第33話目 交流15 MASATO
朝目が覚めると、真っ先にパソコンをつけた。
「だよな、さすがにこんな早い時間にAIさんはこないか」
自分のホームにコメントがあることを示すマークがあり、もしやと思いそれを開くと、まず目に入ったのが、『MASATOどの』だった。さつきさんだ。
『MASATOどの、銃を撃った経験があるのですね。それは貴重な経験でしたね。明日に向かって……もいいですが、自分の中に芽生える負の感情、全部撃ち落としてしまいましょうよ。新しい明日に向ける照準は、明るいものがいいです』
なるほど。そういう考えもあるんだなと、妙に納得した。さつきさんは以前教員をしていたそうで、ご主人の仕事の都合で教員を続けるのが難しくなり、今は自宅で家庭教師をしているとのことで、年齢はわからないが、話を聞いていると自分よりひと回りは上のようで、いいアドバイスをくれるという印象だ。まるで『ねえさん』のような人だなと勝手に重ねている。
「さて、仕事仕事」
直人は肩をぐるっとひと回ししながら独り言ちして、なにかを振り切るようにパソコンの電源を落とすと、朝食用に買い置きしてあるバターの入ったロールパンを牛乳で流し込み、子供の頃から母からやたらと煩く食べるようにと言われていたヨーグルトを一つ食べてから身支度をして部屋を出た。
職場まで車で5分ほどで行けるこの部屋を借りたのは、一つにはいつまでも親の世話になっているのもと思ったことと、もう一つは塔子との時間を作るためでもあった。
別れたあの日から、この部屋はそれまでとはまるで違う場所のように感じられていた。
朝日が入り込むその光さえくすんだものに見え、部屋の隅に溜まり始めた埃が、殺伐とした心に深い影を落としていた。だがどうしたことだろう。今朝、部屋を出た瞬間に感じた朝日は、久しぶりに空を見上げる気持ちにさえさせてくれるような明るいものだった。今夜、きっとAIさんは書き込みをくれるだろう。久しぶりに顔が綻ぶのを感じ、なにかの憑きものが一つだけそこに落ちたような気がした。
副顧問を務めるサッカー部の午前の練習を顧問の西田と交代で見つつ、事務仕事を終え、今日の昼食はコンビニで弁当でも買おうと駐車場に向かった。学校が始まると弁当の注文があったり、購買でパンを買うという選択肢もあるのだが、今は春休みでそれもない。
直人は車に乗り込むと、手に持っていたスマホを操作し自分のブログを開いた。
そうだ、車でコンビニへ行くことにしたもう一つの目的は、これだ。やはり朝から気になって仕方がなかったのだ。もしかしたら自分が朝ブログをチェックした後、AIから何か書き込みがあったのではないかということだ。
「やっぱないか」
そうだろうと思っていたが、チェックせずにはいられなかった。こんなことはブログを始めて以来のことだ。
「ははっ、なんか変だな。全然知らない人なのに、なんか気になるな」
自分の行為に戸惑いながらも、顔のわからないAIのことを思い浮かべながら、はにかんだ。そして少しガッカリもした。
おにぎりと野菜ジュースの簡単な昼食を終え、午後に入っていた新1年生の学年会議に出た。今年度は1年の担任を持つことになったのだ。
5つの科を持つこの高校では、各学年で12のクラスがあり、学年会議ともなると教員の数もその倍近くになる。ほとんどが前年度の3年から下りてきた教員なので、気安い間柄になってきた教員も多いので気が楽だ。意見も言いやすい。
「真崎先生、私、今年度新採の担当にもなってるんですけど、ちょっと手伝ってもらってもいいですか?」
「ああ、はい。自分にできることがあればお手伝いさせてください」
同じ普通科を受け持つ篠宮は今年40になるベテラン女性で、新採の担当をやるのも初めてではない。その篠宮が自分に手伝えというのは、そろそろ自分にも新任担当が回ってくるということか。
「今年は若くて可愛い女の先生だから、お近づきになるのもいいんじゃない?」
隣に座る篠宮が身体をこちらに近づけ、その若い女の先生に視線を向けた。今年度1年に受け入れたのは坂本美和という大学卒業したての新採だ。篠宮が言うように、確かに可愛らしい顔をしている。でも、だからといってお近づきになんて、篠宮らしい。けれど、若手教員で作っている若葉会には是非仲間として受け入れたいとは思っている。もちろん、職場での親交を深めるための飲み会がメインの、勉強会も兼ねての真面目な会だ。
「そうですね、是非とも上手くコミュニケーションを取っていきたいものですね」
そうだ。始業式の前に若葉会に誘い、若手飲み会にも参加してもらうよう話してみるか。
直人は、あまり顔ぶれに変化のない高校の中でも、新しく変化していくことをようやく楽しめる気持ちになっていた。
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