切なさの味
一
「ねえ、篠原くん」
人気の少ない教室に弾んだ声が響く。
自分の席にいたぼくと、その前の席を借りていた三津谷さんは、同時に声のしたほうを見た。
いまは、お昼休み。
ぼくはもともと活発に動き回るほうじゃない。前の学校でも、休み時間は読書なんかをして一人で過ごしていた。
もちろん、それをさみしいなんて思ったことはないし、一人で過ごすのには慣れている。
でも、きょうは違った。
ぼくを気にかけて教室に戻ってきてくれた三津谷さんを嬉しく思ったりした。
けど、なにを話せばいいのか迷っていたところにその声。
ホッとしたのもつかの間、声の主を見てちょっと沈んだ。
久野さんだったから。
三津谷さんにはすごく申し訳ないけれど、ぼくは、どうしても彼女に苦手意識を持ってしまう。
「あれー、勇気? あんた、さっきグラウンドでサッカーしてなかったっけ?」
「……うるせえ」
三津谷さんはそっぽを向いた。
「ま、いいや。それよりも篠原くんっ」
久野さんの声がとみに色づく。
ちょっと嫌な予感がして、ぼくは肩を引いた。
「篠原くんて、篠原さんの弟になったって本当? 本当ならお願いが……」
「リエ!」
三津谷さんが派手に椅子から立ち上がった。
「おま……それ、だれから聞いて」
──そうだ、そうだった。
ぼくが篠原さんの弟になったことは、なるべく内緒にしておくんだった。ずっとなんて無理だけど、自然に広まるまではあえて言わないことにしていたんだ。
すると、三津谷さんは心当たりが浮かんだのか、「あ」と口を開けた。
「健か……」
久野さんは、否定も肯定もしない。ぼくの机に手をついて、何度か小さく飛びはねた。
「ねね。豪さんて、彼女とかいるのかな?」
「リエ!」
三津谷さんが久野さんの肩をつかむ。
「なによ。さっきから」
「お前、他のヤツらに言ってないだろうな」
「なにを?」
指先に髪をからませ、久野さんは口をとがらせている。
「人夢が豪さんの弟だってことだろうが!」
「もう、勇気うるさい」
その一言で、三津谷さんの顔が見る見る曇っていった。さっきまで座っていた椅子にドカッと腰をおろす。おもむろに腕を組み、貧乏ゆすりまで始めてしまった。
三津谷さんがそうしてイライラする理由が、ぼくにはすぐわかった。だって、久野さんと三津谷さんはフウフなのだから。
好きな女の子が自分の前で違う男の人の話題を出したら、いくら優しい三津谷さんだってああいう態度になると思う。
「大丈夫。まだだれにも言ってないから。あたしもついさっき健くんに聞いて──」
久野さんは慌てた様子で口に手を当てた。
それを見たのか見なかったのか、三津谷さんはぼくたちに背中を見せると、むっつりと押し黙った。
なにか言葉をかけようと思ったけれど、ぼくにはやっぱりできなかった。
日焼けした三津谷さんの首筋を見つめる。ぼくのお腹の中でおかしな気持ちがぐるぐるし始めた。
こんなに三津谷さんを不機嫌にさせる久野さんを睨みたい気持ちと、羨ましさがないまぜになっている。
「ねえねえっ。篠原くん」
久野さんはしゃがむと、下からぼくと視線を合わせた。
「彼女とか好きな人がいるとか、豪さんに訊いてみてくれる?」
「……そんなの、本人に直接訊けばいいじゃん」
「え~。篠原くんまでそんないじわる言わないで」
ぼくはこのとき、久野さんとは一生仲良くなれないと確信した。
そして、彼女のしつこいくらいの「お願い」攻撃に、屈するしかなかった自分を恨めしく思った。
放課後、昇降口で履き替えた靴が妙に重たく感じた。
それがどうしてなのかはよくわかっている。
三津谷さんはあれからずっと不機嫌で、ぼくは話しかけることすらできなかった。そうなると、ますます気になって、なんだかため息ばかりが出る。
しかも、きょうは、一清さんはもちろんのこと、広美さんや善之さんも夜中にならないと帰ってこない。つまりは、豪さんと二人きりで夕ご飯を食べなきゃならないんだ。
きのうのやりとりを考えると、なにを言われるのか怖くて、足どりがもっと重くなった。
トボトボ歩いていたら、いつの間にか最後の曲がり角へ差しかかっていた。
玄関への石段を上がる前に、ガレージを確認。
車は一台もない。豪さんの愛車のバイクも。
思わず、ぼくは胸を撫でおろした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます