「なんだ、お前の友達か?」

「はい」


 三津谷さんに「主将」と呼ばれた人は、納得したように鼻を鳴らすと、ぼくに視線をやってから練習の輪の中へ戻っていった。


「ごめん、びっくりしただろ?」


 ユニフォーム姿の三津谷さんは、公園で会ったときとも、教室で再会したときともまた違った雰囲気がある。目深に被った帽子が目元を暗くしていて、にこっとしたときに見える歯の白さを際立たせていた。


「あの人、うちの部長なんだけど、いろいろと厳つい人だからさ」

「大丈夫。びっくりしたというか……」


 三津谷さんへ答えながら、ぼくは、ボールを投げていたさっきの人に目を向けた。

 でも、そこではもう練習をしていなかった。

 がっかりして視線を戻すと、三津谷さんが不思議そうにぼくの跡を辿っていた。


「なに? なんか気になる人でもいた?」

「あ……うん。さっき、あそこでボールを投げていた人、三年生かな……って」


 そこを指さす。

 帽子を取った三津谷さんは、ひたいの汗を肩口で拭って、顔を元に戻した。


「え?」

「きっとうまい人なんだろうね。ぼく、そっちにびっくりしちゃって」

「……」


 三津谷さんはまた帽子を被ると、なにかに気づいたように、ぼくの後方へ視線を流した。


「人夢、時間いいのか?」

「うん。……え、いま何時?」

「四時半を少し回ったところ」


 慌てて、三津谷さんがあごでしゃくったほうを見る。昇降口のひさしの上に時計があった。


「あ、そろそろ帰らないとかも……」

「じゃあ、気をつけて帰れよ」

「うん。またあしたね」


 ぼくが笑顔で手を振ると、軽く片手を上げ、三津谷さんは応えてくれた。

 正門をまたいだところで、もう一度グラウンドを見た。

 しかし、三津谷さんの姿は、同じユニフォームの中にまぎれてわからなくなっていた。





 家から学校までは、歩いて二十分くらいかかる。

 と、一清さんがゆうべ言っていた。

 それから割り出される時間を見ながら、ぼくは最後の角を曲がった。

 うちの塀が目に入る。

 それと同時に、塀のそばにある電柱のところに、五人ほどの人影を見つけた。

 上に着ているものはYシャツだったり、ポロシャツだったりと違うけれど、紺ベースのタータンチェックのスカートはみんな同じだった。どこかの高校の制服だと思う。

 ぼくは、彼女たちを遠巻きにして、玄関までの階段を上がった。


「ねえ、キミ!」


 嫌な予感がしていたとおり、その中の一人に声をかけられた。

 ぼくは恐る恐る振り返る。


「キミ、もしかしてこの家に入るとこ?」


 もちろん知らない人だ。後ろにいる人たちも、見たことのない顔ばかり。

 でも、ばっちりメイクの美人さんで、どぎまぎした。


「ねえ、聞いてる?」

「はいっ」


 声をかけてきた彼女が、ぼくと同じ場所に立った。向こうのほうが背が高くて、見下ろされる感じになる。それがなんかいやだった。


「入るところですけど……なんですか?」

「キミ、篠原さんの弟? いるって聞いたことないんだけど、まあ、いっか。これ、篠原さんに渡して欲しいの」


 半ば強引に手の中へ収められたのは、ピンク色の封筒。

 だから、ぼくの知っている篠原さんは、少なくとも五人いるんだって。

 そう言おうとしたけど、いつの間にか彼女たちはいなくなっていた。


「なんで……」


 お兄さんたちのだれに渡すべきなのか、ぼくはその場に立ち尽くすしかなかった。

 しかし、よくよく確認すると、宛名がちゃんと書かれてあってほっとした。


「豪さんにだ……」


 ほっとしたのもつかの間。初対面の人にいきなり手紙を渡さなきゃいけない事実に頭を抱えた。

 けれど、ぼくはいいことを思いついた。これは、お兄さんのだれかに預けよう。

 よしと頷き、ただいまを言ってから靴を脱ぐ。

 そのとき、どこかの戸が開く音がした。お兄さんのだれかだと思い、さっそく手紙のことを話そうとした。

 しかし、顔を上げたぼくは、口を開けたまま固まった。

 そこにいたのは、お兄さんのだれでもなかった。

 それでも、ぼくにはすぐわかった。がっちりとした体型に長身、整った顔立ちや日焼けした肌。そして、きりっとした眉や目元なんかも、お兄さんたちの特徴をよく受け継いでいた。


「は、初めまして。人夢です」


 豪さんに会ったときの心構えはずっとしていたから、突然だったわりに、ちゃんとあいさつができた気がする。

 なのに、感情のない目つきでこっちを見たあと、豪さんは一言も発さずに背を向けてしまった。

 たちまち冷えきった空気が流れる。手紙を握りしめ、ぼくは直立不動になった。


「──人夢?」


 前掛け姿の広美さんが台所から顔を覗かせた。


「どうした? そんなところに突っ立って」


 夕ご飯の支度中だったらしく、長い髪を後ろで縛っていて、印象がまるで違った。

 ぼくは、こっちへ近づく広美さんに頭をさげ、自分の部屋へと一目散に引っ込んだ。横引きの戸を閉めてから、手の中のものを見つめる。

 ……渡すことも、預けることもできなかった手紙。握りしめすぎてくしゃくしゃになっている。

 その手紙とカバンを学習机に置いたら、大きなため息が出た。

 どうしたって目に浮かぶのは、さっきの豪さんの視線。ぼくを歓迎していないさまがありありで、これからどう接していけばいいのかわからなくなる。

 たしかにぼくは、この家に来るまで、そういう覚悟もしていた。ぼくなんか弟として認めてくれないだろうという覚悟。

 でも、一清さんや広美さん、善之さんの優しさに触れて、それは取り越し苦労だったんだと安心できた。

 だから、きっと豪さんも優しく迎え入れてくれるものだと思っていた。


「お父さん……」


 ぼくは椅子に腰を下ろし、学習机に飾っていた写真立てを取った。

 お父さんとお母さんとぼくが写っている。この数日後に永遠の別れが来るとは、これっぽっちも想像していない笑顔だ。

 ぼくは、つい出そうになる涙をこらえ、一人でも頑張るとお父さんに誓った言葉を噛みしめた。

 そっと写真立てを戻す。

 椅子から腰を上げ、クローゼット代わりにしている押し入れを開けた。適当に部屋着を選って、Yシャツのボタンに手をかけた。




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