恋する口裂け女

ソルティ

恋する口裂け女

 私は凄腕の医者だ。

 それもただの凄腕医師ではない。暴力団員や犯罪者など、通常の医療を受けられない者を優先して治療する、所謂『闇医者』というやつだ。


 刃物や銃弾で負った傷の治療が主な仕事で、警察の捜査から逃れるための整形、薬物中毒を誤魔化すための点滴などは行っていない。「どんな悪人の傷でも事情を聞かず治療するが、逃亡の手助けは一切しない」というのが私のポリシーであり、医者としてのプライドでもあった。


「――私、綺麗?」


 そんな私が『彼女』と出会ったのは、薄暗い街灯がパチパチと点滅する深夜の路地裏。暴力団のアジトで一仕事を終えた帰り道のことだ。


 年齢は恐らく二十代前半。身長は160㎝程度。腰まで伸びた黒髪に厚手のトレンチコート。目は異様に血走っていて、口には大きな白いマスク。

 

「ねえってば。……私、綺麗?」


 ――スタイルも顔立ちもよく分からない格好で、そんなこと聞かれても。

 思わず文句を言いそうになったが、私は闇医者。理不尽な相手から理不尽な要求をされることには慣れている。

 強面ヤクザからの「もっと治療費を下げろ」「もっと早く直せ、藪医者」という脅しに比べれば、この程度の我が儘は可愛いものだ。


「まあ綺麗なんじゃないか、たぶん。そんなことを自信満々に質問しておいて不細工だったら、むしろ驚く。よほど自分の容姿に自信があるのだろう?」


「え」


 私の率直な感想を聞くと、彼女は固まってしまった。

 別に狙っていたわけではないのだが、どうやら私は彼女を困らせるようなことを言ってしまったらしい。


 青白い手が、マスクに伸びる。……かと思ったら、戸惑うように離れていく。

 そんな謎の行動を何回か見せられているうちに、私は察した。


 私が思うに、彼女は始めからマスクを外そうとしていたに違いない。

 マスクをした状態で綺麗かどうかを尋ね、「わからない」という答えを相手から引き出す。その上で己の美貌を見せつけることで相手に「綺麗だ」と言わせ、自己顕示欲を満たす。

 そういう変わった趣味を持つ、ちょっと可哀想な女性なのだ、この人は。


 そんな可哀想な女性に、私はなんということを。「不細工だったらむしろ驚く」などと言ったら、彼女がマスクを外しにくくなってしまうではないか。

 知らず知らずのうちに、私は彼女のハードルを上げてしまっていたのだ。

 

「……配慮の欠けた発言をしてしまい、本当にすまなかった。お詫びと言ってはなんだが、そのマスクに隠された美貌を思う存分私に見せつけてくれ」


「……え? あの、え?」

  

 私は凄腕の闇医者。どんなに我が儘で可哀想な患者にも、優しく接してあげるのがポリシーである。

 精神治療の経験はないが、まあなんとかなるだろう、なにせ私はいかなる傷も治療する凄腕の闇医者。心のやまい程度、言葉という名の縫合糸で見事縫い合わせてみせようじゃないか。


「さあ、早く! 私という都合のいい男を使って、その自己顕示欲を存分に満たすがいい!」


「い、いや、その、え? は、外していいんですか? 本当に?」


「いいと言っているだろう! 私に君の素顔を見せてくれ!」


「じゃ、じゃあ、その……お言葉に甘えて……」


 彼女の手が、再びマスクに伸びる。私はその下からどんな素顔が飛び出しても驚かないよう、内心で覚悟を決める。

 こんな趣味を持つ以上、そこまで酷い顔面だとは思えないが、万が一と言うこともある。もしも美人ではなかった場合、なんとかフォローして彼女が傷つかないようにしなくては。

 

 などと私が考えを巡らせているうちに、彼女は覚悟を決めマスクを外した。

 マスクに隠されていたその素顔は――


「こ、ここ……これでもかーーー!」


「――――」


「……え、えっと、その……こ、これでもかっ!!!」


「――――」


 ――なんということだ。

 これを見て驚かずにいられるほど、私は冷徹な人間ではない。

 我を忘れて、彼女に詰め寄る。 


「ひゃっ!? あ、あの……! そんな至近距離で見つめられると……!」


 左右口角から頬にかけて重度の裂創。口の開け閉めは問題ないようなので、恐らく咀嚼筋へのダメージはない。

 しかし、傷の断面に酷い化膿が見られる。すぐに消毒しなければ。彼女はいったい、いつからこの傷を放置していたのだ。


「おい。この傷はいつからだ?」


「は、え? い、いつからって……」


「答えるんだ! 命に関わるぞ!」


「ひいっ! よ、四十年前からですーーー!」


「よ……四十年前から、だと……?」


 ――なんということだ。

 彼女は、完全に錯乱してしまっている。

 

 どう見ても二十代のキミが、四十年前に傷を負えるわけがないじゃないか。妖怪か化け物でもあるまいし。

 だがまあ、無理もないだろう。傷さえなければ、彼女が中々の美少女であることは私にも分かる。そんな年若い娘が顔にこんな傷を負えば、心神喪失のような状態に陥ってしまうのも頷ける。


 だが、私は凄腕の闇医者。

 たとえどんな傷だろうと、私は完璧に治療する。事情は決して聞かず、善悪の区別なく、どのような悪党でも元通りに直してみせる。

 捕まえるのも裁きを下すのも、私の仕事ではない。なぜなら私は、凄腕の闇医者なのだから。


「キミ、今すぐ私の診療所に来るんだ! 私のプライドにかけて、その傷を完璧に治療してやろう!」


「……へ? い、いやいやいや、困ります! これ、私のアイデンティティですからあ!」


「そんなグロテスクなアイデンティティがあってたまるか! 自覚はないかもしれないが、キミは錯乱しているんだ! いいから来い!」


 彼女を自分の診療所へ連れて行こうと、強引に腕を引く。が、錯乱しその場に留まろうとする彼女は、生身の人間とは思えないほど力が強かった。

 しかし、私は凄腕の闇医者。治療中のヤクザや犯罪者に襲われたときのため、日々厳しいトレーニングを積んでいるのだ。


 ベンチプレス100キロ超の自慢の筋力、受けてみろ!


「え、なにこの人、人間なのにめちゃくちゃ強い……! こ、こうなったら……!」


 そう言うと彼女は私の手を振りほどき、トレンチコートから血塗れの刃物を取り出した。

 くっ、しまった。私は凄腕の闇医者。常日頃からメスを握る手を労りすぎていたせいで、いつの間にか握力だけが弱っていたのか……!


「ど、どうですか! 口がこんなに裂けて、血塗れの包丁を持って! これでも私が綺麗だって言えますか!」


「い、いや。私はキミがマスクを外してから、一言も綺麗だと言ってないんだが」


「綺麗だって! 言えますか!」


 無理矢理押し切られてしまった。どうやら彼女は、その質問によほどの拘りがあるらしい。

 

 なら、しょうがない。その我が儘に付き合ってやろう。

 なぜなら私は、凄腕の闇医者。患者の要望に可能な限り応えてやるのが、デキる医者の勤めだ。


「――残念ながら、綺麗だとは言えないな。私は嘘が嫌いなんだ」


「! よ、よかった、やっと予想通りに動いてくれた……じゃなくて! な、なら、殺しちゃいます! 覚悟してください!」


 刃物を構えた彼女が、私に詰め寄る。

 私は凄腕の闇医者。相手の殺気が本気かどうかなど、すぐに察知できる。

 そしてこの女は、本気だ。口調こそふざけているが、彼女は本気で私を殺そうとしている。


「よ、ようやく分かってくれたみたいですね、私が怖ろしい存在だって。恐怖で声もでないでしょう?」


「――――」 


 だが私は、ここで殺されてやるわけにはいかない。

 私には、救わなくてはならない患者が大勢いる。たとえ社会から疎まれる存在だとしても、私だけは彼らを決して見捨てない。


 なぜなら私は――凄腕の、闇医者なのだから。


「そして当然……私が救わなくてはいけない者達の中には、キミも含まれているんだ。


「……は?」


「可愛いと、そう言ったんだ。綺麗と言うには些か色気が足りないが、それは時間と共に自然と身につくだろう。キミはとても可愛い、素敵な女の子だ」


「は、は? はあああああああっ!? い、いきなりなに言って……! こ、こんなに口の裂けた女が、可愛いわけないでしょう!?」


「あまり私を舐めないでほしい。私は凄腕の闇医者。どんな怪我でも完璧に治療する私にとって、傷の有無など些細な問題にすぎない。繰り返すが……キミはとてもとても可愛らしい、魅力的な女の子だ」


「っーーーーーーー!!!」


 彼女の顔が、消えかけの街灯でもハッキリと分かるほどに赤く染まる。

 うん、やっぱり可愛いじゃないか。ますます治療して、その本当の素顔を見てみたくなった。


「さあ、一緒に行こう。今までずっと、その傷のせいで辛かっただろう。私にキミの体と心の傷を、隅から隅まで治療させてくれ」


「う、あ、う、ううううううっ……!///」


 ――よし、決まった。

 私は凄腕の闇医者。女性の扱い方も口説き方も、完璧に身につけている。

 

 我ながら、自分のトーク力が怖い。ここまで真摯に説得すれば、どれだけ心を閉ざした患者だろうと、私に心を開いてくれるはずで――


「ば、ばばば、ば……」


「……ば?」


「ば、ばば……ばかーーーーーーーーーーっ!!!」


「……は?」


 彼女は、私の目の前から全速力で逃げ出した。

 それはもう、陸上選手もかくやというスピードで。真っ赤な顔から蒸気を立ち上らせながら、蒸気機関車の如く走り去ってしまった。車の急ブレーキ音が聞こえた気がするが、大丈夫なのだろうか。


「……しまった、やりすぎた。彼女がどこかで、ちゃんとした治療を受けてくれるといいんだが」


 後悔しても、後の祭り。診療所までの薄暗い帰り道を、私は胸につかえの残ったまま歩くハメになった。


 私は凄腕の闇医者。

 基本的にはなんでもできるが……こういう日も、たまにはあるさ。人間だもの。



          *



 ――次の日。


「わ……私って、可愛いですか?」


「……なにやってるの、キミ」


 昨日とは別の現場からの帰り道。

 私は、また彼女と遭遇した。


「い、いいから答えてください! 私って、可愛いですか?」


「いや、だから言っているだろう。私は可愛いとおも――」


「き、きゃああああああああああっーーーーー!///」


 再び、彼女が走り去る。

 私は闇医者。だが、流石にあの速さには追いつけない。

 たとえ追いつけたところで、あの怪力。診療所まで連れて行くのは一苦労だろう。


 はてさて。私はいったい何時いつになったら、あの可哀想で恥ずかしがり屋で可愛らしいお嬢さんを、恋の病から救えるのだろうか――?




 恋する口裂け女 了

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