第弐話
「……な、に」
形容しがたい怪物の、おそらく額あたりに相当するその部位が何かで貫かれていた。
貫いていたそれは、女の子が持つ日本刀だった。
「……腕を」
「え?」
女の子がぼそりと呟く。
少し低めの綺麗な声だった。
「……その腕を、離しなさい。早く」
「え、でも……」
「いいから離しなさい!! 今からトドメを刺すの、お前の腕、邪魔!!」
「は、はいっ!!」
怒鳴られた、ので慌てて腕をこちらに引っ込めて消した。
「――」
女の子がぼそりとなんかよくわからない言葉の羅列を呟いた瞬間、怪物の身体が青い炎に包まれた。
今のは魔術?
いや、格好からすると妖術とか陰陽道か?
――あるいは私の同類か?
まあ、その辺りは専門家ではない私には気にするような問題ではないのだろう。
あの魔女曰く、方法は違えど元になるエネルギーはほとんど変わらないらしいし。
炎に包まれた怪物はあっという間にこんがり焼けて、ボロボロの炭になった。
それを見届けて、体から力が抜ける。
どさりと尻餅をついて、立ち上がれない。
いつもの貧血だ、そういえばさっき砕けた腕もそこそこの長さだった。
失った血液もそこそこ多いはずだ。
て、鉄分をよこせぇ……と呻きそうになる口をしっかり閉じて、息を整える。
「――お前、何者?」
冷ややかな声が聞こえてきた、女の子の声だ。
なるほどクールビューティ系だったか、とか非常にくだらないことを考えながら顔を上げて女の子の顔を見上げる。
綺麗な顔だった、可愛らしいというよりも美しい感じの。
一瞬その顔に見惚れてから、息を整えて私は口を開く。
「超能力者……腕が量産できるだけの女子ちゅ、じゃなかった、もうすぐ高校生……」
「量産? そんな簡単に増やせるものではないでしょう? 一本砕けただけで辺り一面血塗れじゃない」
「――え?」
その言葉に思わず女の子の顔をガン見した。
ついでに右からガラスの腕をにょっとだして、グーパーする。
「ひょっとして、これ、見えてる?」
生身の左の人差し指でガラスの腕を指差した。
私には、そこに何があるのかは見えない。
自分の腕だからどこにあるかはわかるけど、自分では目視できないそれを。
「……見える」
「ええ……うっそ本当に? これを見ることができる人に初めて会った……あの魔女だって気配しかわからなかったのに……えっと、何本?」
念のための確認として、指をわきわきと動かしてみた。
「何本もなにも、こんな動きをされたら答えられない」
と、女の子も私のガラスの手と同じ動きをする。
わーお、モノホンだこれ。
それにしても綺麗な顔の女の子が指をわきわきと動かすその様子には、なんか背徳感を感じる。
えろい。
いや、じゃなくて。
「だ、大正解……いやあびっくりした……そっかぁ、これ見える人いるんだぁ……あの魔女ですらだめだったし、腕の持ち主である私にも見えないのにねぇ」
「……見えないの?」
「うん。全然。だから私はこの腕の事を『ガラスの腕』と呼んでいる」
そう呼んでいる理由は言わずもがな、透明でよく砕けるからだ。
「ふうん。自分の腕なのにね」
「うん。というか見える人がいてびっくりだよ。ねえ、どんな風に見えるの?」
見える人にはどういう風に見えるのかと興味を持ったので聞いてみた。
形は多分普通の腕の形をしているだろう、長く伸ばすことはできるけどそれ以外に変形させることは頑張ってもできなかったから。
「形は普通の腕と同じ。色は赤くて透明で――アレに似ていて、とっても綺麗」
透明じゃないんだ、私の腕。
しかも赤いんだ。
腕が砕けるたびに貧血になるし、砕けた場所触ると濡れてるから血が通ってるのは察しがついてたけど。
でもアレってなんだろう?
「アレ、って?」
「金紅石」
「きんこうせき……?」
聞いたことのない名前だった。
『せき』は多分『石』だと思うので、多分何か赤いの石の名前なんだろう。
「透明な肉の中に、幾つも走る紅い血管。ああ、とっても――」
女の子が私のガラスの腕に手を伸ばす。
もう少しで触れそうなところで、遠くから声が聞こえてきた。
「おーい。お姫さーん」
「ひめ、そのおんな、なに?」
聞こえてきたのは大人の男の人の声と、まだ幼い男の子の声だった。
声が聞こえてきた方を見ると、若い男の人と小学生くらいの男の子がいた。
どちらも女の子同様、着物を着ている。
「お前達、そっちは片付いたの?」
女の子は私のガラスの腕に伸ばしていた腕を引っ込めて、彼らに顔を向ける。
「ああ、つつがなく。お姫さんも無事そうで何より。で? その女の子は?」
「自称超能力者。ほとんど零感っぽいけど、変に力があるせいでここに入り込んだっぽい」
「超能力者、ねえ……」
若い男が私の顔を見てふーむと考え込む。
そういえば、これってどういう状況なんだろう。
「あ、あの……すみません……そういえば状況がよくわからない……今ってまだ午前中ですよね? なんか急に夜になって誰もいなくなって……携帯も圏外で……」
「……それに関してはごめんなあ。ちょっと面倒なものが街中うろついてたから、そういう面倒なもの限定で取り込む結界はったんだけど、お嬢さんもそれに引っかかったらしい」
面倒なもの、というのはおそらくさっきの形容しがたい怪物のことなのだろう。
「……結界、ですか……そうですか……私、元の場所に帰りたいのですけど」
「ああ、それに関しては問題ない、って言いたいところだが、お嬢さん、あんた何者だい? やけに落ち着いているように見えるが……」
落ち着いている、確かにそう見えるのかもしれない。
実際慌ててはいない。
「昔こういうことに巻き込まれたことがありまして。ついでにこんな腕ですし?」
左右両方にガラスの腕を生やして肩をすくめるポーズをしてみる。
けれど女の子とは違って男の人にも男の子にもガラスの腕が見えていないらしく、2人ともキョトンとしていた。
「……お前達にも見えないのね、その腕」
「腕? 普通の腕にしか見えないが……ああでも……その辺に何か妙な気配を感じる……」
と、男の人が私の右のガラスの腕がある場所を指差す。
その反応はあの魔女とほとんど同じ反応だった。
「わかりやすく言ってしまえば、透明な腕を生やす超能力、です。中二の時に一回ちょっとした騒動に巻き込まれて魔女に助けてもらった経験がある以外は、こういった非日常的なオカルト現象には巻き込まれたことはないです」
「魔女……魔女なあ……」
下手に嘘を言って妙な疑いを持たれても仕方がないので、その辺は素直に話しておく。
ふうむ、と男の人は何かを考え込む。
「放置してもおそらく問題はない。有明と同じで完全なド素人な上にお人好しだから」
「うーん。お姫さんがそう思ったんならそうなんだろうな……」
お人好しという言葉には内心でのみ全力で否定させてもらうけど、ド素人というのはその通りだ。
「ちょっとずれてるだけの一般人で、こちらが巻き込んでしまっただけ。早く帰してあげて」
「……お姫さんがそういうならその通りに」
なんか思いの外あっさり帰してくれそうな感じで助かった。
ほっと息をついていると、視線を感じた。
男の子がこちらをじーっと見ていた。
なんだろうかととりあえず愛想笑いをしてみたら、男の子は小さく口を開いた。
「なまえ」
「ん? どうした坊」
「そのおんなの、なまえ」
ちっちゃな人差し指で胸元を指さされる。
その手を男の人がぺしりと叩き落した。
「坊。人を指で刺しちゃダメだ。……ああ、でも確かに名前くらいは聞いておいたほうがいいか」
と、男の人がにこりと笑う。
あ、これ名乗らなきゃならないパターンか。
あの魔女から名前は呪術にも使われるものだから、オカルト関係者には軽率に知られないほうがいいって言われてるんだよね。
特に私みたいな怪物系超能力者は本物の魔物妖怪魑魅魍魎に誤認されて殺処分されることが結構あるらしい。
「俺は
「て、手塚です……」
だから咄嗟に偽名を名乗った。
ちなみに本名とは一ミリも被っていない。
この後私は栫井と名乗った男の人に引き連れられて、元の場所まで戻ることができた。
ほんの数歩、栫井さんに手を引かれただけで気がついたら元の雑踏だった。
上を見上げると空は雲ひとつない青空で、慌ててスマホを確認すると電波が元に戻っていた。
「も、戻った……」
「おう、もう大丈夫だ。今後は気をつけるがまた巻き込んだらすまん」
栫井さんはそう言って両手をすまなそうに合わせた。
私が何かを言い返そうとしたその時には、栫井さんは姿を消していた。
「あ、あれえ……」
あの結界の中に戻ったのか、それとも別の場所に移動したのか。
まあ、いいか。
気をつけてくれるのなら多分大丈夫だと信じたいし、自分も気をつければいい。
「とりあえず、しばらく不用意な外出は避けるべきかなあ」
そんなことをつぶやきながら、私は帰路につくことにした。
高校までの道を確認するのは当日でもいいだろう、早くに出れば迷ってもなんとかなる。
なんて、呑気に考えながら私はゆっくりと歩く。
ゆっくり歩いて自宅であるアパートに到着した。
靴を脱いで手洗いうがいもせずに床にゴロンと転がった。
「あ、そういえば……あれなんだったんだろ」
床に転がったままスマホを取り出して、『きんこうせき』で調べてみた。
トップに出てきたのは金鉱石という金を含む石だった。
金だから当然色は金色、または金色を含む灰色をしていた。
だけどあの赤い着物の女の子は「赤くて透明」だと言っていた。
「うーん、なんか違う気がする……」
と、思い立って今度は『きんこうせき 赤』で検索してみる。
そしたら金紅石というのがヒットした。
「あ、これか……あー……金紅石ってルチルのことか……透明な肉に赤い血管……ってことはルチルクォーツ、かなあ?」
この石、漫画で見たことがある、と今度は画像を検索してみる。
なんか金色のものばっかりでてきたから『ルチルクォーツ 赤」で検索したらやっとそれらしいものがヒットした。
「これかあ……ふうん、こんな感じに見えるんだ……」
長年見ることのなかった、そして今後も見ることは叶わないのであろう自分の腕の色に似ているという宝石の画像を私はじーっと眺めて、なんとなくスクショを撮ったのだった。
結界の中に戻った瞬間、栫井は飛び込んできた光景に思わず溜息をついた。
「お姫さん、何やってる」
「……っ ………………っ」
『姫』は何も答えなかった。
着物が汚れることも厭わずに、ただ一心不乱にアスファルトに舌を這わせ、何かを啜っているだけだ。
じゅるじゅると何かを啜る音と、何かを噛み砕くような音をたてて、『姫』はアスファルトに這いつくばって離れようとしない。
「ここに来た時から血の匂いがした。それらしいものなんて一つも見当たらないのに、だ」
彼がこの場に駆けつけた時に嗅ぎ取ったのは、小さなバケツで血肉をぶちまけたような匂いだった。
その血の匂いと、手塚と名乗った少女の超能力の概要から栫井はすでに一つの答えを導き出していた。
「お前が今夢中になって啜ってんのは、あの子の腕か」
『姫』は何も答えない。
もう聞こえちゃいないのだろう、それほどまでに『姫』はそれに魅了されてしまっている。
「……本当、厄介な性質だな……吸血鬼って奴は」
普通、あんな状況で紛れ込んで来た異能力者をそのまま帰すわけがない。
それでも『姫』は「早く帰せ」と彼に命じた。
その理由がこれだ。
「……お姫さんにだけ見えてるのは、多分その腕が血に関する力だからなんだろうな……血を透明な腕に変える力……とか」
ふうむ、と栫井が腕を組んで考え込んでいると『姫』がゆっくりと顔を上げた。
その着物の胸元が、地面に這いつくばったせいなのか乱れて少しだけはだけている。
そこから見える白い胸元は年頃の少女のそれではない。
「……お姫さん、着物」
栫井は溜息をつきながら『姫』にそれを指摘する。
『姫』はゆっくりと自分の胸元を見たが、直そうともせずに今度は自分の指先を――おそらくあの少女の血で濡れた指先をしゃぶり始める。
「……そんなに美味かったのか?」
『姫』は吸血鬼であるが、ここまで正気をなくすことは滅多にない。
「……」
指をしゃぶったまま『姫』は首を縦に振って、深い笑みを見せた。
ガラスの腕はよく砕ける 朝霧 @asagiri
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