二
今朝、出がけに渡されたカギをカバンから出す。それを使って家に入ると、ロクちゃんを少しかまってから、自室の戸を開けた。
だれもいない本当の静けさが、ぼくの背中をなぞる。廊下の天井を見やって、どこか感じ始めた寂しさを振り切るように戸を閉めた。
着替えをすませ、脱いだYシャツと、授業で使った体操着を持って、脱衣場へ向かった。
だれかの洗濯物もある。余計なことはするなと怒られそうな気もしたけれど、ついでだから、一緒に回すことにした。
部屋へ戻り、机に向かった瞬間に、またため息が出た。
教科書やノートを開いても、シャーペンを走らせても、三津谷さんのことが気になって集中できない。
そもそも、どうして久野さんは、好きな人の前であんな話なんかしたのだろう……?
三津谷さんが怒るに決まっているのに。
──やっぱり。
女の子ってのはよくわからない。
ぼくは、教科書とノートを閉じた。
シャーペンを置いて時計を見る。洗濯機が止まるまでには、まだまだ時間がある。
ぼくは机を離れると、ショルダーバッグに財布を入れて、ドアノブに手をかけた。部屋を出る。
気晴らしに買い物でもしてこよう。
駅前のアーケード街にある書店へ、前から欲しかった本を探しに行って、その帰りに、どこかでお菓子を買おう。
それを考えると、なんだか楽しくなってきて、ガレージへ向かうころには、本とお菓子のことで頭がいっぱいになっていた。
自転車をスイスイと漕ぐ。
これから向かう書店には、篠原さんちへ越してくる前から何度か行ったことがあった。駅を挟んで西側が前に住んでいた地区。東側がいま住んでいる地区だからだ。
アーケード街へ行く途中には、通学路となっている大通りがある。もちろん、学校へと通ずる小路は曲がらずに真っすぐ行く。
比較的大きな交差点を曲がり、やがてアーケード街が見えてくる。
たくさんの荷物を自転車のカゴに入れ、ペダルを漕ぐおばさんたちとすれ違い、奥のほうまで進んだぼくは、目当ての書店の前で自転車を止めた。手動式のドアを押す。
二階建ての小さな本屋だけれど、ぼくは、その狭い感じが好きだ。
本棚と人との間をうまく進み、ずっと欲しかった本を手にした。パラパラと眺めてから、レジへ持っていく。
書店を出たところで、向かいに見慣れない建物があることに気がついた。
レンガ造り風な外壁。ガラス張りの大きな窓。カラフルなケーキが並ぶショーケース。
とてもおしゃれな感じの洋菓子屋さんだった。
前に来たときは、たしかここは空き店舗だったはず。
いつの間にできたんだろうと、ぼくは首を伸ばして、その洋菓子屋さんを伺った。
気づけば、ドアの前まで来ていて、ふと、ショーケースの向こうにいる女の人と目があった。そうなると、もう後戻りはできなくて、ぼくはドアを開けていた。
「いらっしゃいませ」
お菓子を買うつもりで出てきたけれど、ケーキ屋さんとは考えてもいなかったから、どぎまぎした。
懐かしさもある甘い香りがする。そのショーケースには、おいしいに違いない色とりどりのケーキ。
しかし、値段を見て、前のめりだった体を戻した。
ぼくのおこづかいじゃあ、せいぜい二個が限度だ。その二個を、わざわざ箱に入れてもらうのも……。
どうしようかと困っていたら、焼菓子コーナーが目に入った。
たくさん種類があるし、百円しないものが多かったから、いくつか選んでレジへ持っていった。
ナッツやチョコチップが入った一枚もののクッキーと、フィナンシェ。
「またお越しくださいませ」
ぼくはお店を出ると、本屋さんのところに置きっぱなしにしてきた自転車にまたがった。
初めてひとりで入ったケーキ屋さん。
さっきまでの緊張は、ペダルを漕ぐたびにうれしさへと変わっていった。
だけれどそれは、見覚えのあるガレージが目に入ったら、すべて消え去っていった。少し手前で自転車をおりて、ゆっくりと中を覗く。
……よかった。
豪さんは、まだ帰っていない。
ガレージの奥に自転車を片づけたところで、洗濯機をかけっぱなしだったのを思い出して、家の中へと急いだ。
ショルダーバッグを肩にかけたまま、ガレージの上にあるベランダで洗濯物を干す。
「つかれた……」
下へ戻ってくると、ぼくは居間でへたりこんだ。時計を見上げれば、時刻は五時半。
そろそろ豪さんが帰ってくるかもしれない。
ぼくは、にわかに走り始めた緊張を、買ってきた本を読んで紛らすことにした。
けれど豪さんは、三十分たっても一時間たっても、帰ってはこなかった。首を傾げてまた時計を見たとき、ぼくのお腹が鳴った。
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