第22話 囚

 真っ白なアジサイを採った瞬間、一瞬キャロルの視界がブレたように感じた。

 その違和感を感じ取った直後、匂いが変わったことを理解した。


 景色も目に見えている花にも変化はないが、確かに空気が変わった。


 ただの人ならば視界がぶれたことにすら気がつかないような些細な変化だが、獣人であるキャロルには充分に感じ取れる違和感だった。


「も、戻らないと……きゃっ! なに……これ……」


 本能的にまずいと判断して咄嗟に門の方向へ戻ろうとしたキャロルは、進路を見えない壁のようなものに阻まれた。

 進みたくても進むことができない。


 わずか数メートル先にある手提げにすらたどり着けない。伸ばしているはずなのに、腕を見ると伸ばすことができていない。


 この不可解な現象を目にして、手に白いアジサイを持ったままキャロルは途方に暮れる。


 どうしようかと思い悩んだその時、遠くから物音が聞こえてきた。小さかったけれど聞こえたはずのそれは、確かに人の声だった。


 恐る恐る呼びかける。


「……誰か……いるの?」


「ぐすっ……ひぐっ……ぐすっ……」


「……誰なの? ……泣いてるの?」


 今度は誰かが泣いている声がはっきりと聞こえ、キャロルはその声がする方向へと進む。すると、キャロルと同じくらいの歳に見える赤い服を着た少女が泣いていた。


「ここで何してるの? ……え? 血の匂い……? ケガしてるの……?」


「ぐすっ……違うの……。みんな居なくなっちゃったの……」


「……みんな? その血はみんなのものなの?」


 支離滅裂なことを話す少女。キャロルは一生懸命伝えたいことを聞き取ろうとする。


「……分からない……。でもこっちなの……。私はメイ、あなたはだぁれ?」


「そっちに行けばいいの? 私はキャロルだよ」


 キャロルはメイの後を追って道なき道を進んでいく。はっきりということはできないけれど、どこか違和感を感じる森の中、徐々に濃くなっていく血の匂い。


 すでに歩きはじめて一刻ほど過ぎ、森の奥へ進むたびにキャロルの不安が高まり警戒心が上がっていく。


「……ここにみんながいるよ」


 メイに連れられて辿り着いたのは広場のようになっている場所だった。薄暗い森の中から光の当たる場所に出たことで目が眩み、それと同時に一気に血の匂いが濃くなった。


「ここはーーッ!? 嘘……」


 そして、視界が回復して広場にあったそれを見た瞬間、キャロルが抱いていた警戒心も何もかもが消え去り、目に入ったそれに駆け寄った。


「……おとう……? ……おかあ……?……なん……で? ここ……に……? どうし……て……?」


 広場には無数の死体。年齢も性別も、身分も種族も関係なく横たわる数多の亡骸。ただ一つ、共通点があるとすればそれは首がないこと。


 でも、それでも、首がなかったとしても生まれてからずっと一緒に過ごしてきた両親の服は、においは、尻尾はすぐに分かった。いや、分かってしまった。


「なん……で……? 行方不明に……どういう……こと……ッ!?」


 風がとまる。

 音が消える。

 思考が纏まらない。


 キャロルは自分の服が血に塗れることも気にせず死体を抱き起こす。その死体には首にしか損傷が存在しない。それどころか、まるで鋭い何かで首を一撃で切り取られたような傷のつき方。


 つい先ほど殺されたと言われてもおかしくないほどの温かさ。だが、その手に触れる血とそこに存在しない首が両親が死んでしまっているということを嫌でも自覚させてくる。


 血の気が引いていく感じがして、はっと周りを見渡してみればようやく同じ状態の無数の死体に気がついた。


「嘘……もしかしてこれ……全部……?」


 そして、それらが全て今街で行方不明として捜索されている人たちだと言うことにも気がついてしまった。


 嗅いだことがある美味しいにおいの料理屋さん、薬の匂いの薬師さん、汗のにおいの冒険者。首が無くても分かる、分かってしまう。


 知りたくもない知り合いの現状を、獣人の驚異的な嗅覚が嫌でも教えてくる。


 そして、そこに微かに残る犯人の残り香を感じ取った瞬間、突然後ろから強風が吹いてきた。その風に乗った香りとともに。


「……ッ!? ……どういう……こと……!?」


「……どうしたの?」


 おかしい、明らかにおかしい。

 意味がわからない。

 理解が追いつかない。

 そんなはずがない、だけどそうとしか考えられない。


「……んで……なんで、ここにいる人たちにメイの匂いが残ってるの……?!」


「……なんの……こと?」


 メイは分からないと言う。その言い方は本当に何を言っているのか分からないといった風で、嘘をついているようには思えなかった。


 だけど、キャロルの嗅覚が、獣人としての優れた機能が、獣としての感が、キャロル自身の本能がそれを嘘だと判断する。


 だから、気がついてしまった事実を指摘する。


「……だって、おかしいじゃん。……その血はメイのものじゃない。……一人のものでもない……なのに匂いが残ってる……そんなの……そんなの……」


 メイはキャロルのつぶやきを聞き取り、その場で俯く。先ほどから何を考えているのか一切分からない。


 だからキャロルは、決定的な言葉を投げかける。

 嘘であってほしいと願いながら。

 それでも多分本当なのだと確信しながら。


「メイが……おとうとおかあを殺したの?」


 その言葉を受けてメイは顔を上げる。

 たとえ本能がそうだと主張しても、キャロルは、理性は違うと信じたかった。


 いや違う。自分と同じくらいの歳にしか見えない子が、貴族を、商人を、平民を、冒険者を、そして両親を殺したと信じたくなかったのだ。


 だが、顔を上げたメイの表情は、ゾッとするような笑みが浮かんでいて……。


「アハッ! 気がついちゃった?」


 口調も表情も雰囲気も先ほどとは全てが違う。今ならメイが殺したと信じられるほどの冷酷な笑み。そして目は深紅染まっている。


 それを見て思わず後退りをするキャロル。今から言うことはおかしい。そう分かっていながら問いかける。


「違う……あなたはメイじゃない……。あなたは……一体だれなの?」


 幼女は冷酷な笑みを浮かべたまま答える。


「アハッ! 私はメイ。メイは私。私は神隠し。神隠しは、メイの絶望だよ?」


「どういう……こと……?」


 意味が分からない。突然メイが別人のようになったかと思えば神隠しだなんて言い始める。神隠しなんて嘘をつくにしても他にもっといいものがあったはず。


 だけど、これがみんなを、両親を殺したということだけは分かった。


「私も……殺すの?」


「当たり前じゃん♪」


 明るい笑顔でそう言い放つ神隠し。それを聞いた瞬間キャロルは逃げ出した。


「くっ……!」


 その姿を見て表情を変えた神隠しは小さな声で呟く。


「……無駄なのに」

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