第23話 精霊の園

「何で人間嫌いのくせに、人助けなんかしようとするかね」


 ルルは不満タラタラに文句を言いながら、集落に向かって歩いた。まだ周囲の様子に変化はないが、冷たい風は勢いを増している。


「ひえーっ、寒いなこりゃ。毛布が欲しいや」


 キナンジは震えた。他の面々も寒そうに腕や体をこすっている。平気そうなのはジャイブルとランシャだけだ。


「気をつけよ。そろそろ来るぞ」


 黄色い精霊がそう声をかけた途端、周囲の様子が変わった。茶色く枯れた草の海。前はもちろん後ろにも延々と続く平原の、そこかしこに落ちる大きな氷の塊。


「これが、精霊の園」


 リーリアのつぶやきには、失望がのぞいた。確かに精霊の飛び交う摩訶不思議な場所と言うよりは、ここは凍った死の世界。ジャイブルはうなずいた。


「やはりな。もうこの地に精霊は居ないのだろう。ここは精霊の園の残骸だ」


「問題は、その残骸への入り口が、何でこんなところに転がってるのかって事だ」


 バーミュラの声には緊張がある。


「ついこの間まで集落に出入りできたんだ、ここへの入り口はそれまで存在してなかったはずだよ。偶然できたってかい? 奉賛隊がやって来る直前に? そんな偶然あるのかね」


 ウィラットは灰色の空に向かって魔弓を構えた。だが。


「ここは千里眼が効かないようです」


「千里眼どころか、ここで使えるのは、腕と頭と精霊の力だけだ」


 そのジャイブルの言葉にタルアンが驚いた。


「そういうのは先に言ってくれないと!」


「たずねもせずに何を言うか」


 ツンと鼻を上げるジャイブル。ランシャは腰の小刀を手にした。少し力を込めると、羽根のように軽く長い、白い刃が現れる。


「これは使えるのか」


 ジャイブルは呆れ返って目を剥いた。


「当たり前だ。ザンビエンを何だと思っている。精霊の王だぞ」


 そこにけたたましい笑い声が響き、みなギョッとしてランシャの方を振り返る。


「魔獣って言うから魔族だとでも思ったか。ザンビエンは正しくは精霊王。魔獣は人間のつけた蔑称だよ」


「レク、なのか」


 戸惑うランシャに、レクの声が返す。


「そう驚くこたあない。精霊の園ではオレっちの声だって聞こえるさ」


「だったら丁度いい。おまえの考えを聞かせな」


 バーミュラがレキンシェルにたずねる。


「この氷だらけの冷たい場所をどう思うね」


「ふん、まあ氷の精霊はザンビエンだけじゃないからな」


 これにジャイブルが異を唱える。


「氷の精霊が居るというのか。こんな寂しいところに」


「精霊がみんな寂しがりじゃねえよ。もし本当に精霊が誰も居ないんなら、この園は消滅してなきゃおかしいだろう。それとな」


 ランシャの右腕が勝手に動いた。レキンシェルの刃の先端が、少し離れた枯れた草むらの中を指す。そこには白い物が転がっていた。氷ではない。白くて丸い、人間の頭蓋骨。


「気をつけろよ、精霊には人を食うヤツも居るんだ」


 そう言った次の瞬間、レキンシェルの切っ先は空を向いた。そして頭上を丸く切り払う。連続する金属音、次いで地面に降り立ったのは、黒い人影が五つ。いや、六つ目の影がいつの間にやら背後に迫っていた。黒い僧衣に鳥の翼を模した鉄の仮面。


「聖滅団! 何でこんなところに」


 驚きはするが、しっかり剣を構えるキナンジ。背中を預けるのはルル。


「嫌な展開しか思いつかないけどね、まったく」


 仮面の真ん中に白い筋の入った、六つ目の影が前に出る。


「おっしゃりたい事はあるでしょうが、これも戦とご観念ください」


「ランシャ!」


 バーミュラが声を飛ばす。


「親玉は任せたよ! ウィラットはそれ以外を狙いな! タルアン、死にたくないならジャイブルに身を守らせるんだ!」


 風音は小さくため息をついた。


「やれやれ、口の立つ魔道士が、こうも厄介とは」


 腰の後ろに差す、二本の細い剣を抜く。その前に立ちはだかるのは、レキンシェルを構えたランシャ。しかし瞬きをする余裕もない。風音は一瞬で距離を詰める。咄嗟にランシャの振った魔剣を、相手は両手の剣で軽くいなした。


「風切を退けたという魔剣の威力、見せてください」




 魔弓キュロプスの魔力は精霊系の力ではない。これ自体が弓の姿をした一個の魔物。よって精霊の園で異能は発揮できない。しかし魔力を封じられようと、強力な弓である事に変わりないのだ。


 ウィラットの高速弓射が冴える。瞬く間に聖滅団を二人倒した。だが残る三人は枯れた草の海の中、周囲をグルグルと走る。それでも狙おうと思えば狙えない訳ではない。他の仲間に矢が当たる可能性を考えないのなら。特に飛び回るジャイブルは邪魔だった。


 一方のジャイブルにとっても、ウィラットは邪魔。走り回る相手に稲妻を落とそうにも、どうしても長い弓を構えるウィラットが視界に入る。共に同じ敵を狙っているのだから当たり前だ。効果と効率を考えるのなら役割を分担すべきなのだが、ジャイブルに自分からそれを言い出すつもりはなかった。




 軽い。レキンシェルはいつも以上に軽かった。ランシャの眼も、風音の動きについて行けている。けれど、それにかえって戸惑ってしまった。いつもとは違う、湧き出す力が手に余る感覚。ともすれば暴走しそうになるそれを、懸命に抑えながら魔剣を振るった。


 ただし、力はあっても技術がない。剣の扱いでは相手の方がはるかに上。スピードでは追いつけているのに斬れない、そんなもどかしい瞬間が続いた。


 もっとも、風音にとっては面白くない展開である。こんな下手くそな、剣の使い方も知らない素人が、自分の速さに追いつくどころか、圧倒しようとしているのだから。これが精霊の園のもたらす力であったとしても、風音のプライドが傷つかない訳がない。何とかして挽回し、押し返し、ねじ伏せようとした。


 その思いが焦りを呼び、焦りは隙を生む。


 ランシャに向かって振るわれた風音の剣の一本が、突然宙に弾き飛ばされた。全身を走る衝撃。それがジャイブルの稲妻の一撃だと、狙い撃たれたのだと気付いたときにはもう遅い。レキンシェルの真っ白い刃が風音の胸を貫かんと迫る。


 チン。


 軽く微かな硬い音。魔剣レキンシェルの刃の先端を、黄金の鎖が止めていた。その向こうに立つのは、体の線にフィットした黒い衣をまとう女。赤い瞳が燃えているよう。ランシャはそれを覚えていた。


「おまえ!」


 慌てて距離を取ったランシャに、女は背を向ける。その視線の向かう先は、倒れた風音。


「どうだ、魔族は義理堅かろう」


 女の背後には、いつの間に現れたのか、白い服を着た小柄な老爺が身構えている。


「閣下、ご冗談が過ぎまするぞ」


 しかし女は振り返ると、楽しげに微笑んだ。


「それよりもヤブ。覚えているか、この小僧」


「はい、いつぞやの盗人でございますな」


「そう、あの晶玉しょうぎょくまなこだ。こんなところで再会するとはね。やはり殺しておくのだった」


 女は黄金の鎖を手に握ると、軽く一振りした。その瞬間、それは真っ赤な刀身に黄金の刃紋を浮かべた一本の長刀となる。ここでは精霊の力以外は封じられているのではなかったか。そのことわりを凌駕する力を持つというのか。


 そのとき、ランシャの背後から唸りを上げて矢が飛んだ。それをヤブが素手でつかむ。


「ランシャ、下がりな!」


 バーミュラの声が響いた。


「そいつは妖人公ゼタだ、一人で相手はできないよ!」


 何とか聖滅団を退けたバーミュラたちが、ランシャの背後に並ぶ。ゼタは鼻先で笑った。


「魔道士バーミュラか。知恵者は厄介だな」


「では最初に潰しておきますか」


 ヤブが一歩前に出たときである。


「約束を違えるつもりかね」


 灰色の空から聞こえてきた声。そして落下してくる無数の白い塊。茶色く枯れた草の海に次々に落ちるそれは、やがて集まり形をなした。一群の骨に。ランシャは息を呑んだ。目を奪われた。言葉を失った。そこに居たのは、竜の骸骨。


 もはやランシャはゼタを見ていない。その機に乗じてヤブが前に出ようとした。だがその足下に氷の棘が突き出す。


「貴様、邪魔をするか!」


 悪鬼の形相で牙を剥き出すヤブに、竜の骸骨はこう言った。


「小生が魔族ごときの口車に乗ってやったのは、ここに迷い込んだ人間は、すべて小生に与えられると約束したため。それを違えると言うのなら、こちらにも考えがある」


「おのれ、言わせておけば」


 いまにも飛びかからんとするヤブを、ゼタは止めた。


「おやめ、ヤブ」


「しかし閣下」


「構わない」


 そして竜の骸骨に微笑む。


「元より我らは約束を違えるつもりなど毛頭ない。ここに居る人間は貴殿に差し出そう。ただし」


 その両手の中に突然現れたのは、気を失った風音の体。


「一人だけ連れて行かせてもらっても、許してもらえるだろうか」


 竜の骸骨は首をかしげる。考えているようだ。


「ふむ……まあ、一人だけならば」


「友好的な配慮に感謝する。では諸君」


 ゼタはランシャを見つめた。


「二度と会わずに済む事を祈っているよ」


 その直後、ゼタとヤブ、そして風音の姿はかき消えた。竜の骸骨は満足そうにうなずく。


「さて、これで邪魔者は消え去った。残ったのは小生、そして」


 骸骨がカタカタ音を立てる。笑っているのだ。


「諸君ら生け贄だけ」


「いと猛き炎の精霊よ! いと強き大地の精霊よ! その力もて岩をも溶かされん事を!」


 バーミュラの絶叫と共に熱風が吹き、竜の骸骨が立つ地面が赤く輝いたかと思うと、空に向かって伸びたのは、十本の溶岩の触手。それらは互いに絡み合いながら、包むように竜の骸骨にまとわりつく。


「おお、いきなり精霊魔法の合わせ技とは大胆な。されど」


 溶岩の触手は一気に黒く固まり、一瞬で氷に覆われる。そして硬い音を発して砕け散った。


「小生には通じないのでありました」


「こりゃ洒落になんないね、何て冷気だい」


 バーミュラは半ば呆れたようにつぶやいた。


「おや、もう降参するのかね。退屈な。やれ退屈な」


 骸骨はまたカタカタ音を鳴らす。


「もっと頑張りたまえ。もっと抗いたまえ。もっと小生を楽しませるために踊るのだ」


 そう言う骸骨の頭頂部に、連続して稲妻が落ちた。しかし。


「この程度ではダメ。まるでダメ」


 竜の骸骨は大仰に首を振る。ジャイブルが悔しげに空中で地団駄を踏んだ。そこに聞こえてきたのは、ランシャの声。


「……クラム・カラムを覚えているか」


 竜の骸骨は首を傾けた。虚ろな眼窩をランシャに向ける。


「いいや。大変に申し訳ないが、その名は覚えていない。それが何の名前であるか心当たりもないほどに。小生は物覚えが悪くてね。ただし」


 カタリ、骸骨が鳴った。


「君の事は覚えているよ、少年」


 皆がこちらを見ている。だがそれに気を回す余裕など、ランシャにはなかった。骸骨は続ける。


「君はあのとき雪の中にいた、無力で、役立たずの、愛する者を見殺しにした、弱くて愚か、卑怯で惨めな悲しい子供だね。ああ、何たる不条理」


 レキンシェルの白い刃が宙を走った。その長さ、普段の十倍はあろうか。だが切っ先は竜の骸骨に触れたまま動かない。


「馬鹿野郎、氷の魔剣で氷の精霊を斬れる訳がないだろうが!」


 バーミュラが怒鳴るが、ランシャは剣を引かない。カタカタカタ、竜の骸骨は笑う。


「罪の償いでもしようというのかね。それとも魔剣を手に入れた事で、自分が強くなったと勘違いしたか。もしくは戦う姿を見せる事が、死者への弔いになると本気で信じているとか」


「だめですランシャ、逃げてください!」


 リーリアも叫ぶ。しかし竜の骸骨の前足は、レキンシェルの刃を握った。


「無駄なり。無意味なり。無価値なり。何故ならこの世界はとことん不条理にできているのだから。君の得た力など、最初から何もなかったのと同じなのだよ!」


 レキンシェルの白い刃は、脆いガラス細工のように砕け散った。不意に支えを失ったランシャの体は宙を泳ぐ。


「……力を」


「そう、君は力を得なかった! すべては錯覚! すべては妄想! 君はあのときと何も変わってなどいないのだ!」


「力を」


 ランシャは何とか立っていた。いまにも崩れそうではあったが。竜の骸骨はカタカタ笑い、その口を大きく開く。


「良い表情だ少年、その砕けた心のまま、不条理な死を迎えよ!」


 白骨のあぎとがランシャに迫った。


「ランシャぁっ!」


 それはいったい誰の声だったか。


――ランシャ


「力を貸せ、ザンビエン!」

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