第35話 まがい物
魔界医ノスフェラの昔話は続く。
「ジクリジクフェルの率いる魔族の軍勢は、風の王国の軍と正面からぶつかりました。戦況は一進一退、いえ、陣取り合戦としては数に勝る人間たちが有利に戦いを進めたのでしょう。しかし、ジクリジクフェルは並み居る敵兵を掻き分け、一人敵陣に飛び込むと、敵の王の首を斬り落としました。すなわち、魔族が勝利したのです」
ノスフェラはまるで我が事のように胸を張った。
「これで戦いは終わる、魔族は誰もがそう思いました。いいえ、魔族だけではありません。ラミロア・ベルチアもそう思ったのでしょう、これ以上の争いは無益だと、人間と魔族の双方に兵を引き上げるよう求めたのです。ところが、です」
今度は憤然と拳を振り上げる。
「人間は兵を引きませんでした。それどころか、王を失った風の王国は、より強固な集団として結束したのです。フーブを中心として。フーブはまるで伝染病、瞬く間に人間どもを浸食し、支配下に置きました。民衆は国を捨て、フーブの元に集まり続けます。王も貴族も将軍も、それを止める事すらできません」
落ち着きを取り戻すかのように、ノスフェラは小さくため息をついた。
「フーブとは、穴です。世界にポッカリ空いた穴。穴に加わる力が大きくなれば、穴そのものが拡大します。すなわち人が集まるほど、信者の数が増えるほど、フーブの力は増大するのです。その事に、当初は誰も気付きませんでした。ラミロア・ベルチアもジクリジクフェルも、フーブを
ジクリフェルの賢者三人は息を呑んでノスフェラの話を聞いている。枯れ木の如きノスフェラは、その細い指で自分の顔をなでた。
「フーブを中心とした人間どもは、世界を滅ぼしかねない狂気を拡散させました。魔族を、精霊を、そして己が隣人を敵と見なして襲いかかったのです。心ある者たちはみな祈りました。ラミロア・ベルチアに、どうぞ世界を救ってくださいと。しかし、そのときすでにフーブはラミロア・ベルチアにも抑えきれない力を獲得していました。フーブの信者が増える限り、フーブを倒す事はできません。ならばどうするか」
そのときノスフェラの顔は、複雑さに満ちていた。残念で、哀しげな、怒りと同情が混じり合ったような表情。
「水の大精霊ラミロア・ベルチアは、世界の水を毒で満たしました。信者の数がフーブの力になるのなら、その信者の数を減らせば良いのです。しかしただ殺しただけでは、解決になりません。フーブの力で蘇生されてしまいますから。なので毒水を口にした者を、生ける屍と化しました。二度と人の姿に戻らないように」
毒蛇公スラが口を挟んだ。
「その毒、人間だけに効いたのか」
「さすがスラ様、良いところにお気づきになりました。もちろんその毒は、すべての命に作用しました。人間はもちろん、魔族も精霊もみな生ける屍と化したのです。世界が毒で満たされたのは、ほんの半日ほどのはず。ですがガステリアに暮らす生命の半数近くが生ける屍となりました」
「それは、さすがに無茶苦茶ではないか」
それは魔獅子公フンムのつぶやき。ノスフェラはうなずいた。
「はい、無茶苦茶だとみな思いました。よって世界は怒りと憎悪に満ちました。フーブへの、そしてラミロア・ベルチアへの呪詛で世界は覆われたのです。そこに、そう、忘れもしません。天を青い光で切り裂いて、百万の聖騎士団と共に降臨したのはギーア=タムール。神による世界への介入でした」
「神……万物の創造主か」
そう問う妖人公ゼタに、ノスフェラは「いかにも」と答えた。
「聖騎士団はその光の力で生ける屍たちを瞬く間に一掃し、ギーア=タムールはラミロア・ベルチアを追放しました。そして神の威光による支配を開始したのです。しかしそれを嫌う魔族はジクリジクフェルの下に集まり、一方精霊たちは氷の精霊ザンビエンを王に据え結束を高め、そしてフーブは人間たちの中で雌伏の時を過ごす事になります。こうしてガステリア大陸に四聖魔が揃った訳です」
スラがたずねる。
「その後、ラミロア・ベルチアは」
ノスフェラは首を振った。
「行方は
「ギーア=タムールが握ってこそのリンドヘルド、人間にその力が扱い切れる訳がない」
神盾グアラ・ザンを構える風切が吼えた。巨大なカニのハサミがガチガチと音を立てる。
「余にリンドヘルドが扱えぬかどうか、その身でとくと味わうが良い」
笑みをたたえるゲンゼル王は、青く輝く聖剣を天にかざした。その懐に、神槍グアラ・キアスを構えた風音が飛び込む。
「フーブこそが唯一神だ!」
「それがどうした!」
突くも神速、振り下ろすも神速。二つの力の交差する点で、空間が歪んだ。神槍を突き出す風音の姿は縦半分に斬られたかに見えたが、次の瞬間左右に大きく分かれた。そして両方向から半分の槍をもってゲンゼルを貫かんと飛来する。リンドヘルドも二つに分かれて左右の敵に対応した。
しかし右側から来た風音の半身は、不意に消えた。左側から来た半身も姿を消した。そこに真上から稲妻の速度で落ちて来た神槍が、ゲンゼルの頭頂を貫く。その衝撃波は轟音と共に砂の大地を大きくえぐった。しかし、穴の底から風音が叫ぶ。
「手応えがない!」
風切は素早く周囲を見回した。だが背後にも頭上にも、ゲンゼルの姿は見えない。
――焦るな
それは言葉として聞こえた訳ではない。水面に波紋が広がるように、心に伝わる意志。カニのハサミを振りかざす神盾グアラ・ザンが、強く銀色に輝いた。その清浄な力で、いつの間にか世界を包んでいた透明な薄皮が、縮れ、千切れ、はらはらとめくれて行く。
少し離れた砂丘の上に、人影が現れた。ゲンゼルの大きな影と、足下に二つの小さな道化の影。
「あれあれ、幻術が見破られたよ」
「おやおや、まやかしが通じないのだね」
道化は踊る。楽しげに。
「おのれ魔族か」
リンドヘルドだけでも厄介なものを。言外に匂わせた風切の隣に、風音が立つ。それを見て二人の道化は、歌うように話す。
「類は友を呼び、同病は相哀れむよ」
「まがい物はまがい物を招くよ」
「人の力が生み出せし、まがい物の神槍グアラ・キアス」
「人の力が作り出せし、まがい物の神盾グアラ・ザン」
そんな二人に風音は神槍を向ける。
「黙りなさい、人に使役される下僕の分際で。神への冒涜は万死に値します」
しかし二人の道化は笑う。
「冒涜できる神など本物の神ではないよ」
「神を冒涜できると思う事こそが冒涜だよ」
「
風音は飛んだ。高く高く、グアラ・キアスを振り上げて。ゲンゼルの脳天めがけて神槍を叩き付ける。だがそれが命中したと見えたとき、ゲンゼルの頭がへこんだ。いや、それはゲンゼルの姿をした、ゲンゼルではない何か。黒いゼリー状に変化したまがい物のゲンゼルは、花のように広がって風音を包み込んだ。
地鳴りは幾重にも重なり、奉賛隊の周囲を駆け巡る。さっきのと変わらない大きさの砂ミミズが一瞬顔を出してまた砂に潜った。それよりも小さいが人間は食えそうな大きさの砂ミミズが二匹、いや三匹姿を見せて、こちらも潜る。もっと小さいのは数え切れないくらい砂の表面を隆起させて蠢いていた。
「砂を固めるよ」
魔道士バーミュラが周りを見渡す。
「ウィラットとジャイブルは飛び出したデカいのを叩きな。他の連中は小さいのだけやっつけるんだよ。数が多い、手当たり次第に切り刻むんだ」
皆は顔を見合わせ、うなずいた。バーミュラは水色に輝くリーリアに目を向ける。
「おまえさんは、お姫さんだけ守っといで」
「元よりそのつもり」
「そりゃあ良かった」
バーミュラはフンと鼻を鳴らすと、一声怒鳴った。
「じゃあ行くよ!」
両手が高く掲げられると、その中間に火花が散った。一斉に地鳴りが止む。直後、硬質な音を立てて大地が砕け、不快な鳴き声とともに砂ミミズの群れが地表に現れる。だが多い。さっきまで見えていた数の数倍が、身をくねらせ波打ちのたうち回り、奉賛隊に襲いかかった。
天から降る無数の光の矢。その合間を縫うように落ちる稲妻。それらは確実に砂ミミズに命中した。だが相手の数が多すぎる。血を噴き傷つきながらも前進する群れの足を止める手段はない。
バーミュラは両手を頭の上で組んだ。奉賛隊の周囲の砂が、巨大なウニのように無数の棘を形作り、砂ミミズに突き刺さった。しかし止まらない。ややスピードは落ちたようにも見えるが、それでも全身を穴だらけにしながら敵は迫る。もはや万事休すか。
そのとき、奉賛隊の頭上で声がした。
「
その大顎で傭兵を飲み込まんとする巨大な砂ミミズ。だが。
「反転」
砂ミミズはそのスピードのまま、壁にはね返る鞠のように反転し、逆向きに走った。大も中も小も、奉賛隊を目指していたすべての砂ミミズが逆方向を向き、数秒走った後、首をひねるように振り返った。
しばし
「鉄壁」
だが何もない空間にぶつかると、何故かそれ以上前に進めない。目には見えない壁があるかの如く。そして次の瞬間、奉賛隊は人間もドルトも、すべて一人残らず一羽残らず、煙のようにかき消えてしまった。
奉賛隊が姿を現したのは、北方の都市ミアノステスのすぐ外側。茶色い砂岩をえぐった城壁の前で、腰を抜かしてへたり込んでいる奉賛隊の面々の前に舞い降りたのは、見た目三十そこそこの、上等な服を着た黒い総髪の男。
隊長たちは身構えるが、バーミュラが手で制した。
「おやめ。敵じゃないよ」
「まったく、姉御殿は相変わらず無茶をするでござるな」
ため息をつく総髪の男を、バーミュラは鼻先で笑った。
「おまえさんも相変わらず達者なようで何よりだよ。気が付いてたんなら、もっと早く助けてくれないもんかね」
「砂ミミズの群れの興奮が大気に満ちていたからわかったのでござるよ。そうそう都合良くは行かぬでござる。と言うか」
男は水色に輝くリーリアを見つめた。
「本来なら拙者の助けなど要らぬはずではござらんか」
「魔道博士ライ・ミンの目から見て、どう思うね」
バーミュラの問いに、ライ・ミンはニッコリ微笑んだ。
「どうもこうも、本物でござろうな」
その言葉に、水色のリーリアがたずねる。
「私が何者か、わかるのか」
ライ・ミンはうなずいた。
「消去法ではござるが、そのような隠し切れぬほどの巨大な力、他に思い当たる解答がないのでござるよ、ラミロア・ベルチア殿」
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