第107話目 研修 MASATO

 海のすぐ近くにある青少年の家という名の、会社の新人研修や学生のキャンプなどでも使われる合宿所に集合時間10時の1時間ほど前に着くと、直人は合宿所の鍵と窓を開け空気を入れ替え、先週もしておいた各部屋のベットや布団、備品のチェックをし、10時前に運び込まれる予定の3日間の食材の受け取りを待った。そうこうしているうちに実行委員の他3名も順々に到着し、食材の運び込みが終わる頃、新しい仲間が次々とやってきた。その中には竹花愛子の姿もあった。意識しないようにと思いながらも、つい目がその姿を追ってしまう。


「部屋割りを貼ってありますので、それぞれ荷物を置いたら動きやすい格好で10時半までに集会場に来てください」


 着いた人にそう声をかけ、竹花愛子にそう伝えるときには多少目が泳いでしまった気はするが、自然と言えたと思う。その目をちゃんと見ながら。


 各部屋には2段ベットが2つの、4人で寝泊まりできる部屋ではあったが、今回は参加人数が男性7人、女性8人の15人+実行委員の4人の19人なので、実行委員は2人ずつ、男性は一部屋は3人で、あとはぞれぞれ2人ずつ、女性は2人ずつでそれぞれの部屋を使ってもらうことになっていた。


 竹花愛子は、お互いに一人で参加で年齢も近い女性と一緒だ。


 坂本美和と友人の中山瑠衣は知り合いなので部屋は分けさせてもらった。この研修では、一緒に活動をするそれぞれの親睦を図るためでもあるので、知り合いは分けることにしている。


 この部屋割りも実行委員の役割で、いつも年齢が近めで知り合いではない同士という取り決めだったようだが、直人は今までの愛とのやり取りの中で、もし竹花愛子が愛だとしたら、コメントのやり取りの中ではSこと坂本美和が研修に参加することは話しておらず、ここでの研修中に直人と坂本美和が知り合いだと知ることになるだろう。ここは竹花愛子と坂本美和を同じ部屋にするのはまずいかと思い、そこだけ直人は手を入れて違う部屋になるようにしてあった。なんだかこんな手心を加えている自分に嫌気がさしたが、仕方がない。愛を想えばこその行動だった。坂本美和がSだと愛に知られることは研修中にはないと思いたいが、愛と坂本美和が親しくなるようなことがあったなら、いずれ知られてしまう恐れがあり、直人は言い出せずにきてしまったことを悔やんでいた。


 動きやすい格好で集合と言ったが、ほとんどの参加者はすでに動きやすそうな姿で、そのまま荷物を置き集会場へはすぐに集まり始めた。竹花愛子も到着時と同じで、Tシャツにハーフパンツという姿だ。直人の前を通り過ぎるときにちょこんと下げた頭は、柔らかそうな髪がふわりと揺れ、2mほど離れていたのにいい香りが直人の鼻腔をくすぐった。


 直人は通り過ぎた竹花愛子を意識しないように意識して目を向けず、反対方向に目をやったが、それと反して意識はずっと、竹花愛子の元にあった。愛さん。愛さん。愛さん。そう心の中で名を呼びながら、竹花愛子がその視線をどこに向け、誰と言葉を交わし、どんな様子でいるのかを気にかけていた。そこから竹花愛子が愛さんだと、自分に送られる何かしらのサインを見つけられるように。


 それぞれが自己紹介をしている間も、竹花愛子を意識し、竹花愛子が自己紹介をしているときにはその顔を目にしながら、直人は自分を意識する愛のその姿を竹花愛子から探し出すように目で語りかけた。


 愛さんですか?愛さんですよね?


 けれど、その姿のどこからも竹花愛子が愛だという確信が持てず、直人は愛のことばかり意識して目で追う自分が滑稽で、どうしたものかと自問自答するばかりだった。


 そんなふうに意識しないように意識していたことで、ワークショップで何度か顔を合わせ、いつの間にか坂本美和よりも自分に馴染んできていた中山瑠衣に、痛いとこを突かれた。


「真崎さん、もしかして竹花さんのことお気に入りだったりします?」


「えっ?いやいやいや、そんなことないですよ。どうしてですか?」


「あのですね、わかりやすいですよ。視線が割とよくそちらに向きますしね。そしてその視線をわざわざ意識して外す感じとかね。まあ、私が真崎さんを目で追ってしまってるからかもしれませんが」


「えっ?」


昼食の後片付けを終え、昼食当番だった瑠衣が食堂のテーブルを拭き上げているところに居合わせた直人と2人になった時にそう話しかけられ、思い切り混乱した。気づかれてた?目で追ってた?え?


「いや、あの、知り合いに似ていて、似てるなぁと思って、つい見てしまってたかもしれませんが……」


 我ながら苦しい言い訳かもしれないと思ったが、そのあとの思いがけない言葉に、また混乱が始まった。


「あ、そうなんですか。よかった」


「え?よ、よかったですか?」


「あっ、いえ、特に意味はないですけど……すみません。なんか子供みたいなこと言ってしまったようです」


 そう言ってテーブルを拭き終えた瑠衣は、調理場へ向かってしまった。残された直人は今のやり取りを復唱するように頭に収めると、なんともいえない複雑な感情に襲われた。


 もしかしたら中山瑠衣に好意を抱かれている?……いや、そんなこと考えるのはやめよう。


 瑠衣に気付かれるくらいだ。他の誰かに気付かれるような、そんなことでは困る。ここはクラウンになるための研修の場で、個人的な感情を持ち込んではダメだ。今の瑠衣の感情を想像することも、竹花愛子に対して抱いている感情も、今は封印しよう。竹花愛子は愛ではない。愛は家族で出かけているのだから。


 愛かもしれない竹花愛子が2泊3日も一緒にいることで、直人の心中は自分が思う以上に浮足立ち過ぎていたようだ。もっと自分を律しなければ。直人はそう意識することで、竹花愛子を他の参加者と同じように、ただの仲間だと頭の中で何度も反芻した。


 そうした直人の気持ちなどお構いなしに、竹花愛子も普通に自然に話しかけてくる。


 夕食後の時間の使い方は自由だが、親睦を図ろうということから、ほとんどの参加者は集会場に来ており、それぞれお茶やコーヒーなど用意して、食材と一緒に運び込んである菓子類をつまみながら、できているいくつかの輪の中でお喋りを楽しんでいた。


「真崎さん、クラウンから今年実行委員になられたって話でしたけど、クラウンになられて長いんですか?」


 直人のいる輪に入ってきて話を聞いていた竹花愛子が話を振ってきた。


「はい。自分は大学生だった20歳の時にクラウンの存在を知り社会人になって足を踏み入れました。そこからクリニクラウンもやらせてもらっています。竹花さんがクラウンの活動を知ったきっかけはなんでしたか?」


「私は友人の知り合いにクラウンをやっている人がいて、友人からその活動を聞いて、面白そうだなと思ってドアを叩きました」


 その知り合いのクラウンって、NAOですか?


 そう心の中で問いかけた竹花愛子の向こうに、中山瑠衣の姿が見え視線を向けると、直人のその視線と瑠衣の視線が合った。


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