第12話 水の魔法

「……ああ、なるほどな」


 確かにそこは、天幕で眠るよりは幾分マシと思われた。何せ屋根があるし壁がある。毛布も人数分以上に用意してあったので、凍える心配はないかも知れない。しかしそのレンガ造りのガランとだだっ広い建物は、獣のニオイがした。毛布からも人間なのか家畜なのかよくわからないニオイがする。普段は牛小屋か何かとして使われているのではないか。


「まあ、夜露はしのげるか」


 隊長は一つため息をついた。ウィラットは目を伏せ、小さく頭を下げる。


「申し訳ない」


 キリリアの領主ビンテルは、ゲンゼル王と馬が合わない。街の自治権の拡大を求め、事あるごとに王のやり方に文句をつける。あの王に楯突くというのは、いささか正気を疑う所業だが、帝国の都市の中でも飛び抜けて高額の税金を払い続けているキリリアなればこそ、ゲンゼルとしても簡単に処分する訳には行かないのだろう。隊長はそんな噂話を思い出していた。


「まあ俺らは別に構わんのだが、王子様とお姫様もここで寝ろってのか」


「申し訳ない」


 ウィラットには頭を下げるしかできないようだった。


「あの、隊長さん」


 その声に振り返れば笑顔のリーリアが。


「私たちもここで構いません」


「えーっ」


 リーリアの向こう側に居たタルアンが顔をしかめたが、姫は見向きもせずにウィラットを見つめた。


「ただ一つだけ、許可を願いたいのですが」


「……何でしょう」


「ここでケガ人の治療を行いたいと思います。許可いただけますか」


 ウィラットの目が丸くなった。王族が医者の真似事をするなど聞いたことがない。だがリーリアの真剣な表情に気圧されるように、ウィラットはうなずいた。


「わかりました。許可致します」


「ありがとうございます」


 そう言うとリーリアは背を向け、ケガ人の方に歩いて行った。それをしばし見送り、ウィラットは隊長に向き直った。


「他には何か」


「明日、市場で武器と毛布を買い付けたいんだがね」


「それは構わない。金を使ってくれる分には領主も文句は言わないはずだ」


「あともう一つだけ」


 そして隊長は、辺りをうかがうように声を潜めた。


「魔道士バーミュラはまだ生きてるのか」




 リーリア姫の指示により、ケガ人が一箇所に集められた。ただでさえ殺されかけて疲れ果て、挙げ句に牛小屋に放り込まれた上、ケガ人にまで命令するのかとも思ったのだが、笑顔で接するリーリアにキツく当たる気にはならず、仕方なしに痛む体を引きずって、何とか一箇所に集まったのだ。


 不審いっぱいの表情で見つめる者たちを前にリーリアは床に座り、左手を前に差し出した。目を閉じて、ささやく。


「いと賢き水の精霊よ、願わくはその力を貸し与えたもう」


 何も起きなかった。ケガ人たちは顔を見合わせている。


「いと賢き水の精霊よ、願わくは……」


 繰り返す言葉が止まった。差し出す左手には、サイーにもらった青い指輪が輝いている。その指輪から、一滴の水がしたたり落ちた。それが床に波紋を描く。まるで床全体が静謐な湖の水面にでもなったかのように波紋は広がり、ケガ人たちの下をくぐって行く。


 波紋にくぐられたケガ人は傷口にむずがゆさを感じた。そして一瞬の後に気付く。傷口に痛みがない事に。目を近付けてみる。指で触れてみる。傷口は完全に塞がっていた。骨が折れたはずの腕や脚も普通に動く。


「おお、何だこれ!」


「動くぞ、動けるぞ!」


 沸き立つ歓声。さっきまで死にそうな顔をしていたケガ人たちが、次々に立ち上がる。しかし反対にリーリアの体からは力が抜け、後ろに倒れ込んだ。それをそっと支えたのは、ランシャの手。




 ウィラットは目をみはった。己の見た事が信じられない。


「王族の姫が魔法を?」


 隊長もやや呆気に取られている。


「まあ、珍しいっちゃ珍しいよな。イロイロ事情があるにせよ」


「魔法の力は」


 ウィラットは左手の弓を握りしめている。


「卑しき者の使う力だ」


 そう言い残してウィラットは立ち去ってしまった。




 二十五羽に減ったドルトを牛小屋の中に引き入れ、入り口付近を塞ぐ。万が一何者かが攻めてきても、これである程度の時間は稼げるだろう。隊長は全員を眠らせるつもりだったが、ランシャが見張りを買って出た。もう二日分眠ったからと。


 入り口の扉の外で、毛布にくるまり空を見上げる。見下ろすのは満天の星。地上には、深夜だというのにまだ小さな灯があちこちに輝いている。ランシャは腰に手を回し、差していた小刀を抜いて顔の前にかざしてみたものの、星明かりでは見えない。刃が欠け、柄もささくれた、ボロボロの小刀の姿は。


(レク)


 心の中でつぶやく。返事はないかと思ったのだが。


「何だよ」


 耳元で声がした。ランシャは心の中でたずねる。


(あのとき、俺はおまえに操られていたのか)


「ああ、その通り。おまえがそう望んだからな」


(俺はそんな事、望んでない)


「あのとき、お姫さまは殺されかけてた。おまえはそれを感じ取っていたのさ。そして助けたいと願った」


(願ってない)


「いいや、願ったね。自分で気付いてないだけだ。で、あのときお姫さまを助けるにはオレっちがおまえを操るしかなかった。だから操ってやったんだよ」


(こじつけだ)


「じゃあ何であの黒装束と戦ってるとき、抵抗しなかったんだ。そんなに戦いたくなかったんなら、嫌がればよかったろうに」


(そんな事をしたら、俺が死んでただろ)


「それこそこじつけだ。おまえはあのとき、もう動けたんだぜ。その気さえあれば、お姫さまを置いて逃げる事だってできたのに」


 レクの声が笑っている。いまになってそんな事を言われても知るか。ランシャは押し黙ってしまった。レクが楽しそうに続ける。


「ついでに教えといてやろう。サイーの遺産も同じだ。もうおまえは遺産を使える。とは言っても、使い方を知らんのだから使いようがないわな」


(おまえは使い方を知らないのか)


「何だよ、教えろってか。でも残念、オレっちはそこまで知らんよ」


 ランシャが一つため息をついたとき、背後の扉が小さな音を立てた。振り返れば小柄な人影。誰だろう、ニナリか? そう思っていると、影は言った。


「おまえ、あれは良くないぞ」


 外に出て来た影を、街の明かりがうっすら照らす。服装のシルエットから、それがタルアン王子であると気付くにはしばらくかかった。慌てて立ち上がるランシャに、手を後ろで組んだ王子はさらにこう言う。


「王族の肌に平民が直接触れてはいけない。気をつけよ」


 さきほどリーリア姫の倒れる体を支えた事を言っているのだろう。


「あ、あれは」


「とは言え、我らを助けてくれた事には感謝する。隊長たちに聞いたのだ、おまえが聖滅団を退けてくれたとな」


「いえ、俺……私は」


 魔剣に操られていただけだ、とここで言って何になるだろう。ランシャは口を閉じるしかない。


「本来なら褒美ほうびを取らせたいところだが、生憎といまは何も持っていない。襲撃者がダナラムの者である証拠を父上に送ったので、何か褒美の品が送り返されるやも知れん。期待せずに待っていてくれ」


 そしてタルアンは、さっさと中に戻って行った。「見張りご苦労」と言い残して。




 朝が来た。帝国アルハグラの首都リーヌラの街角には、昨夜のうちに立てたのだろうか、新しい高札が立っていた。そこにはこうあった。ダナラムに売る塩の価格を五倍にすると。




「五倍だそうな」


 神教国ダナラムの首都グアラグアラでは、『遠目』のツアト師が遠い目でつぶやく。


「関所への正式な通達はまだのようだがな」


 『早耳』のコレフ師は耳を澄ませている。


 ダナラムは山岳国家であり、海がない。岩塩が産出する地方もあるが、食用塩のほとんどを輸入に頼っていた。もちろん備蓄はあるし、アルハグラ以外の輸入先もある。しかし長期的に見れば、ことに一般市民の生活には、かなりの打撃であるのは間違いなかった。


「とは言え、塩を輸出禁止にしないのは、何ともお優しい事だ」


 と、ツアト師。


「襲撃したのが聖滅団であるという証拠が、まだリーヌラに届いておらぬのだろう」


 と、コレフ師。


「短期決戦しかないのう」


 そうつぶやくツアト師に対し、コレフ師もうなずく。


「左様左様。即座に次の手を打たねば」


 そして『大口』のハリド師を見つめた。


「『風音』を呼んでいただけますかな」


 ハリド師はうなずくと、口を開けた。




 キリリアの市場は夜明けと共に開く。朝食後、隊長とルルがランシャを連れてやって来たときには、もう人の波で溢れていた。


「眠いとこ悪いが、おまえには買い出しの仕方を覚えといてもらわなきゃならねえ。帰ったら明日まで寝てて構わんからよ」


 さほど申し訳なさそうでもない隊長に、ランシャは首を振った。


「いや、俺は大丈夫だ。仕事を教えてもらえる方が有り難い」


「んじゃ、まずは毛布からだな」


 隊長は何度も来た事があるのだろう、慣れた足取りで市場の人混みの中を進んだ。迷わず毛布の店にたどり着くと、もったいぶる様子もなく即座に価格の交渉に入った。


「こいつを百枚、同じ種類なら色はどうでもいい。在庫が一気にけるぜ。即金で払う。どうだ」


 店の主人は少し渋い顔をしたものの、まあ仕方ないという顔でうなずいた。隊長は言葉通り銀貨で支払うと、夕方までに届けるように言って店を後にした。


「次は武器屋だ」


 武器屋でも、やり方は同じだった。


「剣を三十本、大剣を一本、肩当てを二十くれ。即金で払う。どうだ」


 ここでも無事交渉に成功すると、三人はまたすぐに店を出る。


「あとは麦と茶の補充だ。急ぐぜ」


 そんなに急ぐ必要があるのかとも思ったが、きっと何かあるのだろう。ランシャは何も言わず隊長の背を追った。




 キリリアは砂嵐の少ない事でも有名だった。今日も快晴、ドルトたちを牛小屋から引っ張り出し、近くを流れる水路から水を汲んできて体を拭いていると、何やらものものしい足音が聞こえてくる。


 牛小屋を取り囲むように広がったのは、武装した兵隊。五十人は居るだろうか。その先頭に立っているのは、黒い弓を左手に持つウィラット。怯える者たちを落ち着かせながら、ナーラムがキナンジを連れて対応に出る。


「何事ですか」


 ウィラットは悲しげな目で告げる。


「両殿下をお迎えに上がった」


「いま隊長が席を外してますんでね、しばらく待っちゃくれませんか」


「ただちにお連れせよと命じられている」


 そののっぴきならない雰囲気を感じたナーラムが、剣に手を伸ばそうとしたとき。


 そんな馬鹿な。ナーラムにはその動きがまったく見えなかった。ウィラットがすでに弓に矢をつがえて構えている。つるは引き絞られ、あとは指を放すだけでナーラムの頭を射貫くだろう。


「無駄な事をするな。そこを退け」


 だがそこに聞こえてきた声が、鬼気迫るウィラットの顔に人間らしい表情を取り戻した。


「乱暴はおやめください」


 牛小屋からリーリアが現れる。腰の引けたタルアンの腕を引っ張って。


「私どもが参りましょう。ご案内願います」

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