第34話 魔道博士

 憂鬱だ。タルアン王子は後方から届く陰々滅々たる波動を背に受けて、いささか困惑していた。まあ、気持ちはわからんでもない。不意にランシャが居なくなってしまったのだから。とは言え、そんな陰鬱な空気を周囲に振り撒かなくても良いのではないか。


 無論、最初から陽気な旅ではない。魔獣に生け贄にされに行くのだから当然だ。しかしだからといって、ここまで周囲を暗くせんでも良いように思うのだが。


「何を考えておるのやら」


 タルアンの頭の上で、黄色い精霊ジャイブルが言う。


「まったくね。困ったもんだ」


 タルアンはうなずくが、そのおでこをジャイブルはかかとで蹴った。


「痛っ、何だよ」


「何を考えておるのやら、とは、そなたに言うておるのだ」


「はあ? 僕は何も考えてないだろ」


「そんな間抜けな自慢をしてどうする。考えよ。いま妹にかける言葉の一つもあろうが」


「いやいやいや、それ無理。いまはさすがに無理ですから」


「無理なことがあるか、兄であろう、さっさと声をかけてやれ」


 はああああああああっ……。背後から聞こえてくる大きなため息。振り返れば空間が歪みそうなほどの暗さを顔面にたたえたリーリアが、口元に微妙な笑みを浮かべてこちらを見ている。タルアンは慌てて前を向いた。


「ほら、無理でしょうが、ほら!」


「む、無理かな、これは」


 そうつぶやいたジャイブルが、急に顔を上げた。


「気をつけろ、何か来るぞ」


 前方を歩いていた魔道士バーミュラが、突然振り返った。


「後ろ! 何か出るよ! 走れ!」


 その隣でウィラットが魔弓キュロプスを構える。後方の隊列は状況を理解してすぐに走ったものの、それが出て来る方が一瞬早い。最後尾の数人が、砂と共に上空高く跳ね飛ばされる。


 砂煙の中から現れたのは、ミミズ、いや、ゴカイに見えると言った方が正確か。しかしそんな事はどちらでも良い。問題はその大きさ、人を食うどころの騒ぎではなかった。正面に開いた洞穴の如き口は、ドルトを二、三羽まとめて喰らえるほどだったし、その体は奉賛隊全員を飲み込めるくらいの長大さがあった。


 これこそが噂の砂ミミズ、と理解したバーミュラが怒鳴る。


「デカいにも限度があるだろうが!」


 耳障りな甲高い鳴き声を上げて、巨大な砂ミミズは奉賛隊に飛びかかって来た。しかしその前に、魔法で作った砂の壁が立ちはだかる。砂ミミズは怒りにまかせて壁を突き破るが、さらにその前に、新たな壁が現れた。


 そこに天空より雨のように降り注ぎ、うねる全身を貫く光の矢。絶命の絶叫を上げ、硫黄に似た猛烈な悪臭を放ちながら、砂ミミズは倒れ込み、動きを止める。


「……死んだ模様です」


 ウィラットの言葉に、両手を突き出しながらバーミュラはため息を漏らす。


「やれやれ、びっくらこいたね」


「バーミュラ、無事か!」


 隊列の前方から駆け寄って来る隊長の声に、魔道士は振り返った。


「安心しな、おまえさんらの仕事はもうないよ。お姫さんも無事さね」


「それは違うな」


 しかし、否定したのはリーリア。全身を水色に輝かせて。


「アレは死ぬ前に声とニオイで仲間を呼んだ。間もなく群れが押し寄せよう」


「何だって」


 バーミュラが目を丸くしたとき、遠く地響きが聞こえた。




「師匠、お願い致す」


 男は手を付いて頭を下げた。見たところ三十そこそこだろうか、緑がかった豊かな黒髪を総髪に結い、着物もかなり上等だ。対してその前に仁王立ちしているのは、ボロ布のような服を身にまとった、五、六歳の女の子。薄汚れた顔で男を見下ろしている。


「よかろう、見せてみよ!」


「ははっ」


 男は顔を上げると、手元にあった小石を右手でつかんで放り上げる。


「はい一つ、二つ、三つ……」


 落ちてきた石を左手で受け止め、スナップを利かせて右手に移動させる。そしてまた放り上げる、の繰り返し。と思いきや、さらにもう一つ小石を拾って放り上げた。


「四つ!」


 だがその瞬間、三つの小石が順に男の頭に落ちてくる。


「あたたっ」


 周囲にどっと湧き上がる笑い声。見物していた子供たちが腹を抱えていた。どの子供も貧しいらしく、着ているものは粗末で薄汚れている。けれど本当に楽しそうに笑った。仁王立ちの女の子も笑っていた。


「ミンは本当に下手くそだなあ」


 一方ミンと呼ばれた男は真面目な顔で、己の手と小石を見比べていた。


「うーむ、面目ござらん。今回は上手く行くかと思ったのでござるが」


 北方の小都市、ミアノステス。広大な砂岩地帯をくり抜いて作られた街。道は細く迷路のように入り組んでいるが、方々に広場があり、劇場があり、水場がある開放的な空間。その街角の片隅で、一人の女が声を上げた。


「あらまあ、アンタたち何してんの!」


 しかし笑う子供たちは取り合わない。


「俺たち何もしてねえぞ」


「そーだそーだ。ミンがどんくさいだけだよ」


 中年の女は困り顔で子供たちを叱る。


「こら、いい加減にしなさい!」


 そしてミンに向かって頭を下げた。


「申し訳ございません、子供らには言い聞かせますので。ミン様お立ち下さい。お召し物が汚れます」


 しかしミンは平然と首を振る。


「いやいや、構わぬでござるよ。拙者はいま肉体の動きと精神の動きの関連について研究中でござってな、こうして師匠の手ほどきを受けているのでござる」


「はあ……」


 女は意味がわからないのか、困惑していた。その前で、女の子が胸を張る。


「そうだよ、わたしミンの師匠なんだよ。凄いでしょ」


「いや、そうは言ってもねえ」


 どうしたものかと女が首をかしげたとき、不意にミンが立ち上がった。


「……これはいけない」


「ミン様、どうされました」


 やはり腹を立てていたのではないか、そんな心配を顔に浮かべる女に一瞬微笑みかけると、不思議そうに見上げる「師匠」に目を向け、ミンはこう言った。


「急用ができたでござる。お手玉はまたの機会にお願い致す」


「うん、いいけど」


「ではまた」


 そう声だけを残し、ミンの姿は消え去ってしまった。




 銀光一閃、神槍グアラ・キアスは地面すれすれに飛んだ。リンドヘルドはそれを跳ね上げ、そのままの勢いで斬り下ろす。だが神盾グアラ・ザンがまた防いだ。けれどゲンゼル王はそこから押し込む。


「兵長!」


 ゲンゼルが叫ぶと、周りの兵を掻き分けて、ひときわ立派な体格の男が前に出た。


「陛下、ただいま参上つかまつりました」


 ゲンゼルは敵を押し込みながらこう言う。


「ただちに兵を進めよ。ジヌー、ヒサ、クスカの三村に進軍し、橋頭堡きょうとうほを築け」


 目の前の敵を攻めろとは言われなかった。王命である。ならば、そうするしかない。


「はっ、ただちに進軍し、橋頭堡を築きます!」


 兵長は復唱し、最前線の三万の兵に伝令を走らせた。


 無論、敵もそれをみすみす見逃しはしない。神槍を手にした風音が兵を貫かんと企むが、その前に立ちはだかる青い輝き。リンドヘルドの剣身が二つに分かれ、その一方が風切の神盾を圧し、もう片方がまるで意思を持つかのように神槍に斬りかかる。剣槍相打ち火花が飛んだ。


 銀色の神槍の相手をリンドヘルドの半身に任せ、ゲンゼル王は盾に圧力を加え続ける。僅かに動いた。さしもの神盾グアラ・ザンも抗いきれないか、と見えた瞬間。盾の前面から上下に走る銀色の流れ。それはカーブを描き、次いで直線を、そしてジグザグを空中で形作る。


 ゲンゼル王は見た。上下に開いた銀色の、巨大なカニのハサミを。


 距離を取ろうとしたが遅かった。勢いよく閉じたハサミはリンドヘルドをつかんで放さない。その怪力は、ゲンゼルの人間離れした腕力をもってしてもビクともしなかった。だが。


 そこに戻って来たのは、リンドヘルドの片割れ。高速で回転しながらハサミの上部に斬りつけ、一撃で中程まで食い込んだ。同時にゲンゼルが挟まれた剣身をひねると、傷口が大きく開き、ハサミの上半分がパックリ割れる。


 二つに分かれていたリンドヘルドは一体化した。青い聖剣を高く振りかざすゲンゼル。一方、割られたカニのハサミは一瞬で復活し、攻撃を待ち構えるように大きく開く。その隣に立つのは銀色の槍。風音はつぶやく。


「グアラ・キアスが叫んでいる。邪剣リンドヘルドを打ち砕けと」


 風切がうなずき応える。


「グアラ・ザンが吼えている。神は一人で十分なのだと」


 しかしゲンゼルは不敵に笑う。


「笑止。剣は剣、人は人、神は神。剣はただ敵を討てば良く、人はただ正義をなせば良く、神はただ神話の中にあれば良い。正義もなく神にすがる者に、余の剣が敗れるはずはない」


 風音と風切が声を揃えた。


「その傲慢に滅ぼされよ!」




 霧が出た。それも一瞬で、目の前に手をかざされても見えないほどの濃密な霧が。しかし海賊船イオースボックの甲板上の半魚人たちは慌てなかった。海に居れば霧など珍しくもない。人にはない超感覚を持つ彼ら魔族にとって、それも水の中に暮らす水魔には、霧による視界の封鎖など何の意味もなかった。はずだった。


 何かがおかしいと半魚人たちが気付くまでに、要した時間は十数秒。仲間の気配がない。人間の気配もない。それどころか音も聞こえず、波も感じず、いまが昼なのか夜なのかもわからなくなっている。もしやこの霧、ただの霧ではないのではないか。


 そこまで理解できた者は長生きした方だ。他の半魚人たちは皆、霧の中から音もなく飛んできた手斧に頭を割られてしまったのだから。




「その昔、四聖魔がこのガステリア大陸を支配する前の話でございます」


 枯れ木の如き魔界医ノスフェラが語り始める昔話。


「人は昼、魔族は夜の世界に暮らし、精霊は双方と距離を取り、聖騎士はまだ降臨しておりませんでした。人の世界には数多あまたの王がありましたが、魔族にも精霊にも王はなく、ましてや神はいずことも知れぬ遠い世界の存在で、フーブはいまだ生まれてさえいない、そんな世界に均衡をもたらしていたのは、巨大な力を持った水の精霊。その名をラミロア・ベルチアと申します」


 真っ黒な天井からぶら下がるロウソクの炎が揺れる。


「魔族も人も精霊も、水を飲み、水を使います。それ故に水の精霊の影響力は絶大であり、ラミロア・ベルチアの言葉は文字通り金科玉条、絶対的なものとして扱われておりました。異族間のいさかいが起きたとしても、ラミロア・ベルチアが仲裁に乗り出せば誰もが従いました。よってガステリアには大きな争いは起こらず、比較的平和な時が流れていたのです。しかし」


 ノスフェラは小さく咳払いをした。


「人間です。世を乱すのはたいてい人間と相場が決まっておりますが、ラミロア・ベルチアによる世界の秩序に挑む人間どもが現れたのです。初めはただの小さな暴動でした。それが世界に影響を与えるとは誰も思わないほどの。ラミロア・ベルチアも、ただ乱暴をいさめるだけでありました。ところがこの人間どもが暴動を繰り返す中で、あるモノを見つけてしまったのです」


「あるモノ?」


 魔獅子公フンムがつぶやく。ノスフェラはうなずいた。


「左様、それは一人の少女でした。貧しい家の末娘、いずれは口減らしのために売られてしまうであろう、痩せ細った少女。しかしその銀色の髪の少女には、人智を超えた異能が秘められていたのです」


 毒蛇公スラが無表情に見つめた。


「……まさか、フーブか」


「いかにも。フーブという名の少女が振るう風の力は、街のゴロツキだった男を、あっという間に王の座に押し上げました。しかし人間の欲望は底を知りません。風の王国は次々と周囲の国々に攻め込み、版図を拡大して行きます。その戦いは人間だけではなく、魔族をも巻き込みました」


「何と迷惑な」


 腹立たしげな妖人公ゼタの声。それに対して満足げに微笑むと、ノスフェラは続けた。


「このときある竜族が仲間と共に、人間の暴力に立ち向かいました。その勇気と行動は賞賛され、僅か一日で数万の軍勢を集めたとも伝えられております。その竜族、史上初めて魔族の王となった彼の名こそ、誰あろうジクリジクフェルなのです」

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