今朝、出がけに渡されたカギをカバンから出す。それを使って家に入ると、ロクちゃんを少しかまってから、自室の戸を開けた。

 だれもいない本当の静けさが、ぼくの背中をなぞる。廊下の天井を見やって、どこか感じ始めた寂しさを振り切るように戸を閉めた。

 着替えをすませ、脱いだYシャツと、授業で使った体操着を持って、脱衣場へ向かった。

 だれかの洗濯物もある。余計なことはするなと怒られそうな気もしたけれど、ついでだから、一緒に回すことにした。

 部屋へ戻り、机に向かった瞬間に、またため息が出た。

 教科書やノートを開いても、シャーペンを走らせても、三津谷さんのことが気になって集中できない。

 そもそも、どうして久野さんは、好きな人の前であんな話なんかしたのだろう……?

 三津谷さんが怒るに決まっているのに。

 ──やっぱり。

 女の子ってのはよくわからない。

 ぼくは、教科書とノートを閉じた。

 シャーペンを置いて時計を見る。洗濯機が止まるまでには、まだまだ時間がある。

 ぼくは机を離れると、ショルダーバッグに財布を入れて、ドアノブに手をかけた。部屋を出る。

 気晴らしに買い物でもしてこよう。

 駅前のアーケード街にある書店へ、前から欲しかった本を探しに行って、その帰りに、どこかでお菓子を買おう。

 それを考えると、なんだか楽しくなってきて、ガレージへ向かうころには、本とお菓子のことで頭がいっぱいになっていた。

 自転車をスイスイと漕ぐ。

 これから向かう書店には、篠原さんちへ越してくる前から何度か行ったことがあった。駅を挟んで西側が前に住んでいた地区。東側がいま住んでいる地区だからだ。

 アーケード街へ行く途中には、通学路となっている大通りがある。もちろん、学校へと通ずる小路は曲がらずに真っすぐ行く。

 比較的大きな交差点を曲がり、やがてアーケード街が見えてくる。

 たくさんの荷物を自転車のカゴに入れ、ペダルを漕ぐおばさんたちとすれ違い、奥のほうまで進んだぼくは、目当ての書店の前で自転車を止めた。手動式のドアを押す。

 二階建ての小さな本屋だけれど、ぼくは、その狭い感じが好きだ。

 本棚と人との間をうまく進み、ずっと欲しかった本を手にした。パラパラと眺めてから、レジへ持っていく。

 書店を出たところで、向かいに見慣れない建物があることに気がついた。

 レンガ造り風な外壁。ガラス張りの大きな窓。カラフルなケーキが並ぶショーケース。

 とてもおしゃれな感じの洋菓子屋さんだった。

 前に来たときは、たしかここは空き店舗だったはず。

 いつの間にできたんだろうと、ぼくは首を伸ばして、その洋菓子屋さんを伺った。

 気づけば、ドアの前まで来ていて、ふと、ショーケースの向こうにいる女の人と目があった。そうなると、もう後戻りはできなくて、ぼくはドアを開けていた。


「いらっしゃいませ」


 お菓子を買うつもりで出てきたけれど、ケーキ屋さんとは考えてもいなかったから、どぎまぎした。

 懐かしさもある甘い香りがする。そのショーケースには、おいしいに違いない色とりどりのケーキ。

 しかし、値段を見て、前のめりだった体を戻した。

 ぼくのおこづかいじゃあ、せいぜい二個が限度だ。その二個を、わざわざ箱に入れてもらうのも……。

 どうしようかと困っていたら、焼菓子コーナーが目に入った。

 たくさん種類があるし、百円しないものが多かったから、いくつか選んでレジへ持っていった。

 ナッツやチョコチップが入った一枚もののクッキーと、フィナンシェ。


「またお越しくださいませ」


 ぼくはお店を出ると、本屋さんのところに置きっぱなしにしてきた自転車にまたがった。

 初めてひとりで入ったケーキ屋さん。

 さっきまでの緊張は、ペダルを漕ぐたびにうれしさへと変わっていった。

 だけれどそれは、見覚えのあるガレージが目に入ったら、すべて消え去っていった。少し手前で自転車をおりて、ゆっくりと中を覗く。

 ……よかった。

 豪さんは、まだ帰っていない。

 ガレージの奥に自転車を片づけたところで、洗濯機をかけっぱなしだったのを思い出して、家の中へと急いだ。

 ショルダーバッグを肩にかけたまま、ガレージの上にあるベランダで洗濯物を干す。


「つかれた……」


 下へ戻ってくると、ぼくは居間でへたりこんだ。時計を見上げれば、時刻は五時半。

 そろそろ豪さんが帰ってくるかもしれない。

 ぼくは、にわかに走り始めた緊張を、買ってきた本を読んで紛らすことにした。

 けれど豪さんは、三十分たっても一時間たっても、帰ってはこなかった。首を傾げてまた時計を見たとき、ぼくのお腹が鳴った。

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