第53話目 交流35

 体育館に入ると、席につくまでなんとなく後方を眺めたり全体に目を走らせたりしてみたが、真崎先生の姿は見つけられなかった。こうした式では、毎回ある副校長の講話に身動き一つせず耳を傾けながらも、相変わらず何を言っているのかよく聞き取れないその口の動きを見ながら、頭の中ではMASATOのことを考えていた。


 MASATOの子供の頃から慣れ親しんだラーメンの味がどんななのか、昨夜MASATOの書き込みを待ちつつも、パソコンで検索し、高原山の麓に広がる隣市周辺のラーメン屋をいくつか検索していた。中でも、つけ麺を出している店は2件だけだったので、そのどちらかだろうと絞り込んでいた。


 そんなことを考えていたので、これは昼にはラーメンを食べるしかない。家にラーメンはあっただろうか、そんなことを思い耽っていると、「終わる」の言葉が耳を捉え、その言葉に無意識に立ち上がった。愛美の通うこの高校では、こうした式や講話の際、起立などの合図はない。校長や副校長の、「終わります」や、「終わる」「終了」などの終わりの合図に全員が起立する習わしになっていた。なので、一瞬でも出遅れると悪目立ちしてしまうが、2年目になった今、無意識にその言葉で出遅れることなく立てるようになっていることに、不思議と心地いい緊張感を得られている。


 人はきっと、「自分の居場所」というものを無意識にそこと捉えているところがあって、愛美の場合、社会の中での今の自分の居場所がこの高校だと実感できる一コマであるように、その出来事も捉えていた。


 式が終わり、クラスごとに体育館を出るときにも周辺を見渡してみたが、真崎先生の姿が見当たらない。どこにいるんだろう?今年は1年生を受け持つので、この始業式には出なくていいってことだろうか?そんなこと思って体育館を出ようとした瞬間、舞台横から真崎先生が現れた。『あっ』と思ったが、そこで立ち止まることもできず、一瞬、目に捉えた真崎先生の顔を瞼に焼き付けた。


 担任が去年と同じ増本だったことも、1年間慣れ親しんだ担任だったため、半分が同じ面子の新しいクラスも大きく違和感を感じることもなく、朝、だいぶ髪を切ってしまったことをいじられていたにも拘らず、帰り際に「何の心境の変化?」「もしかして男に振られた?」などといって教室を出て行くみんなに「手入れが面倒になっただけだよ」と、幾度となく同じ返事を繰り返し、ようやく教室を出た。


 廊下に出るとそこに純の姿はなかった。まだホームルームを終えていないのだろうと、約束通り愛美は5つ離れた純の教室の前に向かった。


 純のいる3-7の教室の前まで行くと、ちょうどホームルームが終わったようで、何人かが教室から出てきた。その中には同じ中学の富田志穂がいた。


「えっ?マナ?やだ、どうしちゃったの?そんなに短くしたとこ始めて見るわ。男にでも振られた?」


「違うよ。心境の変化。でも頭が軽くなったみたいで、結構気に入ってる」


「そりゃあ、これだけ切ったら軽く感じるでしょ。いいじゃん、似合う似合う。じゃあね」


「バイバイ」


 志穂とそんなやり取りをしている最中からそこにいた純と顔を合わせ、『いこ』と頷いて見せると、


「帰る前にちょっと事務室に寄っていい?校章買いたいんだよね。これ、なんか留め金のところが曲がっちゃってさ、指を刺しそうで怖いんだよね」


そう言った純の付けている校章に目をやったが、見た目ではそうとは気づかなかった。


「うん、いいよ」


 純のクラスの更に向こうにある階段を下りて事務室に向かった。


 愛美は、これって真崎先生が写ってるかもしれない写真を見られるチャンスじゃんと、心の中でラッキーだと、純にありがとうと言いたいくらいだと、その顔を見ながら、「新しいクラスはどう?」「仲がいい子がいてよかった。志穂もいるし、萌々香もいるんだよ」と、同じ中学の子の名前が出て、「よかったじゃん」と、そんな相槌を打っている間に、事務室の前にきた。


「そこで待ってるね」


 愛美はそう言って、事務室の隣にある校長室の壁に貼られたサッカー部の写真辺りを指さした。


 純が事務室へ入るより早くその前に行くと、愛美はかなりの勢いで写真を目で追い、その姿を探した。一番最初に、必ずここには写っているだろう集合写真に目が留まると、やはりいた。真崎先生は顧問と2人で集合写真の真ん中に写っていたが、やはりとても小さく、『小さいな』と、他の写真も目で追うが、そのほとんどが試合中の写真で、なかなか真崎先生の姿が見つけられない。


 「あっ」


 その姿を見つけ、思わず小さく破顔していた。試合中だろうか?一人の選手が真崎先生の前にいて、何か話しているような1枚がそこにあった。が、肝心の真崎先生は横顔だ。


「おっ、寺井、いい男でも写ってるか?」


 ムッとして、その声の主、担任の増本に目を向けると、その横に……『ま、真崎先生』思わず心でそう名を呼びながら、綺麗な2度見をしてしまった。


「あっ、あの…寺井さんって、……階段の……?」


「あ、はい。そうです」


「あ、いや、以前、階段でぶつかりそうになって。って、増本先生、今のセクハラですよ」


「そうですよね、セクハラですよ!」


動揺を隠すために、増本先生に階段でぶつかりそうになったことを話している真崎先生に同調するように、そう増本先生に向かってムッとした顔を見せた。


「ははは、これもセクハラか。すまんすまん」


そんな言葉を残して、増本先生がその先の職員室へ向かうと、真崎先生も1、2歩進み、思い出したように言った。


「あっ、そういえば、この前の土曜にディズニーランドにいました?」


「えっ?あ、はい、いましたけど……もしかして、真崎先生もいたんですか?」


「やっぱりそうか。なんか見たことある子がいるなって思ったんだ。いや、何人かの先生たちで行ったんだけどね」


「えっ、もしかして先生たちに気付かれてしまいました?」


「いやいや、大丈夫。気づいたのは自分だけだから」


「よかった。知ってる先生に会わなくてよかったです」


「ははは、そうだよな。それより、髪、随分と切ったんですね。失恋でもしましたか?」


……お前も言うか……


「先生、たぶんそれもセクハラですよ」


「あ、そうだな、失礼しました」


そう言って、ちょこんと頭を下げながら、笑顔で真崎先生も職員室に入っていった。


 愛美はその笑顔を、しっかりと目に焼き付けた。

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