第24話 聖剣リンドヘルド
砕け散ったはずのレキンシェルの刃が輝くと、竜の骸骨の真下から真上に、一気に斬り上げる。
「愚かな! 一度で理解できぬ……」
笑う骨が、ズレた。
「……あ?」
離れて行く右半身と左半身。その断面は凍り付き、やがて氷は竜の骸骨の全身を覆って行く。
「馬鹿な、何が、何が起こっている」
「おまえの言う通りだ」
ランシャの体の周囲に、白い渦が巻き始める。
「俺は何も変わっていない。俺には何の力もない。俺ではおまえを倒せない。だから、力を借りた。たとえそれが何を意味しても、たとえこの身がザンビエンに食われても、おまえだけは許さない」
「ふ、ふざけるなっ! 氷の、氷の精霊たる小生を、氷で閉じ込めるなど! そんな、馬鹿げ……たっ……」
竜の骸骨は完全に凍り付いた。次の瞬間、周囲の茶色い枯れ草の海が消えて行く。灰色の曇り空は星空へと変わり、周囲に冷気はあるものの、それは懐かしい夜の冷たさだった。精霊の園は消滅した。
ただし消えない物が二つ。凍り付いた竜の骸骨、そしてランシャの周りの白い渦。それは闇の中でも白く輝き、立ち上がり、ランシャの全身を包んで行く。
「ああ、構わない。それでいい、ザンビエン」
だがその渦の中に、飛び込んで来る影。
「おやめ、リーリア!」
バーミュラが止めようとするが、渦の外周に別の渦が巻き、その前に立ちはだかった。ランシャの周りの白い渦は、リーリアの肌をカミソリのように切り裂く。
「よせ、来るな!」
しかしランシャの叫びもリーリアを止められない。
「ザンビエン、あなたの生け贄は私のはずです。奪うなら私の命を奪いなさい!」
「待て、やめろ! リーリア!」
ランシャが姫の名前を思わず呼んだ、そのとき。地表近くに突然現れた、おぼろな輝き。それがランシャの周りに巻く渦に飛び込んだ。カミソリのような渦は、しかしそれには傷をつけられない。ランシャは驚きの声を上げた。
「おまえ……あのときの」
そのおぼろに輝く人影は、右手の
暗闇の砂漠の真ん中に、突如現れる光の平原。無数の焚き火と
その中央の広大な天幕の中、ゲンゼルは一人ベッドで夜を過ごす。
その闇の中、不意に浮かんだ小さな赤い炎が周囲を照らす。と、ソトンとアトンの二人の道化が現れ、炎に向かってこう言った。
「立ち去れ立ち去れ、魔性の炎」
「ここは人の世、魔界にあらず」
しかしゲンゼルはゆっくりと体を起こし、こう言った。
「騒ぐな。ただの影だ」
炎は一瞬大きくなったかと思うと、すぐにまた小さくなる。そして炎から腕が生え脚が生え、頭が生まれて人の姿となった。小さな子供の姿。ブカブカの鎧を着込んだ、三本角の。しかし半透明で、向こう側が透けている。
「君はホント強い子だね」
炎竜皇ジクスの影は言った。
「だけど、フーブには勝てないよ」
「こんな夜中に現れて何を言うかと思えば、くだらぬ」
ゲンゼルはいささかの動揺も見せずにつぶやく。ジクスは首をかしげた。
「本当にそうだろうか」
「余は人の王、神々の
「それこそ人の理屈だね。フーブはそう考えない」
「まるでフーブの考える事がわかるかのような口ぶりだな」
「ボクにはわかるんだ」
「ならば何故争う。わかり合う者に争いなど無用のはず」
「フーブにはボクの気持ちがわからないからさ」
ジクスは悲しげに笑った。
「いまのフーブはもうボクらの知る
「人間の事なら何でもわかると言いたい訳か」
ゲンゼルは鼻先で笑う。ジクスはうなずいた。
「君はこの先の展開をどう読んでいるの」
「アルハグラとダナラムの間に戦端が開かれれば、周辺の諸国・諸侯がダナラムの側に立って蜂起しよう」
「それはわかってるんだ」
「アルハグラの軍はダナラムを打ち倒した後、周辺に転戦させる」
「それで? ガステリア大陸を平定する?」
「連中が理解していないのは、大軍とは停止しているときに最も負担が重くなるという事。移動し続ければ負担は軽くなる」
「それは兵站的な意味合いだよね」
「そうだ。すべてを略奪し、蹂躙する。戦争に勝つとは相手の剣を折る事ではない。その剣を支える物を奪い尽くす事だ。それは大軍によってのみなし得る。いかなる魔法を使おうと、いかなる神を奉ろうと、数なき戦に勝機などない」
ジクスはふっと笑った。
「昔、ギーア=タムールが同じような事を言っていた気がする。封印されちゃったけどね」
「同じ
そしてゲンゼルはこう続けた。
「魔族とは人間と契約し、力と命と意義を得る存在。その
これを聞いて、ソトンとアトンがまた顔を出す。
「そーだそーだ!」
「理に従え!」
ジクスは笑顔で目を伏せた。
「……君と話せたのは有意義だった。これが最後になるにせよ。ボクらはザンビエンを倒すよ。アルハグラに未来はない」
「その『ボクら』とは、ジクリフェルの事だろうな。もしそれ以外を考えているのなら、やめておけとしか言えぬ」
「君はホントに優しいね。それじゃ」
ジクスの姿は音もなく、突然に消え去った。ゲンゼルは苦々しげにつぶやいた。
「優しさを捨てきれぬのはどちらだ」
そして立ち上がり、青い大剣を手に取った。
「ソトン、アトン、周辺を探れ。ダナラムのネズミどもが近付いているはずだ」
夜の空。満月が出ている。風を感じる。だが冷たさはない。横たわる体の下に広がる柔らかさも、砂や土の感触ではない。これは、草か。どこだ、ここは。
「ランシャ、目が覚めましたか」
月光に浮かぶシルエット。左手のすぐそばにしゃがむのは、リーリアか。
「姫様……ここは」
「それが、わからないのです」
わからないとはどういう事か。ここはチノールの北の集落、その手前辺りの土漠のはずだ。バーミュラかルルにでも聞いてみればいいのに。半ば呆けた頭でランシャが上半身を起こすと、足の先に立つ人影が一つ。
何だか妙だ。その方向だけ明るすぎる。その光の中、背を向けて立つ姿には見覚えがない。いや、待てよ。まるでない訳ではない。この姿は知っている。どこで会った。どこで見た。どこで……
「!」
ランシャは跳ね起きた。それが誰か理解したのだ。
「やっと気が付いたか」
「おまえは、月光の」
そう、おぼろな輝きが見えないが間違いない、月光の将ルーナがそこに居た。
「戦場で寝ぼけるなど、緊張感が足りない。殺してくれと言わんばかりだ」
光の中に浮かぶ横顔は、苦笑しているようにも見えた。ランシャは慌ててリーリアを後ろに回すと、レキンシェルを探す。だが見つからない。
「レク、どこだ」
返事はなかった。しかし前を見れば、光の中でルーナが何かを手にしていた。
「これを探しているのか」
そこにあったのはボロボロの小刀。ランシャは奥歯を噛みしめる。レキンシェルが奪われているのであれば、もはや攻撃する手段はない。あとできる事は何だ。打つ手は何かあるはずだ。何か。せめてリーリアを逃がさなければ。
と、ルーナは不意に「ほら」と小刀を放り投げた。思わずランシャは受け取る。
「いま隙ができたぞ」
ルーナは静かに言った。
「隙を見せるな。無駄に死にたくないのならな」
ランシャはしばらくレキンシェルを見つめると、再びルーナに目をやった。
「何でこれを返してくれる」
「たぶんここでは使えないだろうから」
その通り。レキンシェルに力を込めても、刃は生まれなかった。ルーナは小さく笑う。
「心配するな。私の力もここでは使えない。まあ、それでもおまえよりは強いけどな」
その様子に安心した訳でもないのだろうが、ランシャはさっきから気になっていた事をルーナにたずねた。草に覆われた大地。そして木が、周囲に不規則に立ち並んでいた。ここは林の中なのだ。
「ここはいったい、どこなんだ」
「さっきその姫が言っただろう。わからないんだよ。草木が生い茂っているところを見ると、ガステリアの南かも知れない。けど何だか違う気もする」
するとランシャはルーナの方を、いや、その背後に指先を向けた。
「そっちに行けば街があるんじゃないのか」
しかしルーナは首を振る。
「残念だが、あれは街の明かりじゃない。自分の目で見てみるといい」
少し躊躇したが、ランシャはルーナに近付き、その隣に立つ。そこは小高い丘になっており、斜面の下に光が広がっていた。点々と灯る、かがり火や松明とは違う、風に揺れる事のない幻想的な白い明かり。
「これは……何だ」
「霊光。精霊の放つ光だ。見るのは初めてか」
うなずくランシャの素直さに、ルーナはまた小さく微笑んだ。
「まあ無理もない。これだけの数の精霊が光を放ちながら集まるなど、ザンビエンの率いた精霊軍以来なかった……」
言い終わる前にルーナは振り返った。蠢く気配にランシャはリーリアの手を引く。展開する霊光が周囲を取り囲んだ。中の一つがランシャたちの眼前まで近付いて来る。
「風の精霊か」
そのルーナの言葉に反応したかのように、眼前の光は変形し、人間の姿を取った。長い袖に裾、口元まで覆う高い襟のいかめしい白服をまとう、背の高い男。
「よく見抜いたな」
風の精霊の男はルーナ、ランシャ、リーリアを見回し、眉を寄せる。
「おまえたちは何者だ。こんなところで何をしている」
「言っても信じてもらえないだろうが、我々も何故ここにいるのかを知りたいのだ」
ルーナの言葉に、男は不愉快げな顔を見せた。
「そこの二人が人間なのはわかる。だが、おまえはそうではない。かと言って、精霊でも魔族でもない。いったい何者だ」
「それは言えんな」
「全員捕らえろ」
男が命じると、背後に浮かんでいた霊光はみな人の姿に変わり、ランシャたちに迫る。
「抵抗はするなよ」
ルーナはそう言い、両手を上げた。
沸き立つような声が上がった。野営地を飛び出た精鋭部隊千名が、巨大な二重の円を描くように松明を持って走り、砂丘を大きく取り囲む。その中央を切り開くように進むのは百名の近衛兵。先頭のドルトの上にはゲンゼルの姿。右手に青い大剣を掲げて。
千の松明に照らされる砂丘の頂は、ボンヤリと闇に溶けている。そこに立ち上がった人影。黒い僧衣に鳥の翼を模した鉄の仮面。松明の火では見えないが、仮面の中央には赤い線がある。迫り来るゲンゼル王を迎え撃つべく、腰の後ろに差した二本の剣を抜く。
ゲンゼルの乗るドルトは砂丘の中腹で足を止めた。
「名を聞こう」
「風切」
風切の背後には、二十人ほどの黒い僧衣の者たち。ゲンゼルはドルトを降りた。
「聖滅団は攻めの駒。風の巫女はその意味をよく理解している。貴様らは守りには使えぬからな」
青い大剣が水平に伸びる。切っ先を風切に向けて。
「一度だけ言おう。我が軍門に降れ、風切」
「光栄には感じよう。だが、それだけだ」
風切は前に出た。速い。足は砂を跳ね上げる事なく、一瞬でゲンゼルの胸元にまで走った。しかしその首元に追いつくゲンゼルの青い大剣。風切は二本の剣を交差して受けると、真横へ直角に飛んだ。
風切は目をみはる。ゲンゼルは身の丈ほどもある青い刃を、右腕一本で振り抜いていた。けれど感嘆の声を上げたのはゲンゼルの方。
「ほう、鍛錬によって得たその力、見事」
そう言うと、まるで子供が小枝を振るように、片腕で軽々と大剣を振るって見せた。
「近衛隊、聖滅団を討ち果たせ!」
百人の近衛隊が、聖滅団に襲いかかる。それを見ながらゲンゼルは、嬉しそうにニッと歯を見せた。
「この聖剣リンドヘルドの一撃、どこまでかわせるか。果たして」
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