言われてみると、広美さんと善之さんはタバコを吸うらしいんだけど、その姿をぼくは見たことがない。

 もしかしたら、子どもの前では吸うなと、お義父さんに念を押されているのかもしれない。


「あー、腹減った」


 ぼくがみんなのご飯をよそい終えたころ、二人分の大きな足音が台所へ入ってきた。

 それぞれの場所に座って、めいめい食べ始める。


「──で、兄貴はきょうも遅えの?」


 そういえば一清さんのぶんがない……。

 そのことにぼくが気づいたと同時に、ななめ前にいる善之さんがとなりの広美さんに訊いた。

 ここで呼ばれる「兄貴」は、共通して一清さんをさす。あとは上も下もなく呼び捨てだ。


「今週いっぱい残業で遅くなるらしい」

「つうか、本当に残業なのかね~」


 善之さんは意味深長に語尾を伸ばして言うと、口いっぱいにご飯を頬張った。

 ギョーザを掴んだ箸を空中で止め、豪さんが返す。


「それ、俺も思った」

「な? 最近、やたらと電話してるとこ見かけんだよ。しかも、なんかコソコソしてさ」

「やっぱ彼女? でも、いい年したヤツがオンナのことでコソコソすんのもなあ」

「善之。豪」


 ぼくは箸を動かすことも忘れ、善之さんと豪さんの会話に、目も耳も釘づけにした。

 そこに語気を強めた広美さんの声が割って入る。

 それはなにかを含んでいたらしく、口を閉ざした善之さんと豪さんがこっちを見た。

 ぼくは反射的に目をそらした。


「お前らだって、自分はどうなんだよ」


 その広美さんの言葉を最後に、しばらくは黙々と食事が進んでいった。


「ところで人夢。新しい学校はどうだった? 友達はできたか?」


 急に話を振られ、ぼくは驚いたけど、広美さんを見て軽く頷いた。


「そうか。それはよかった。担任が小林さんなら、兄貴も俺も安心だし」

「小林?」


 すかさず善之さんが訊いた。

 箸を持っている左手を食卓について、広美さんは続けた。


「ほら、兄貴の先輩で、前に豪の担任もしてた……」

「ああ!」


 と相づちを打って、善之さんは、ちらりと前を見る。

 それまで会話に聞き入っていた豪さんはご飯をかっ込んだ。


「あの、小林先生って……先輩なんですか?」


 ぼくとしてはそこが一番の疑問点で、意外なところだった。


「ああ。兄貴とは大学の先輩後輩の間柄で、兄貴の一つ上だ」


 小林先生は一清さんよりも若いと決めつけてしまっていたぼくは、その事実にとてもびっくりした。眼鏡の奥の穏やか瞳を思い浮かべ、豆腐のひとかけらを口に入れる。

 すると、となりの豪さんが立ち上がった。椅子が動く音と、食器の重なる音が響く。


「ごちそうさま」

「あ、豪」


 食器を流しに置いて、さっさと台所を出ようとした豪さんを、広美さんが呼び止めた。


「俺も善之も、あしたは遅くなるから。夕飯はお前が作れ」

「……ああ? マジか。つっても俺、焼きそばしか作れねえけど」

「それでいいから。自分と人夢の二人分で。材料はあした買って冷蔵庫に入れておく。……頼んだぞ」


 けれど豪さんは、うんともすんとも返さず、台所を出ていった。

 ただ、その後ろ姿は面倒くさいと言いたげで、なんとなく気まずい空気が流れてきた。


「焼きそばくらいなら、ぼくも作れます……」


 それでも、思い切って広美さんに言ってみた。だって、ぼくのほうが早く帰ってこれると思うし……。

「いや……」と渋った広美さんは、それ以上なにも言うことはなく、そうなるとぼくは黙るしかなくて、また静かに食事は進んでいった。




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