もう一つの出会い
一
「人夢くん!」
昇降口で靴を履き替えていたぼくは目をはね上げた。どこかで聞いた声というのもあったから。
すでにぼくしかいないひっそりとした昇降口は、たった一人の存在で、一気にその空気を変えられた。
「仙道くん……」
「違うよ。健ちゃんと呼んでって言ったでしょ」
その健ちゃんはもう外履きになって、出入り口のほうから姿を見せていた。
午前に会ったときはしっかりと留まっていたワイシャツのボタン。それがすべて外され、中に着ていた黒のシャツが見えている。
なにも入ってなさそうな厚みのない背負いカバンを、健ちゃんは左肩にだけ引っかけていた。
「途中まで一緒に帰ろ?」
「……え?」
放課後すぐに帰宅するのは、てっきり自分ぐらいだろうと思っていた。健ちゃんは体格もいいし、なおのことなにかスポーツでもしているんだと思っていた。
「人夢くん、なんで俺がここにいるんだって言いたそうだね」
図星をさされ、顔が熱くなる。
ぼくがなにも言えないでいたら、健ちゃんに笑われてしまった。
「人夢くんてさ、ホントわかりやすい。ちょーカワイイ」
口を閉じるのも忘れ、ぼくは健ちゃんを見つめた。
それをまた笑われる。
「冗談だよ、ジョーダン。真に受けないでよ」
真に受けるわけがない。だけど、ぼくは口を尖らせて健ちゃんの脇を抜けた。
からかわれたのがちょっと面白くなかった。
「ごめん、ごめん。人夢くん、怒ってる?」
「うん。すごく怒ってる」
そっけなく答え、ぼくは昇降口を出る。グラウンドへと足を向けたら、健ちゃんが視界に入ってきた。
「人夢くんは部活やらないの?」
「健ちゃんこそ」
「え?」
「同い年と思えないくらい体格いいから、運動部に入ってるんじゃないのかなって」
見上げると、健ちゃんは首をひねっていた。
「勇気から聞いてないの?」
「……なにを?」
「てか、俺の話題とかぜんぜん出なかった?」
ぼくは首を傾げた。とくに話題には上らなかったから、それを素直に口にしたら、健ちゃんは腕組みをして、「おかしいなあ」と呟いた。
「あの、そろそろぼく行かないとだから」
「ああ、人夢くん待って」
ぶつぶつと独り言をもらす健ちゃんを置いて、三津谷さんのところへ行こうとしたけど、また呼び止められた。
「俺さ、篠原さんとおんなじスイミングクラブに通ってるんだ。そういえば、きょう帰ってくるよな」
「篠原さん……て?」
ぼくの知っている篠原さんは少なくとも五人いる。一清さん、広美さん、善之さん、豪さん。あと、一緒には住んでないけど次郎さんもいる。そのどの人かを訊いたのに、健ちゃんは大きなため息を吐いて頭を抱えた。
「いや、もういいや。じゃあ、人夢くん。またあした」
「……うん。ばいばい」
健ちゃんはひらひらと手を振りながら駐輪場の奥へ消えた。
とりあえず、家に帰ったらお兄さんのだれかに健ちゃんのことを訊いてみよう。
ぼくは気を取り直し、今度こそグラウンドへ向かった。
緑色の防護ネットが張られているグラウンドの一角で、野球部は練習をしていた。
コーチの先生が打ったボールを順番で取っていたり、端っこでは、ちょっとハードなキャッチボールをしていたり。
いかにも体育会系な低いかけ声が、ところどころから上がっていた。
グラウンドも前の学校より広く、それにもびっくりしたけど、さまざまなユニフォームから見える活気もすごいものだった。
ただ残念で仕方がないのは、いまだに三津谷さんを見つけられないこと。似たような背格好で、野球部の同じユニフォームを着ているから、きょう出会ったばかりの人を見分けるのは難しい。
きょろきょろしつつもぼくは目をこらし、三津谷さんを探した。
そんな中、ある人の動きに釘づけになった。向こうのネット際でボールを投げている。
こっちへ背中を見せているから顔はわからないけど、ボールを放るときのかっこよさは、野球を知らないぼくにも突き刺さるものがあった。
キレのある体さばき。力強いフォーム。球威のすごさ。ミットに収まるときのボールの音がここまで聞こえてくる。
フェンスにかじりつくようにして、ぼくはその人に見入った。
「おい、お前。さっきからなんだ。入部希望か?」
しばらく眺めていると、ぼくの視界を遮るようにだれかが現れた。
顔を上げれば、薄汚れた野球帽と鋭いまなざしが目に入った。エラの張ったゴツい顔で、真っ黒に日焼けしている。
「主将、すみません」
そこへ、三津谷さんの声が飛んできた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます