第23話 ほんとうの気持ち

 皆の相手は、玲がしてくれている。


 さくらは、助産師さんにふたごちゃんのお世話ポイントをしつこく尋ね、かたっぱしからメモしてゆく。あおいは母乳のみで育てたので、新生児にミルクをあげるのはほとんどはじめてである。


 それを、ふたりぶん、なのだ。


 かわいいけれど、夜泣きとか、順番でされたらどうしよう。それに、体調を崩したときなどは。あおいひとりでも、大変だったのに。


 どうしたって、さくらだけでは無理。聡子が回復しても、家事育児ではどれだけ戦力になってくれるのか。父や類に相談して、乳母を用意すべきかもしれない。


 途方に暮れつつも、さくらは気持ちを引き締めて聡子の病室へ向かった。


 聡子は起きていた。ぼんやりと、外を眺めている。病室は小さな庭に面しており、白い砂と石が配されている。龍安寺の石庭をイメージしていると聞いた。白い砂は海のようにも見える。

 さくらが入室しても、こちらを見ようともしない。気がついているはずなのに。


「お母さん、少しご一緒していいですか」

「……どうぞ」


 遠慮がちに、しかし明るく声をかけると、聡子は了承してくれた。

 顔色が、よくない。やつれている。つわりのときよりもひどい。


「部屋の中は快適ですが、外はだいぶ暑くなってきましたよ。歩くだけで汗ばみます。葵祭も終わりましたし」

「そう。もう、そんな時季なの。早いわね」

「あと少ししたら、梅雨に入りますね」

「正直、今日が何月何日なのかも分からない。特に、知りたくもないし」


 白い手を、聡子はふとんの上で重ねた。薄い手の甲には、骨が浮いている。

 沈んでいる聡子を、刺激するようなことばはよくない。過度の激励も負担になる。さくらは話題とことばを慎重に選んだ。


「片倉先生に、お菓子をいただいたので、食べませんか」

「ありがとう。でも、私はいいわ。さくらちゃんに全部あげる」

「お母さん……」


「……こんなのが母親で、ごめんね。なんかもう、やりたいことは全部、果たしてしまって。この先、どうしたらいいのか、なにも浮かばなくて」

「赤ちゃん、待っていますよ。皆くんも。東京の父も」

「そうよね。ここのスタッフさんたちにも、迷惑をかけている。個人病院なのに、私にかかりっきりなんて」


「だいじょうぶです。先生も、みなさんも、お母さんをずっと待っています」

「ひどい女のくせに、たくさんのものを望んだ天罰なのよきっと。さくらちゃん、ごめんなさい。早く、東京へ帰りたいでしょ」


 感情が大きく揺れたのか、聡子は涙を流しはじめた。

 強いと思っていた人の涙は、こたえる。さくらもつられて泣きそうになった。唇を噛んで必死に我慢する。


「私は、お母さんの娘です。そばで支えるのが当然です」

「ううん。私は、さくらちゃんの生き方を捻じ曲げてしまった。玲と、結ばれるはずだったのに……類をけしかけて」

「それはもう、答えが出たことです」


「さくらちゃんに会って。同居するようになって、会社のために、あなたがほしいと思った。この子になら、類もまかせられる、直感だった。でも、それは違ったの。自分のために、さくらちゃんがほしかったんだって、分かった」


「あおいちゃんができて、類と結婚して、シバサキに入社もして、さくらちゃんは忙しくなった。私がほしかったさくらちゃんは、私を助けてくれるさくらちゃんだったのに。玲と結ばれていたら……慎重なあの子なら、しばらくはさくらちゃんを妊娠なんてさせなかっただろうし、今ももっと身軽に動けて私を助けてくれたはずなのに」

「おかあさん」


 さくらは聡子の手の上に、自分のそれも重ねた。聡子の思いが、ひしひしと伝わってくる。痛いほどだった。


「私は、すごくしあわせです。大変だなって思うときもありますが、充実しています。みんながだいすきです。できる限りのことをします」

「いいこちゃんにならないで。あなたには……さくらちゃんにしかできない生き方をしてほしい。これは、ほんとうの気持ち」


「だいじょうぶです。しばらくは育児で忙しいですが、そのうちシバサキを使わせていただきますね。それよりも私、考えていることがあります。また、みんなで住みましょう。 玲もふたごちゃんも、みんなで! 実は、類くんにも言っていないんですが……」


 さくらは、柴崎一家の同居構想を聡子に打ち明けた。


「……それ、いいアイディアね。すごい。楽しみ。また、みんなで同居できる日が来るなんて、最近は考えたこともなかった」

「だから、毎日を明るく過ごしましょう。この件を実現するには、私ががんばって早く資格を取らなきゃいけないのですが。絶対にやりますよ」


 明るく、楽しく。今日と同じ明日があればいい。大それた望みなんて、ない。



 なのに。

 どういうわけか、敵は、さくらの意思を無視して、あっちからやって来る。

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