四
言われてみると、広美さんと善之さんはタバコを吸うらしいんだけど、その姿をぼくは見たことがない。
もしかしたら、子どもの前では吸うなと、お義父さんに念を押されているのかもしれない。
「あー、腹減った」
ぼくがみんなのご飯をよそい終えたころ、二人分の大きな足音が台所へ入ってきた。
それぞれの場所に座って、めいめい食べ始める。
「──で、兄貴はきょうも遅えの?」
そういえば一清さんのぶんがない……。
そのことにぼくが気づいたと同時に、ななめ前にいる善之さんがとなりの広美さんに訊いた。
ここで呼ばれる「兄貴」は、共通して一清さんをさす。あとは上も下もなく呼び捨てだ。
「今週いっぱい残業で遅くなるらしい」
「つうか、本当に残業なのかね~」
善之さんは意味深長に語尾を伸ばして言うと、口いっぱいにご飯を頬張った。
ギョーザを掴んだ箸を空中で止め、豪さんが返す。
「それ、俺も思った」
「な? 最近、やたらと電話してるとこ見かけんだよ。しかも、なんかコソコソしてさ」
「やっぱ彼女? でも、いい年したヤツがオンナのことでコソコソすんのもなあ」
「善之。豪」
ぼくは箸を動かすことも忘れ、善之さんと豪さんの会話に、目も耳も釘づけにした。
そこに語気を強めた広美さんの声が割って入る。
それはなにかを含んでいたらしく、口を閉ざした善之さんと豪さんがこっちを見た。
ぼくは反射的に目をそらした。
「お前らだって、自分はどうなんだよ」
その広美さんの言葉を最後に、しばらくは黙々と食事が進んでいった。
「ところで人夢。新しい学校はどうだった? 友達はできたか?」
急に話を振られ、ぼくは驚いたけど、広美さんを見て軽く頷いた。
「そうか。それはよかった。担任が小林さんなら、兄貴も俺も安心だし」
「小林?」
すかさず善之さんが訊いた。
箸を持っている左手を食卓について、広美さんは続けた。
「ほら、兄貴の先輩で、前に豪の担任もしてた……」
「ああ!」
と相づちを打って、善之さんは、ちらりと前を見る。
それまで会話に聞き入っていた豪さんはご飯をかっ込んだ。
「あの、小林先生って……先輩なんですか?」
ぼくとしてはそこが一番の疑問点で、意外なところだった。
「ああ。兄貴とは大学の先輩後輩の間柄で、兄貴の一つ上だ」
小林先生は一清さんよりも若いと決めつけてしまっていたぼくは、その事実にとてもびっくりした。眼鏡の奥の穏やか瞳を思い浮かべ、豆腐のひとかけらを口に入れる。
すると、となりの豪さんが立ち上がった。椅子が動く音と、食器の重なる音が響く。
「ごちそうさま」
「あ、豪」
食器を流しに置いて、さっさと台所を出ようとした豪さんを、広美さんが呼び止めた。
「俺も善之も、あしたは遅くなるから。夕飯はお前が作れ」
「……ああ? マジか。つっても俺、焼きそばしか作れねえけど」
「それでいいから。自分と人夢の二人分で。材料はあした買って冷蔵庫に入れておく。……頼んだぞ」
けれど豪さんは、うんともすんとも返さず、台所を出ていった。
ただ、その後ろ姿は面倒くさいと言いたげで、なんとなく気まずい空気が流れてきた。
「焼きそばくらいなら、ぼくも作れます……」
それでも、思い切って広美さんに言ってみた。だって、ぼくのほうが早く帰ってこれると思うし……。
「いや……」と渋った広美さんは、それ以上なにも言うことはなく、そうなるとぼくは黙るしかなくて、また静かに食事は進んでいった。
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