第106話目 ブロガー10

 参ったな。まさか本当にクラウンになる研修に行くことになるとは。


 拓也は明日からの泊り支度をしながらはじめて真崎直人に会った日のことを思い返していた。


 クラウンのワークショップにはじめて行ったのは、霧かと思うほどの細かい雨が降ったあとのジメっとした梅雨の日だった。それだけでもうんざりだったのが、自分から言い出したとはいえ真崎直人と実際顔を合わせるとは、はじめて会う人という顔をできるかどうかの不安もあった。マナ……AIさんと交流があるMASATOだとわかって会うのだから、自分がどんな表情をしてしまうのか考えただけで平静を保てないのではないかと心配だった。


「お兄ちゃん、なんか緊張してない?」そんな美和の言葉に、「なんで緊張するんだよ」と運転しながらバックミラーで美和に目をやりながらボヤいた。


「ごめんね、瑠衣。お兄ちゃんと2人でって、なんか照れくさくて誘ったりしてさ」


「ううん、誘ってもらって逆に嬉しいくらいだよ。その活動の話を聞いたとき、すぐにやってみたいって思ったし、どうやったら始められるのか、その真崎先生に聞いてもらおうと思ってたくらいだから」


「それ聞いて安心したのはこっちだよ。いよいよ足を踏み入れると思うと、なんかドキドキしちゃうよね」


 本当にドキドキしていたのはこっちのほうだと思いながら、美和が誘った中山瑠衣に目をやった。うん、美人だ。悪くない。


 中山瑠衣も学校は違うが美和と同じで高校の教員をやっていて、テスト期間も同じような時期なのでこの日も一緒に行くことになった。


 教員をやっている中山瑠衣は、コミュニケーション能力も高いとみられ、はじめて会う拓也にも、あっという間に自然と打ち解けて会話を振ってくる。


「拓也さん、図書館で働いているんですね。私も子供の頃には藤崎の図書館にはよく行ってたんですよ。2階の児童館なんかは本当にしょっちゅうでした。土日は紙芝居もやってくれてて、それが本当に楽しみで。なんならあそこが今の教員の仕事に就くベースになってたかと思うんですよね。紙芝居は今でもやっているんですか?」


「やっていますよ。紙芝居は子供たちに人気がありますからね。今も新しい紙芝居も増えてきていますし、よかったら見に来てくださいよ。なんなら今度は読み手のほうになるっていうのもどうですか?」


「お兄ちゃん、瑠衣のこと誘ってる」


揶揄からかうふうに笑いながらそう口にする美和に、


「変な言い方するな。そりゃあ誘うよ。あれはボランティアで成り立ってるんだし、読み手は多ければ多いほど助かるさ。お前にも暇があったらやってくれって言っただろ」


「ボランティア募集してるんですか?ちょっと興味あるかも」


「る~い~、あれこれ手を出し過ぎじゃない?これからクラウンにもなるんだし、そんなにできる?」


「う~ん、……大丈夫じゃない?クラウンの活動はそのフェスタがメインでしょ?毎週末に活動があるわけでもないし、図書館のほうだって、時間がある時だけでいいんでしょ?」


「そうですね、読み手さんの都合で日程を組ませてもらうんで、空いてるときでいいですよ。なんなら月一くらいでも全然OKです。ただ、紙芝居なので多少練習をしていただけるとありがたいです。絵に合わせて、声に抑揚などつけてもらうと子供たちにも伝わりやすいと思いますから」


「はい、その辺は大丈夫です。何度も何度も聞いてきたから、なんとなく……できるかなと思います」


「じゃあそのうち時間のあるときに一度見に来てください。その時にボランティアグループの代表さんに紹介させてもらいますから。代表さんの紙芝居は瑠衣さんも聞いたことがあるかもしれませんよ。もう20年以上続けてくれている方ですから」


「えっ、そうなんですか?わぁ、楽しみ」


 そう言って笑顔を向けてくる中山瑠衣は、人懐こそうなところもあり、見るからにいい子という印象だった。


 そんな話をしながら緊張した気持ちも解れていたので、駅の近くの市営の駐車場に着いて車を降りてチケットを受け取り、通路に出たときの美和の言葉に、緊張が跳ね上がった。


「あっ、真崎先生」


「えっ……?」


 真崎先生と呼ばれた通路の先を行く男が振り返った。これが真崎先生で、MASATOか。


「ああ、坂本さん。今日はありがとうございます」


「紹介しますね。友人の中山瑠衣と、私の兄の拓也です」


「よろしくお願いします」


挨拶が瑠衣と被ってしまったが、おかげで自分の緊張は声に乗らずに済んだようだ。


 初めて目にしたMASATOは、ブログの画面で見たクラウンの姿からは想像できないような若さを湛え、瑠衣と同じであっという間にこちらの懐に入り込んで、クラウンになることに迷いがあった自分を見抜き、クラウンの活動と活動以外での仲間との交流などを話して聞かされ、それらはかなり魅力的な話でもあり、大学卒業以来あまり友人との時間を作ってこなかった拓也は、それらの交流もしてみたいという気持ちにさせられていた。


 なるほどな、こんなふうにブログの中でもマナに話して聞かせ、マナの興味を引き出していたんだなと思うと、その自然と他人を引き込む力を恨めしく思い、この男ともう少し距離を縮めよう、そう思った。

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