第104話目 交流77

 Tさん……私の、名前。そっか、真崎先生は私の名前を知らないんだ。でも、それでもいいんだ。


 わかっていた。もう何回もそのことはわかりきっていて心の中に治めたし、そこに目を背けようとしてきたのに、直人が想いを寄せる愛が真崎先生の中で愛美ではないことに、また打ちのめされた。直人の心は私にない。それを現実に突き付けられるたび、胸が大きく鼓動を始める。


 生身の愛の一部でいいから知りたいという直人の想いに応えたい。そうしなければ、直人が、その心から愛がどこかに行ってしまう気がして怖い。


 愛美はベットを背にした自分の顔を鏡に映し、それをほんの少し角度を下げ、しばらく思案してからパジャマ様に着ているTシャツを脱ぎ、鎖骨の少し下にある黒子を見、胸の膨らみが想像できるそこまでが写るようにして自分の写真を数枚撮った。何枚か撮れば、1枚くらいはちゃんと撮れているだろうと思ったからだ。


 それをSDカードから全部切り取ってパソコンに取り込むと、ペイントを使って顔の上に愛という漢字を乗せ、顔が全部隠れるようにしようと思ったが、ほんの少しだけ頬と髪を残した。それが愛美かもしれないと直人は思わないだろうが、ほんの少しでも愛美に繋がる部分を残したいと思ったのだ。鎖骨の下にある黒子は、普段は制服で隠れ見えないが、一応、消した。これでいい。そう確認してから小さめにした写真を直人のゲストページに届けた。もちろん内緒でだ。


 こんなことするなんて、考えたこともなかった。愛が寺井愛美だと気付かれてはいけない。その一心でいた。が、真崎先生は私の名前すら知らなくてもいいんだと、その言葉で自分の中の何かが壊れた気がした。


 真崎直人にとって、寺井というのはただの生徒に過ぎない。


 なら、愛の存在を、生身の愛がここにいること、ちゃんと知って欲しい。感じて欲しい。ちゃんと姿を感じて想いを寄せて欲しい。本当は、この顔も名前も全部知って欲しい。それで……愛美としてその心が欲しい。でも、それが叶わないならば、愛として……


 『返事を入れるのが遅くなってごめんね。まだブログにいるかな?今ね、直人さんのゲストページに写真を届けました。今の、今夜の私です。今の私には、これが精一杯です。私は生身の人間として、ちゃんと画面のこちら側にいて、毎日直人さんのことばかり考えて、NAOさんの写真を枕元に置いて、それを見ながら眠っているんですよ。ちゃんとここにいます。……私も、生身の直人さんを感じたいです。傍にいきたいです。ほんの少しでもいいから……小指の先だけでもいいから、直人さんに触れたいです』


 『愛さん。よかった……いてくれて、よかった。返事がいつもより遅かったから、怒らせてしまったかと思って、不安で不安で仕方がなかった。でも、自分の想いを受けて、こうして愛さんを届けてくれたんですね。愛さん、愛さん……愛さん、これが愛さんなんですね。ドキドキしています。あなたに、いつか触れたいです。ありがとう。ちゃんと存在を確信しました。ごめんなさい、なんだか感情を抑えられなくなってて、変なことを書いてしまいました。でも、ありがとう』


「ごめんなさい」は、私のほうだ。私だけが、ちゃんと存在を知って想っている。そうじゃない直人は、漠然とした存在の愛を知りたいと思うのは当然だ。どうしたらいいんだろう……こんなことしていていいんだろうか?このままでいいんだろうか?愛美は自分がしていることに対しての大きな罪悪感を抱え、それでも直人と離れたくない、直人の気持ちを引き留めておきたい。その気持ちだけで、ここにいた。


 『いつか、直人さんに会えたら、私は私の小指の先を、直人さんの……NAOさんのときかもしれない直人さんの小指の先に触れるから、私に気付いたら……ちゃんと摑まえてください』


 『約束だよ、愛さん。ちゃんとその小指の先を、自分の小指の先に触れてください。絶対に摑まえるから。そしたらもう、逃がさないからね(笑)』


 いつか本当に、そんなことが出来たらいいなと思いながら、絶対に叶うことのない約束を、直人とした。


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