第26話 夢

 ランシャは思わずリーリアの前に出た。そう、天幕に入って来たのはジクリフェルの妖人公。しかしゼタは三人に見向きもせずに通り過ぎ、無人の玉座の隣に立った。その頃合いを見計らったかのように、黒いドクロ面のザンビエンが入って来る。供も連れず、威風堂々と圧倒する存在感でまっすぐ玉座に進み、風を巻くように座った。


「さて、何から話すべきかな」


 黒いザンビエンのその言葉に、ランシャは問うた。


「何でゼタがここに居る」


 ザンビエンが笑ったようにランシャには思えた。


「これは我の力が作り出した幻影。我が後悔と言えるのかも知れん」


「後悔だと。執着の間違いだろう」


 それはルーナの声。ザンビエンはうなずいた。


「かも知れぬな」


 そしてランシャを見る。


「この女は古い王家の血を引く人間だ。我がきさきとなるはずだった」


「人間? 魔族じゃないのか」


「おまえは魔族の事をどれだけ知っている」


 そう言われると、何も答えられない。ランシャは魔族の事など生まれてこの方一度として真剣に考えなかったからだ。ザンビエンは少し待って言葉を続けた。


「……魔族とは、魔族として生まれた者たちではない。人間や動物、あるいは精霊や聖騎士が魔性に魅せられ、魔性の力を得て墜ちた存在が魔族だ。魔道士や魔獣奉賛士はおまえも知っていよう。連中は魔族になる一歩手前で踏み止まっていると言える」


「魔法の力は卑しい力」


 これはランシャの背後から顔を出したリーリア。ザンビエンはまたうなずいた。


「人間はそう言うのだったな。それはある意味正しい物の見方と言えるだろう。魔族となれば、不老不死の肉体と強大な力が手に入る。世界を破壊したくなる渇望と引き換えに」


「だが炎竜皇の例もある」


 ザンビエンは横目でルーナを見た。


「ジクリジクフェルは魔族にあるまじき特異な存在、魔族は皆ああなりたいと願うのだろうが、そうはならぬ。大半の魔族はことわりから逃れられない。ヤツが倒れれば、自動的に魔族の国も崩壊する。人間のように次の世代につなぐなど、不可能だ」


「だがもしフーブが協力すれば」


「フーブは人間のための神。人間に現世利益を与えるための機械的存在。もはやアレに心などない。ジクリジクフェルの願望は、人形に愛をささやくに等しい」


 ルーナは沈黙する。ザンビエンはまたドクロの仮面の下で笑ったようにランシャには見えた。


「どうした、娘。もう我がザンビエンではないと喚かぬのか」


 しかしルーナの顔には困惑がある。


「確かに貴様の言葉はザンビエンの言葉に聞こえる。だから余計にわからなくなった」


 するとドクロの仮面のザンビエンは、玉座に深く座り、頬杖をついた。


「いまは夜だ」


 と、ため息をつく。


「いったいいつまで夜が続くのだろうな。いや、そもそも我は朝の光を見た事があっただろうか。どう思う、ルーナ」


 自分の名を呼ばれて、青い髪の少女はハッと顔を上げた。


「貴様、私を知っているのか」


「ザンビエンなら知っていて当然であろう、月光の将よ。青璧の巨人ギーア=タムールの妹よ」


 それを聞いて、ルーナの感情は爆発した。


「貴様が本物だというのなら、兄の封印を解け。いますぐ解いてみろ!」


「それは我にはかなわぬ事」


 黒いザンビエンは首を振る。ルーナは一歩二歩と前に進み出た。


「何故だ、何故できない。もういいはずだ。何が足りない。まだ許せないというのか」


 震える声に黒い精霊王は沈黙し、ドクロの仮面に手をかけた。そしてゆっくりとはずす。その顔に、ルーナは絶句した。ランシャもリーリアも声が出ない。そこには、本来顔のある場所には、星空があった。いや、いつの間にか天幕の内側もまた星空へと変わっている。


「我は本物であり偽物でもある」


 ザンビエンの声が響いた。


「我もある意味このゼタと似たようなもの、願望や後悔や執着の生み出した影に過ぎぬと言えよう。我を生み出したのは本物のザンビエン。我の行動や言葉には、の精霊王の意志が反映されている。だが、我の考えをザンビエンの意志に反映させることはできぬ。影に力を加えても、本体を動かせはしないのだ」


「一つおたずねしてよろしいですか」


 それはリーリアの声。


「ここはガステリア大陸なのでしょうか」


 ザンビエンの影は星空の中で笑った。


「いいや、この世界もまた影。永遠に夜の続く閉ざされた現実世界のうつ。より正確な言葉を使うのならば」


 ザンビエンは玉座より立ち上がる。


「夢だ」


 愕然とするランシャ。


「ちょっと待て、この世界がザンビエンの夢の中だとでも言う気か」


「その通り。いつ覚めるとも知れぬ永劫の夜の夢。その中におまえたちは居る」


「しかし、何故だ。何故俺たちがザンビエンの夢の中に」


「そこまでは知らぬ。おまえたちの方に心当たりがあるのではないか」


 黒いザンビエンは近付いて来ると、ボロボロの小刀を取り出した。それを後ろに縛られているランシャの手に握らせ、こう耳元でささやく。


「一つだけ教えておいてやる。おまえの晶玉の眼にはすべてが見える。聖も魔も、正も邪も、生も死も。サイーの遺産を使い、この世のあらゆる事を見通すが良い。なすべき答を見つけよ」


 その瞬間、ランシャの眼の奥で何かが弾けた。猛烈な熱が、圧力が、痛みとなって襲いかかる。思わずうめき声を上げて身をかがませた頭上を。


 ルーナの鎚が通過した。


「いまだ、斬り上げろ!」


 レクの声にランシャの体は反応した。レキンシェルの真っ白い刃が下から上に走る。だがルーナの左手のタガネがそれを受けた。おぼろに輝く月光の将はすかさず鎚を振り上げ、タガネの頭に打ち下ろす。強大な衝撃。レキンシェルの刃がまた砕けるかに思われたほどの。


 しかし砕けない。レキンシェルは刃こぼれ一つ見せず、それどころかさらに輝きを増し、宙に軌跡を描く。


 ルーナは思わず跳び下がった。そして鋭く削り取られた、タガネの先端を見つめる。ランシャは頭の上に剣を構えた。


「夢を見ていた」


 ルーナは苦々しげに口元だけで笑う。


「知っているよ」


「隙を見せるなと言われた」


「ああ、言わなきゃ良かった」


「たぶん、いまの俺ならあんたを斬れる」


「勘違いするな。それは貴様の強さではない」


「わかってる。俺は何も変わっちゃいない。それでも」


「それでもその姫を護るというのか。ザンビエンの生け贄にするために」


「答は……まだだ!」


 ランシャは前に出ながらレキンシェルを振り下ろした。白い刃が伸びる。対するルーナの鎚はそれを側面から叩いた。跳ね上げられた、と見せかけて、ランシャは体を一回転させ横一文字に剣を振るう。だが、手応えはない。


 おぼろに輝くルーナの姿は散り散りの断片になって消えた。朝の太陽の光の中に。


「また会おう。いつか、月の夜」


 そんな言葉を残して。


 ランシャは振り返った。リーリアが地面にへたり込んでいる。全身に切り傷が目立つが、深手はないようだ。回復魔法で消し去れるだろう。


「立てますか」


 と、左手を差し出す。リーリアは笑顔でうなずくとその手を取り、立ち上がった。それを確認して、ランシャは歩き出す。バーミュラたちの居る方に。いや、その向こう側に。透き通る眼が見つめるのは、氷の柱。半断された竜の骸骨を閉じ込めた。


「憎らしや……恨めしや……小僧……覚えておくが良い……次こそは……次に出会ったときこそが」


 氷の中から聞こえる声に返事もせず、ランシャはただレキンシェルを高速で左右に振るう。氷の柱は無数の薄い板に分断され、上段から滑り落ちるように崩れていった。


「次などあってたまるか」


 氷の精霊の声はもう聞こえない。それはランシャにとって、一つの物語が終わった事を意味する。そこにバーミュラが近付き、ランシャの眼の奥をのぞき込んだ。


「ほんの一瞬でえらい変わりようだね。何があった」


 他の仲間たちは呆気に取られて見つめている。さて、どう説明すれば良いのだろう。ランシャは困ったようにリーリアを振り返ったものの、リーリアも首をかしげていた。




「アルハグラの軍勢はジクリフェルの魔族兵が正面から食い止めよう。周辺諸国の軍には首都リーヌラを攻めさせれば良い。あとは聖滅団がゲンゼルの首を取るだけで話は終わる」


 フーブ神殿の奥、背後に老爺ヤブを立たせて椅子で足を組む妖人公ゼタが話す。いとも簡単そうに。


 細かな彫刻が散りばめられた四角いテーブルを挟んだ向かい側には風の巫女が椅子に座り、背後を三老師が守っている。


「それは我らにとっては願ってもなき事」


 巫女は言う。


「されど、そちらに何の利がありましょう」


「アルハグラの滅亡はザンビエンの衰退を意味する。こちらにとってそれ以上の利はない」


 ゼタの答に、けれど巫女は無表情に問いを重ねる。


「ジクス殿はザンビエンを倒すおつもりですか」


「そうであったとして、何か問題でも」


「ザンビエンが倒れれば、青璧の巨人の封印が解かれます。すなわち百万の聖騎士が目覚めるのです」


「それを永遠に恐れよと?」


「人間は進歩し、進化するもの」


 巫女は小さく微笑んだ。


「これは魔族にも精霊にも聖騎士にもない人間だけの力。いずれ人間は百万の聖騎士を恐れる必要などなくなりましょう。けれどまだ、いまではない。ならばいまザンビエンを倒す理由はこちらにはありません。生け贄を与えず、力を弱めればそれで良いのです」


「弱まったザンビエンなら御する事ができるとでも考えているのか」


「フーブの御力をもってすれば」


「甘すぎて笑い話にもならない」


 ゼタは吐き捨てるようにそう言った。


「巫女では用が足りない。フーブを出しなさい」


 しかし巫女は微笑み首を振る。


「それは不可能というもの」


「不可能だと?」


「神と魔族では、立つ高みがまるで違います。同じ場所に並ぶ事などできるはずがありません」


 その言葉にゼタは不快感をあらわにする。


「ふざけるな。そもそもフーブは神などではない」


「いいえ。神を神たらしめるのは魔族ではありません。もちろん精霊でも聖騎士でもありません。それは人間にのみ許された事。人間が神であると信じている限り、フーブは紛れもなく神なのです」


「神ならば天使を遣わし、聖騎士を降臨させられるはず。だがフーブにはできまい」


「なすかなさないかと、できるかできないかは別の話ですよ」


「そんな屁理屈でたばかる気か」


 怒鳴りつけてやりたい気持ちをゼタは懸命に抑えた。そもそも今回のこの話は、危機に瀕しているダナラムをジクリフェルが助けてやろうというものだ。本来なら感謝されてしかるべきだし、どちらの立場が上かなど、子供でも理解できるはず。にもかかわらず。


「たばかっている訳ではなく、ただ事実を申し上げているだけです」


 何故この女はこうも上から目線なのか。


「つまり、我らの援助は不要と言いたいのか」


「まさか、そんな事は」


 巫女はまた静かに微笑む。


「こちらに断る理由はありませんし、あなたも断られては困るのでしょう。ならば利害は一致しているはずですよ」


 何故上から目線なのだ。




「いと賢き水の精霊よ、願わくはその力を貸し与えたもう」


 リーリアの左手で青い指輪が輝き、全身の傷が回復して行く。その向こうでは皆が車座になり、ランシャからザンビエンの夢の話を聞いていた。バーミュラは首を振る。


「何でザンビエンの夢に入り込んじまったのか? んな事はわからない。大方レキンシェルと月光の将の力がぶつかった事が原因なんだろうけどね」


「それはあり得る話なのか」


 たずねるランシャに、バーミュラは呆れた顔で答えた。


「私ゃこの世界で起きてるすべてを知ってる訳じゃないんだよ。断言なんぞできるもんかい。ただそんな変な事が起こっても、さして不思議じゃないくらいのデカい力が働いたって考えた方が無理がないだろう」


「なるほど、そういうものか」


「それで」


 バーミュラはまたランシャの眼をのぞき込む。


「とりあえず現状、どの程度の力が使えるようになってんだい」


 ランシャはしばらく考え込んだ。


「……たぶん、たぶんだが」


 そして顔を上げた。


「この人数ならまとめてチノールに飛べると思う」


 皆は驚いた顔を見せるが、バーミュラだけはため息をついた。


「飛べたって頭から地面に突っ込むんじゃ話にならないよ」


「それもたぶん大丈夫だ」


「たぶんは怖いねえ」


 するとバーミュラは懐から何かを取り出した。手のひらを包むほどの小さな布きれ。それを口元に当て、何やら呪文をつぶやくと、ふっと息をかける。その途端、布きれは十人が座れるほどの大きな厚い絨毯じゅうたんになった。


「ランシャ以外はみんなこれに乗りな」


 ルルとキナンジが、リーリアとタルアンが、そしてウィラットとバーミュラが絨毯に乗って座ると、音もなく浮き上がる。


「おおっ」


「空飛ぶ絨毯かよ、凄いな」


 みな口々に感想を言い合う中、バーミュラはランシャに命じた。


「私らはこれで戻る。おまえはまず集落に飛ぶんだ。飛んで行って、集落の連中に外へ出られる事を説明しな。その後チノールに飛んで戻るんだ。もし飛べそうにないと思ったら、歩いて戻っといで。いいね」


 ランシャがうなずくと、空飛ぶ絨毯はさらに音もなく一段高く浮き上がり、滑るように移動を始めた。タルアンの声がする。


「来るときもこれに乗せてくれれば良かったのに」


「馬鹿お言いでないよ。どれだけ疲れると思ってるんだい」


 絨毯は一瞬で加速し、地平の彼方へと飛び去って行った。

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