第4話 ここだけの話

「……いいのですか、類さん。玲さんにさくらさんのことを全部委託して」


 社用車、運転手は壮馬だった。壮馬は総務部より、類の専属秘書に転任した。勤務中はほぼ終日、行動をともにしている。

 配属当初は類の身分を気遣い、『社長』と呼んでいたけれど、しっくりこないので名前呼びに戻してもらった。


「そうするのが、いちばん穏やかなやり方だと思うんです。ほかの男だったら、絶対に許せないけど。まあ、玲が相手だって、むかつきますが」

「なんとか時間を作りますので、京都へ行って思いっきり交合してください」

「できたら、ね。今はシバサキが大事。妻の身体の浮気ぐらい、受け入れられますよ」

「まったく、器の大きさには感心しますね」


「どうしてもという事態になったら、壮馬さんが全身全霊でぼくに奉仕して、なぐさめてくれるって信じているし?」

「冗談に聞こえません。私には叶恵がいます!」

「ぼくにだって、さくらしかいませんよ」


 類は吹き出した。


「……先日の秘書課解体事件といい、類さんには毎日驚かされてばかりです」

「あれは、ずっと考えてきたことです」


 類は、聡子社長がずっとあたためてきた『シバサキ名物・美人秘書課』を廃止した。


***


「秘書課に、十人も人員は要らないでしょ……」


 秘書は三人いればいい。しかも、美人である必要性はゼロ。


 聡子は、『類(次期社長)の結婚相手候補』として、美人秘書を雇っていた。十代後半あたりから定期的に会社に呼びだされ、顔通しをさせられていた。


 さくらを知ってから、類は面会を断っていたけれど、聡子は秘書の雇用をやめなかった。どうやら、芸能界につながっている武蔵に頼んで、才色兼備な女性をあっせんしてもらっていたらしいのだ。


「見事なまでに、ぼくの趣味の女性だらけだった」


 ちょっといいなと思う女はいたが、結婚なんてまるで意識しなかった。

 さくらに逢ってからは、よけいに。


 美人秘書を近くに置くことで、さくらの嫉妬を買うことにもなる。

 類は壮馬に相談し、ひとりずつ詳しく面談した。


『社長の妻は無理だったけれど、愛人選定の面談に違いない!』


 妻のさくらが、母に従って京都へ向かうスケジュールとも合致したので、そんな憶測が流れた。


 野心丸出しで熱烈アピールを繰り返す秘書もいたが、類は十人全員を退職、あるいは異動させた。

 結婚願望の強い女性は、それなりに地位のある人とのお見合いを設定し。

 シバサキの仕事に意欲を示す女性には、資質に見合った部署へ異動させ。


 壮馬を、筆頭秘書に据えた。会社でスケジュールの管理をするサブの秘書二名も、男性である。就任したばかりの社長に合わせた不規則勤務で、体力が要る。


 当然、秘書を総入れ替えしたことで、疑問や反対意見も上がった。

 文句を垂らしたのは主に、古い幹部のおっさんだった。『見映えがしない』と。男性ばかりということで、類の趣味を疑う声すらあった。


 しかし、秘書はお人形さんではない。無駄な人員を整理したことで、類の評価は高まった。


「大奥を縮小した、暴れん坊将軍のやり方をまねてみただけなんだけど」


 暴れん坊将軍……徳川八代将軍・吉宗は、財政を圧迫していた大奥の使用人を大幅に減らしたというエピソードがある。

 しかも、美女を解雇し、不器量を残した。美女は嫁にも行けるし再雇用先もあるけれど、不器量はあてがないだろうという、吉宗の裁断だった。吉宗がブス専だった可能性もある。


 そっち系の趣味を疑われるとは意外だが、今は壮馬が手放せない。誰よりも同じ時間を過ごしている。

 前社長やさくらの評価も高かったけれど、壮馬は思っていた以上に使える人材だった。

 不倫を清算し、叶恵といい仲に落ち着いたのも好材料。一秒でも長く、叶恵といちゃいちゃしたいようで、仕事が早い。ミスにもすぐに気がついて、先手を打ってくれる。


 ***


 さくらは、玲とライトアップされた夜桜を見上げた。


「きれい。吸い込まれそう! ソメイヨシノもいいけど、枝垂れ桜もすてき!」


 ほぼ、満開の桜。涙が出そうなぐらい、うつくしい。


「『類くんとあおいにも見せたかったな』?」

「うん。ふたりにも見てほしかった」

「なにせ、『さくら』だもんな」


 夜店も出ているが、時間が少し遅いし、市街地からは離れているとあって、歩いている人はそう多くないし、オトナばかりだ。


「でも、二〇一八年の台風被害で、倒れてしまった拝殿が再建されないままなんだ。境内の桜もかなり倒れたらしい」


 夜間ゆえ、境内には入れない。玲は、募金箱にお金を入れて手を合わせた。さくらも倣う。社紋が桜の花の形だった。まさに、桜神社と呼んでいい。


「少しだけど、京都に住んでいたのに、こんな名所があったなんて知らなかった」

「桜といえば、円山公園、哲学の道、平安神宮?」


 桜の有名どころを玲が羅列した。


「京都御所。御室の仁和寺」


 負けじと、さくらも追加する。


「わりとご存じじゃん」

「どういたしまして。ありがとう、玲。すごくなごんだ。やっぱり私、京都に緊張して、動揺していて。東京の類くんたちが心配だし」

「家族がまたひとつになるための試練。すぐに帰れるって」

「ん。たったの二ヶ月。四月と五月だけ。玲も、一緒に東京へ帰ろう?」


 さくらは玲と向き合った。


「それは、そうしたいが。さくらに頼みがあるんだ」

「頼み?」


「お前が、俺の、東京で使う新しい工房を設計してくれないか。すぐじゃなくていいし、小さくていいんだ。今使っている工房は、後輩に譲ることにした」

「わ、私が、玲の工房を?」

「糸染めのほかにも、布染めも織りもしたい。できたら、自宅兼工房」

「できるかな、でもやりたい! ぜひ、考えさせて」


 玲の工房。どきどきするけれど、絶対に作りたい。


「子ども服の企画製作も工房でやる」

「うんうん、するする。え、待った。ということは」

「俺も、シバサキに協力する。新しい糸、新しい布、新しい繊維製作を世界に発信したい」

「れい……! ぜひ、協力させてください」

「よし、契約成立」


 桜の木の下、ふたりは笑顔で固く握手をした。

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