第20話 もうすぐ

「え……もうすぐ、ですか!」


 片倉医院に着くと、独特な、あわただしい雰囲気に包まれていた。

 予定日まであと二週間ほどあるのに。


「明け方より、痛みが強くなったようです。ちょうど、さくらさんに電話をしようと思ったところでした。私たちは、できる限りのことをします。さくらさんは皆くんをお願いします」

「はい」


 片倉は額に汗を浮かべていた。緊張が高まっている。


「ご本人の希望で、予定帝王切開は行いません。自然分娩にこだわっていきます。が、万が一のときは大学病院へすぐ搬送します」

「はい。おまかせします」


「それと、聡子さんを励ましてください。さくらさんのことをとても頼りにしているようですし、身近な方からの声かけは効果的です」

「もちろんです」


「玲さんや東京のご家族にも、連絡をしておいてください。気がかりなのは連休中のしかも週末、だという点です。受け入れ先予定病院の医療体制が、やや手薄かもしれなくて」

「だいじょうぶです、お母さんはここで無事に生みます」


 さくらはハンカチを取り出して片倉の汗を拭いた。


「ありがとうございます。さくらさんのおっしゃる通りですね。医者がうろたえて、どうする」


 難産かもしれない。けれど、覚悟の上だった。



 玲にはメールしたが、返事がない。

 涼一は休日出勤らしく、つながらない。


 類も仕事で各地を飛び回っているようだった。ただし、返信はあった。『オトーサンに言っておく。いよいよなんだね。さくらも気負わないで』と。

 玲に、きょうだいの父親のことを話してしまい、怒ってしまったと伝えたら、『うっそ。まだ知らなかったんだ、さすが玲』と苦笑マークがついていた。



 弱い陣痛に襲われているらしい。痛みの間隔はまだ長いようだが、聡子は戦っていた。


「お母さん、だいじょうぶです」


 聡子の手を握った。冷や汗をかいていて、冷たい。

 さくらは、自分が妊婦だったときよりもどきどきしていた。出産間近の女性を近くで見るのは初めてだった。


「まだまだ、これから、なのにね。もうずいぶんと、体力を消耗しちゃった。年だなあ。お母さんどころか、おばあちゃんだもんね」

「すぐに終わりますよ。皆くんの出産から、それほど時間が経っていませんし、スムーズに進みます」


 痛みが走ったようで、聡子は頷きながら顔をゆがめた。

 腰を撫でてやる。こうすると、だいぶ落ち着くのだ。さくらのときも、助産師さんがこうしてくれた。類も真似てくれた。


「玲、まだ来ないかしら。あの子に言いたいことがあるの。謝らなきゃ」

「あやまる?」


「そう。さんざん焚きつけておいて、さくらちゃんが類のものになるよう、誘導したんだもの。あんな悪行を積んだから、こんなに痛いんだわきっと」

「玲は、お母さんのこと、きっと分かっています。すぐに来てくれますよ」


 さくらは激しく後悔した。

 なぜ今日、玲に類の父親のことを伝えてしまったのだろうか。黙っていればよかった。玲の懇願から逃げたいがために、話を逸らしてしまった。


 聡子が苦しんでいるのに、なにもできない。つらい。


「さくらさん、ここ代わるよ。少し休んでおいで。お昼、まだなにも食べていないんでしょ」


 片倉文子女医だった。


「で、でも」

「なあに、私は医者だよ。腰をさするのだって私のほうがうまいし。ほら、食堂に昼食を準備してある。皆くんもおなかが空いているよ。行きなさい。ばか息子もいるし」

「……さくらちゃん。休んできて。痛いけど、まだ生まれそうにないし」



 ふたりに説得されてしまい、さくらは皆をだっこして食堂へ向かった。


「今にも倒れそうな顔ですよ」


 忙しいはずなのに、片倉はさくらの食事に付き合ってくれた。


「すみません。でも、心配で」

「なにか、悩みがありますか」


 片倉はお見通しだった。


「……玲に、『あなたたちきょうだいは、父親が違う』と、言ってしまったんです。しかも、今日。どうして、こんなときに」

「それで玲さんが来ない、そう考えているのですか」

「自分の母親が、あの社長と……玲はまじめな性格なので、ぞっとしているのだと思います」


「玲さんなら、乗り越えられますよ。皆くんが眠そうですね。お昼寝させましょうか」

「あ……いいえ。私が」

「子どもを寝つかせるのは得意なんですよ。そんなふうに、萎れているさくらさんを見ていると、抱きしめたくなります」


 片倉は、皆ごとさくらを胸に包み込んだ。少しもいやらしさはなかった。慈愛に満ちていた。


「周囲の人間を、もっと頼って。さくらさんは玲さんを連れて来てください。必ず、玲さんの助けが必要になる出産です」

「はい!」

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