第27話 黒山羊の声

 馬がいる。ガステリア大陸でも決して珍しい生き物ではないが、この近辺にはあまりいない。物を運ばせるなら、ドルトの方が力もあるし体も大きい。肉を食うなら牛の方がたくさん取れる。砂漠地帯では利用価値があまり高くないのだ。


 砂漠で馬を使うのは、もっぱらスピードを必要とする王宮の伝令である。急にチノールの領主から呼び出された隊長は、館の前につながれた馬を見て何やら嫌なものを感じたのだが、領主と会ってすぐにその勘が当たっていた事を理解した。


「戦争?」


 領主の執務室、全身砂まみれの伝令が椅子に座っている。隊長は自身が座る事も忘れて伝令にたずねた。


「ダナラムといきなり戦争なのか」


 確かに先に聖滅団を差し向けてきたのはダナラムであるものの、一般的に国家間の全面戦争に至るには、経済制裁や外交圧力など前段階があるものだ。それをすっ飛ばすあたりゲンゼル王らしいと言えばらしいが、周辺諸国の印象は変わってこよう。いかにアルハグラが軍事大国であるとは言え、その行動にどの国もが無条件で従ってくれる訳ではない。


「チノールには一万の兵力供出が命じられた」


 領主はいささかムッとした顔でそう言う。ここでようやく隊長は椅子に座った。


「キリリアには三万の兵力が求められ、シルマスにも一万五千と伝えました。正規軍と傭兵ですでに三十万が北上しています」


 伝令は疲れた様子も見せず、ハキハキと答える。三十万が動いているという事は、リーヌラの兵力は空っぽという事だろう。正規軍と言っても専業の兵士だけでは到底足りないから、徴兵をして若い男をかき集めたに違いない。アルハグラの臣民は五千万、金と食料に余裕さえあれば五十万や百万の頭数は集められるだろうが、当然それだけ練度も士気も下がる。


 ダナラムは国土は広いが、人口は一千万人に満たない。武装した三十万人に攻め込まれればひとたまりもない、とゲンゼル王は考えているのかも知れない。だがそうそう想定通りに進まないのが戦争というものだ。地の利もあれば運もある。


「奉賛隊について、王は何か言ってたか」


 当面、隊長としてはこれが一番気になるところだ。伝令は笑顔でうなずいた。


「それ故に隊長殿を呼んで頂きました。この先いかなる状況になろうとも、必ずやザンビエンの元にたどり着くべし、これが王より下されたお言葉です」


 つまりやるべき仕事は変わらないという事である。それで何か楽になる訳ではないが、隊長はひとまず安心した。だが。


「ニワンバナやヒメロからも兵を出させるのか」


 隊長の問いに伝令はまたうなずく。


「国境の警備を強化せねばなりませんので、そうなります」


 奉賛隊がこの先向かう街からも兵力を供出させるという。それは都市の運営を圧迫し、王宮に対する反発を強めかねない。ならば、奉賛隊の出迎えが手厚くなる事はまずあるまい。どちらかと言えば、その逆だろう。


「何とも世知辛えな」


「アルハグラを守るためです、みな納得してくれるでしょう」


 伝令は何一つ疑いを持たぬ顔でそう言った。




 領主の館を出ると、隊長はしばし立ち止まった。さて、どうしたものか。奉賛隊の連中に戦争のことを伝えなければならないのだが、物事には順序がある。できればまず王族の二人と、バーミュラに話してからにしたい。しかし、いつ戻ってくるものやら。とりあえず繁華街に出て酒でもひっかけてから宿に向かおうか、と歩き出したとき。


 一瞬、白い輝きが視界を覆った。腰の剣に手をかけた隊長に向かって、聞き覚えのある声が。


「何かあったのか」


「……ランシャか?」


 いったいどこから現れたのか、ランシャが隣に立っていた。隊長は周囲を見回す。


「他の連中はどうした」


「俺だけ先に戻って来た」


「どういう事だ」


「一口には説明できないが、とりあえずみんな無事なのは間違いない。じきに到着するはずだ」


「せめてバーミュラだけでも連れて帰ってくれりゃ助かったんだが」


「バーミュラは俺が信用できないらしい。まだ頭から地面に突っ込むと思われてる」


 隊長は剣の柄から手を放した。どうやら本物のランシャのようだ。


「イロイロあったって事か。まあ、こっちもイロイロあったんだが」


「領主は館に居るのか」


「領主に会うんなら一緒に行った方が話が早い。ついて来い」


 隊長は振り返ると、ランシャを連れて領主の館へと向かった。




 ラダラ海の荒れ狂う波頭、激しい風と断崖に叩き付けられる雨音。低気圧の接近するガステリア大陸南西部。しかし低く垂れ込める黒雲の上には青い空が広がり、白い雲の峰がそそり立つ。中に広がる魔族の皇国ジクリフェルの宮殿では、謁見えっけんの間において炎竜皇ジクスの前に四賢者が揃っていた。


「スラとフンムはもういいの」


 ブカブカの鎧を身に着けた三本角のジクスの言葉に、毒蛇公スラと魔獅子公フンムは顔を上げる。


「スラはもはや万全にて」


「フンムとて同じ。二度と人間如きに遅れは取りませぬ」


「いやあ、良かった良かった。ワタクシは心配しておりましたのです、お二人がもう戻って来られないのではないかと。それがこの短期間で復帰なさるとは、いやあ素晴らしい」


 そう笑う黒山羊公カーナをフンムはにらみつけ、スラは冷たく無視した。


「それじゃゼタ、説明してくれる」


 ジクスも特に触れず、妖人公に話を振る。ゼタは顔を上げると話し始めた。


「はい、神教国ダナラムとの盟約、無事に締結いたしました」


「人間と盟約だと!」


 フンムが目を剥くが、ゼタは平然と続ける。


「アルハグラの兵力は三十万以上。『遠目』『早耳』によれば、ダナラム側の国境の村、ジヌー、ヒサ、クスカを手始めに侵攻を開始する模様。おそらくは数日以内に。これを我らジクリフェルの軍団が迎え撃ちます」


「迎え撃つ! 愚かな、戦は先手を取らねば敗れるぞ!」


 フンムが再び目を剥き、それに今度はスラが加わる。


「一理ある。大軍を相手にするなら、相手の陣形が整う前に仕掛けるか、もしくは自陣に深く呼び込んでから寸断し殲滅すべき。最前線で迎え撃つのは、ただ無駄に消耗するだけ」


「おっしゃる通り!」


 カーナが笑いながらヒヅメを鳴らした。


「理屈としては、まさにその通り。ただし、いかに盟約を結んだとて、フーブの支配する領域をワタクシたち魔族の自陣と呼べるかどうかという問題がございます。果たして背に回して、あるいは懐深くに入り込んで大丈夫でしょうか。人間どもと横並びで迎え撃つのは、最善ではなくとも次善の策では」


「ゲンゼルのリンドヘルドにはどう対処するの」


 ジクスの問いに、ゼタは答える。


「ダナラムはかつてグアラ兄妹が用いた盾と槍を持ち出しました。首が取れるかはともかく、ゲンゼルの動きを止めるには十分かと」


「我らが炎竜皇陛下に具申致す!」


 またフンムが声を上げた。


「ゲンゼルはこのフンムにお任せ頂きたい! 見事首級を上げてご覧に入れる!」


 するとジクスは笑顔でこうたずねた。


「何のために?」


 これにはフンムも困惑する。


「……は? 何の、ため……と、おっしゃいますと」


「だってゲンゼルを殺す意味はボクらにはないよ。大事なのは、いずれボクらとフーブが協力してザンビエンを倒す事。今回はそのためにアルハグラからダナラムを守るだけ。ゲンゼルの首を取る意味があるのはダナラムだから、ボクらはそれを邪魔しなければいいんじゃないかな」


 そう言われては、フンムも口を閉じるしかない。ジクスはカーナに目をやった。


「この戦いの指揮は黒山羊公に任せるね」


「おおなんと! これはまったく存外の名誉。ありがたき幸せ。このカーナ、最善を尽くし、最良の結果を陛下にご覧に入れる事をお約束いたしましょう」


 そして深々と頭を下げると、チラリと横目でフンムを見た。その目がかすかに笑っている。フンムは奥歯を噛みしめて怒りを堪えるしかない。


「魔獅子公と毒蛇公には、まず雪辱を果たしていただきましょう」


 ゼタの言葉にジクスはうなずく。


「うん、生け贄の方も何とかしなきゃ」


 炎竜皇の眼がフンムを見る。フンムは身構えた。視線はスラに移る。スラも身を固くした。


「それじゃ、二人で行って来て」


 フンムとスラは目を丸くした。これはさすがに予想外だったらしい。


「二人、で、ございますか」


「二人……この二人?」


 ジクスは満面の笑みを浮かべる。


「そう、フンムとスラの二人で生け贄の方は何とかして。できるよね」


 幼い炎竜皇の笑顔には、有無を言わせぬ力がある。魔獅子公と毒蛇公は頭を下げた。


「陛下の仰せのままに」


「御意」




 結局、空飛ぶ絨毯は昼前にチノールに無事戻り、バーミュラは疲れ切った状態で隊長から報告を受けた。


「ダナラムと戦争かい。そりゃまた豪儀なこった」


 その顔は呆れ返っている。


「奉賛隊の仕事に変わりはない。ただ、この先の街じゃ歓迎はしてくれなくなるかも知れん」


 そう言う隊長に「んな事はどうでもいいよ」とつぶやき、バーミュラは考え込む。宿の広い食堂の片隅で、ため息の音が小さく漏れた。


「ザッパ、ものは相談なんだがね」


「何だ」


 あまり嬉しい話ではないのかも知れない。身構える隊長に、魔道士はいささか普段より下手から出てこう言った。


「ちょっと寄り道をする訳にゃ行かないもんか」




 アルハグラの首都リーヌラの王宮において、ゲンゼルの第一王子ラハムを前に、五人の老人が頭を下げていた。しかし五つの顔には怒りが浮かぶ。玉座の隣に立つラハムは平然と彼らをねぎらった。


「わざわざ足を運ばせて大義であった。ただ、リーヌラのフーブ教会を司るそなたたちに、どうしても確認をしておきたい事があったのだ」


 五人が顔を上げると、中でも最長老らしい真ん中に立つ背の高い老人が、挨拶もなしにいきなり本題に入った。


「いったい何用でございましょう」


 ラハムは微笑みを浮かべて問う。


「ゲンゼル王が軍を率いて出立して以来、フーブ協会は信徒を集め王を糾弾しているとの臣民よりの訴えがあった。これはまことか」


「糾弾とは心外。我らはただいくさを憂い、平和を求める祈りを捧げているに過ぎませぬ」


 老人は驚いたかのような顔を見せる。しかし少々わざとらしい。一方ラハムの表情は変わらない。


「それはすなわち、王に対する反抗の意思があるという事では」


「滅相もございません。我らフーブの信徒は、常に良き臣民にございます。そもそもリーヌラの信仰の自由は、ゲンゼル王にお許しいただいたもの。我らが王に楯突くような真似など、いたすはずもなく」


「なるほど、フーブ教徒は理想的な臣民であると申すのだな」


「左様にございます」


「ならば」


 ラハムは不意に玉座の脇に立つ衛兵の腰から、剣を引き抜いた。その切っ先を老人たちに向ける。


「王の代理たるラハムが命じる。その血をもって忠節を示せ」


 壁際に立つ大臣たちは驚き慌てた。


「殿下、何をなされます!」


「そのような無体な!」


 けれど老人たちは動じない。


「王子殿下、おやめなさりませ。もし我らがここで死するような事があれば、王宮に怒りを向ける民が現れましょう。それはこのリーヌラを、ひいてはアルハグラを混乱に陥れる愚行。自ら火種をバラ撒くようなものでござ……」


 言葉は途切れた。華奢な王子の振るった剣は、よく研いだ鎌が草を刈る如く、背の高い老人の首を斬り飛ばした。噴水のように吹き上がる真っ赤な血に、さしもの老人たちも動揺する。だが非難や恐怖の声を上げる間もなく、一瞬で全員斬り倒されてしまった。


 全身を血にまみれさせたラハムの目が見開かれている。それは驚愕の眼差し。


「……何だ」


 その口から漏れる小さな声。


「これは、何だ。いったい何故こんな」


 けれど耳元に聞こえる笑い声に、目は再び光を失って行く。


――良いのです。これで良いのですよ、王子様。


 一瞬ラハムの脳裏には黒山羊の姿が浮かんだが、すぐ闇にかき消えてしまった。

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