第25話 ドクロの仮面
風の精霊たちに連行されるランシャたちは、霊光まばゆい只中を進んだ。左右には精霊たちの姿。肌の色や服装、髪型、体の大きさは様々だが、基本的にみな人間のような姿をしている。その賑わいは、まるで祭のような。
「よそ見をするな。まっすぐ歩け」
背中を突かれてランシャは少しつんのめる。両手は後ろ手に縛られていて、倒れたら顔から地面に突っ込むところだ。もっとも、この厚い草に覆われた地面なら、ケガなどしないかも知れないが。
と、風の精霊たちの足が止まった。見れば前に人だかり――精霊だかりか――ができていて通れない。
「公務である! そこを通せ!」
そう怒鳴る声を背中で聞いた様々な精霊たちが、渋々その場を離れると、その向こうでは小さな精霊たち、もし精霊に成長の概念があるのなら、おそらく子供の精霊たちが、手に手に摘んだ草花を振り回して踊っていた。そして真ん中には背の高い精霊、黒い着物をまとい、漆黒のドクロの仮面をつけた者が、両手をヒラヒラと動かして舞っている。
「そら歌え、そら踊れ、そうれ、そうれ、そうれ、そうれ」
ランシャたちを捕らえた、風の精霊のリーダーと覚しき男が前に出た。目一杯に眉を寄せて。
「我らが王よ」
するとドクロの仮面は舞いながら視線だけを向けて笑った。
「おう、ズアラスではないか。おまえも踊れ」
「公務中にございます」
「固い事を言うな。そうれ、そうれ、そうれ」
「そもそも、王もご公務中ではございませんでしたか」
ドクロの仮面の下の顔が、苦笑したのがわかった。
「公務ばかりでは肩がこるぞ。気晴らしもたまには必要だ」
「気晴らしばかりでは困ります」
「それで」
仮面はランシャたちに目をやった。
「何を捕まえてきた」
ズアラスはほんの一瞬、困惑の表情を浮かべる。
「この者たちの取り調べは我々が」
「構わぬ。我が直々にここで取り調べよう。手間も省けるだろう、イロイロとな」
そう言ってゆっくりと近付いてくるドクロ面を、ズアラスは止めようとする。
「お待ちください、それは精霊王のなさる事では」
「精霊王だと?」
鋭い声を上げたのは、ルーナ。真っ黒なドクロの仮面は首をかしげた。
「どうした娘、この我が精霊王ザンビエンでは不服か」
ルーナの顔色が、さっと変わる。
「ふざけるな! 貴様などがザンビエンであるはずがない!」
そう叫んだ途端、頭と肩に何本もの手が伸び、ルーナを地面に押さえつけた。
「乱暴はよせ、大人げないぞ」
ザンビエンを名乗る黒い精霊は笑う。
「娘、面白い事を申したな。我がザンビエンではないと」
頭を押さえつける力に抗って、ルーナは顔を上げた。
「貴様はザンビエンではない。ザンビエンは、断じて貴様のようなヤツではない!」
「ならば、我は誰だと思う」
「……何だと」
「おまえは理解しているのか。おまえが知っていると思っている、おまえの中にあるザンビエンの姿は、ザンビエンの一部でしかない事を」
ルーナは目を見開き、抵抗をやめた。ドクロ面のザンビエンは、風の精霊の一人に手を差し出した。
「それを貸せ」
おずおずと差し出されたのは、ボロボロの小刀。黒い精霊王はしばしそれを見つめて、ふとランシャに目をやった。
「おまえの物か」
「そうだ」
フン、と鼻を鳴らすと、ザンビエンはこう言った。
「この三人を我の天幕に引っ立てよ」
青い聖剣リンドヘルドの、空を斬り裂くその速さ。風切の目と剣をもってしても、かろうじて受けるので精一杯。踏み込んで一太刀振るうなど、到底できそうにはなかった。せめてゲンゼルに疲労の色でもあれば機会もうかがえるのだろうが、それすらも見えない。まるで大人と子供、まったく歯が立たないと言って良い。だがやはり、感嘆の声をあげるのはゲンゼル。
「見事! 見事! よくぞここまで耐えた。よくぞここまで受け切った。その武勇、余が一族の
何回目、いや何十回目かのリンドヘルドの攻撃を受けて、風切の剣の一本が折れた。青い切っ先が喉元を行き過ぎるのを、風切は紙一重でかわす。
残る剣は一本。連れてきた部下たちも、もはや生き残ってはいまい。完全に失敗した。キリリアの峠に次いで、連続の任務失敗。弁解の余地などない。あと自分に残されているのは、風切の名を汚さぬ選択だけ。
風切は剣を両手で構えた。そして真正面から、大上段から振り下ろす。リンドヘルドの青い軌跡が、下から上に走った。剣を折られた感触。ならば次は、この身が上から下に斬り下ろされるのだろう。終わった。
だが重く固い音と共に、風切の目の前には火花が散った。青いリンドヘルドを受けているのは、真っ赤な刀身に黄金の刃。赤い目をした黒衣の女。
「済まないね、ゲンゼル王」
「魔族が何故邪魔をする」
ゲンゼルは動ぜず押し込む。妖人公ゼタは笑った。
「政治的配慮ってものがあるのだよ」
リンドヘルドは赤い刀を跳ね上げた。ゼタはそれに逆らわず後ろに飛ぶ。風切の首根っこを片手につかんで。ゼタの降り立った場所には老爺ヤブが風音を抱えて立っている。
ゲンゼルがリンドヘルドを両手で構えると、剣身に十字の線が走った。青白い光を放ちながら、リンドヘルドは音もなく四つに分かれて宙に舞う。
「魔族を斬っても誉れとはならぬ」
リンドヘルドの断片は四つの軌跡を描き、稲妻の速度で四方向からゼタを襲った。だがそれは阻まれた。ゼタは真っ赤な刀身を振り上げている。その先端から伸びるのは、長い長い黄金の鎖。それが宙に蜘蛛の巣模様を描き、リンドヘルドの攻撃を受け止めているのだ。ゼタはまた笑う。
「人間の使うリンドヘルドなど、所詮は猿真似。わが『土蜘蛛』を破る事などできぬよ」
「破れぬのなら」
ゲンゼルも笑った。地の底から沸き立つような声で。
「打ち砕くまで!」
リンドヘルドの四つの断片は、高速で回転を始めた。火花を上げながら、黄金の鎖を押し込んで行く。ゼタの口元が不愉快げに歪んだ。
「おのれ、人間ごときが」
そこに老爺ヤブが声をかける。
「閣下、そろそろ参りませんと」
一拍置いて、ゼタは小さくため息をついた。
「……仕方ないか」
次の瞬間、ゼタとヤブは風切と風音を連れて、何も言わず霧のようにかき消えた。リンドヘルドは砂丘の中に突き刺さる。
「ダナラムと結ぶ気か。愚かな」
そうつぶやくゲンゼルの顔に光が差す。日の出だ。
ダーナ連峰に少し遅れて陽光が届く。グアラグアラのフーブ神殿では、聖滅団が大聖堂いっぱいに広がり、入り口に剣を向けていた。背後の祭壇には長い銀色の髪の少女。
「魔族が聖域に何用ですか」
「聖域?」
差し込む朝の光を背に受けて、入り口に立つのは妖人公ゼタ。
「ここはタムールではあるまい」
そう言いながら、手に持っていた物を床に放り投げた。濡れたボロ雑巾のように床に落ちたのは、風切。ゼタの背後から現れた老爺ヤブが同じく放り投げたのは、意識を失った風音。
「友好の証だ、受け取ってもらえるかな。それとも敗北者は切り捨てるのかい」
「風切、起きなさい」
体を震わせながら風切は上半身を起こした。懸命に、必死と言っても良い。もう全身に力など残っていないだろうに、それでも起き上がり、膝をつき、そして片膝を立てて風の巫女へと頭を下げた。
「……戻りまして……ございます」
「よくぞ戻りました。して、成果はいかに」
風切は大きく肩で息をついた。
「……失敗いたしました」
しかし、それを聞いても風の巫女は微動だにしない。
「これで二度連続の失敗です。その重みを理解していますか」
「……死に値……するものと」
「なりませぬ」
巫女のその声と共に、神殿の中に強風が吹き荒れた。銀色の光が散りばめられた風。風切はその身に力が湧き上がるのを感じた。風音は目を開け、自らの居る場所に気付くと、慌てて体を起こしひざまずいた。聖滅団の団員の中から声が聞こえてくる。
「おお、奇跡だ」
「フーブ神の
ただの回復魔法ではないかとゼタは思ったが、いまはそれを口にしない。風の巫女は言葉を下した。
「風切、風音、あなた方には失敗の責任を取ってもらいます」
再び吹き荒れる風。それに押されるように、皆が思わず顔を上げると、大聖堂の天井近くに強い二つの銀色の輝き。
ヤブがささやいた。
「閣下、あれはもしや」
ゼタがうなずく。
「もったいぶらずに、最初から出しておくべきだったと思うけどね」
二つの光は雪のように舞い降りてくると、風切と風音の前に浮かんだ。
「手に取りなさい」
巫女の言葉に、風切と風音は光に両手で触れる。
風切の手には、銀色の盾が現れた。
風音の手には、銀色の槍が現れた。
「神盾グアラ・ザンと神槍グアラ・キアス。そなたたち二人の力と合わされば、リンドヘルドをも上回りましょう」
ヤブがまたささやく。
「アレはいささか言葉が過ぎるのでは」
ゼタが微笑んだ。
「いいや。『ゲンゼルの使うリンドヘルド』ならば、十分に上回れると思うよ」
風切と風音はそれぞれ神盾と神槍を押し頂く。それを見て、ようやく風の巫女はゼタに視線を戻した。
「さて、ではそなたの用件を聞きましょう」
「忘れているのかと思ったよ。覚えていてくれて何よりだ」
ゼタは笑顔でそう言った。
広いが、何の変哲もない天幕に見える。真ん中に玉座がしつらえられ、他にはランプの火が灯るだけ。ただベッドがない。寝所は別なのか、それとも。
ランシャとリーリア、そしてルーナは後ろ手に縛られたまま天幕の中に居た。外に見張りは居るのだろうが、中には誰も居ない。喋っても大丈夫だろうか。
「あれはザンビエンなのか」
ランシャの小声の問いに、ルーナは首をかしげた。
「おまえたち、ザンビエンの姿を知っているか」
「いや、魔獣という事しか」
そうだろうな、という風にルーナはため息をつく。
「確かに、ザンビエンは基本的に魔獣の姿を取る。だが人型になれない訳ではない。ただそれでも」
ルーナは遠い眼をした。
「あんな黒い服を着て、黒いドクロの仮面を身に着けたザンビエンなど、私は知らない。私の知るザンビエンならば、あんな姿を取るはずがない。ないのだが……」
「いまはそう思えない?」
そうたずねたのはリーリア。ルーナは小さく首を振る。
「よくわからなくなってしまった」
そして沈黙。するとリーリアはランシャを見つめた。
「よくわからないと言えば」
「え?」
「ランシャは何故、あの集落を助けようと決めたのですか」
それ、いま訊く事なのか。そんな顔でしばし呆気に取られたランシャだったが。
「……おかしいですか」
いささか居心地の悪そうにそう言った。リーリアは首を振る。
「いいえ、とても嬉しかったです。でも、何でかなって思って。だってランシャは人間が嫌いだと聞いていますから」
誰だ、余計な事を吹き込んだヤツは。とは思ったが、リーリアを問い詰める訳にも行かない。
「私は人間が嫌いです」
ランシャは素直に認めた。
「人間は嫌いだし、そう考える自分も嫌いです。だからできれば、自分が嫌う人間にはなりたくなかった」
「なりませんよ。あなたは絶対になりません。そう思える時点で」
力強く、リーリアは笑顔で断言した。
「あなたが人間を嫌いになる気持ちは理解できます。私も嫌いになりかけましたから。だから嫌いなままでもいいと思います。でもこの世界には、まだ小さな光があります。まだ闇に覆われてはいないのです。その事は忘れないでください」
――だけどたまに、ほんとに小さな小さな、砂粒みたいな大きさの、でもとっても綺麗な宝石が見つかることがあるんだよ
ランシャは言葉が返せなかった。それはそうだろう。小さな光は、砂粒みたいな宝石は、いまここにある。だがそれは奪われる宿命なのだ。ザンビエンの生け贄として。
胸の奥に棘の刺さったような痛みがある。それはともすれば見失うほど小さく、だがとても深い痛み。肉をえぐり、根を伸ばす。鼓動を早め、肺を握り潰す。その突如湧き上がった初めて知る感情に、ランシャは動揺し、考えた。やはり俺はザンビエンに食われるべきだったのではないか。こんな思いをするくらいなら。
そのとき天幕の入り口が開いた。あの黒いドクロ面のザンビエンが入ってくるのだろうと見つめた三人の目に映ったのは、一人の女。白い衣を身にまとい、その眼は青く澄んでいる。まるでランシャの眼のように。けれどそれ以外は間違いない、見覚えのある女。
「ゼタ!」
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