第19話 手術
4月21日(金) 午前1時
深夜の病院。その一室の前で佇む青年が居た。
百三十年前に勃発した世界大戦、その生き残り。今まで戦う事でしか自分の存在を証明する事が出来なかった。だがそれを恥じた事は無い。自分は戦闘用のAIなのだ。何が悪い、と半ば開き直っていた。
そう、開き直る事が出来た。それが正宗の心に、いつまでも引っかかっている。
この感情は何だと疑問に思う。戦場で幾度なく感じた空しい感情。
AIに心を与えたのは一人の科学者。
自分をAI化し、分解したデーターをネット上に拡散した。
それを心と呼ぶのは間違っているかもしれない。所詮データーだ。
しかし、そのデーターを元にAIは確実に進化した。
大戦を引き起こす切っ掛けにもなったAIの彼女は、確かに心を宿したのだ。
だからこそ求めた。更なる感情を。
戦争という特殊な状況下で人間を観察し続け、更なる進化を遂げようとした。
だが彼女は既にこの世には居ない。仲間のAIによって葬られた。
正宗は心を手に入れたいと思った事は無い。
そんな物は邪魔なだけだ。自分はひたすら戦い続ければいい。
そう思っていた。
だが、昼間に妊婦と会ってから何処かおかしい。
戦い以外でも、自己の証明が出来る。そう思った。
だからこそ依頼を引き受けた。
そっと病室の扉を開ける。
既に看護師と医師が数人。どうやら妊婦に手術の説明をしているようだった。
正宗に目を向ける医師と妊婦。
妊婦は、正宗が入って来た事で依頼を受けてくれたのだ、とホっと胸を撫で下ろした。
「ありがとう……お兄さん」
笑顔で言い放つ妊婦。正宗はどこか、戦場で感じる空しさとは別の物を感じていた。
そうだ、空しいのではない。これは悲しいのか? 正宗は自分の感情が混乱している事に気が付いた。
昼間、医師に言われた言葉を思い出す。AIとして誰よりも進化する事が出来るだろうと。
もちろん信じていたわけではない。だが、悲しいなどと感じた事の無い正宗。
自然と医師の言葉に信憑性が沸いてくる。
医師は一通りの説明を終えると、正宗を別室に案内した。
その間、看護師が妊婦を手術室へ搬送する。
別室で医師は、正宗にも手術の手順を説明した。
まず開胸し、心臓近くのナノマシンが詰まった血管を取り除く。
それと同時進行で双子の内、女児の方を男児へと性転換させる。
正宗は疑問に思った。まず母親をAI化させるのでは無いのかと。
「今回のメインは女児の性転換だ。それと粒子血栓塞栓症さえ治療できれば用は無い」
「……最初からそのつもりだったのか?」
医師は人の好さそうな顔をしていると思った。だが本当に人が良かった。
子供の性転換は組織の上に納得させる為の条件。
ただ手術するだけでは組織の人間は納得しない。必ず失敗する手術など許可できる筈がない。
そこで敢えて人体実験だという事で無理やり通したのだ。
「いや、失敗した場合はAI化を試みるよ。ただ可能な限り最善は尽くす……と言うのは違うな……。ただ単純に私がやってみたいだけだ。君も薄々感じているだろうが、私は人間を物としか見ていない、私にとっては人間もAIも……」
「天邪鬼だな。素直に言ったらどうだ。妊婦を助けたいと」
眼鏡を直しながら溜息を履く医師。それっきり黙ってしまう。
これを図星というのか。正宗はまた一つ賢くなった、と思った。
それから医師は続けて正宗に子供の性転換について説明する。
まず、微量のナノマシンを腹に注入し子供に回線を繋げる。
「言っておくが、この時点で手術が失敗する可能性がある。粒子血栓塞栓症の原因はナノマシンだ。何が引き金になって再起動するか分からん。もしかしたら私が開胸した瞬間に暴走するかもしれない。常に懸けの状態なのだ。ナノマシンの残骸を取り出すまでな」
正宗は医師の説明を聞きながら、いつのまにか自分の手が震えている事に気が付いた。しくじる気など更々ない。自分はナノマシンを操作して子供の体を作り変えるだけだ。それだけならナノマシンの操作に特化していないジュールでも問題は無い。
だが正宗は緊張していた。戦場では命取りになる感情。恐怖は戦場に必要だが、緊張は邪魔なだけだ。手が震えていては標準もまともに定まらない。
そんな正宗を観察する医師。戦闘用にしては珍しいと感じてしまう。戦場に立つアンドロイドに、ここまでの感情が芽生えるのは極稀だ。彼らは意図的に自分でただの機械に成り下がる。
そうしなければ人間を殺せない者も居るからだ。
医師は一通りの説明を終えた後、正宗に全く関係の無い話をしだした。
「何故……人間が君達にFDW……異なる世界の友人などという総称を付けたか……知っているかね」
首を傾げる正宗。そんな物は決まっている。人間は認めたくないのだ。同じ世界でAIが同じ立場に君臨している事が。人権を認めたとは言え、完全に人間はAIを受け入れた訳ではない。正宗は当たり前だとも思っていた。戦争をしかけた機械人形に、どう心を開けと言うのだと。
だが医師は正宗の考えを否定する。それは違うと。
「認めたく無いのではない。憧れだよ。この国の言葉に……隣りの芝は青く見えるという物があるが……君達は人間を羨ましく思った事はあるか?」
「……無いといえば嘘になる……だが人間になりたいと思った事は無い」
医師は昼間と同じように薄く笑いながら頷く。
再び眼鏡を直しながら、正宗に聞かせた。自分が思う今の世界を。
「人間も君達が羨ましいと感じているのだ。だが君が人間になりたいと思った事が無いように、人間もAIになりたいと思う者は少ないだろう。何故なら……人間は変わりたいと願っている割りに、その実……今の生活を維持したいと思う者が大半だからな」
「結局……何が言いたいんだ……」
医師は初めて声に出して笑った。本当に楽しくて仕方ない、このAIとの会話は。
「つまりだな、異なる世界の友人……と総称をつけたのは、憧れているにも関わらず、決して同じ世界を共有できないと分かっているからだ。認めたくないのではない。ある意味……人間はAIを既に認めるを通りこして賛美している。何せ大昔からの悲願だったからな。神の真似事をする事が」
「だが……人間はAI化を試みただろう。今回に限らず、世界の彼方此方でAI化の人体実験は繰り返されている」
そうだな、と相槌を打ちながら医師は時計を確認する。そろそろ時間だ、と。
「この続きはまた今度にしよう。次の機会があればの話だが……。健闘を祈る。君を呼んで正解だったよ」
握手を求めて来る医師。正宗は自分と握手すると手が砕けるぞ、と思いつつも軽く手を重ねる。
そういえばまだ聞いてなかった。数多のジュールの中で、何故自分を、しかも戦闘用を選んだのかを。
「簡単な話だ。一般のジュールなど人体実験に反対するだろう。だからと言って戦闘用は話が通じない。だが君は百三十年前から生き残っている数少ないFDWだ。生き残る為には……腕だけでなく、ここも使わないとな」
トントン、と自分の頭を突くジェスチャーをしながら部屋を出ていく医師。
正宗は意味が分からんと首を傾げていた。昼間はFDWとしては幼いと言っていたのに、今は打って変わって頭が良いと言われた。
「いや……良いとは言ってないか……最低限、会話が出来る戦闘用だったら誰でも良かったんじゃ……」
正宗は戦場の仲間達を思いだす。そういえば奴らの中では自分が一番まともな気がする、と頬を緩ませた。そしていつのまにか手の震えは止まっている。緊張とは別の物が正宗の心を支配していた。
あの人間を助けたい。ただそれだけが。
手術が始まった。
手筈通り正宗は腹に注入されたナノマシンを操り、子供に回線をつなげる。ここまでは妊婦に異常は見られない。正宗の脳内に、ナノマシン群が得た情報から再現された映像が表示される。腹の中に子供が二人。それを見た瞬間、正宗は何とも言えない感情の波に襲われた。普段なら喜ぶべき事かもしれない。だが今は構っていられない。妊婦の命だけを助けるのならば、子供の性転換など後回しだ。だが、この手術それ自体が非公式。つまり結果が出なければ最悪、妊婦は組織に消されるだろう。
続いてリミッターを外された性転換ナノマシンが注入される。
正宗はそのナノマシンを操作して、女児の体を作り変えていく。
(女児を男児に……)
今後、この子の人生はどうなるのだろうか。
それを見守る為に永続契約を結びたいと申し出た。
自分でも不思議だった。何故いきなりそんな事を言ったのだと。
(分からない……分からないが……)
今後、理解する事が出来たならば、自分は更に進化する事が出来る。
(進化……? 俺は……進化したいのか……いや、もう認めろ……)
あの医師にも言い放った。天邪鬼だと。
(俺も……大概だ。妊婦の腹に触れた時……守らなければと感じた……俺が守る……この子を……この家族を……)
性転換が完了した。
ナノマシンで体調を調べる。どこにも異常は見られない。
その時、脳内に流れる映像が一瞬歪む。
それと同時に看護師が慌てる声が耳に飛び込んで来た。
「先生……内出血があちこちで……っ ナノマシンが……暴走しています!」
舌打ちする医師。正宗は子供のナノマシンの一部を、へその緒から母親側に送り込む。
粒子血栓塞栓症を引き起こしていたナノマシンが再起動し、暴走している。
そして母親の体内を傷つけながら暴れていた。
暴走するナノマシンを制御しようとする正宗。だがジュールである彼には処理が追い付かない。
マシルであれば問題なく出来た筈、と正宗も舌打ちする。
「間に合わん……脳を換装する」
その言葉に正宗は泣きそうになった。もう妊婦は助からない。
戦闘用のアンドロイドに涙は流れない。だが正宗は確かに感じた。自分の涙が流れるのを。
その時、暴走するナノマシンの一部が、今度はへその緒を通り子供にも流れ込んでくる。
「不味い……帝王切開して子供を取り出せ! へその緒を切れ!」
正宗の言葉を聞いた医師は、脳の換装を助手に任せて急ぎ腹へメスを入れる。
もはや母体は生物的に死亡している。だが子供は生きている。
周りの看護師や助手が思わず声に出して驚くほどに、医師は凄まじい速さで子宮の中から子供を取り出した。
「暴走するナノマシンが……くそっ!」
二人の子供に流れ込む暴走ナノマシン。医師がへその緒を切る。子供は産声一つ上げない。
正宗はなんとか暴走するナノマシンの制御を試みるが、かなりの数が既に流れ込んでいた。
もう迷ってはいられない。正宗は最後の手段と、ナノマシンでナノマシンを物理的に抑え込んだ。
そのまま強制的にシャットダウンさせる。
だが、それが出来たのは十分な数のナノマシンが注入されている元女児のみ。男児の方には最低限のナノマシンしか注入されていなかった。
男児の中で暴れるナノマシン。政宗は必死に抑え込む。看護師に指示し、新たなナノマシンを男児の方に打ち込んで抑え込もうとする。だが間に合わない。男児の体は、暴走するナノマシンに作り変えられていく。
必死に止めようとするが、正宗の肩に手を置き、止める医師。
「もう我々では手に負えん……早急に都会へ送ろう。あちらの技術なら……」
正宗は脳内の映像を切り、目を開ける。
女児だった男児は看護師に抱かれ、やっと産声をあげる。だが男児は。
「くそっ!」
近くにあったモニターを叩き割る。悔しい、出来る事ならもう一度やり直したい。だがそれは叶わない願い。現実は残酷に正宗の心を斬り裂いて行く。
だが、耳に届く赤子の産声。
その声を聞いた正宗は、冷静になれ、と自分に言い聞かせながら医師へと母親の状態を尋ねる。
「AI化は……」
「脳の換装は完了した。これからだ……」
AI化も成功する確率は低い。千人の内一人が成功すれば良い方だと言われているくらいだ。
医師はAI化と並行して、人間以外の何かに作り変えられてしまった男児に、生命維持に特化したナノマシンを注入する。そして送るのだ、都会に。助かる見込みがあるとすれば、もう他に思いつかない。
そして母親のAI化が始まる。
成功しても地獄だ。なんと言えばいい。あの男児の事を。
暗い、ひたすら暗い空間で目を開ける母親。
ここは何処だ。地獄か? と回りを見渡す。
「AI化は成功だ」
どこからか声が聞こえた。そして目の前に正宗が現れる。
母親は成功したと聞き、これで我が子に会えると思った。だが
「性転換は成功した。元々女児だった方は生きている」
その言葉に首を傾げる母親。女児だった方は、と聞いたとき、涙が溢れ出た。
ここは意識の空間。言うなれば夢の中。AI化した母親の顔に涙が見えた時、正宗は心が締め付けられる。
また新しい感情が生まれた。だがこんな感情は要らない、と無理やり斬り捨てようとする。
「どうする。まだ選べるぞ」
正宗の言葉に、母親は呆然とする。何が選べるのか。
「このまま回線を切断すれば……貴方は死ぬ。完全な無に沈む。AIとして生きるのが辛いなら……選ぶ権利は貴方にある」
母親は一瞬、悩んでしまう。
子供が一人死んだ。その上で自分だけ生き残るのは辛いだけだと。
「人間がAI化して生きるだけでも相当の負荷が掛かる。ここで死を選んでも……誰も貴方を攻める権利など無い」
母親は流れる涙を拭いつつ、まっすぐに正宗を見つめる。
「……いえ……生きさせて……あの子……私の子……犠牲になった……あの子の存在を……証明したい……何のために……私のお腹に……来てくれたのか……証明したい……」
正宗は呟くように、そっと手を差し伸べながら
「微力ながら手伝おう……いや……俺に……罪を償う機会をくれ……」
罪など有る筈が無い。母親は、首を振りながら否定する。
正宗が居たから女児は助かったのだ。
そっと手を取る。
この世に生まれ落ちた我が子のために生きる。
そして、犠牲になった我が子のために生きる。
正宗は犠牲を伴ってでも守りたい、と思う
これが、愛という感情なのか
まだ分からないまま
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