第88話目 交流66

 ランラララランランラン……ランララララン……


 そんな曲が頭の中を流れ、緩やかとはいえ坂道を自転車漕ぎながら、そこにいるNAOを目指して、逸る気持ちと共に登りきった。緩やかとはいえ、流石に登りきった時は足の重みを感じたが、気持ちは逸りすぎるほどで、NAOに会いたい。NAOの姿を直接目に焼き付けたい。その気持ちの方がはるかに大きく、病院目指して自転車を走らせた。


 病院に着きエレベーターで行こうと思いホールに行くと、エレベーター待ちの数人が目に入り、これは階段で行ったほうが早いなと階段に向かった。流石に足の疲れを感じて、たかが2階でもエレベーターと思ったが、逸る気持ちは疲れをあっという間に取り去った。


 階段をいそいそと駆け上がり2階へ向かうと、上から人が下りてくる気配がし、脇に避けた。俯き加減で通り過ぎるのを待ったが、その数人はそのまま愛美と同じ2階へ降り立ち歩き始めた。その後姿に心臓が張り裂けるほどの鼓動を感じた。NAOだ。


 なんで?階段から?NAOは非常階段からって言ってたではないか。いやまて、それは津田市の話か。だからここも非常階段からだと思い込んでいた。


 焦る気持ちを抑え顔を上げると、ふと、NAOがこちらを振り返った。


『えっ』と思ったが平静を保ち、不思議な姿をしている人たちがいるなというふうな顔をして小首を小さく傾げ、自分が向かおうとしているのはもっと上だったとばかりに階段を上がり始めた。途中の踊り場まで上がり歩を止めると、心の中でゆっくりと10の数を数えてから2階へと下りた。


 さてどうしよう。クラウンNAOの姿の直人は、そこにいたのが寺井愛美だとわかったはず……だと思う。ということは、今すぐ2階の広場に向かいイベントを見ると、直人に変に思われるかもしれない。さてどうしよう。しばらく考えてみたが、誰かの見舞いに来て病棟に行ったところでイベントを知り、面白そうだと覗きに来たという捉え方もできるのではないか。そう都合よく解釈し、10分ほど経ってから、堂々とイベントを観に向かった。これならば写真を撮っていても不思議はないのではないか。愛美はこっそり写真が撮れたらいいなと思い、ちゃんとデジカメも持って来ていたのだった。


 イベントが行われている広場に着くと、ちょうどNAOがバルーンアートを作っているところだった。顔と視線はバルーンを向き慣れた手つきでキリンを作っているところだ。愛美は急いで手に持っていたカメラを向け、数回シャッターを押した。その中にはNAOの顔のアップもあった。


 キリンを作り終え顔を向けた時、正面から端に移動していた愛美は、NAOの視線の動きを見ていたが、キリンを見せる仕草で顔をこちらに向けることはあっても、愛美を直視することもなく、その存在に気付いた風ではなかった。そのあともNAOは犬や剣などを作り、それを子どもたちに手渡しながら笑顔を振りまき、次のジャス片手でハイタッチをし、真ん中を離れ脇に避けた。その位置は愛美とは反対側だった。


 愛美はジャスのジャグリングも数枚写真を撮った。万が一にも愛美がNAOの写真を撮ってたことに気付いたとき、他の2人も撮らないと不自然だろうと思ったからだ。そうしてカメラを前に向けて脇にいるNAOやトランプに向けたとき、ふとNAOの視線が正面にいる誰かを捉えたことに気付いた。


 何気なくその視線の先を追うと、誰かがカメラをNAOに向けていた。そこでその存在にハタと気付いた。その顔、見覚えがある。職員紹介に顔つきで載っていた坂本という新採だ。今日もまたここにいるとは思わなかったが、NAOの様子を見ると、今日も来ていることを知っているようだった。


 それに気づいた瞬間、ものすごく嫌な感情が身体の中を駆け上がってきたことを感じ、目頭が熱を持ったように熱くなった。


 なんで?今日も坂本が来るなんてこと、直人は言っていなかったじゃない。どういうこと?


 NAOの視線が坂本を捉えたその瞬間が、恐ろしく長いものに感じ、愛美はいたたまれないような気持ちになり、その場から足早に離れた。まるで違うクラスに間違って入ってしまったときのように。


 来るときはエレベーターに乗ってと思ったが、下りる時は階段を選んだ。人気のない方に行きたかったからだ。


 階段を一つ二つ下りると、なんだか無性に悲しくなり、俯きながら重い足取りでゆっくりと階段を下りた。なんだか消えた足の重みがその疲れとともに一気に身体に押し寄せ、1階の見舞客の通路脇に設えられている長椅子の一つに腰を下ろした。


 バカみたいだ。何しに来たんだろう。直人のあんな目、見たくなかった。自分が知らない直人を知らないほうがよかったのかもしれない。いや、自分が知らない直人じゃなくて、本当は現実の直人のことなんて、なんにもわかってないのかもしれない。自分が知っている直人は、真崎先生でいる学校で目にするその姿だけなのかもしれない。


 身体の重みをさらに強く感じながらも心の中を整えるように、直人の言葉をいくつも頭の中で拾った。そうしなければ、MASATOが知らない直人になって、どこかに行ってしまいそうで、自分に心が向いているMASATOを必死で探しながら、また一つ知っていたことに気付いた。


 MASATOが……直人が心を寄せているのはAIであり愛美ではない。直人の想いが向いているAIになりたい。私がAIだけど、愛美はAIじゃない。AIになりたい。AIになりたい。


 愛美は自分が創り上げたAIという存在と愛美本人とが、真崎先生の中では、直人の中では決してその二つが結びつかないことで、自分自身を酷く憐れな者のように感じていた。


 本当は、そこには二人しかいないのに、MASATOとNAOと直人と真崎先生と、愛美とAIとで、なんだか全部が別の人間のような気がして、途方に暮れた。


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