第5話 町家の朝。

 以前、使っていた二階のベッドがそのままだった。さくらは、それを使わせてもらった。

 一階には玲と聡子、皆が寝ている。


「やだ……」


 外はまだ薄暗い。日の出前のようだった。静かだ。



 しかし、さくらはじっとりとした汗をかいていることに気がついて起きた。

 あられもない、性的な夢を見てしまった。つまり、類といたしている夢を。


 こんなこと、今までなかったのに。


 さくらの名前を呼ぶ類のあまい声が、耳の奥に張りついている。


「まいったな」


 しばらく、逢えなくなるからと。昨日、類は丁寧にさくらを愛してくれたのに。もう、恋しいらしい。


 なんて、わがままで贅沢なのだろうか。どうしたんだ、自分。

 さくらはおふとんを頭からかぶって身体を丸めて寝た。

 類がほしい。今すぐ、抱かれたい。そう思いはじめると、眠れなくなった。


***


 玲が台所に立って朝食の準備をしていると、背後で襖の開く音が聞こえた。


「玲、おはよう。早いのね。お水、もらえるかしら」


 母の聡子が起きてきた。臨月間近で、おなかがとても大きい。立ち上がる、歩く、などのひとつひとつの所作すら、とてもつらそう。


「おはよう。母さん」


 そう言いながら、玲は母に冷たい水の入ったコップを差し出した。弟の皆は、まだ眠っているらしい。


「昨夜の首尾はいかが?」

「は、昨日の、夜?」


「さくらちゃんとふたりで出かけるよう、促したでしょ。ホテルで、最後までやっちゃった? 生でしたいだろうけど、家族関係がややこしくなるから、ちゃんと避妊してよね。あ、まさかの屋外活動? いやーん。春も浅いのに、道ならぬ恋は燃える??」

「ば……バカなことを! 散歩して、一時間ぐらいで、ここに戻ったわ!」

「えーっ、せっかくふたりきりにしてあげたのに。まじでただの夜桜見物……我が子ながら聖人すぎて、草生えるw」


 明らかに落胆している聡子を見て、玲はがっくりと肩を落とした。


「あいつは妹、弟の嫁」

「でも、まだ好きなんでしょ? 未練たらったらでしょ?? あわよくば、って思っているんでしょ???」

「さくらは、類だけしか見ていない。そもそも、俺たちの仲を引き離したのは母さんだろうが」


「ここだけの話、さくらちゃんって類に調教されて、すごい身体になっているのよ。なのに私のせいで、二ヶ月もご無沙汰生活なんて、きっと耐えられないと思うの。だから、玲が処理してあげてよ。変なオトコに引っ掛かったら困る」


 この、聡子と類の親子……同じことを言ってのける。なんて気が合うんだ!


「わけのわからない妄想は、さくらに失礼だ。それに、類からも同様のお願いをされた。だが、俺にはその気はない」

「え、あの類が? すっごい、類のくせに寛大!」

「変なところで感心するな。さくらは肉欲に負けるほど、そんなゆるゆるじゃない」


「えー、でもぉ、頼まれたらどうする? なにかのはずみで、『玲、もっとして』って。やだあ、うふふ」

「ない! そんな展開は、ない!」

「うわお。玲、怒っちゃった。こわーい」

「母さんが、さくらを京都に連れてくるからだ! 世話役なんて、誰でもよかったのに」


「だってぇ、さくらちゃんがいちばん頼りになるしぃ。経産婦だしぃ」

「……さくらのことも考えろよ。あいつだって、次の子がほしいのに、京都に送り込まれて類と別居」

「私、最後の出産だもん。涼一さんが私のわがまま、聞いてくれたもんねー。あ、皆が起きた。おはよう、皆。今日もかわいいっ」


 これでは、誰が親で子どもかまったく分からない。これからまた子を生むのだ、おそろしい。


『玲、もっとして』……そんな日が来るのだろうか。想像できない。

 そのとき、足音が階段を下りてくる気配がした。さくらも起きたらしい。

 玲と聡子は不謹慎な話題を切り上げた。


***


「おはよう、さくらちゃん。あれ、目が赤いけど寝不足?」


 午前七時。階下は、皆がごきげんそうに笑顔で、はしゃいでいた。大きなおなかで、聡子はあやしている。


「おはようございます、お母さん、皆くん。玲、遅くなった。手伝うね」


 夢見が悪かったなんて、まさか白状できない。

 目は覚めていたのに、起き上がる踏ん切りがなかなかつかなかった。ベッドで、ごろごろうだうだしてしまった。さくらにしては珍しいことだった。


「おはようさくら。サラダ、頼む。あと、皆の離乳食を」

「了解」


 玲はベーコンエッグを作っている。

 さくらは、ボウルに入れられているサニーレタスに手を伸ばした。卵を割っていた玲の手とぶつかった。


「あ、悪い」

「ごめん」


 ちょっと、触れただけだったのに、さくらはどきどきしてしまった。

 男性の、大きな手。つい、類の手を連想してしまう。

 自分の身体を包むときの類の手はいつもやさしくて、でもときに激しくて……ああ、恋しい。触れていたい、類に。なのに、遠い。


「だいじょうぶか、さくら?」


 少しの間、ぼんやりしてしまったみたいだった。あわてて水道の水を止める。


「うわあ、撥ねた! 水!」

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