第13話 領主の館

 麦と茶の買い付けも終わった隊長たちは、裏通りに入って行く。ごみごみとして猥雑な、ランシャには馴染みの深い空気。その、さほど奥に入り込まない場所に、一軒の茶店があった。店の前にはテーブルが並び、茶を飲む人々が座っている。空いているテーブルはない。しかし隊長は何も言わずに、ある片隅のテーブルの席に座った。


 その上には小さな壺のような水タバコ。向かいの席には真っ赤なショールを肩にかけた大柄な老婆が一人。大きな鷲鼻に大きなホクロ。呆気に取られているルルとランシャを余所に、隊長は老婆に話しかけた。


「バーミュラ、覚えてるか」


 しかし老婆は表情を変えず、ゆっくり煙を吐き出した。


「バーミュラ」


「覚えてるよ、ザッパの坊や。何をしに来たかもだいたいわかってるさ」


「だったら話が早い」


「断る、ゴメンだね。魔獣奉賛士の代わりなんぞ、くだらない」


「いや、待ってくれ」


「待たないよ。国なんぞいずれ滅びるもんだ。それがいまってだけだろ。流れに逆らったってしょうがないじゃ……」


 そこまで話してバーミュラは絶句した。目を見開いて何かを見つめている。突然立ち上がると、肩から落ちたショールに目もくれず、大股で近付いた。ランシャの前に。


 驚いているランシャに構わず、老婆は顔を近付けてつぶやいた。


晶玉しょうぎょくまなこじゃないか。どういうこったい」


 そしていきなりランシャのアゴを両手でつかむと、さらにランシャの目を、いやその奥深くにある何かを見つめ、不意に笑い出す。


「そうかいそうかい、そういう事かい。まったくあのジジイはタチが悪いね。性根が腐ってやがる」


 ひとしきり笑った後、バーミュラはランシャを放し、真っ赤なショールを拾って元の席に戻ると、また水タバコを一口くゆらせた。隊長が改めて話しかける。


「なあ、バーミュラ」


「言ったろ、魔獣奉賛士の代わりなんぞお断りだよ。ただし」


「ただし?」


 バーミュラはニヤリと微笑んだ。


「奉賛士の代わりになれるヤツに心当たりがなくはない。そいつんとこまでついて行ってやろうか」


「本当か!」


「ただし」


 またただしかよ、と苦り切った顔の隊長に、バーミュラはランシャを見つめてこう言った。


「そのガキに見込みがあればの話だ」




「タルアン王子殿下とリーリア姫殿下におかれましては、無事のご到着に心より安堵いたしております」


 領主の館の荘厳さは、まるで王宮のようだった。その最上階、柱が並んで壁のない、物凄く風通しの良さそうな部屋の真ん中で、領主ビンテルは長椅子に寝そべりながら挨拶をした。


 金色の刺繍の入った赤い服、右手の宝石を散りばめた長い扇子はいかにも贅の限りを尽くし、薄汚れたタルアン、リーリアと比べて、果たしてどちらが王族かと思うほど。青々としたヒゲのそり跡と整えられた眉の際立つ細身で馬面の男は、見下すように王族の二人を見つめていた。


 そのビンテルの前ではウィラットが片膝をついて頭を下げ、長椅子の背後には妃と覚しき女性が冷たい表情で立っている。


「ビンテル殿」


 間近に槍の先を突きつけられながら、リーリアが毅然と声を上げた。タルアンが青い顔でその服を引っ張る。


「ちょっと、こら、こら」


 しかしリーリアはビンテルに向けた視線を外さない。


「その態度はいささか無礼ではありませんか」


 するとビンテルは大げさに驚いた顔を見せた。


「おや、左様でありますか」


 そして扇子を閉じ、体を起こしたかと思うと、突然扇子でウィラットの顔を殴りつけた。


「な、何をするのです」


 驚くリーリアを横目に、ビンテルは何度も何度も殴りつける。しかしウィラットは動かない。ただ目を閉じ、殴られるに任せている。


「おやめなさい、ビンテル殿!」


 リーリアは前に出ようとするが、槍の先端が顔や腕に触れているために動けない。微かに傷がつき、血が滲む。やがてビンテルは息を切らせて殴るのをやめると、こう言って笑った。


「領主の失態は家臣の失態でございますからな。これにてご容赦を」


 もうリーリアは何も言えない。言えばウィラットが殴られるのだ。タルアンは腰を抜かさんばかりに恐れおののいている。ビンテルはまた扇子を開くと自らをあおいだ。


「キリリアはリーヌラとは違い、所詮貧しい地方都市でございますからな。王族の皆様の常識とは多少異なるところもございましょうが、ご勘弁を」


 常識などではない。明らかにリーリアとタルアンを恐れさせるために暴力を見せつけているのだ。リーリアがにらみつけると、ビンテルは立ち上がった。


「ところで聞くところによりますと、勇敢なるお姫様は不思議な魔法が使えるとか」


 その視線はリーリアの左手に向けられている。


「その青い指輪ですかな」


 そしてタルアンを見た。


「おや、王子様も黄色い指輪をしておられる」


「ひっ」


 タルアンは思わず右手を隠した。ビンテルはニンマリと微笑む。


「申し上げておきますが、魔法を使おうなどとは思わぬ事です。その気配が見えた途端に、あれなるウィラットの矢がお二人を射殺すでしょう」


「私がここで死ねば、ザンビエンの恵みはアルハグラから失われます」


 まるでリーリアのその言葉を待っていたかのように、ビンテルは大きくうなずいた。


「そうなればアルハグラは混乱し、分裂し、崩壊する事になりましょう。しかし、それはこのキリリアにとって願ってもない好機」


「あなたは……自らの欲望のために、この国を滅ぼすと言うのですか」


 驚きと怒りに見開かれるリーリアの目。今度は首を振るビンテル。


「いいえ、アルハグラの滅亡は望んでおりません。ただ真に王たるべき者がその座に就くというだけです」


「あなたに王の資格はない!」


 ビンテルは嬉しそうに、ニッと歯を剥いた。


「それを決めるのはあなたではないのだよ、捨てられたお姫様」




 門番が入り口を塞ぐ領主の館の前に立つ二人の人影。一人はランシャ、隣のもう一人は、バーミュラであった。隊長とルルは少し離れた場所から様子を眺めている。


 バーミュラは館を見つめながらランシャに話しかけた。


「お前の眼は特別製だ。サイーから聞いたかい」


「いや、何も」


「何も教えずに遺産だけ押しつけたのかい。まったく酷いジジイだよ」


「遺産って何なんだ」


「その腰の小刀は何て言ってた」


「レクの事も知ってるのか」


 驚いた顔のランシャに、バーミュラはやれやれとつぶやく。


「氷魔の剣レキンシェル。魔獣ザンビエンの爪を削って作った魔剣だよ。このくらいは魔道士ならたいていは知ってらあね。で、そのレクは遺産についてどこまで話した」


「魔獣奉賛士としての、ありとあらゆる知識、としか」


「それっぽっちかい、しょうがないね。じゃあまず初歩の初歩だ。眼の使い方から教えてやるよ。いいかい、よく聞きな。おまえの眼の奥には、もう一組の眼がある。その眼を使って、いま使ってる眼の向こう側から外を見るんだ」


「……はあ?」


 困惑するランシャ。その耳にバーミュラはささやく。


「頭で考えるんじゃない。心に感じるんだ。さもなきゃ、お姫様が無駄に殺されるよ」


 そのとき、ランシャの眼に何かが見えた。だが一瞬でかすむ。


「見えたかい、逃がすんじゃないよ。いま見えた物を追っかけるんだ。意識を集中しな」


 バーミュラの声が遠くから聞こえる。ランシャは意識を集中した。見える……何かが……姫だ、リーリア姫が……赤い服の男……殺意、驚き、怒り、哀しみ……感情が見える!


「レキンシェル、手ぇ貸してやんな」


「しょうがねえなあ」


 レクの声が耳元で聞こえた。また手が勝手に動く感触。視界が霞む。


「眼から意識をそらすんじゃないよ。おまえにはいま斬りたいヤツが見えてるはずだ。そいつを穴が空くほど見つめてごらん」


 斬りたいヤツ? 誰だ。赤い服の男か? だが俺は。ランシャは迷った。


「おまえは人間なんぞ嫌いなはずだ。遠慮はいらないよ、思い切ってやっちまいな」


 バーミュラの声が頭の中にこだまする。そうだ、俺は人間が嫌いだ。しかし。


 戸惑うランシャの視界の中で、赤い服の男がリーリア姫を殴り倒した。その刹那、ランシャの中で何かが崩れ、音を上げながら右手に流れ込んで行く。それは冷たく白い刃を生み出した。



 ビンテルは扇子でリーリアを殴り倒した。


「生意気な小娘が」


 これにはさしものウィラットも驚愕し、思わず叫ぶ。


「閣下、なりません!」


 けれどビンテルは気にも留めず、こう言い放った。


「この二人を殺して指輪を奪え」


「閣下!」


「もう遅い。貴様がこの二人に矢を向けた時点で、我らは帝国への反逆者となった。たとえ生かしてこの街を出したところで、ゲンゼルはキリリアを許しはしない。すでに戦う以外の道など存在しないのだ。何故それがわからぬ」


 そしてビンテルはウィラットを見下した目で見つめた。


「所詮はいやしき血の者よな」


 それが最後の言葉。見えたのは白い光だけ。音もなく、他の者にも建物にも傷一つつける事なく、ビンテルの体は縦半分に断たれ、凍り付いた。ウィラットの躊躇はほんの一瞬。外に向かって弓を構え、一度に七本の矢をつがえて引き絞る。


 魔弓キュロプスの見せる千里眼は、館の前に立つ白い剣を持った少年の姿を捉える。矢は放たれた。七本の矢は七通りの軌道を描いて飛び、七方向から一点を貫く。しかし。


 白い剣が僅かに揺れたかと思うと、七本の矢は斬り落とされた。即座に第二撃を放たんとしたウィラットの頭の中に声がする。


「もうやめときな。いくら忠義立てしたって、死んだ人間は戻ってこないよ」


 それは魔道士バーミュラの声。


「閣下、閣下ぁっ!」


 泣き叫ぶ妃。当惑する兵士たち。リーリアは立ち上がり、タルアンは腰を抜かしていた。




 領主の突然の死はキリリアの街に大混乱をもたらしたが、商人たちは約束通り夕方までに商品を届けてくれた。兵士たちは治安維持のために街に出たものの、犯人の捜索は行われなかった。おそらく唯一犯人を知っているであろうウィラットが沈黙していた事も大きい。


 奉賛隊は夜のうちにキリリアを出た。無論そう遠くには行けないが、街の中に居るよりは安全であろうという判断だった。


 そして朝。ランシャが目を覚ますと、漂ってくるタバコの匂い。砂丘の上でバーミュラが水タバコを吸っている。


「もう起きてたのか」


「年寄りは朝が早いんだよ。それよりも、おまえの方はどうなんだい。自分の意志で人を斬った感想は」


「正直、実感がない」


「まあ、そんなとこだろうね。そのうち嫌でも実感するようになるさ」


「……実感した方がいいのか」


「人食いの魔王にでもなりたいかい。人間のままでいたいなら、やった事は実感しといた方がいいに決まってるだろ。それより、千里眼の練習だ」


 そう言うとバーミュラは砂漠の向こうを指さした。


「この方向を見てごらん。誰が見える」


「誰? 人か」


 ランシャは意識を向けた。眼の奥の、もう一組の眼で遠くを見つめる。しかし見えるのは砂ばかり。集中力がすぐに切れる。


「よく見えない」


「お姫様しか見たくないってか。色気づくんじゃないよ」


「俺は」


「いいからさっさと見つけな」


 ランシャは渋々また意識を遠くに向ける。もっと遠くを見た方がいいのだろうか。と思ったとき。


「あ、何か見えた」


 何か。人だ。見覚えがある。この顔は。ランシャは声を失った。その人物の顔に驚いた訳ではない。その人物と眼が合った事に驚いたのだ。その様子を見てバーミュラは苦笑した。


「隊長を呼んどいで」


 ランシャは慌てて隊長を呼びに行った。バーミュラはまた一口タバコをくゆらせる。


「居ないよりゃ居た方がいいからね」


 そうつぶやきながら。

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