第13話 熱を帯びた町家の夜が更けてゆく

 ……あ、いい香り。


 さくらは目が覚めた。嗅覚が先に覚めるなんて。おなかが空いていたのだろう。


 室内は薄暗かった。

 そう、となりにあおいが寝ていた。涼一と、京都に来てくれたのだ。病院で再会して、玲と三人で水族館へ行って町家へ戻って来た。


「で、寝ちゃったのか……」


 ご丁寧に、おふとんがかけてある。玲がしてくれたのだろう。兄とはいえ、人の家に上がり込んでいきなり寝る二十四歳社会人女子(一児の母)。やばい。


「起きたのか、さくら」

「れ、玲。ごめんね、寝ちゃったみたい。いま、何時? どれぐらい経った?」

「疲れたんだろ、気にするな。一時間ぐらいだよ。四時半」


 え、一時間も昼寝。四歳児か? さくらはそっとおふとんをたたみ、台所へ下りた。町家の台所は、住居スペースよりも一段低い、土間に設置されている。


「手伝うよ」

「もう、仕込み終わった。お茶を淹れるから、休め」


 玲は、玄関兼ダイニングになっている入り口側の広いスペースを指さした。

 以前は、ここにテレビも置いてあって、三人でおしゃべりしたり勉強したりした。さくらと、玲と、類と。あのころは、確かに三人だった。

 でも、今は違う。さくらは類と結ばれてあおいという娘を得たが、玲はいまだにひとり。


 目が覚めるように、とあたたかいコーヒーを淹れてくれた。


「ありがとう」


 いつだって、玲はやさしい。それに、愛を感じる。きょうだいとしての愛以上の感情を。

 ずっと、さくらは気がつかないふりをしていた。それには、応えてはならないと自分を戒めていた。

 自分には、類がいる。あおいがいる。少し離れていたぐらいで揺れてしまう思いではない。


「どうした? コーヒーの気分じゃなかったか」


 戸惑う様子のさくらに、玲が問うた。


「う、ううん。飲む、いただきます。うれしい。大きな声で話したら、あおいが起きちゃうかもって」

「そろそろ、起きてもいいころだろ。夜、眠れなくなる」

「うーん。それもそうだね」


 ふたりで笑っていると、あおいがもぞもぞ起き出してきた。


「まま、あおいのれい! とっちゃ、めっ!」



 夕食後、あおいの主張『さんにんでいっしょにおふろはいる!』はどうにか回避できたものの、『さんにんでいっしょにねんねする!』は断れなかった。


 さくら、あおい、玲の順に並んでおふとんを敷いた。お昼寝をしたので、なかなか寝つけないかと思ったけれど、さくらがあおいの右手を、玲があおいの左手をつなぐと安心したようで、わりと早めにすうっと寝入ってしまった。



 暗がりに残ったのは、おとなふたり。さくらと玲。


「……さくら、このままもう寝るか」


 さくらの目は、ぱっちりだった。夕方、ぐうぐう寝てしまったせいだろう。


「まだ、寝られなさそう」

「話でもするか」


 話? さくらは考えた。これからのこと、だろうか。


「そっちに行く」

「そっちって……え、待って」


 さくらの背後には襖しかない。隣の部屋は、玲の部屋だったはず。


「がまん、しようと思った。諦めようとした。でも、だめだった。今日一日、さくらがかわいかった。ほしい」


 玲はさくらの上にまたがって馬乗りになると、襖を開けた。もう一組、おふとんが敷いてある。う、うそ……! いつの間に。


「だ、だめ。だめだよ。わたしたち、きょうだい」

「静かに。あおいが起きる。聖人君子、廃業する。八年間の想い、遂げさせてくれ。さくら」

「話、でしょ。するのは」

「身体で対話。」


 職人をしている玲の力には勝てない。さくらは隣の部屋に引きずり込まれた。

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