第18話 依頼

 2165年 4月 20日 (木) 


 15年前


 一人の青年が病院内を歩いている。髪は青色、瞳の色は白。黒のズボンに黒のTシャツ。一目でFDWと分かるその姿は、病院内でも異色を放っていた。すれ違う誰もが振り返る。それはそうだ、FDWのジュールなど、人間の病院などに来る必要性が無い。救急隊員の中には、ジュールと呼ばれる者は在籍している。

 だが、その殆どの者は人型では無い。特殊車両や素早く動ける動物型のジュールが大半だ。


 ならば彼は何故ここに居るのか。無論診察を受けにきたわけでは無い。人間の為に存在している病院にFDWが掛かりに来ても無意味だ。結論から言えば呼び出された。遠く離れた戦地から。

 関係者以外立ち入り禁止の扉の前で止まり、虹彩認識こうさいにんしきでロックを解除する。

 その先は暗い廊下。窓から溢れる日光が眩しく感じる程に。

 そしてその先、一つの窓から外を眺める医師が一人立っていた。青年の存在に気が付くと、ゆっくりと体を向けて会釈する。


「遠い所をわざわざ悪いね。コーヒーでも飲むかね?」


 青年は無言で近づき、医師の前で止まった。その医師は五十台半ば、白髪で眼鏡を掛けた男。

 人の良さそうな顔をしている。だが成年は自分が呼び出された事で確信していた。まともな思慮を持つ人間では無いと。


「無駄話は結構だ。依頼内容を」


 医師は薄く笑いながら眼鏡を直す。無駄な会話をしたくないのは医師も同だった。再び窓の外を見ながら、青年へと依頼内容を説明する。


「見えるかね。あそこのベンチに座っている妊婦だ。彼女が今回の依頼者だ」


 青年も首だけ動かし窓の外を見た。中庭のベンチに妊婦と女児が楽しそうに会話しているのが見て取れる。

 だが妊婦が自分の依頼者とはどういうことだ、と青年は顔を顰める。


「歳は二十六。お腹の中には二人の赤ん坊が居る。二卵双生児だ」


「隣の子供は?」


 妊婦と共にベンチに座りながら楽しそうに談笑している女児。歳は五歳程。FDWである青年の目は、二人の顔を識別する。少なくとも親子では無い。


「あの子は妊婦の親戚関係に当たる子供だ。今回の依頼とは無関係だ」


 医師は変わらず妊婦を眺めながら話を進める。何故遠く離れた戦地からFDWを呼び出したのかを。


「見るかね。彼女のカルテだ。君なら理解くらいは出来るだろう」


 懐から数枚のカルテを取り出し、青年へと渡す医師。青年はカルテ受け取りつつ、まず名前を確認した。


 戸城 茜。現在、妊娠九ヶ月。


 そのままカルテを読み進めていく。そしてとある病名を目にすると、かすかに青年は顔を顰める。


 粒子血栓塞栓症


 現在最も死亡率が高いと言われている病。勿論青年も粒子血栓塞栓症に対する知識は一通り持っている。だからこそ分かる。あの妊婦が絶望的な状況に置かれている事が。

 だが、まだ分からない。何故自分が呼び出されたのかが。

 医師は青年の顔を確認する。どうやら妊婦の状況については理解したな、と考えながら話を進める。


「端的に言おう。双子の出産と粒子血栓塞栓症の外科手術。これを同時に行う。君には術中のナノマシン管理をお願いしたい」


 青年は医師の言葉を聞いて耳を疑う。出産と外科手術を同時に行うなど聞いた事が無い。しかも妊婦の粒子血栓塞栓症は心臓近くなのだ。とてもでは無いが耐えられる筈が無い。


「……手術は失敗する。法的には母体を優先させる筈だ……」


 青年は呟くように医師へと告げる。誰の目から見ても結果は分かり切っている。奇跡など起きない。青年は知っている。奇跡というのは積み重ねられた必然だと。

 医師は眼鏡を直しながら、代わらず妊婦と女児を見つめながら語る様に青年へ聞かせた。


「法的には……か。君はまだFDWとしては幼い方だろう。いくら百三十年前の戦争から生き残っているとは言え……まだ愛情というのを理解できていない様だな」


 青年は愛情と聞いて頭を振りながら否定する。そんな物を理解する必要な無い。自分は戦闘用のジュールなのだ。


「理解するだけ無駄だ。戦場ではジャマなだけだ」


 医師は薄く笑う。FDWである青年は自分より遥昔から生きているAI。そんな人生の大先輩が、可愛くて仕方がない。


「愛情はジャマか。それが分かっているだけマシだな。君は更にAIとして進化出来るだろう。誰よりも人間の感情を理解する事が出来るかもしれない」


 一体何の話だ。青年は溜息を吐きながら医師へと話を進めるように促す。何故自分が手術中のナノマシン管理などしなければならないのか。そもそも、それはマシルの管轄だ。ナノマシンの操作に特化したFDWを呼べばいい。何故自分なのだ。


「今回、マシルは使えない。出来る限り証拠を残したくないのでね。君にはスタンドアローンの状態で、双子のナノマシン管理をしてもらう」


 青年は双子、と聞いて大体の事情を察した。この医師は母体を救う気など更々無いのだ。子供を優先して母は見殺しにするのだと。

 マシルはナノマシンの操作をスタンドアローンでは行使出来ない。彼らはネットの海に住まう実体無きFDW。ナノマシンの操作を行えば必ず情報が残る。だがジュールである青年ならば、有線で回線を繋いで、証拠を残さずナノマシンの管理も行える。残る疑問は何故自分なのか。ジュールなどそこら中に居る。わざわざ地球の反対側から呼び出される必要があったのか。


「この手術には緘口令を敷く。表向きには外科手術と出産の同時進行。だが実際に行われるのは、母体のAI化、そして双子の女児を男児へ性転換させる手術だ」


「待て、それは……」


 議論の余地も無く違法だ。子供の性転換は性同一障害などを引き起こすとして、現在法的に禁止されている筈。そして人間のAI化など以ての外だ。百三十年前の戦争で人体実験のように行われた技術。FDWと呼ばれるAIが、ここまで進化出来た切っ掛けにもなった。


「無論、違法行為だ。だが全て本人の希望だ。無事に子供を出産したい。その思いのみで彼女は我々に取引を持ちかけてきた。今まで数々の病院を渡り歩いて来て、最後に辿り着いたのがここなのだ」


「本人の希望は出産のみだろう。AI化と子供の性転換はあんたらが持ちかけた条件じゃないのか?」


 医師は鼻で笑いながら眼鏡を直す。その通りだと言わんばかりに。青年はその医師の態度に頭に来たのか、疑問を吐き出した。


「なぜ、そこまでして産もうとする。生き残れば再度妊娠する事も可能だろう。そこまでして何が残る」


 青年は、医師の返答を待つ。また鼻で笑いながら適当な事を言うに決まっている。そう思っていた。


「まだ子供を作る事の出来ない君達には理解出来んだろう。犠牲を伴ってでも守りたい、それが愛という物だ。そして私は科学の発展という理由で人体実験をする邪悪な人間だ。君は子供さえ守ってくれればそれでいい」


 そのまま医師は暗い廊下の奥へと歩いて行く。青年は医師の言葉が理解出来なかった。自分を犠牲にしてまで守りたい物など、この世界にあるのかと。


「手術は十五時間後に行う。依頼を受けるか受けないかは自由だ。少し話してみるといい。彼女の意志が分かる」


 それだけ言うと、医師は廊下の奥へと消えていく。残された青年は再び中庭のベンチに座る妊婦を見下ろした。女児はいつの間にか居なくなっており、今は一人で雑誌を読んでいる。青年の足は自然と中庭へと向かった。




 午前10時 


 中庭のベンチで一人、雑誌を読む女性。妊娠九ヶ月の彼女は、今夜命を落とすかもしれない。だが、彼女の顔は希望に満ち溢れていた。


「もうすぐだからね……ちょっと早くなっちゃうけど……ごめんね」


 予定では五月の中旬に出産の筈だった。だが心臓近くに粒子血栓塞栓症が見つかった事で、ナノマシンという時限爆弾が起爆するまでに子供を産まねばならない。


 彼女が読んでいる本は、妊婦専門の雑誌。どこから見ても普通の妊婦にしか見えないだろう。とても違法な人体実験に加担する人間には思えない。

 そんな彼女に近づく青年。妊婦も気付き、雑誌から目を離し近づいてくる青年へ顔を向ける。

 明らかにFDWと分かる青年に、妊婦は微笑みながら話しかけた。


「貴方が……この子達の勇者様?」


 青年は意味が分からない、と顔を顰める。妊婦の言葉は無視して、自分の疑問だけを口にする。


「何故……AI化してまで子供を産もうとする。失敗する確率の方が遥に高い。人間は子供を何人も妊娠する事が出来るんだろう。別にその双子を見殺しにしても次がある」


 突然の言葉に驚く妊婦だったが、青年はまだFDWとしては幼い、それはハッキリと分かった。

 妊婦は青年を手招きし、隣りに座るように促す。首を傾げながらも、青年は妊婦の隣りに浅く腰掛けた。


「手、貸して?」


「…………」


 青年は妊婦の言葉におずおずと手を差し出した。そっと妊婦は青年の手首を掴み、我が子が居る膨らんだお腹を触らせた。戦闘用のジュールの青年の手は、見た目よりも遥に固い。青年は焦りながら、すぐに手を離そうとする。だがお腹の中から微かな振動が伝わって来た。


「ね? 動いた」


「…………」


 青年は無言で妊婦の腹に手を添え続けている。数回、心臓の鼓動のように伝わってくる振動。この中に子供が居る。それは分かり切っていた。


 だが、青年は初めて実感した。本当に、子供がこの中で生きているという事を。


「ね? お腹蹴ってるんだよ。早く外で遊びたいーって」


「……まだ早い……」


 青年の言葉に妊婦は頷く。一か月程早産になってしまうからだ。妊婦は流石FDWだと思った。触っただけで早産と見破ったのだと……


「まだ外で遊ぶには幼すぎる。まずは屋内で遊ぶべきだ」


 その言葉に妊婦は思わず吹き出した。早産だと見破っていたわけでは無いのだ。ただ、幼いから外で遊ぶのは危険、と青年は言っているだけなのだ。


「そうだね、まずは皆に……ご挨拶からだね?」


 妊婦も語り掛けながらお腹を撫でる。青年も、出来る限り優しく撫でてみた。青年が撫でると必ずと言っていいほど、お腹の中から振動が伝わってくる。


「……俺は嫌われているのか……」


 お前は触るな、と子供に言われているように感じた青年。妊婦は再び笑いながら、青年の手に手を添えて撫でさせる。


「違うよ。カッコイイお兄さんが来たから……女の子の方が喜んでるんだよ……ねー? 梢」


 子供の名前を呼ぶ妊婦。青年はそっと手を離し、妊婦へと質問する。


「貴方は……死ぬ。貴方が居ない世界で……この子達は幸せになれるのか?」


 妊婦はその残酷な言葉にも、優しく微笑みながら


「大丈夫よ。貴方が居るもの。この子達を見守っててくれるんだよね」


 そんな依頼は受けていない、と立ち上がる青年。

 立ち去ろうとする青年に、妊婦は初めて泣きそうな顔をしながら訴えた。


「お願い……どうか……この子達を救ってあげて……」


 青年は振り返りもせず、そのまま屋内へと戻る。そしてまっすぐに、先程と同じ暗い廊下へと赴いた。

 まるで分かっていたかのように、医師が窓から妊婦を眺めながら待っていた。恐らく妊婦と話す青年の様子も見られていたのだろう。


「答えを聞こうか」


 医師の顔は半分笑っている。微笑ましい物を見たと言わんばかりに。青年はその顔が気に食わない、と目を反らしながら返答する。


「条件がある。傭兵の雇い主……あの豚から俺を買い取ってほしい。その後は……あの家族と永続契約を結びたい」


 医師は眼鏡を直しつつ


「いいだろう。契約を結ぶのは……先程の女児で良いかね?」


「問題ない。早急に頼む」


 青年はそれだけ言うと、窓の外から妊婦を眺める。

 変わらず雑誌を読む女性。そこに先程の女児も戻って来た。

 二人で再び楽しそうに話している。

 青年が妊婦を眺めている間、医師は何やら端末を操作していた。


「完了した。君はこれで……一旦我々の管理下に置かせてもらう。その後はあの子と契約を結べばいい。なんだったら……同世代の義体を用意しようか?」


「……考えておく」


 背を向ける青年に、医師は肝心な事を聞き忘れたと呼び止めた。


「君のコードネームは……なんだったかな。実名はあるのか?」


「無い。コードネームは……正宗だ」



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