第20話 ウルネーザの流砂帯

 チノールの街まであと一日ほどという距離で、奉賛隊の隊列は止まった。


「縄を伸ばせ」


 隊長は命じ、伸ばした縄ですべてのドルトを一列に結ぶ。そして伝令を走らせ、隊の隅々にまで命令を行き渡らせた。


「この先にウルネーザの流砂帯がある。全員ドルトから離れるな。離れたヤツは死ぬと思え」


 大水路は相も変わらずまっすぐ伸びている。しかしここから先しばらくは、大水路に沿って歩けない。


「砂丘のてっぺんを歩くんだ。少しでも平坦な場所には近付くな。あと、空を飛ぶ練習も今日はなしだ」


 伝令を請け負ったナーラムがランシャに言った。


「迂回する訳には行かないのか」


 不満げなランシャにナーラムは首を振った。


「行かねえな。流砂帯は危険な場所だが、道はハッキリしてる。それに、キリリアの峠みたいに側面から襲われる心配がない。ある意味一番安全な場所なんだよ」


「普通に考えれば、か」


「普通じゃない連中を相手にしてるのはわかっちゃいるが、だからって考えすぎてもしょうがねえだろ。普通に考えるしかあるまいよ」


 ナーラムはランシャの肩をポンと叩くと、隊列の後方に走って行った。




 流砂の発生する場所は、かつてのオアシスだったと言われる。大昔に都市の栄えたウルネーザはまさにそう。ここでは砂が水分を含み、地盤が極端に崩れやすくなっているのだ。灼熱の太陽に照らされて表面の砂は乾いているように見えるが、その下には人を飲み込む罠が隠れている。


 水の匂いに敏感なドルトは、流砂を避けると伝えられる。一列に並んで進むドルトの両脇に身を寄せるように、奉賛隊は砂丘の頂を進んだ。おそらくこの場所の両脇に流砂帯が広がっているのだろう。


「この、これはいつまで続くのだ」


 タルアン王子がドルトの羽毛にしがみつきながらたずねた。バーミュラは平然と歩いている。


「そうさね、この先半日も歩けば砂漠が土漠に変わるはずだ。あちこちに草や背の低い木が生えるようになる。そうなりゃ流砂帯も終わり、チノールの街まであと一歩ってとこだろう」


「半日か、それはまた随分続くのだな」


「弱音を吐くんじゃないよ。人の上に立つ者がそれじゃ示しがつかないだろ。妹を見習いな」


「そういうのは父上にも兄上にも姉上にも言われ飽きた。もう何とも思わんぞ」


 タルアンは勝ち誇ったかのようにニッと笑う。バーミュラは呆れ返った。




「ドルトを引けい!」


 ゲンゼル王は立ち上がった。その手に青い大剣を掲げて。大臣たちは取り乱している。


「お待ちくだされ、王よ」


「左様、やはりいくら何でもダナラムと戦争とは」


「せめてここよりお命じください。王が前線に立たれるなど」


「黙らぬ者は首をねる」


 王のそれが口先だけではない事は、誰もがよく知っている。沈黙の広がる玉座の間に、重々しい甲冑の足音が。大臣たちの背後から、銀色の鎧を身にまとった大柄な男が現れる。


「ドルトの準備、完了いたいしましてございます」


 ゲンゼル王は玉座より降りると、その大柄な男に向かってこう言った。


「将軍、ジヌー、ヒサ、クスカの各村に二万ずつ軍を進めよ。本体は余が合流するまで待機」


「はっ」


「ラハム」


 そして壁際に立つ華奢な第一王子に目をやる。


「はい、父上」


「余が戻るまで、内政は貴様が取り仕切れ」


 ラハムはうやうやしく頭を下げた。


「承りましてございます」


 その返答をを確認するやいなや、王はマントをひるがえし、玉座の間より歩み出た。その足下にまとわりつくように転がる気配が二つ。


「争う? 争う? 人間同士」


「漁夫の利をあちこちバラ撒くの?」


 ソトンとアトンの二人の道化に、しかし王は目をやらず、ただこうつぶやく。


「人なればこそ、だ」




 『遠目』のツアト師がうなった。


「ふむ、動きおったわ」


 『早耳』のコレフ師が苦笑する。


「ゲンゼルもまだまだ若いのう。血気盛んよ」


 ツアト師は困ったような顔を見せる。


「笑うておる場合ではないぞ。アルハグラの軍勢を正面から止められるだけの戦力は、この国にはない」


 コレフ師は首を振る。


「いやいや、正面から止められぬのなら、正面から止めねばよろしかろう」


「その通り」


 そこに聖殿の奥から姿を見せる風の巫女。


「いまこの国には彼がおります。これぞ僥倖、我らが神フーブのお導き」


「では、いかがいたします」


 ツアト師の問いに、風の巫女は『大口』のハリド師を見た。


風切かぜきりに伝えなさい。ゲンゼルの首を取れと」


 ハリド師はうなずき、口を開いた。




 奉賛隊は疲れていた。いつもなら休憩する時間帯に、止まらず歩き続けていたのだから。いまはまだウルネーザの流砂帯を抜けていない。ここを抜けるまでは休むに休めない。


 重い足取りで砂丘の頂を進む一行の前に、何かが見えた。それは人影。砂丘の頂を、反対側から歩いてくる。


「止まれ!」


 隊長のそれは隊列に向けての言葉だったが、歩いてくる人影も止まった。黒い僧衣を身にまとい、腰の後ろに二本の刀。顔には鳥の翼を模した鉄の仮面。その真ん中に白い筋が入っている。聖滅団。隊長は周囲に素早く目を走らせた。だが他に動く者は居ない。


「私一人ですよ」


 相手は女の声でそう言うものの、それをマトモに信じる訳には行かない。何かあるはずだ。しかしその心を読んだかのように、女は笑った。


「何もありませんよ。だってこんなところに大人数を持ってきたら、かえって身動きが取れなくなるでしょう。あなた方のように」


 そして再び近付いて来る。隊長たちは剣を向けた。その目の前で、人影は音もなく飛び上がると、隊長たちの頭を飛び越え、まるで体重がないかのようにドルトの背に立った。ドルトは驚きも暴れもしない。


「あなた方には用がないので。それでは」


 黒い影はピョンピョンとドルトの背を次々に飛び、列の後方に向かった。


「待て、この野郎!」


 隊長たちは懸命に追いかけたが、スピードがまるで違う。あっという間に聖滅団の女は列の中央、リーリア姫の居る場所までやって来た。ランシャとウィラットが身構える。けれど、女はそこを通り過ぎて行く。


「何だい、ありゃ」


 バーミュラが振り返り首をひねる。そこに列の後方から、わっという声が。ランシャとウィラットが走ると、誰かが聖滅団の女に捕まっている。ランシャの背筋に冷たいものが走った。小柄で赤い髪。ニナリだ。


「こいつ、何しやがる!」


 近くに居たルオールがつかみかかったが、女の回し蹴りが一閃、砂丘の下に落とされた。ルオールの体の下の砂が一気に崩れて行く。流砂だ。飲み込まれようとする寸前、その襟首をイルドットがつかんで引き上げた。


 ニナリの首を締め上げる女の口元に笑みが浮かぶ。その目はランシャを見つめている。


「さて、君はどんな選択をするのでしょう」


 そう言うと、腕を振るった。ニナリの体が宙を舞い、落ちた。流砂帯の真ん中に。


「行くんじゃないよ、ランシャ!」


 バーミュラの声が飛ぶ。


「自分の役目を思い出しな!」


 思い出す。


 思い出す? 何を。


――ランシャ


 リン姉。


 ランシャは飛んだ。流砂の只中に。


 ウィラットはキュロプスを構え、ようとした。目にも留まらぬ速さで。なのに魔弓は宙に蹴り上げられ、両腕は切り裂かれた。


「無理ですよ」


 女は微笑む。


「速さだけなら、私に勝てる者など居ません」




 ニナリの体が沈んで行く。もがけばもがくほど、より流砂に飲み込まれる。


「ランシャ……ラン……」


 とうとう頭まで飲み込まれた。見えているのは、もう伸ばした手の先だけ。それすらも沈んでしまおうとした寸前、ランシャの手が何とか捕まえた。とは言え、そのランシャの体も流砂に沈んでいるのだ。もはや万事休す。




「ジャイブル!」


 タルアンの指輪から飛び出した雷の精霊は、しかし稲妻を放つ前に、剣の鞘で叩き落とされた。


「想定済みです」


 そして女はようやく本命を、リーリア姫を見つめた。恐怖に息を呑む姫の前に浮かび上がる水の壁。女は感心した声を上げる。


「おや、呪文も術式もなく現出させるのですか。これは凄い。ですが」


 女はその外側を一瞬で回り込んだ。明らかに流砂帯の中に踏み込みながらも沈む事なく。二本の刃が姫に迫る。


「お覚悟」


 その声がリーリアの耳に聞こえるのと、どちらが早かったろう。頭が。ランシャの頭が、女の腹に突っ込んでいた。




 服に水が染み込んで来る。流砂に飲み込まれながら、ランシャはここに水が豊富である事を知った。水があるのなら、レキンシェルで凍らせれば。


――そんな事をしたら、おまえもそのガキも氷漬けだよ


 頭の中に響くバーミュラの声。だがこのままなら飲み込まれ死ぬだけだ、一か八か賭けるしかない。


――デキの悪い小僧だね。こういう時こそ頭を使うもんだよ


 ではどうすればいいと言うのだ。混乱するランシャの頭がついに流砂に沈んだとき。


――飛びゃあいいだろう。おまえ、着地はできなくても飛べるじゃないか。いいかい、目標は聖滅団の女だよ。千里眼でよっく狙いな。さあ、飛べ!


 ランシャはニナリを抱き寄せて飛んだ。




「ふんごぁっ!」


 珍妙な声を上げて女は突き飛ばされたものの、ドルトが壁になって流砂の中には落ちない。とは言え人間二人分の重量に直撃されたのである、さすがに無事とは言えなかった。


 ようやくたどり着いた隊長が大剣を振り下ろす。女は宙に舞い上がりドルトの背中に乗ったが、そこにレキンシェルが一閃。けれど狙いが定まらず、飛び上がる足下をかすめただけに終わった。


 ドルトの上を跳び、再び隊列の先頭方向に向かう女をランシャたちは追おうとした。その背中に。


「いまのはちょっとビックリしました」


 背後から聞こえた女の声。ランシャは思わず振り返った。誰も居ない。けれど気のせいではない。何故なら隊長もバーミュラも振り返っていたからだ。その一瞬の隙に、女は遠ざかって行く。


「またお会いしましょう」


 どこからともなく聞こえる女の声。バーミュラがフンと鼻を鳴らした。


「こりゃあ『大口』のハリド系統の能力だね。気色の悪い」


 ハリド、キリリアの峠で聞こえたあの大声か。そこまで考えたランシャは足の力を失った。ガクリと膝をつく。


「ランシャ!」


 リーリアが思わず駆け寄り、バーミュラがのぞき込んだ。


「そのまま寝転びな。頭打ってるからね、結構ヤバいよ。リーリア、ランシャとウィラット、それとそこの小さいヤツも回復しておあげ」


 小さいヤツと聞いてようやくランシャは、ニナリを忘れていた事に気が付いた。顔を向けるとニナリは倒れて動かない。ルオールが体を揺すっている。


「おいニナリ、おい、おい起きろよ。ニナリ!」


 その目がランシャに向けられた。怒りに満ちた目が。


「ランシャ、てめえ!」


 後ろからルオールの肩をつかむのはイルドット。


「やめなよん。気を失ってるだけだからさん」


「うるせえ! 放せ!」


 乱暴に手を振りほどくルオールに、イルドットは冷たくこう言い放った。


「ランシャに当たるのは筋違いだろん。自分のした事を考えてみなん」


 何を言われているのか、しばらく理解できなかった。だが冷静になって考えてみると、自分があの女につかみかからなければ、流砂に蹴落とされたりしなければ、ニナリはイルドットに助けられていたのかも知れない。ルオールはしゅんと泣きそうな顔になった。


 その様子をランシャは感情のこもらない目で見つめている。俺は……そう、俺は何故ニナリを助けに行ったのだったか。


――ランシャ


 リン姉、違うよ。それは違う。人間は嫌いなんだ。そう声に出したかったが、意識を失う方が早かった。

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