第103話目 交流76 MASATO

 顔を合わせたいと思う日に限って、なかなか寺井と会うことがない。


 真崎直人は土曜日の写真展示の場で、Tさんこと増本のクラスの寺井という生徒にNAOが自分だと気付かれた不安があり、顔を合わせることで何かしらの意思表示があるのではないかと目論んで、朝早くに生徒の寺井が通学に使う裏門に立ったが、その姿を目にすることができなかった。もともと受け持つ学年が違うので、授業のある時間帯は職員室にでも来ない限り、他の学年の生徒と顔を合わせることもないのだが。


 もう下校したかもなと、今日は無理かと諦めを抱え、放課後の部活に向かうために職員の下駄箱から外に出ると、生徒の下駄箱の方向からこちらに向かい歩いてくる寺井とその友達に気が付いた。


 あっ……と、思わずそんな顔をしてしまった気もするが、知った顔を目にした風を装い顔を背けようと思った瞬間、「さようなら」という声が2つ聞こえた。


「さようなら」と、軽く頷くようにして声をかけ、何の不自然さも感じさせず背を向けた寺井を目にし、ああ、気付いてないなと胸を撫で下ろした。「ふぅ……っ」と肩の力が抜け、その背を見送りながら、そういえば寺井……って、名前はなんていうんだろう?増本も寺井と呼んでいたので、名前を知らないことに今さら気づいた。まあ、名前を知らなくても特に問題はないのだが。



 『愛さん、ただいま。今日ね、学校でTさんとバッタリ顔を合わせたんだけど、TさんNAOが自分だって、気付いてないみたいだったよ。特に何も言わなかったし、表情にも変化がなかったからね、あれは気づいてないと思う。よかった(笑)それとね、Tさんの担任のM先生も、写真を観に行ってくれたんだって。自分もクリニクラウンになればよかったって、残念がっていたよ。そうそう、言ってなかったかな?M先生もクラウンの活動はしたことがあるんだ。まあ結婚してるからクラウンはやるけど、クリニクラウンまではやらないんだって。でね、M先生もクラウンフェスタに参加するけど、1日だけが多いかな。そういえば集合写真にも写ってるはずだよ。金髪のモジャモジャ頭のクラウンさん(笑)』


 今日は寺井に気付かれていなかったことで安堵していたし、新しく入部した1年の中に、中学でも珍しい女子サッカー部がある学校から入った子がいて、なかなかのプレーを見せてもらえ、顧問と今年の大会も楽しみだなと、そんな会話をしてきたことで、多少感情が浮足立っていた。


 『直人さん、おかえり。Tさんに気付かれてなかったんだね、よかったね(笑)安心したでしょ。Tさんの担任の先生もクラウンやってるんだね。うん、確かにモジャモジャのクラウンさんがいる(笑)そっか、じゃあM先生クラウンさんにもクラウンフェスタで会えるといいな。楽しみがまた一つ増えたな。……って、でもさ、M先生クラウンさんは1日だけが多いっていうと、ちょうどその日に行かないと会えないんだね。しかもNAOさんも今年は毎日NAOになれるかわからないんでしょ?』


 そうだな。自分はなんとか休日は毎日NAOになるつもりでいるけど、紹介した増本や今年から仲間に入る坂本美和などは、いつクラウンをやるのか教えてやらないと、会いたい場合は毎日来てくれなんてことになってしまうな。


 『うん。Tさんに気付かれてなくてよかった。それはそうと、Tさんに会った時に思ったんだけどね、よく考えたらTさんの名前のほうを知らなかったことに今さら気づいたんだ。まあ、知らなくてもいいんだけどね(笑)そうだね、今年から実行委員になるし、M先生が出る日も教えるよ。NAOがどの辺りに出没するかも教えるから。街の中も広いから、どこにいるか知らなければ会えないかもしれないからね。その日に会えるのが楽しみだね。と、その前にワークショップにも来てもらえてれば、愛さんが名乗ってくれてなくても見たことがある人だなと、NAOのほうから近寄って行くかもしれないよ(笑)……愛さん、どんな顔をしているのかな。いや、顔を見せて欲しいなんて言わないよ。ただ、愛さんの存在を、どこか……あなたの身体の一部分だけでいいから、知りたいな。あなたの存在が、ちゃんとそこにいる生身のあなたの存在を……感じたいと思う自分がいるよ』


 言ったらいけない。そう思っていたけれど、言ってしまった。本当は顔を知りたい。目も見たい。鼻も見たいし唇も見たい。手も足もその指先も……その声も、聴きたい。でも、そんなことは言えないと思っていた。警戒されたらいけないから。ワークショップやクラウンフェスタで、知らない人同士でまず顔見知りになって、それから、実はね……と、そんな形がいいのかと思っていた。が、愛を想い逸る気持ちが追い付かなくなっている自分も感じている。何か一つでいい、愛さんを知りたい。生身の愛さんを。確実にそこにいる愛さんを。

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