第134話目 クラウンフェスタ3


 真崎直人は、今日はクラウンにならないのだから、愛は現れないだろうと思いつつ、AI《あいこ》が愛さんだったら、そもそも見になんて来るわけないなどと、そのどちらもが頭の中には常にあり、直人は自然と観客に目を這わせ、愛さん、来てるかな?あれが愛さんかな?それとも……AI《あいこ》がここに一緒にいて、AI《あいこ》が芸をやる時には、はじめての出番で緊張をほぐしながらも目が離せず、ふとした時、観客に目をやり愛を探すという、自分でも反比例な行動をしていると戸惑いつつ、それを止められないでいた。


 実行委員である2日は、クラウンたちを束ね、移動するときには周辺に目をやり、移動しながらも観客を楽しませているクラウンたちのうしろを付き添っていた。その時にも、つい周囲に目をやったときに、愛さんいるかな?と考えてしまう。そこにはAI《あいこ》もいるというのに。


 初日の1回目の活動発表を済ませると、かなり緊張した雰囲気のあった初クラウンのAI《あいこ》やルイも、肩の力が抜けたのかだいぶ表情も柔らかいものになり、ルイなどはあっという間に街に溶け込み街ゆく人たちを楽しませていた。その様子から直人は自分がはじめてクラウンになった時のことを思い出していた。


 NAOはAI《あいこ》やルイのように自然に街に溶け込めていただろうか?いや、はじめてバルーンアートをした時は、手元がおぼつかずに、かなり汗ばんでしまった手で風船を扱い、滑りの悪くなった風船を上手く扱えなかった覚えがある。初日はずっとそんな調子で緊張しっぱなしだった。そんなこともあり、初クラウンになる人たちには、最初に緊張をほぐすためにフェスタ前に集まって親睦を深めたりしてきた。中でも今年は坂本美和から派生して知り合ったメンバーと上手く交流を深められ、そこにAI《あいこ》もおり、実行委員にもなり、特別な年になっていると思っている。


「あぁ、すっごい緊張した……NAOさん、出番の時に声をかけてくださって、ありがとうございました。もう緊張の糸がピンと張りつめていたので、有り難かったです」


「ホントホント、私もそこまで自分が緊張するタイプだとは思ってなかったけど、今日ばっかりは緊張したわ。芸を披露するって、こんなに緊張することだったんですね。みなさん、すごいわ」


 休憩で戻った控室の中に入った途端、AI《あいこ》とルイはずっと声を出さないでいたことの反発のように口々に緊張したと言い競っていた。そうしているうちに別グループにいたリングも戻り、初クラウンたちは各々高揚した気持ちのままはしゃぐ姿が子供のようにも見え、自分もあんなだったなと微笑ましく見ていた。まあ、微笑ましく見ていたその目は、AI《あいこ》の姿をよく捉えていたのだが。


 1時からの市役所前に着くと、そこにはすでに多くの観客がクラウンが芸をする場所を中心にして、つけてある印の外側にシートを敷いたり折り畳みのチェストを置いて場所取りをしてある箇所も多く見られた。AI《あいこ》もルイも、いったん解れた緊張がまた起き上がりそうな雰囲気があり、やはり初日はそうさと心の中で声が出た。


 会場につくと、発表の前に集まり始めた観客にちょっかいを出してを楽しませているクラウンたちを横目に、まず投票の準備を始めた。市役所前には階段があり、そのすぐ下に投票用紙と箱の用意をするスペースがすでに取ってあり、その準備をしている時に、何の気なしに顔を上げたときに、目に映った人混みの中にいた一人の女の人が目に入った。あれ?誰だっけ?見たことあるぞ……そうだ、あれは寺井という子じゃないか。


「NAOさん、はじめます」


 1時になり、そんな声かけのあと司会の実行委員が型通りの説明をはじめた。直人は先程目にした場所を目で探すも、そこに寺井の姿はなく、あれ?見間違いかな?似た子がいただけか?と、でもまあ、知った顔があったとしても、実行委員でいる自分に生徒が気付くこともないだろう。いや、クラウン姿ではない実行委員の姿は、教員でいるときと同じ素顔だから、偶然気付かれることもあるだろうが、こんな場所で先生に会ったとしても、声をかけてくる生徒はまずいない。見知らぬ他人の如く、フェードアウトしていくだろう。クラウン姿だったなら、見かけてちょっかい出すのも面白いだろうが。



 寺井愛美はその瞬間、直人からは離れていたのに目が合ったと確信した。気づかれただろうか?


 市役所前では、先程の若葉通り広場で直人がいた位置と同じ辺りに直人が立つと思い、直人の正面にこないと思われる場所を選んで、しかも人の輪の一番外側にと思いその場に立ったが、まさか準備をしている最中に一瞬上げた顔がこちらに向くとは思ってもおらず、愛美の視線は直人の姿を追っていため、目が合ったと確信した。が、離れていたことで、直人の側からは多くの観客が目を向けている方向なので、愛美が直人だけを見ていたとは気づかないだろう。直人と目が合ったと思った瞬間、あっと思い、直人が他の方向に顔を向けた隙に、隠れるようにして位置を変えた。そうしながらも、隠れる必要などない、そんなことしたら逆に変に思われるかもしれないと、できるだけ自然にいようと思い直した。だって、そこに愛美がいるのはたまたまで、偶然のことなのだから。


 市役所前でも直人の姿を立ち位置を変えて目で追ったが、それから直人の視線がこちらに向くことはなく、だからこそ愛美は頭の中で、もしかしたら気付かれたかもしれないのだから、堂々と投票をしてみようかと思い始め、その気持ちに心は傾いていた。気付かれたにしろ気付かれなかったにしろ、自分自身は自然な行動でいることが大事だ。


 それに、もし気付かれたとしたら……声をかけてくれるかもしれない。


 芸を終え投票がはじまると、その用紙を取りに行く列に並んだ。投票などせずに去る人たちもいて、受け取るだけの票は、すぐに手元にきた。


 誰に入れようか。そもそもクラウンの芸などちゃんと見ていなかったのだ。視線は直人だけを追っていたのだから。それでも視線の端に捉えていたクラウンたちに改めて目をやり、観客を楽しませているクラウンたちの名札に目をやり、思い付きのまま投票をした。……AI以外のクラウンに。


 その間中、意識はひたすら直人を追っていた。直人の視線はクラウンを追い、観客たちに気を配り、投票している場所に目を配っていた。意識を直人の向けたまま、直人の姿を時々目に映すだけといった具合に、自分の視線を直人に止めず、ただクラウンたちを見るために顔を向けた時に、直人がどこを向いているのかを視線の中に捉えるようにしていた。



 真崎直人は、そこに並ぶ寺井という生徒に気付いていた。やはり見間違いではなかったのだ。手に小さな紙袋を持っている。買い物にきてクラウンフェスタがあることを知り、クラウンの芸を見てくれたのだろうか。それともクラウンフェスタに興味があるのだろうか。そういえば彼女は病院で見てクリニクラウンの存在を知っているんだった。自分には……気付くだろうかと思い、何気なく何度かそちらに顔を向けたが、こちらにその顔が向いたときにも直人の顔に視線が止まることはなく、ああ、気付かないんだろううな、そりゃそうか、こんなところに自分の学校の先生がこんな姿でいるなんて思わないもんなと、クラウンの姿でないことが少し残念だと思った。今、クラウンNAOだったならば、ちょっかい出して楽しませてやれたのに。

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