第8話 雷鳴と清流

 眠っていた隊は夜明けと共に活動を再開した。飯炊きが慌ただしく走り回り、煙と湯気が立ち上る。荷物運びの仕事は天幕の片付けと、ドルトへの餌やり。遅番の傭兵たちには居眠りが許される時間帯。


 簡易式のテーブルを挟んでリーリアとタルアン、そしてサイーが席に着いた。姫と王子の後ろには二人ずつの使用人が、サイーの後ろにはランシャが立つ。


 冷静にあろうとランシャは努めていた。だがどうにも落ち着かない。どうしても視線がリーリア姫に向いてしまうのだ。とは言え王族を真正面からまじまじと眺めるなど、いくら何でも失礼である事くらいランシャにも理解できる。だからなるべくサイーの背を見つめようとするものの、気が付くとリーリアを見てしまっている。と、リーリアがその視線に気付いてしまった。マズい。


 ところが、リーリアはランシャを見て微笑んだ。それがますます動揺を誘う。こんな場合にどんな顔をしてどんな態度を取ればいいのか、ランシャの頭の中にはないからだ。どうする、どうすればいい、その混乱が極致に達する寸前。


「ドルトの揺れにはもう慣れましたかな」


 サイーがタルアンに語りかけた。リーリアの視線もサイーに向かう。助かった、とランシャが心の中でため息をついたとき、合わせたようにタルアンも大きなため息をついた。


「まだちょっと目が回っている気がするのだが」


 それを聞いてサイーは楽しげに笑う。


「まあ、そのうち慣れるでありましょう」


「果たして慣れるのだろうか」


 泣きそうな顔のタルアンには答えず、サイーは懐から小箱を取り出した。その蓋を開くと、中には二つの指輪が入っている。それを手に取り、タルアンの前に黄色い指輪を、リーリアの前に青い指輪を置いた。


「さて、お二人にはこの指輪を受け取って頂きます」


 タルアンとリーリアは顔を見合わせると、半ば怖々テーブルの上の指輪に手を伸ばした。それを見てうなずくサイー。


「タルアン様の黄色いそれは『雷鳴の指輪』、雷の精霊を呼び出し操りまする。一方リーリア様の青いそれは『清流の指輪』、水の精霊の力を借りる事ができまする」


 リーリアは不思議そうにたずねた。


「水の精霊は操れないのですか」


 サイーは首を振る。


「水の精霊は静かなれど、荒ぶればその恐ろしさ、雷の比ではございません。人間が操るなど、とてもとても」


「では雷の精霊なら簡単に操れるのだな」


 タルアンの言葉にサイーは笑う。


「いえいえ、簡単には参りません。場合によっては指輪の持ち主を殺してしまう事もございます」


「ええっ」


「ご安心召されよ。ちゃんと使い方と禁忌をお教え致します故。それさえ守れば、この指輪はこの先の旅路において、お二人の強い味方となりましょう」


「味方ねえ……」


 ザンビエンに食われるまでの短い間の味方なのだろうな、とタルアンは思ったものの、口には出さなかった。焼きたてのパンとスープがテーブルに運ばれてきたからだ。


「まず食事をいただきましょうか」


 サイーの言葉に王子と姫はうなずき、食事が始まった。




 本、本、本。床から高い天井にまで、ぎっしりと本が詰まった書棚が延々と並ぶ。ブカブカの甲冑を引きずって歩く三本角の少年は、気になるのかしきりに兜の位置を直しながら、何か本を探していた。


「ねえ、ゼタ」


「お呼びでしょうか、陛下」


 いままでどこに居たのか、突然ジクスの背後に姿を現わした妖人公ゼタは、深々と頭を下げた。幼い炎竜皇は自分の甲冑を指さして言う。


「ここに居るときくらい、脱いじゃダメ? これ」


 頭を下げたまま、ゼタの表情が歪む。そこにあるのは悲痛。


「申し訳ございません、陛下」


 その答が不服なのだろう、ジクスは口を尖らせた。


「ちょっとくらい大丈夫だと思うんだけどな」


「申し訳ございません、陛下」


 ゼタはそう繰り返すのみ。ジクスは不満げにため息を漏らしたが、ようやくお目当ての本を見つけたのか、棚に手を伸ばす。


「ところでスラは大丈夫? 順調?」


 本を開き眺めるジクスに、ゼタは姿勢を変えずに言葉を返す。


「はっ、現在はダナラムの動きを待っている状況かと」


「カーナは邪魔してない?」


 思わず顔を上げるゼタ。


「ご存じだったのですか」


 ジクスは苦笑を浮かべていた。


「あー、やっぱりか。悪い子じゃないんだけどなあ」


「ご命令をいただければ、このゼタが責任を持って処理致します」


 ジクスはしばし考え込むと、パタンと本を閉じて棚に戻し、ゼタに微笑みかけた。


「もうちょっと様子を見ようよ。何か変わるかも知れないし」


 そしてまた別の本を探し始めた。




 炎天下の砂漠を一路東へと歩く奉賛隊の一団。真正面から照らす太陽はジリジリと肌を焼く。それでもある意味気楽なのは、近くに水路があるからだ。水筒の水がなくなれば、すぐに補充が出来る。暑さと荷物の重さは体力を奪うが、水に苦労しなくて済むだけ難しい旅ではないようにランシャには思えた。


 とは言え、朝に出発してからもう二時間は歩いている。隊の進む速度も落ちる。ランシャの前を歩く小柄な荷物運びも足下がふらついていた。まあ、さすがにそろそろ休憩だろうなと思いながら横を追い越そうとすると。


「あ、ランシャ」


 突然腕をつかんでくる。見れば、そこに居たのは赤髪のニナリ。そのさらに隣を見れば、ルオールがそっぽを向きながら歩いていた。しかしニナリは満面の笑顔でランシャに話しかけてくる。


「良かったあ。会えないかと思った」


「おまえ、何でここに居る」


 困惑顔のランシャを、ニナリはキョトンと見つめる。


「だって誰も知り合いが居ないと、ランシャ寂しいでしょ」


 何とも言えぬ腹立たしさ。そんな下らない理由で命懸けの旅に出るニナリに嫌悪さえ感じる。その感情は隣を歩くルオールに向かった。


「おまえは止める立場だったんじゃないのか」


「知るか。てめえが勝手にするんなら、俺さまもニナリも勝手にやって何が悪い」


 ルオールは視線を合わせず、吐き捨てるようにそう言った。だがランシャには納得が行かない。


「おまえ、何のために頭を張ってたんだ。他の連中を見捨てたのか」


「俺さまが頭を張ってたのは、俺さまが優秀だったからだ。他のヤツらが心配なら、てめえが戻って頭張ってやればいいだろ」


「そういう問題じゃない」


「じゃあどんな問題なんですかねえ」


 ルオールは怒りに満ちた眼をランシャに向ける。


「あんな事で恩を売ったつもりかよ。なめんじゃねえぞ、てめえ!」


 激昂したルオールがランシャにつかみかかろうとした、その手を後ろからつかんだ者が居る。大きな手だった。


「はいはーい、ケンカはやめやめ。旅は道連れ、仲良くするんだよん」


 ニナリが笑顔で振り返る。


「イルドットさん!」


 褐色の肌の男は、きつく巻いたターバンの分を差し引いても、隊長よりもまだ少し背が高い。体は細身だが、ガッシリした筋肉質。ランシャを見て、ニッと笑った。


「ルオールの知り合いかい。コイツ性格ややこしいから大変だろん。何かあったら、ボクに言いなよん」


 そしてルオールの顔をのぞき込んで言った。


「ほらほら、仲直りしなって。しなきゃ後々ツラい事になるよん」


「うっせーよ! ほっといてくれ!」


 そう吠えると、ルオールは後ろを向いて歩き出した。


「あらら、意地だけは一人前なんだねん」


 語尾は気持ち悪いが、善人ではあるようだ。ニナリはすっかり懐いている感がある。と、そのとき。隊の前方から声が聞こえてきた。


「全員止まれ! 休憩だ!」


 ニナリとイルドットは天幕を張るために前に向かった。ランシャはサイーが輿から降りる手助けをし、荷物を持って後ろに続く。広げられた天幕に入ると、すぐにタルアンとリーリアが入ってくる。タルアンはまだ少し酔っているようだ。


 朝に焼いたパンの残りと冷たく甘い茶で軽食を摂り、しばし疲れた体を休めた。




 その頃。神教国ダナラムの首都グアラグアラにあるフーブ神殿の奥、『遠目』のツアト師は遠い目で何かを見つめていた。


「進んでおる、進んでおる。奉賛隊は予定通り、順調に進んでおるな」


『早耳』のコレフ師は耳を澄ませる。


「ふむ、ふむ。峠の聖滅団の準備も整っている模様」


 ツアト師はニンマリ笑う。


「いよいよ明日か」


 コレフ師はうなずく。


「左様左様。明日が待ちきれぬ事よ」


 そしてツアト師とコレフ師は、目を閉じ沈黙する『大口』のハリド師に目をやった。


「明日は頼みますぞ」


 と、ツアト師。


「左様左様、大役でありますでな」


 と、コレフ師。ハリド師はいまだ目を閉じたまま、黙して語らず。そこに音もなく背後の祭壇から現れたのは、長い銀髪の少女。


「三老師」


 振り返るツアト師は意外そうな顔。


「おお、これは風の巫女」


「いかがされましたかな」


 コレフ師も不思議そうに見上げる。風の巫女は虚空を見つめ、半ば放心状態で口を開いた。


「フーブの神託が下りました。月が地上に降ります」


 老師たちは瞠目する。


「なんと!」


 ツアト師はそう叫び、絶句した。


「それは、はて。吉兆と捉えるべきか、もしくは。うーむ」


 コレフ師は考え込む。そしてさしものハリド師も、これには目を見開き巫女を見つめた。巫女は視線を三老師に下ろす。


「計画は続けなさい。フーブはそれをやめろとはおっしゃいませんでした。ならば月の動きは、きっと我らに有利に働くはず。最後の勝利はこの手にあります」


 そう言って微笑む巫女の背後には、聖なる後光が差しているように見えた。




 音も凍りそうな砂漠の深夜。空にはひっそりと月が浮かんでいる。三十羽のドルトたちも、天幕の中の人間たちも、みな静かに眠っていた。数人の傭兵たちが焚き火に当たりながら見張りをしているが、動くものなど何もない。


 傭兵の一人が軽口を叩いた。


「こんな静かな夜に、見張りなんぞ要るのかね」


 他の傭兵が笑う。


「まあそう言うな。楽して金がもらえりゃ、それに越した事ぁないんだ」


「そりゃそうだけどよ……」


 言葉が止まった。不思議そうに空を見つめている。他の傭兵たちも空を見上げた。だが、別段何もない。星以外に見える物など何もなかった。


「脅かすなよ、何もねえじゃねえか」


「いや、さっき月が出てなかったっけか」


「月?」


 そう言えば出ていたような気もする。いや、本当に出ていただろうか。確証はない。天体観測は傭兵の仕事ではないし、いちいち確認などしないからだ。しかし言われてみれば気味が悪い。隊長に報告するか。とは言え、何と言って報告すれば良いのやら。そんなこんなで傭兵たちが困惑していると。


「おい、あれ何だ」


 見張りの一人が地平線を指さした。


「……月?」


 誰かが言った。そう、まるで月の如くおぼろに明るい、しかし丸くない何かが近付いて来る。傭兵たちの動きは速かった。


「全員起こせ! 隊長に報告!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る