第16話 もやもやの行き先は

 涼一は、あおいを連れて東京へ帰る。玲が京都駅まで送るという。


「私も行きます!」

「さくらは見送らなくていい。泣くだろ」

「う……」


 玲に止められて、病院に残ることにした。

 確かに、あおいとさようならなんて、耐えられない。賢明な判断だった。

 泣いたら、たぶん玲がなぐさめてくれる。玲の胸に飛び込んでしまうかもしれない。その展開は、まずい。


「まーま! あかちゃんきたら、またくる!」

「そうだね。おばーちゃんの赤ちゃん、生まれたら会いに来てね」


 できたら、類も一緒に……とは言い出せなかった。


 最後まで、あおいは笑顔だった。さくらのほうがお子さまかもしれない。反省。


 手を振る。振り返す。


「じいじとあいすをたべてかえるんだ!」


***


「かわいいわね、あおいちゃん。大きくなった」

「成長を感じました。たった、二週間ほどなのに」


「私のせいね。家族を引き離すなんて、ひどい女」

「だいじょうぶです! がんばります! 今は、いつもよりも自分の好きなことができていますし、充実しています」

「強がらなくていいの。ごめんなさい」


 我慢していた涙がこぼれた。さくらは、わんわんと大きな声で泣いた。

 患者さんのいない、休診日の日曜日でよかった。あわてて、片倉も駆けつけたらしい。さくらはまるで気がつかなかった。


「離れたくない、あおい。逢いたいよ……類くん!」


 よしよしと、聡子がさくらの頭を撫でてくれた。


***


 その夜、類から電話があった。


『無事に戻って来たよ。オトーサン、へとへとだけど』

「ごめん。父さまにありがとうって伝えておいてね」

『分かった。で、あおいと遊べた?』

「うん、水族館へ行った」


『ほんとにあおいは生きものがすきだね。で、いきなり本題に入るけど、さくらにお願いがあるんだ』


 類は、真冬が出産のお見舞いで、いずれ京都へ行くという話になったことを伝えてきた。


「えー、真冬さん。苦手なんだよなあ」

『母さんのお見舞いだから、さくらも、会わないってわけにいかないと思うんだ。生まれたら、病院に張りつくんでしょ』


 ふたごちゃんが生まれたら、シバサキの仕事は後回し。お世話が最優先になる。皆のこともみなければならない。


『で、夜はきっとさくらを誘ってくる。なにを言われても、ついて行っちゃいけない』

「絶対に行かないよ。断る」

『絶対絶対だよ』

「はい。絶対絶対」


『真冬さんの弱点は、しいたけだから』

「は、しいたけ?」


 類のピーマンといい、小学生みたい。


『そう。だから明日からずっと、しいたけを食べること。しいたけを持ち歩くこと』

「分かった。やってみる」


 どれだけ効果が出るか疑問だけれど、なにもしないよりいい。


「それより私、類くんに謝らなくちゃいけないことがあるんだ」


 玲と困ったことになっていると、報告したほうがいい。キスしたばかりか、鍵も受け取ってしまった。


『なに? よく聞こえないんだけど』

「あのね、実は玲と……」

『ん? やっちゃった? つながったの?』


 直接的過ぎる。


「や、やってはないけど、その……かなりきわどかったというか」

『いいよ。はじけておいで。今回の京都滞在は、さくらにとっては人生の夏休み。もちろん、ぼくがそばにいたかったけど、できなかった。ぼくの代わりを、玲に頼んだ』

「れ、玲が、類くんの代わり?」

『そう。さくらは気にしなくていいよ。五月の終わりに、ぼくのところにちゃんと戻ってくれば、少しくらいの奔放は許す。でも、まふゆんには要注意』


 理解できないけれど、類はさくらの浮気を公認している?


「や、やだ。そんなの。私には、類くんだけなのに。玲ならいいなんて、類くんらしくないよ」

『でも、我慢できるの? ほしいでしょ、アレが』


「私には、類くんだけだよ。類くん以外なんて考えられない、考えたくない」

『……だと、うれしいけどね。でも、心と身体は違う。ましてや、感じやすいさくらなら』


 そんなことはない、否定したい、なのにできない。玲のキスを受け止めてしまった自分がいる。


「逢いたいよ、類くんに。類くんに逢いたい。ぎゅっとされたい。そうしたらこんな意味不明なもやもや、一気に吹き飛ぶのに」

『遠くてごめんね。でも、気持ちは変わらないよ。さくら、世界でいちばん愛している』


 せつない。泣きたい。でも、まだ逢えない。


***


 五月に入った。大型連休中の京都は観光客がさらに増え、町も寺社も大混雑の毎日である。さくらが大学生だったころよりも多いのではないか。

 そして、夏みたいに暑い日もある。


 聡子はいよいよつらそうだった。予定日より早く生まれそうだという。ふたごふたご言っていたが、ふたごの妊婦を目の前にすると、さすがに大変そうなので、考えてしまう。

 聡子には申し訳ないけれど、早く生まれたら早く帰れる。


 鍵を受け取ってからも、玲と毎日のように会ってはいるけれど、一度も町家には行っていない。このまま、使わないで返して円満に東京へ帰りたい。


 さくらは今、三つの鍵を持っている。自宅の鍵と、シェアハウスの鍵、町家の鍵。家の鍵を三個も持ち歩いている人なんて、そうそういないと思う。


 仕事も、順調だった。

 内勤に加え、たまに店舗勤務にも入ってお店の業務を学ぶ。さくらが作ったルイくんコーナーはかなり好評で、売り上げを伸ばしている。


 シェアハウスでも、関係は良好。朝ごはんを作って出したら感激されてしまい、さくらはリビングの掃除やゴミ出し当番から外れ、朝食担当になった。



 あとひと月。

 どうか無事に、みんなで帰りたい。

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