第17話 融解



「ツクモお兄ちゃん……。……キャロのおとうとおかあがずっと帰ってこないの。キャロが、キャロが悪いことをしちゃったから帰ってこないのかな……?」


 キャロルは泣いていた。ボロボロとその大きな瞳から大粒の涙を流しながらツクモに問いかけた。


 約五日前、キャロルの両親は仕事に行ったっきり帰ってこなくなった。帰りが遅いことを不思議に思ったキャロルが両親の勤めている商店を訪ねてみたが、もうすでに帰ったという答えが帰ってきた。


 キャロルのまだ帰ってきていないという言葉を聞いて、商店の従業員たちにも協力してもらって捜索を行ったが、発見することはできなかった。


 夜も遅かったし、きっと明日になれば戻ってくると信じて眠ったが、一週間たった今でもまだ両親は帰ってきていない。


 両親はゆくえ不明事件に巻き込まれてしまったとされて、キャロルは一人になってしまった。働くこともできない年齢で保護者の存在が消えてしまったのだ。


 しかしいくら同じ従業員の子供とはいえ、両親と同じ商店に勤めていた者たちでさえいきなり十歳の子供を引き取って育てることなどできるはずがない。


 家を売って孤児院に入る選択肢もあったが、両親と住んでいた家を手放したら両親の死を認めてしまうと思って、どうせ一人ぼっちならせめてこの家で過ごしたいと留まった。


 この家さえあれば、この家に住んでいればいつか両親は帰ってきてくれる。周りが何と言おうと衛兵にもう死んでしまったのだと処理されてしまったとしてもキャロルはそう信じていた。


 つまり、キャロルが花を売っていたのは生きるため。信じるためだったのだ。


 知り合いでない限り、基本的に成人していない者を雇ってくれる店など存在しない。しかし、生きていくにはお金が必要だ。

 だが、両親が家に残していたお金はキャロルが日々暮らしていくのには少なすぎた。一日に一食しか食べないで過ごしていたが、すでにお金は底を尽きかけている。


 だから、自分で採ることができる花を売ることでお金を得ようとしたが、街が混乱している中で花を買ってくれるものなどほとんどおらず途方に暮れていた。


 そんな頃にツクモと出会った。


 同情なのか気まぐれなのか分からないけれど、花を法外な価格で買い取り優しくしてくれた。そればかりか、失敗を装って美味しいご飯を食べさせてくれた。


 優しくされたからなのだろうか、久しぶりに心が温かくなったからなのだろうか。開かないようにかけていたはずの心の鍵が、考えないようにとしっかり蓋をしたはずだった感情が、緩んでひび割れて少しだけ、ほんの少しだけ溢れてしまった。


 ハッと気がついた時にはもう口に出ていた。目から涙がこぼれてしまっていた。


 失敗した。

 言ってしまった。

 聞かれてしまった。


 だけどもう失敗しないように、もう開かないようにしっかりと蓋をしようと思った時、温かいものにギュッと抱きしめられた。


「……ツクモ……お兄ちゃん……?」


「キャロルちゃんの両親は悪いことなんかしてないよ」


 大丈夫とか、きっと無事などといったありふれた言葉は言わない。


「だってキャロルちゃんはこんなにまっすぐで良い子なんだから」


 キャロルは真っ直ぐで良い子で賢い子だから。


「キャロルちゃんをこんなにまっすぐ育てることができる人たちが悪い人たちなはずがない。だけど、」


 まっすぐで賢いからこそ気がついてしまっているんだ。


「キャロルちゃんはまだ子ども。生まれてからまだたった十年しか経ってないんだ。だから、」


 街で行方不明事件が多発していることも、誰も帰ってきていないことも。だから。


「辛くなったら誰かに頼ってもいいんだよ」


 もう両親が帰ってこないということに、もう会えないという現実に耐えられなくなったら泣いても大丈夫。


「泣きたくなったら泣いてもいいんだよ」


 キャロルちゃんに声をかけたのは、生きようとしていたから。諦めていなかったから。希望を捨てていなかったから。気まぐれなんかじゃない。だから見捨てたりしない。そう心の中でつぶやく。

 キャロルが辿々しく、ゆっくりとツクモの背中に手を回す。


「おに……ちゃん……」


 キャロルは途切れながらも一生懸命に話す。


「キャロね、気が……ついてたの……」


「うん」


「おうちも……静かでっ……誰も……帰ってこなくて……」


「うん」


「寂しい……よ……」


 たった十歳の子供が一人で、他に誰もいない部屋でご飯も満足に食べることができずに過ごす。その小さな世界は静かで孤独で冷たくて……ただただ寂しかった。


「決して親の代わりにはなれないけど、お兄ちゃんは絶対にキャロルちゃんの前から黙って居なくならないよ。だから……一人でよく頑張ったね。これからは俺が守ってあげるからね」


 キャロルは声を上げて泣いた。両親がいなくなってから初めて我慢せずに大粒の涙を流した。

 久しぶりに感じてしまった暖かさ、溶かされた感情の氷は、再び固まることはなかった。


 ツクモは、キャロルに自分はここにいると教えるように強く抱きしめ続けた。


 ツクモは冒険者なのだ。いつか街を出る時はお別れになってしまうだろう。でもそれは一ヶ月後かもしれないし一年後かもしれない。


 そんな先の未来のことはその時考えるとしても、決して黙って居なくなったりはしないとこの小さな猫人族に誓った。


「……ん……ツクモお兄ちゃん少し苦しい……」


「おおうっ! 少し強かったかぁ」


 痛いと言われたツクモは抱きしめる力を少し緩める。キャロルの涙は止まったようで、心なしか少しすっきりしたように見える。


「ん、大丈夫になった。キャロ、もう少しこうしててもいい?」


「大丈夫だよ。なんなら肩車をして歩こうか?」


「えー、んー、じゃ、じゃあ……んっ!」


 キャロルは、んっ!と言いながら手を伸ばした。それをツクモが肩まで引き上げる。


「よいしょっと! 軽いなぁ! ちゃんと捕まっていてね!」


「わぁ……高いね!」


 肩車をされて喜ぶキャロルを視界の端に入れながらツクモは歩きだす。可愛い尻尾が首に巻きついてきて少しくすぐったい。


「キャロルちゃんには、このままオススメのお店を教えてもらおうかな?」


「……キャロ」


「ん? なになに?」


「キャロのことはキャロって呼んで欲しいの! 呼んでくれないと教えてあげなーい!」


 目を拭ったキャロルは大声でそんなことを言った。一人称も変わっているし、かなり甘えるような態度になったけれど、とても可愛い。


 言うならば年相応。多分、これが本来のキャロルであり、さきほどまでかなり無理をしていたのだろう。


 泣き出して吐き出したことでツクモに完全に懐き、本来のキャロルに戻ったのだ。


「ふふ、キャロよ、最初のおすすめの店を教えるのだ!」


「今通り過ぎたところ!」


「今かよ! ならもう少し早く言って欲しかったかな!」


 ツクモはキャロルを肩車したまま店内へと入る。キャロルの頭が扉に当たらないようにだけ気をつけて扉をくぐった。

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