第14話 獣魔の長
灼熱の砂漠。その表面が僅かにうねる。太陽光の届かぬ砂の下を、何かが移動しているのだ。『それ』は夜を待っていた。その醜い姿を覆い隠す暗闇のヴェールを。
「ご飯の用意ができたから、ルオールを呼んどいでん」
褐色の大男イルドットにそう言われ、赤髪のニナリはうなずいたが、走りだそうとした足はすぐに止まった。隊列の先頭の方を見つめている。
「どうしたのん」
「イルドットさん、あれ何してるんだろう」
傭兵たちが集まっている。いや、取り囲んでいると言う方が正確か。ピリピリとした空気が放たれていた。しかしイルドットは興味なさげにこう言った。
「下手な好奇心は持たない方が長生きできるよん。ささ、ルオール呼んできて、ご飯食べちゃいなん」
「……うん」
ニナリは走り出した。あの中にランシャが居るのだろうなあ、と思いながら。
隊長とナーラム、ルル、キナンジの四人がタルアンとリーリアを守るように立っていた。少し離れてバーミュラが、背後にランシャを控えさせて座っている。
「主君の失態は家臣の失態です」
静かにそう告げた男はひざをつき、地面に黒い弓と矢筒を置いた。
「勝手な言い分と思われるでしょうが、どうぞ私めのこの首で、キリリアを許してはいただけませんでしょうか」
「命を差し出す、というのですか」
リーリアの言葉にウィラットはうなずいた。
「たとえ領主がどうであったにせよ、我らのなした行動に弁解の余地はございません。されど、無理を承知でお願い致します。キリリアの民に罪はないのです。どうぞ、寛大なご処置を」
リーリアとタルアンは顔を見合わせた。そしてその視線はバーミュラに向かう。老婆はフンと鼻を鳴らした。
「そんな首に価値はないね。その弓の方が値打ちがあるくらいだ」
ウィラットは神妙な顔で答える。
「無論、このキュロプスもお渡し致します」
「馬鹿だねえ、それじゃ意味がないんだよ。弓だけもらってどうするんだい。古道具屋にでも売れってか。その弓を引けるヤツがここに居なけりゃ、宝の持ち腐れだろうが」
「それは、確かに。ですが」
戸惑うウィラットを呆れた顔でしばし眺めると、バーミュラは二人の王族に目をやった。
「どうだい、この馬鹿を旅に連れて行っちゃ」
「えっ」
驚くタルアンを横目に、リーリアは隊長に向き直った。
「どうでしょう」
これにはさすがに言われた方も困ってしまう。
「いや、どうって言われましてもねえ」
そして隊長はまたバーミュラを見つめる。赤いショールの魔道士は苦笑した。
「決めるのは私じゃあない。責任者は誰だい」
「そりゃそうだがよ」
「おまえはどうなんだ。キリリアにまだ思い残す事はあるのかい」
バーミュラの問いかけにウィラットは首を振った。
「すべてを片付けてここに参りました。とは言え」
「なら問題ないじゃないか。お姫様はどう思うね」
「問題ないと思います」
リーリアは即答する。バーミュラの目はタルアンに向かう。
「王子様はどうだい」
タルアンはしばし考え、困惑気味にこう口にした。
「一つわからない事があるのだが」
ウィラットはタルアンを正面から見つめた。
「何でございましょう」
「あの領主に苦しめられたという点では、おまえも被害者だと思うのだ。なのに、何故命を捨てる? キリリアの今後が心配だと言うのなら、おまえが領主になってしまえば一番簡単なのではないか」
「次の領主はすでに決まっております」
その口元に浮かぶ笑みには固い決意が見えた。
「お妃のお腹にはお子様がおられます。その方が次の領主となる事は、先代領主が決定し、我らも同意致しました。約定を
「いや、しかしだな」
納得の行かない様子のタルアンに、ウィラットは静かに首を振る。
「あのお妃は……私の妹なのです」
アルハグラの首都リーヌラでは、早朝から国務大臣が王宮に呼び出されていた。
「キリリアに使者を送れ」
ゲンゼル王の言葉の意味を、国務大臣は図りかねた。王から領主へ何かを命じたいなら、いつものように道化どもを使えばいいはず。大臣を通すという事は公式に、責任ある立場の者を赴かせよとの意図なのだろうか。
「して、いかなるご命令を下されるのでしょう」
「キリリアの兵を三万、ダナラムとの国境に配備させよ」
これには大臣も驚愕する。
「お待ちください、キリリアの兵力は最大でも四万を下回ります。いきなり三万を差し出せというのは、街を丸裸にせよとおっしゃるに同じ、あの領主が従う訳がございません」
しかしゲンゼルは酷薄に告げる。
「領主ビンテルは死んだ」
「……は?」
「あの豪奢な館に居残った連中へ告げるのだ。三万の兵、一人たりとも不足する事まかりならん。拒めば反逆とみなし、全軍を挙げてキリリアを攻め滅ぼすとな。直ちに使者を送れ」
「は、ははぁっ!」
大臣は蒼白な顔で深く頭を下げると、そのまま下がって逃げ出すように玉座の間から出て行った。
「まあそんな感じで」
タルアンはウンザリしたように言った。
「我ら二人に許しを請うたところで、父上の耳に入れば終わりだ。誰が取りなそうが言い訳を並べようが、どうにもできない。だからここでおまえが死んだとしても、何にも変わらんのは間違いないぞ」
これを聞いてウィラットは沈黙し、うつむいて考え込んでしまった。
「まったく石頭だね。考えるこたあないだろう。素直になんな」
しかしバーミュラの言葉にも顔を上げない。すると老婆はランシャを振り返った。
「おまえはどう思うんだい」
「何で俺に聞くんだ」
「こうなった原因の一端を作ったのはおまえだろ」
「あんたがやれって言ったんじゃないか」
「じゃああのまんま、お姫様が殺されてた方が良かったのかね」
「こ」
このババア、と言いかけてランシャは何とか堪えた。相手はニヤニヤ笑っている。明らかにからかって楽しんでいた。
「……いいんじゃないか、死んだって」
少し考えたランシャの口から出て来た言葉に、みな耳を傾ける。
「結局は自分の命だし、死にたいヤツが死ぬ自由だってあるはずだ。だけど殺せっていうのは違うんじゃないか。何で誰かの誇りのために、誰かが人殺しにならなきゃいけないんだ。そんなのズルいだろ。汚いだろう。死ねば許してもらえるって本当に思うんなら、先に死んどけよ。誰かに殺してもらいたいなんてのはただのワガママだ」
「青い!」
バーミュラが叫んだ。隊長たちが、傭兵たちが、笑い声を漏らす。
「青臭いねえ。ひえーっ、鳥肌が立つよ」
「あのなあ」
腕をさするバーミュラを、赤面したランシャがにらみつける。しかし「だけどね」とバーミュラは続けた。
「こんな青臭い講釈を垂れられるのは、言われる方が悪いんだよ。それだけはちゃんと理解しときな」
ウィラットは顔を上げない。そこにリーリアが声を上げた。
「すぐに答を出す必要はないと思います。いまは食事をして、まず前に進みましょう」
「そうだな、あんまりノンビリもしてられねえ。歩きながら考えるとしようぜ」
隊長がそう言うと、傭兵たちは食事へと散らばっていった。
切り立った海岸線とジャングルを眼下に白くそびえる雲の峰。内側に広がるのは魔物の暮らす国、皇国ジクリフェル。その外周から宮殿へと続く長い回廊を進む影があった。
足下と高い天井だけが石組みで、壁はフワフワの雲の回廊。そこにギュウギュウに押し込められたかのような、灰色の巨体。それは大きな耳と長い鼻を持つ象。ただし二本の足で歩き、鼻が二本、牙が四本ある異形の魔象。丸い目を血走らせ、怒りに燃えて前進する。
その後ろに付き従うのは、それぞれ二足歩行をする、ハイエナやジャッカル、バッファローやサイの群れ。仲間なのか信奉者なのか、巨大な背中に隠れているようにも見える。
しかし獣魔たちの足は止まった。回廊と宮殿の境に立つのは、白い服を着た小柄な老爺が一人。妖人公ゼタの従者ヤブがそこに居た。
「これはこれはボルボル様。本日はいかがされましたか」
笑顔でたずねるヤブに、魔象ボルボルは二つの鼻をラッパのように鳴らし、怒りを表す。
「貴様如きに用はないわ! 炎竜皇に話がある、そこを退け!」
ボルボルの背後からも「そうだ、退け退け」と声が聞こえた。しかしヤブはまた笑顔で返答する。
「申し訳ございません、陛下はただいま四賢者の皆様と、朝のご歓談の最中にございますので、ここはお通しできかねます。また改めてお越しくださいませ」
「ゼタの腰巾着風情に命令されるいわれはない! 退かぬというなら」
ボルボルは短い前足――手と呼ぶには造形的に不十分である――をヤブに向かって叩き付けた。
「潰れて死ね!」
それを風のように軽やかにかわすヤブ。
「やれやれ、何とも頭の悪い事で」
その笑顔が、突如悪鬼の形相となる。
「痛い目を見ねばわからんか」
だが巨象は動じない。高みよりヤブを見下す。
「ほう、やる気か。貴様の牙が岩より硬い我が肌を貫けるかどうか試してみよ、小鬼!」
「待て」
いまにも飛びかからんとしたヤブを、背後から聞こえた声が止めた。
「いったい何の騒ぎだ、ボルボル」
宮殿の正面階段を下りてくる姿。ボルボルに比べれば小さいが、人型をしている事を思えば十分に巨躯と言えた。獅子の頭部が威容を放つ。ボルボルの背後の連中が、さらに後ろに身を隠した。
「おのれフンム、貴様まで邪魔をする気か!」
怒り狂うボルボルに対し、両手を挙げてなだめる魔獅子公フンム。
「まず話せ。怒るだけで話さねば何もわからん」
「とぼけるな! 貴様らは人間界を攻めているのだろう! その先鋒が何故毒虫なのだ! 何故貴様ではないのだ、フンム! それは我ら獣魔への侮辱ではないか!」
フンムはようやく腑に落ちた、という顔で一つため息をつく。
「まあそう言うな。陛下には陛下なりのお考えがあるのだろう。ここはしばらく様子を」
「甘いわ! 貴様は甘いのだ、フンム! 貴様がフヌケている間に、毒虫どもがジクスの寵愛を受けて増長するのだ! 我らをないがしろにするジクスなど、魔族の長とは認めぬぞ! 貴様が動かぬというのなら、このボルボルがあのガキの首をへし折って……」
それ以上は言えなかった。ボルボルの二本の鼻の真ん中に、フンムの拳がめり込んだために。鈍い音がした。ゆっくりと、地響きを立てて、巨象ボルボルは真後ろに倒れる。背後に居た者たちは押し潰され、悲鳴を上げた。
「我々ジクリフェルの臣民は、炎竜皇ジクス陛下に忠節を誓うものなり」
魔獅子公フンムは静かに言葉を紡いだ。けれどその目は燃えている。
「陛下の御名の下に獣魔を率いるはこのフンム。陛下の治世に異を唱えるのなら、まずは我に挑むが良い。それすらもできぬとあれば、もはや無用。早々にこの地より立ち去れ」
さっきまで巨体の背後に居た者たちは散り散りとなり、ボルボルを一人残して回廊を走り去って行った。フンムはヤブに向き直る。
「恥ずかしいところを見せたな。済まぬ」
「いえいえ、そのようなお気遣いは不要でございます。それはともかく、どう致しましょう、これは」
ヤブが指をさす。いまさら確認するまでもなく、そこにはボルボルが倒れていた。回廊の幅を埋め尽くして。
「……ちょっと邪魔か」
「かなり邪魔でございますな」
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