第7話 旅立ちの朝

 奉賛隊編成のために与えられた猶予は三日。その三日目の夕方になって、ようやく荷物運び五十人と飯炊き二十人の目処が立った。出発準備は並行して進んでいたし、あと残るのは。


「傭兵三十人はもう決まってるのか」


 食堂の隅っこで隊長たちと夕食を摂りながら、ランシャがたずねる。隊長がうなずいた。


「そいつは最初に手をつけてある」


 小太りのキナンジが自慢げに微笑んだ。


「うちの隊長に来いって言われて、断る傭兵はそう居ないんだぜ」


「へえ、慕われてるんだな」


 意外そうなランシャに、隊長はムッとする。


「何でそんな顔なんだよ。素直に同意するとこだろうが」


 ルルがくすっと笑う。


「ま、金払いがいいからね。上からもらった金を下の連中に全部分けちまう。おかげでいつまでたっても貧乏なのに、人望だけはあるのさ」


「だけは余計だ」


 隊長は不満げな顔で肉を頬張った。ルルとナーラムとキナンジが声を上げて笑う。それはランシャには少し眩しい風景。ここは自分の居場所ではない気がした。


「ああ、金って言やあ」


 隊長が思い出したようにランシャを見つめた。


「おまえ、仕事にこだわりとかあるか」


 意味がわからず、ランシャはキョトンとした顔。


「こだわり?」


「何が何でも荷物運びしかしたくねえ、みたいなのはあるかって事だよ」


「いや、働けるなら何でもやるが」


「だったらサイーの身の回りの世話をやらねえか。報奨金の金額も上がるぜ」


 それを聞いてルルが目を丸くした。


「え、そんな仕事あったっけ」


「今日サイーのとこから遣いが来てな。ご指名なんだよ」


 隊長の表情には僅かに戸惑いがある。


「あっ、アレか?」


 ナーラムは昨日の事を思い出していた。サイーにランシャの名前を教えたのは自分なのだと。


「けどランシャ、おまえサイーと知り合いじゃないよな」


 ランシャもいささか困惑の顔。


「昨日の爺さんなら、あれが初対面だけど」


「なるほど、つまり一目惚れか」


 楽しげに言うルルに、男四人は眉を寄せた。


「……じょ、冗談だよ」


 気まずい沈黙を破ったのはランシャ。


「悪い話ではないと思う」


 そして隊長に、一つうなずいて見せた。


「そこに仕事があるなら、働いてみたい」




 運命の陽が昇った。晴れ渡る空に雲は遠く、砂嵐の気配もない。巨鳥ドルトが縦一列に三十羽、その両脇に傭兵が、おもに食料を背負った荷物持ちが、そして鍋釜を持った飯炊きがバラバラと歩く。王の見送りも式典もないまま、東に向かう大水路に沿って砂漠の旅が始まった。


 ドルトの背には天幕を初め、様々な荷物が積まれているが、列の真ん中を進むとりわけ大きな二羽のドルトは、荷物ではなく輿こしを載せている。前の立派な輿にはリーリア姫とタルアン王子を、後ろの地味な輿には魔獣奉賛士サイーを乗せて。


 ランシャはサイーの身の回りの荷物を背負って、ドルトの左側を歩く。ただ黙々と歩く。それは心の動揺を鎮めるには好都合だった。ランシャの心を乱しているのは二つ。


 一つ目は、この集団の中に見知った顔が居た事。孤児たちのリーダーであるはずのルオールが、そして赤髪のニナリまでが一緒に居た。体の大きなルオールはともかく、ニナリが付いて来るとはどういう理由だろう。隊長はちゃんと選んだのかとランシャは思った。


 そして二つ目。夜明け前にすべての準備が整って、最後に輿の三人が乗り込んだ。その揺れる松明の炎に照らされた、リーリア姫の姿。ランシャは目をみはった。そこに居たのは三日前の夜に見た夢の、リン姉に生き写しの少女。いや、もしかしたらあれは夢ではなかったのだろうか。


 ランシャの心の乱れは、なかなか落ち着いてくれない。揺れ動いたまま旅を続けるのは危険だと、内なる声が聞こえるのだが。




 揺れる、揺れる、揺れる。ドルトの上の輿は、荒波に弄ばれる小舟のように揺れた。酔ったのか気持ちが悪い。これなら砂の上を歩いている方が楽ではないのか、タルアン王子はそう不平を漏らしたい気分だった。しかし妹のリーリアが平然としている。立場云々を言える状況ではないが、あまり格好の悪い姿は見せたくない。


「不思議ですね」


 リーリアは輿の小窓から外を眺めながら言った。


「この水路は氷の山脈の麓まで続いているそうです」


「そ、それが何か不思議なのか」


 タルアンは吐き気を懸命に抑えながら、何とか答えた。おそらく外を見つめているリーリアには気付かれていまい。


「だって水路ができるまでは、みんな水をドルトに乗せて、この果てしない砂漠を旅したのですよ。何がその勇気を支えたのでしょう」


「そりゃ、そりゃあイロイロあるだろう、金とか名誉とか」


「そんな事のために、命を賭けられるものなのでしょうか」


「まあ、人による、らろう」


 舌を噛んだ。だがそれもリーリアは気付いていないようだ。


「うらやましいです。何かのために命を賭けられる人が。国のため、民のため、自分の命を捨てる覚悟ができる人が。私なんて怖くて仕方ないのに」


 ずっと窓の外に顔を向けているリーリアは、もしかしたら泣いているのかも知れない。そう思うと、タルアンの胸は締め付けられた。胸が張り裂けそうだった。胸が苦しい。胸が破裂しそうだ、吐き気で。何とか次の休憩まで我慢しないと。いったい休憩はいつなんだ! タルアンはそう叫びたかった。だが叫べば吐いてしまうのは間違いない。もういっそこのまま気絶でもしないものだろうか。


 そんな叶わぬ願いを乗せて、ドルトは揺れる。ジリジリと焼けるような日差しの下を。




 太陽が南中するより少し前、奉賛隊の列は足を止め、天幕の設営準備に入った。ドルトたちも大水路から水を飲んでいる。タルアンは輿から飛び降り、少し走ったかと思うと、ゲロゲロ吐き出した。リーリアが背中をさすっている。その様子を後ろの輿からながめ、サイーは小さくため息をついた。


「大丈夫なのかね、あれは」


 どこからともなく、小さな声が聞こえる。サイーは驚くでもなく、つぶやくように言葉を返した。


「東の果てに着くまでには慣れるであろう」


「無事に着けばいいがね」


「無事に着いてもらわねばならん。そのためにおまえを連れてきたのだ」


「おいおい、責任重大かよ」


 そう言う声を聞きながら、サイーは視線を移した。ドルトの脇に立つランシャがこちらを見つめている。サイーは声をかけた。


「先に食事を摂っておいで。食べ終わったら私の分を持ってきてくれればいい」


「わかりました」


 ランシャはそう答えると、飯炊き場に走って行った。その後ろ姿を見送りながら、サイーはまたつぶやく。


晶玉しょうぎょくまなこ


「本物なのかね」


「本物ではあるだろう。だが果たして期待通りに働いてくれるかどうか。そこは賭けだな」


「いや、それじゃ保険にならないぞ」


「分が悪いのは承知の上だ。やむを得んよ」


 サイーは窓から外を見た。東の果ては遠く、氷の山脈はまだ見えない。




 焼きレンガとモルタルで造られた大水路には、悪魔が一晩で敷設したという伝説がある。実際には帝国の領土が拡大するたびに公共事業として大水路の延長が行われているのだが、神秘的な伝説が生まれるに相応しい不思議は存在している。


 大人五人が手を伸ばすほどの幅を持ち、大人の背ほどの深さを持つこの水路は、砂嵐に埋まる事がない。無論担当の役場が定期的に底をさらい、溜まった砂をかき出したりはしているのだが、どんな大規模な砂嵐に襲われても、水は決して止まらない。よってアルハグラの支配下に入れば、一年を通じていつでも水が供給され続ける。そこに不可思議な力の存在を感じ取る者が居るのは、当然と言えた。


 また、アルハグラの支配地域の住民の中には、ゲンゼル王に不満を持つ者も少なくはない。そういった者たちが水路を武力で占有したり、あるいは破壊したりしてもおかしくないはずなのだが、現実にはその手の事件はまず起こらなかった。これもまた不思議である。


 絶える事のない水の流れは、砂漠の帝国アルハグラに農業従事者を増やし、水路に沿って伸びた交易の道が商業を盛んにした。経済的豊かさは強大な軍事力を支え、いまやアルハグラの領土を侵す外部勢力は、表立っては存在しない。平和は文化を熟成させ、新たな産業を生む土壌となる。この平穏な時は永遠に続くのでは、多くの人々がそう感じていた。いまのアルハグラでそれを否定するのは、よほどの変人ではなかろうか。たとえばそう、王宮の支配者のように。




 砂漠には季節がある。昼と夜という季節が。夜の砂漠は昼間とはまるで違う闇と低温の世界。見張りに立つ数人の傭兵たちを除いて、みな天幕の中で毛布にくるまっている。ランシャはサイーと同じ天幕の中で眠っていたが、ふと目を開けた。サイーは簡易ベッドの中で寝息を立てている。起こさぬように静かに天幕を出た。


 空を包む満天の星。その縁を切り取るような、山脈の如きシルエットが見える。天幕のすぐ近くに眠る巨鳥ドルト。その背の輿に向かって、ランシャは声をかけた。


「そこで何をしている」


 数秒あって、砂の上に何かが落ちる音。一呼吸置いて、ランシャは頭を下げた。何かが頭上をかすめる音。同時に真正面に拳を放つ。柔らかい感触と息の漏れる音。


「ルオールか」


 闇から伝わる息を呑んだ気配。


「……何でわかった」


「こんなところまで来てコソ泥を働くのはおまえくらいだ」


「てめえだってそのコソ泥の一味じゃねえか」


「やめておけ。見つかったら砂漠に放り出されるだけじゃ済まない」


「奉賛士に気に入られたら上から目線か。偉くなったもんだな」


「おまえには関係ない」


「何だとてめえ! なめてやがんのか!」


 夜の砂漠の静寂の中である。その声が聞きとがめられない訳はない。


「誰だ、何をしてる!」


 松明の灯りが駆け寄ってくる。ルオールは舌打ちをすると反対側に走って逃げた。


「何だ、ランシャじゃないか。どうした」


 松明を持っていたのは小太りのキナンジ。ランシャはサイーの輿を見上げた。


「コソ泥だ」


「えっ」


 キナンジは輿を松明で照らし、辺りを見回した。


「顔は見たのか」


「いいや、この暗さだ。顔までは」


「そっか。まあしょうがねえな。隊長に報告しとくか。ああ、面倒臭え」


 キナンジはぶつくさ文句を言いながら持ち場に戻って行った。


 ランシャは天幕の中に入り、毛布にくるまった。しかしその眼が閉じられようとしたとき。


「人間は嫌いかね」


 その声はベッドの方から。ランシャは振り返り、小声で返した。


「……は?」


「人間が嫌いなら、無闇に情けをかけるのはやめなさい。非情に徹するが己のためだ」


 それだけ言うと、再び闇の中に寝息が聞こえた。

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