第2話 なつかしさに包まれて
輝く四月一日を、一緒に迎えることができなかった。
社長に就任する類を、いちばん近くで見たかったというのに。
さくらは総務部に籍を置いたまま、シバサキファニチャー京都店に長期出張という形で、主に子ども服製作に励むことになった。
「総務部には新しい子が入ったし」
本社に戻っても、総務部にはさくらの居場所はなさそうだった。
聡子のふたごを連れて東京へ帰るころには、子ども服の部(仮)ができ上っているはずで、さくらの身はそこに収まる予定。総務部、楽しかったのに。
「おい、なにやってんだ。さくら」
考えごとをしながらぶつぶつ言っていると、聡子を支えて歩いている玲に注意された。少し、距離が空いてしまった。
「あ……、ごめん! 今、行く!」
久しぶりの京都生活。それはいいのだが、類とあおいに逢えない日が続く。
元気だろうか、あおい。
ルールとはいえ、四歳を迎えて体操番組を卒業することになり、さみしそうだった。『もう、よんさいだもん。たいそうそつぎょう!』と言ってくれるが、ほんとうはもっと体操したかったに違いない。ほかの番組出演の打診もたくさんあったそうだが、類はすべてを一蹴した。
類も、だいじょうぶだろうか。
荒ぶる性欲を、どう処理しているのだろうか。なるべくたくさん京都へ行くと言ってくれているが、浮気していたら、どうしよう? 心はない、身体だけの浮気でも、いやだ。
京都駅の八条口からタクシーに乗って西陣へ。今日は玲の町家に泊まる。明日は、高幡の工場にも、あいさつをするつもりだった。
***
「なつかしい……!」
さくらが一年間を過ごした西陣の町家は、まったく変わっていなかった。
住みはじめたときも春だった。ここを巣立ってから、六年が経過している。つい、昨日のことのようなのに。赤い自転車に乗って、慣れない京の町を走った。
最初から、片倉医院に入院してもよかったのだが、少しは玲の暮らしぶりが知りたいし、京都を実感したいという聡子の願いだった。
聡子の荷物は医院に送ってある。さくらの荷物は、というと、また別の場所にある。
「さくらちゃんもここに滞在したかった?」
聡子が冗談めかして言う。
「いいえ。ここは、医院に遠いです。聡子さんや皆くんのフォローが大変です。それに玲に迷惑ですよ。いくらきょうだいとはいえ、血がつながっていませんし」
「類のいない間、さくらちゃんは羽を伸ばしてもいいのに」
「母さん。悪い冗談はやめてくれ」
「まじめねえ、あなたたち。類にはちゃあんと黙っているって」
「それ以上言ったら、追い出す!」
「ま。はいはいっと」
もちろん、町家から医院に通う案もなくはなかったが、さくらはシバサキの社員寮へ入る選択をした。同じ東山区にあり、医院も歩いて通える。地下鉄に乗れば、さくらが通勤する予定の京都店へも二駅。
一応の予定では、毎朝、皆を医院に迎えに行って、さくらは御池通にある京都店に出勤。店舗併設の社員用保育園に皆を預け、午前中勤務する。
午後からは自由時間。会社に残って子ども服作製に取りかかってもいいし、聡子のお世話に戻ってもいい。玲と打ち合わせもする。
夕方には皆をお迎えして医院へ。聡子がしんどそうなときは皆を預かることになっているけれど、今のところ順調。
二か月間、玲と一緒にいる時間が長くなりそうだった。
さくら、人生初のひとり暮らし。
類と同棲していたときは、『北澤ルイ』の仕事が多忙で、ひとりになる時間は多かったけれど、必ず帰ってきてくれるという安心感があった。
寮は、家具も電化製品も備え付け。夜の散歩をしても、誰にも怒られない。夕食はほとんど医院で聡子と一緒に食べて帰るし、自分で用意するのは朝ごはんぐらいだった。部屋は狭いし、掃除も洗濯もひとり分なのですぐに終わってしまう。
せっかくなので、忙しくなるまでは、以前の京都住まいではできなかった、観光やカフェ巡りをしたいと思っている。
久々に大学の様子も見ておきたいし、同級生の誰かに会えないだろうか。卒業後は、それぞれに活躍しているので、京都に残っている人は少ないようだが。
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