連絡……って」


 腕に食い込む爪が痛い。女の人って、意外と力があるんだ。

 なんて思っていたら、ぼくの心を読んだかのように、手は離れていった。


「あの手紙にメルアド書いたのに、豪さんからぜんぜん連絡ないのよ」


 急な金きり声。

 腕を組み口を尖らせ、ぼくをやぶにらみする。


「ねえ、ちゃんと渡してくれたの?」


 心臓が跳ね上がった。

 頭の中のどの引き出しを開けても、手紙を受け取ったところで、ぼくの記憶は途切れている。

 ……たぶん、豪さんには渡ってない。


「ご、ごめんなさい!」


 ぼくは精いっぱい腰を折って、一目散に家へ駆けた。

 急いで玄関の鍵を開け、放るように靴を脱ぐと、ただいまも言わずに自分の部屋へ向かった。

 きっと、手紙を受け取ったとき、お兄さんのだれかに渡そうと思ったんだ。でも、できなくて、どこかにしまったまんまなんだ。


「どうしよう……見つからない」


 机の引き出し。クローゼット代わりにしている押し入れ。キャビネット。

 思い当たるすべてを引っ掻き回しても、手紙の「て」の字も現れなかった。

 捜し始めは明るかった部屋も薄暗くなってきた。

 しばらく途方に暮れていたぼくは、手紙を諦め、散らかしたものを片そうと手を伸ばした。

 もしかしたら、ぼくが学校へ行っているあいだ、お兄さんのだれかがこの部屋に入って、手紙を見つけたのかもしれない。

 投げた服をしまいつつそう片づけたところで、机の下に落ちていたくしゃくしゃの封筒を見つけた。

 素早く拾って確認する。あの手紙に間違いなかった。


「よかった……」


 ラグにへたり込んで脱力していたら、廊下から床の軋む音が聞こえた。なにげなく顔を向け、一瞬にして固まる。

 開けっ放しのドアのそばに豪さんが立っていた。

 スポーツバッグを提げ、ぼくをじっと見下ろしている。

 目が合った矢先にそらされた。なんの言葉も発さず、豪さんが視界から消えた。

 手紙を握りしめ、ぼくは慌てて追う。


「豪さん」


 声をかけると、長い足が止まった。ぼくは勇気を振り絞り、豪さんの前に出た。


「あの、これ」


 そう簡単に受け取ってくれないことは、ぼくにだって読めていた。

 だから、微動だにしない豪さんのお腹に手紙を押しつけるようにした。

 しかし、顔は見れない。


「なんだよ?」


 地を這うような低い声も予想通り。

 それでも、心臓はすごくドキドキいっている。


「……手紙です」

「それは見ればわかる」

「ま、前に、豪さんに渡してほしいって」

「棄てろ。んなもん」


 ぼくは言い終わっていないのに、豪さんの体が横へ移動した。

 負けずに、行く手を阻むように前へ出る。豪さんの体は、壁に当たって止まった。


「んだよ」

「受け取ってくれないと、ぼくが困るんです」


 舌打ちを聞いて、声がちょっと震えた。

 豪さんは構わず、ぼくを押しのけるようにして階段へ進んだ。

 諦めるしかないと、さすがに思ったとき、ぼくの後ろを行っていたはずの足音が途切れた。

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