第21話 そのときが、

 そのころ、玲の町家。

 玲は茫然と壁に寄りかかって、なにもできないでいた。


 何度もさくらから連絡が届いているのは知っている。早く病院に来てくれと、懇願だった。


「どんな顔して会えばいいんだよ」


 母の聡子と顔を合わせたら、こんな大変なときだというのに、それでもたぶん過去の浮気を責めてしまう。罵倒だろう。自制できそうにない。


 いくら、親が決めた結婚だったとはいえ、父の目を盗んであの武蔵と親しくしていたなんて。

 しかも、モデルデビューに向けて類を預けたばかりか、今なおシバサキで一緒に仕事をしている。信じられない。どんだけ図太いのか。


 また、着信があった。


 うるさいな、さくらも……と思って携帯の画面に目を落とすと、発信元は類だった。

 あいつは真実を知っているのか、ふと聞いてみたくなった。


「……類か」

『あっ、生きてた』


 なんと不謹慎な、第一声。


「切るぞ」

『ちょっと待った。この、多忙なぼくが、玲にわざわざ電話をしているんだよ。なにやってんの玲、母さんがピンチ。応援に行って』


「もうやだ。母さんの息子やめるわ俺」

『なに子どもみたいなこと言ってんの、いまさら。玲は柴崎家の長男。柴崎聡子の息子。それでいいじゃん』


「お前、真実は知っているのか」

『なんだっていいじゃん。ぼくは柴崎家の次男。柴崎聡子の息子。でしょ、ね?』


「そんな簡単に割り切れる問題か」

『いいじゃん、なんでも。玲がいてぼくがいてさくらがいる。あおいもいる。こんなにうれしいことはない』


「そりゃあ、お前はさくらと結ばれて毎日(ピー:自主規制)で、楽しいことだらけだろうよ」

『ひがまない。生まれを呪ったって、いいことなんてないよ。楽しもう。この時代に生きているよろこびを感じようよ』


 類の前向きさに、玲はあきれた。けれど、癒されもした。


「バカ。脳天気」

『おかげさまで』


 電話を切った玲は自転車にまたがって、東山を目指した。



 玲が自転車を片倉医院の前に停めると、すでに赤ちゃんらしき元気な泣き声が外にまで漏れていた。


「おいおい、もう終わった?」


 泣き声はふたつ響いている。玲は、聡子の病室まで走った(注・病院の中で走ってはいけません)。


「母さん、さくら……」


 病室に、さくらがいた。片倉医師もいる。息子のほうだ。


 聡子はベッドの上で眠っているのか、目を閉じている。顔全体が真っ赤だった。


 さくらは目を真っ赤にして泣いていた。しゃくりあげるようにして、めそめそしている。子どもみたいに。


「れい! 来てくれた……ごめんなさい。朝はほんとうにごめんなさい! 町家まで迎えに行こうと思ったんだけど、お産が急に進んで」


 玲の到着に気がつくと、さくらは玲の身体に飛び込んだ。さくらにしては珍しい行動に、玲はうろたえた。


「どうしたんだ、さくら。母さんは。赤ちゃんは。皆はどこだ」


 いっそう泣きじゃくるさくら。不吉な予感さえ漂ってきた。


「お産は終わりました。聡子さん、がんばりましたよ。皆くんは向こうのベッドでお昼寝中です」


 代わりに、片倉が答えてくれた。


「母は、母の容態は」

「お産直後です。生まれたばかりの赤ちゃんと対面を果たすと、倒れるように眠ってしまいました」

「ね、寝ているだけですか。母の、命は」


 そこでさくらが泣き声を高く上げる。邪魔くさいな、と玲にしては珍しくさくらに嫌悪さえ覚える。


「熱はありますが、大事はありません。ただ、年齢的なものもあり、出血が多かったので、快復にはやや時間がかかりそうです」

「がんばったの。お母さん、立派だった。私、出産に立ち会ったんだけど……弱音も吐かずに、お母さんきれいだった!」


「さくらさんはずっと泣いています。玲さん、なだめてあげてください。私は仕事が残っていますので」

「……うちの妹が申し訳ありません」


 では、と言い残し、片倉は軽くお辞儀をして病室を出て行った。


 類なら、こんなさくらも簡単に扱えるのだろう。しかし、玲はさくらの頭を撫ででやるぐらいのことしかできない。


「さくらもおつかれ」

「……っん、……うん」


「遅くなって悪かった」

「お母さんに、謝って。ずっと、玲のことを待っていた」

「目が覚めたら、そうする。類にも叱られた」


「赤ちゃん、とっても元気だよ。小さいけれど」

「生まれたばかりなんだ、小さくて当然だろ」

「え」


 そこで、さくらが顔を上げた。涙が止まった。


「まさか玲、知らなかった? 赤ちゃん、ふたごちゃんなんだけど。男の子と、お母さん待望の女の子」

「は? ああああああああああああああああ? ふたごぉ?」


 どうりで、おなかが大きかったはずだ……泣き声がふたつ聞こえたわけだ……皆かと思った……今度は、玲がさくらの肩の上に頭を落とし、しばし、うなだれた。


***


 玲は、聡子の話を聞いている。

 玲の到着より三十分後、聡子は目覚めるなり泣いた。号泣だった。息子の姿を見て、生きていることを実感したらしい。


 さくらはそっと席を外した。しばらく、ふたりきりにしておいたほうがいいだろう。自然と足が新生児室へと向いた。ふたごちゃんは保育器の中に入っているので、遠くから眺めるだけだ。


「だっこしたい……」


 小さい。なにもかもが、ほんとうに小さい。どちらが男の子で女の子なのか、よく分からない。あおいもそうだった。

 とにかく、ふたごちゃんはよく似ている。毎日接していれば、見分けがつくようになるのか。顔立ちは、玲のような、類のような、さくらのような気もする。


 名前はどうするのだろう。これまでのように、二文字で『~い』に揃えるのだろうか。


「あい、いい、うい、えい、おい。かい……は除外。きい、くい、けい、こい。さい、しい、すい、せい、そい」


 しつこくなりそうなので、やめた。

 赤ちゃんを見ているだけで、また泣けてきた。かわいい。無事に生まれてきてよかった。成長が楽しみである。


「今日のさくらさんは泣き虫ですね」

「か、片倉さん」


 そっと、ハンカチを差し出してくれた。厭味のないやさしさに、さくらはいつも癒される。


「聡子さんは、これからのほうがきっと大変です」

「そうですね」

「同居に戻しますか」

「……かもしれません。ただ、以前住んでいた親のマンションは今、ほかの人に貸してしまっているので……でもたぶん、そうなるかと」


 いざとなったら、部屋を真冬とトレードだ。そのへんは、夫の類にまかせていいだろう。さくらはできるだけ、真冬と関わり合いたくない。


「次はさくらさんのお産ができるよう、万事整えておきますね。いつでもどうぞ」

「はい。そのときは、よろしくお願いします」




(26話で前編完結予定です。そのあと、すぐに後編も公開開始する予定です!)

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