7 私は「聖母」ではなく、人間なのですが
「いや……頑張るのは、お前だろう」
―前の職場の栄養士さんの突込み。
『えーと、大正時代じゃないんですから』
―電話占い師さんの突込み。
「旦那さん、よほど思い込み激しい人なん?」
―竹馬の友の突込み。
『ここまで、自分の都合よく物事を改変できる人も珍しいよね』
竹馬の友は、おいおいおい、と突っ込むような口調で私に言いました。
あ、ちなみに。
セックレスのことは、人生の先輩と、幼馴染の友人、そして占い師の先生達しか知りません。
で、この竹馬の友は「セックレス」については最初から知っていました。
『セックスのことは、綺麗に無視しとらすしね』
「まあね……」
通話越しに、竹馬の友のため息が聞こえます。
『で、あんたはどぎゃんすっと?』
「まあ、とりあえず、旦那には『もう一度きちんと考えて』とは言ったわ。だって、『僕も手伝うから』って、私の言う通りにすることが『手伝う』ならば、それは違うからね。それに『手伝う』ってことは、自分ではいっちょんせんってことじゃん? 『自分が望む結婚生活を送るためには、自分が、何ができるのか』をしっかり考えて、とは伝えたわ。後、セックスなしの関係が続くなら、離婚も止む無しだってこともね」
『ただ、どうして旦那さん、上から目線なんだろうね?』
「上から目線?」
『なんか、書いてある手紙の内容聞いているとさ、「君は駄目な妻かもしれないけど、僕は許してあげるよ」って感ありありなんだけど。そもそも、旦那さんの方がセックスできんとよね?』
「知らんよ。私としては、『僕も手伝うから、kakuちゃんも頑張ってください』で、全部飛んだわ」
竹馬の友の言葉に、私はそう返しました。
いや、本当に。「上から目線」とかよりも、「何でそうなる⁉」の思いが強く、「これは違うよ!」と勢いのまま旦那の部屋に流れ込んだので、あまり「上から目線」と言うのは、気にしていませんでした。
『旦那さんに、何て言ったんね』
「そのままよ。『これは、違うわ。何で手伝うって言葉が出て来ると? 「手伝う」って、どういうつもりで書いたと? 私に言われるままにやるんだったら、それは全然違うよ!』って、言い放ったわ。何か、『いけんかった?』って言わしたから、『いけんに決まっとるが! これは「注文書」じゃん。私は通販生活の妻じゃなかっ!』とも言ったけどね」
『ああ。全部跳んだとね』
「蹴散らかしたたい」
と、私はこの時はそう返しましたが。
竹馬の友が言いたかったのは、「旦那が感じていた優越感を、あなたは全部吹き飛ばしてしまったのね」という意味でした。
まあ……旦那の立場から考えてみれば。
あの時の私の言葉をどう捉えたらそうなるのか大いに疑問ではあるのですが、「妻は、『僕の望み通りできない』と、苦しんでいる! そんな妻を、僕は見捨てたりしない。大丈夫、僕も手伝うから、もっと頑張って! そんな気持ちを、夫婦の記念日にピッタリなこの日に、メッセージとお菓子を送って伝えよう! 妻は感動してくれるに違いないっ!」とドリームしていたのに、妻の反応は、「違うわ!」ですからね。
挙句、「このケーキは受け取れない。これは、賄賂だ!」と言い放ち、妻から手紙とケーキを突っ返されたわけですから……。
まあ。
茫然自失を通り越して、虚無の世界にまで行ったのも、無理ないのかもしれません。
でも、今こう思っていたとしても。
タイムスリップしてあの時の旦那と対峙したら、同じ反応はするだろうなーと、確信はしています。
やっぱり私は、結婚生活は夫と協力して作り上げたい、と思うのです。
もし、このエッセイを読んでいる婚活中の男性がいらっしゃるのであれば、本当に切にお伝えしたいことがあります。
それは、「夫」という名前だけで、「偉い」と思ってんじゃねえ!ってことです。
今は、昔とは違います。
夫婦共働きでいくのが当然のライフスタイルの中、家事も育児も女性がして、挙句の果てに夫の世話なぞ、焼いていられません。
妻に尽くして欲しければ、最低でも夫婦二人分の年収、そして家計を妻に全部預ける、それぐらいの覚悟と能力が必要なんです。
それに、もっと言わせてもらうと、旦那に頼って生きる時代ではないんです。
旦那がいなくても、生きていく力がある女性は多いし、旦那がいない方が人生が明るくなった、って人もいます。
黙って座り込んで、「やってくれて当然」と思い上がっている人に愛想を尽かすのは、男も女も関係ないです。
今人気の「鬼滅の刃」(吾峠呼世晴著 集英社)の漫画で、十七巻にこんな台詞が出て来ます。
「人に与えない者は、いずれ人から何も貰えなくなる。欲しがるばかりの奴は、結局何も持っていないのと同じ。自分では、何も生み出せないから」
これは、きっと男とか女とか関係ないですね。
「結婚」は、一つの通過点です。
「結婚」して、相手から無限に自分に都合の良い「幸せ」を貰えるわけじゃない。
あの頃。旦那に、この「鬼滅の刃」読ませていたら、少しは何か変わったのかなーとも思ったのですが、この十七巻が発行された時には既に遅し、だったので、まあそれはそれとして。
とりあえず、この時点では、「旦那が何もわかっていませんでした」ということが、はっきりとしました。
じゃあ、どうするか。
もう一度、考え直してもらって、私は膣トレーニングに邁進する。
答えは、それしかありませんでした。
けれど。
その一方で、今まではやり過ごして来た「離婚」と言う文字が、頭の中にくっきり浮かぶようになって来ました。
旦那と私では、「生き方」が違う。
この一件で、私はそう感じるようになって来たのです。
私は、「夫婦」となった以上、「セックス」はしたいと思っていました。
やっぱり、大事なコミュニケーションの一つだとは思うのです。
でも、それを強要するのはどうなのか。
「セックス」というものに、死ぬほど恐怖と畏怖を感じている相手に、無理やり尻を叩きながら、「やれ」と言うのは、正しいのか。
そんなことを「話し合い」たいのですが、まあ……それは、旦那相手にはできないわけで。
「見切り時」と言う言葉が、常に頭の中にある状態でした。
そうして。
膣トレーニングを開始した私は、そこの先生にこう言われたのです。
「あなたはそもそも、旦那さんとセックスしたいのですか?」
「正直に言いますと、したくないです」
その問いかけに、私は正直に答えました。
「何と言うか……本当に、セックスが苦手な人間に、無理させてやる価値があるのか、と思っています」
「あなたと旦那さんの『結婚』に対する価値観は、あまりにも違い過ぎます。もう本当に、ここまで違い過ぎる人同士がよく結婚したな、と思います。旦那さんの手紙に書いてある文は、本当に典型的な婚活男子にあるあるタイプだと思います。『結婚したら、妻となった人が何でもやってくれる』と思っている人は少なくないです」
「私も、ここまで違い過ぎているとは、思ってもいませんでした!」
私も、はっきりと答えていますが。今、改めて当時のことを思い出すと、旦那には生理的嫌悪感、抱いていましたね。
多分。就学前の子ども達ですら、「ないわ、それはないわ」と思うほどの表情をしていた旦那を見た時。
もう既に、私の潜在意識は「ないわ」と判断していたのかもしれません。
「旦那が生理的に無理」と言うのは、長い間一緒にいれば、それもあるとは知っていましたが、わずか半年でコレですからねー。
まあ……その「潜在意識」を無視し続けて、私は旦那との関係改善に精進していたわけですが、そろそろ、「見切り時」というものを決めた方が良いのかもしれない、と思い始めていたのもこの頃からでした。
「確かに、旦那さんが求めていることは、昔であれば、『当たり前』のことではありました。奥さんにとっても、自分の旦那が稼いでくれないと、子どもだって自分だって生活できません。だから、旦那さんを支えるのが当たり前だったんですよね。でも、今はそうじゃありません。そんな社会情勢ではないですし、自分一人分を生きて行くお金しか稼げない人も多いです。だから、夫婦で話し合って、お互いを助け合う生活態勢を作って行かなきゃいけないんですよ」
「旦那は、自分の『理想』としている男性像があるんです。でも、それを達成する力はありません。だから、私に大切されることで、男のプライドを満たそうとしているんですよ。私は、旦那の稼ぎが低かろうと、男としての能力が低かろうと、『一緒に頑張る』姿勢を見せてくれたら、それで良かったんですけどね」
「とりあえず、自分のことに意識を集中しましょうか。相手を変えることはできませんけど、自分はいつだって変えることができます」
膣トレーニングの先生の言葉に、私は頷きました。
確かに、その通りでした。
私は、自分の「膣」のことを、自分の物なのに何も知りませんでした。
膣は尿道と肛門の間にあることは知識の一つとして知っていましたが、膣やその周りにもきちんと名前があって、膣も練習すれば自分の意志通りにある程度までは動かせること、そして、コリもあることを初めて知りました。
「あなたの膣の筋肉は、とても硬いです。メチャクチャに硬い。だから、血液も流れにくいし、下が冷えやすいんですよ」
と、言われました。
そう。自分の身体なのに、私は「膣」には本当に無関心でした。
「性的な場所」という意識が無意識に働いて、興味を持たないようにしていたのかもしれません。
でも、肌だって歯だって体毛だって、自分の「体」なのに、「膣」だけが性的な場所だから、と言うので意識を向けないのは、おかしな話です。
そこでの膣トレーニングは、ぶっちゃけて言うと、膣に「入れる」ことでした。
最初は、膣の部分を触ることから始めて、膣トレーニングの先生の指を入れます。
自分の指を入れる人もいるらしいですが、私の場合は、自分じゃ、「あれ?」となりました。
膣の位置が、わからないんです。
「自分で入れる」というのが、まず私にはできなかったのです。
そして、膣トレーニングの先生の指が膣に入った瞬間、固まる体。
「もっと、体の力を抜いて」
と言われましたが、無理でした。
もうね、本能なんでしょうね。
こりゃあ、旦那ばかりを責めてばかりはいられんわ、と私は気持ちを引き締める思いでした。
で、ちょっと話が逸れますが、私は実は旦那と離婚した後も膣トレーニングには通い続けて、一年間月一で続けました。
膣トレーニングは「入れる」ことだけではなくて、会陰マッサージをしてもらったり、ビラティスを受けたりもしました。
しかし、基本は「入れる」ことです。私、実は膣圧測定器、膣に入れることができなかったんですよ。
身体に力が入って、入れることができませんでした。
なので、最初は膣の周りを自分で触ることから始めて、膣トレーニングの先生が会陰マッサージがてら人差し指を入れてもらいました。
これはもちろん月一回の膣トレーニングの日だけではなく、「宿題」として、「膣の周りを触れるようになること」「膣の中に手が入れられるようになること」が出ました。
この時に使っていたのは、「カレンデュラオイル」というものでした。
産婦人科での会陰マッサージの時は、このオイルの物か使われているそうです。
不純物は一切入っていない純正の物で、デリケートな部分に使うのは、特にオススメだそうです。
まあ簡単に言えば、このオイルを使って、中に入りやすくするようにしたんですね。
で、やっぱり。
「練習」って偉大です。
続けていけば、あんなに緊張していた身体も、指を入れても硬くならなくなっていました。
そうしたら、次に行うことは、「指の本数を増やす」ことでした。
人差し指から、中指も一緒に入れていき、膣の中で動かす練習していきます。
それも違和感なくやれるようになった頃。
私は、膣トレーニングの先生に、
「ダイレーターを使ってみない?」
と言われました。
「ダイレーター?」
セックスの道具と言うと、バイブがすぐにぽんっと思い浮かびますが、「ダイレーター」とは、初めて聞く言葉です。
「『女医が教える本当に気持ちが良いセックス』の著者さん(宋美玄)に教えてもらったんだけど、あなたにピッタリだなって思って。どう、使ってみる?」
ダイレーターとは本来、腟の狭窄予防のために用いる器具です。
膣って使っていないと、張り付いて中に入れることもできなくなってまうらしいです。
そういう時は手術も必要で、それを防ぐための、医療器具なんですね。
私が勧められたのは、「インスパイア シリコンダイレーター」です。
シリコンで作られた、ピンク色のダイレーターでした。
これは、全部で五本あって、一番小さいのは、ほぼ小指ぐらいの太さです。
一番大きいのは、外国人男性サイズだそうです。
ちなみに私は現在、この五本目にチャレンジするか迷い中です。
一年かけて四本目まで入るようになったんですけど、現在の私は、実家に戻っていて、月一回は通えない状態で、地味に練習を続けています。
実家に戻ることを決めた時に、
「じゃあ、バイブレーターも併用すると良いわよ」
と言われたので、それも使っています。
バイブレーターと言っても、小さいコロンとした、「iroha」シリーズの、「iroha ミニ」というシンプルなものです。
プニプニした感触で、防水加工もバッチリなので、お風呂でも使えます。
シンプルな操作方法でボタンスイッチで、振動します。
肩や腰に当てて振動を感じても良いですし、もちろんバイブレーターですから、先っぽを膣に入れて振動させても良いです。
「まず、バイブで身体をリラックスさせて、それからダイレーターを中に入れると良いですよ」
と言われたので、二つを併用して、地味に膣トレーニングを続けています。
で、また話を戻しますと。
膣トレーニングの先生に「自分のことに集中しましょう」と言われた私は、仕事がまたしても怒涛の期間に入ったことも合わせて、旦那のことよりは、自分のことに照準を合わせることにしたのです。
まずは、仕事をきちんとこなすこと。
たとえ周りの環境が「おいおいおいおい」でも、仕事の手を抜く理由にはなりません。
そして、「将来」のことを考えること。
旦那との関係を横に置いて、自分が「将来どうしたいか」の目標を設定することにしました。
どのみち、当時の職場に長く身を置くことは考えられませんでした。
上司は良い人でしたが、「パワーバランス」を考えれば、すぐに働く環境が良くなるとは考えにくい。
それに、当時の会社で私が「理想」としていた形で仕事ができる可能性は、ほぼありませんでした。
ならば、転職も近い未来に考えなければならないわけで、そのために、「この時点で何ができるのか」を考え、資格取得の勉強を集中して行うことにしました。
けれど。
「膣トレーニング」以外でも、何か「自分を変えることができないかな」とも思ったのです。
どのみち、「膣トレーニング」はすぐに効果は出ません。
筋トレは、基本的に日々のトレーニングの積み重ねです。
できれば、旦那のことをもうちょっと受け入れることができる方法とかあればなーと思いながら、旦那と一緒に料理教室に出かけた、帰り道でのこと。
まあ……料理教室では、心の中で旦那に突込み、一緒に居ても、「あなたはこの結婚に何を望んでいるの。どんなことができると考えているの」と聞きたくなるのを抑えているので、何と言いますか、「苦行」に近い物を旦那といると感じていました。
そして、「見切り時」と言うものを考える時期か、とも思っていました。
でも、ですねー。
やっばり、そんな自分を「もうちょっと変えんとな」と思う自分もいるわけです。
アンバランスだな、と思われるかもしれませんが。
縁あって結婚した人なんですから、何とかやっていきたかったんですよ。
で、そんなことを考えて料理教室の帰りに、旦那と本屋に寄ったのですが。
「何か、ヒントになるものはないかなー」と思いながら、私は本棚の間をウロウロしていました。旦那は旦那で、自分の興味のあるジャンルの方に行っています。
一時間後を待ち合わせの時刻にして、私達は本屋さんに入りました。
さすが、県下一の品揃えと言われている店舗だけあって、他のお店にはなさそうな本も置いてあります。
ふと、平台に「最強の手帳の作り方」みたいなタイトルの本が置いてあるのに気付きました。
「手帳」と言うと、私は「願いごと手帖のつくり方」(ももせいづみ著 PHP文庫)が一番好きなので、その後に次々と出て来た人達は、あまり気にしたことがありません。
まあ……読んだこともあるのですが、何か、あまり続かないんですよね。
「どうなんだろう」と思いながら、私は平積みされているその本を手に取りました。
案の定、「宇宙への注文の仕方」とか、「竜神様に繋がる」という内容に、「うーん」となりましたが、不意に、「百パーセント自分原因説」という文字が目に飛び込んで来ます。
「うん?」と思いながら読み進めると、「あなたの周りに起こっていることは、あなたの『思考』が原因なのです」と、書いてあるではないですか!
おお、これは!と思いました。
なんと、破天荒にして斬新な考え方でしょうか!
周り全ての環境が自分の思考のせいとはちょいと乱暴ですが、「他人は鏡」と言います。
今まで、旦那との関係改善のために、料理教室に行ったり、ストレッチ教室に行ったり、整体に行ったりとしましたが、なかなか効果が出ません。
まあ……正直に言うと、「私が求めることは、旦那にとっては、難しいことなんだろーな」と言うことがこれらのことを通してわかって来て、占い師さんが言っていた、「旦那をどこまで受け入れることができるのか」を考え始めた私。
でも、旦那の求めるキャパって、ほぼ母親レベルなんですよね。
「セックスに恐怖感持っています。男としてのプライドを保つ能力ないから、妻に大切にしてもらって、そのプライドを保ちたいです。結婚生活を続ける努力? 僕のことを愛してくれるなら、僕のために何でもしてくれるでしょう?」
このレベルのキャパがあるのってですね、母親だけなんですよ。
しかも、このキャパを持って旦那に対応したとして、私に返ってくるメリットは、「ない」からですね。
稼ぎもない、子どももできない、一緒に「頑張ろう」とする姿勢も見せない。
ただ、「僕の望みを叶えてくれない」とでも言わんばかりに、ジト目で見て来るだけ。
そしてこの頃は、「僕は哀しくて仕方ありません」とばかりに、部屋に閉じこもる攻撃が追加されていましたからね。
旦那にしてみれば、「僕は頑張っているのに、ちっとも褒めてくれない」と言うことかもしれませんが、強固に「結婚したら、『確定された未来』が叶えられる」と信じて疑わない旦那にとっては、もうその「努力」も、そりゃあまあ、「やらされている感」は、多分に感じていただろうな、と想像に難くないです。
「やりたくてやっている」と、「やりたくないのに、無理やりやらされている」では、全然違います。
だけど。
少しでも、私が「受け入れる」キャパを広げることができるのであれば、旦那もやる気になってくれるかもしれない、と思ったんですよね。
よーしと、私は早速家に帰ると、パソコンで「百パーセント自分原因説」について調べ始めました。
料理教室に行った後は、夕飯は用意しなくて良いので、集中して調べ物ができます。
風呂は帰ってからすぐ洗って、お湯を入れてから、旦那には「先に入って良いよー」と声をかけていました。
で、調べて行くうちに、「これは本を読んだ方が早いな」と気付きました。
まあ、ネットで調べても、「お陰様で、仕事の人間関係が上手く行くようになりました」や、「子どもに穏やかに接することができるようになりました」とか体験談が出て来て、どうも肝心の「百パーセント自分原因説」については、具体的にはよくわからなかったのです。
公式のネットで発案者の人がやるのは、ぶっちゃけて言えば、「宣伝」なんですからく「匂わせ」で終わるのは当たり前。
ならば、本を買ってみるか、とアマゾンのキンドルを私は覗いてみることにしました。
私の場合、アマゾンのプレミアム会員なので、上手く行けば、「読み放題」で読むことができるかもしれないのです。
で、ありました。
アマゾンの「読み放題」の中に。
「百パーセント自分原因説で物事を考えてみたら……」(秋本まりあ著 パプラボ社)が!
秋本さんが「百パーセント自分原因説」について初めて書かれた本なので、一番伝えたいことが書いてあるはずだ、と思い読み始めました。
そして、わかったことは。
この「百パーセント自分原因説」は、自分の思考の洗い出しが肝だ、ということです。
百パーセント自分原因説での考え方によれば、自分の周りに起こっていることは、全部「自分が引き寄せたこと」になります。
こう言うと、何だかとてつもなく重い感じがしますが、私的に解釈したのは、「人は生まれる前に人生設計を考えて来る。ところが、生きて行くうちに、それらを忘れて行く。そこで、『潜在意識』から、『おいおい、ちょっと待たんかい!』という、突込みが入る」って感じでしょうか。
その「突込み」を突き止めるために、「思考の洗い出し」が必要になって来るわけです。
私の場合は、「旦那がジト目で見てくるのが嫌」と書いて、次に湧き上がって来る感情を書き留めます。
「言いたいことがあるなら、言って欲しい」「どうして私ばかり責められるの⁉」「勘弁して……」ってな感じですね。
そして、相手に関係なく、第三者の視線で冷静に自分の思考を考えていくわけです。
「言いたいことがあるなら、言って欲しい」→怒り、「どうして私ばかり責められるの⁉」→自分ばかりが責められているという思い、「勘弁して……」→絶望、諦め。
とりあえず、それをノートに書き出していきます。基本的に、私の根底にあるのは、「言いたいことがあるなら、言え」ということが、この「思考の洗い出し」では、わかりました。
実は心理学的にも、相手の役割を演じることで、相手の視点、考えや気持ちになってみること、あるいは相手へ伝えたいこと(または相手から自分へ伝えたいこと)を探り、気づきを得る「エンプティ・チェア」という手法があります。
簡単に説明すると、「自分の位置(椅子)」「相手の位置」「第三者の位置」を決めて、その場所に行ったら、それぞれの視点で「気持ち」を考える手法なんですが、この「思考の洗い出し」は、それに近いものがありました。
ただ、ですね。この「思考の洗い出し」を私は進めていたのですが、「やっぱり、第三者に入ってもらった方が良いかもね」と思い始めました。
どうしても旦那を責める感情が湧いてきて、進めることが億劫になって来たのです。
この「思考の洗い出し」は、仕事に関してもやっていたのですが、私の思考はどうも常に「言いたいことがあるなら、言え」があるようで、あの女子特有のネチネチした空気に怒りが湧き、挙句、子ども放っておいて雑談できる神経がわからず、「子どもをギリギリまで待たせて仕事するぐらいなら、その雑談している時間で仕事できるんでない⁉」と毎日突っ込んでいました。
正直、「怒り」を毎日抱いてやるのは、きついのです。
冷静に「突っ込んで」くれる人がいるなーと思い、メールセッションをすることにしました。「百パーセント自分原因説」のセッションは、「クリエティブ・メソッド」と言いまして、個別でもセッションをしてくれるのです。
電話やスカイプを使うセッションもあるのですが、私は「思考の洗い出し」をこの際だから、やることにしたのです。
残念ながら、秋本まりあさんは現在セッションをしていらっしゃいません。
代わりに、まりあさんの指導を受けて、「クリエティブ・メソッド」をやってくださる方々がいらっしゃいます。
で、私もその中の一人の方にお願いしました。
メールのセッションは、先生(カウンセリングをしてくれる方のことにしますね)と、五往復するメールの中で行います。
先生が質問シートを送って、私がその質問シートに答える、という形で行うのですが、ページ数、半端ないです!
十枚以上のページ数で来るし、質問の内容もかなりディープなので、もう、書くのが大変!
結局、別居した後までこのセッションは続きました。
そして、このセッションを受けた結果、どうも私の思考は巡り巡って、三百六十度戻って来てしまったようなのです。
どうも、私の潜在意識の奥底には、「物事は、困難があるのが当たり前。その困難に打ち勝つこそ、人生の醍醐味」という、思考があるらしく……そう言えば、小さい頃何でも人並みにこなせないで、それが悔しくて、上手く(人並みですね)いくまで、練習続けていたなあ……と、思い出していたのですが。
基本的に、これ、あまりない「思考」らしいんですね。
一見すると、まあ、良い思考に見えるかもしれませんが、「いやいやいや。物事にはスムーズに事が運ぶこともぎょうさんあるのに、何で自分から、『困難』呼び寄せてんねん!」という突込みになります。
そうですよね。
別に、「スムーズ」に行くことを、「困難」に変える必要はないのです。
しかし私の潜在意識は、「カモン、困難」をしているので、「困難」が、「ヘイ、呼ばれましたぜ、兄貴!」とばかりにやって来る。
とりあえず、それを改めることにしました。
「思考の修正」ってやつですね。
で、旦那。
私が膣トレーニングだ、思考を変えるためのセッションだ、とやっている間。
とりあえず、私に言われて、「セックスカウンセリング」に行くことにしたようでした。
「セックスができません」
とわかってから、半年以上。
やーと、重い腰を上げたのです。
しかもそれがわかったのは、ひょんなことからでした。
膣トレーニングの先生には、旦那とのセックレスのこと、旦那のセックスに対する「意識」について、その都度、話してはいました。
「まず言っときますと、その手の方とのセックスは難しいです」
はっきりきっぱりと、膣トレーニングの先生には言われました。
「難しいんですか!」
「難しいんです。どんな生育環境だったかはわかりませんが、セックスに対して嫌悪感を抱いている人は、まずその『嫌悪感』を除くところから、始めないといけないんです」
そこで一度、膣トレーニングの先生は言葉を切りました。
「『恐怖』を感じているのであれば、何かしらの原因や理由があるはずです。でも、基本的に人は『恐怖』からは、逃げようとします。だって、怖いんですからね。それを『克服』するためには、本人の意思と努力、そして何よりも周りの協力が必要なんです。これは、本当に時間がかかります。そして、苦痛も伴います」
この時点で。
旦那は、まぎれもなく、「苦痛」を感じていました。
「セックス」に関して、どうしたいのか。
それを聞くだけで顔が強張り、私が手を握っただけで緊張するのです。
彼にとって、「セックス」とは、まさに「苦痛」と「恐怖」以外の何物でもないようでした。
「後、男性の性器はこすることで、快楽を感じるようにできています。しかし、体の構造上、それができない人もいます。また、マスターベーションをし過ぎたために、膣でイケなくなる人もいます」
膣トレーニング先生の説明通り、「セックスができない」と言っても、原因は様々なのです。
ただ、一つ言えることは。
本人(だんな)が、「それを心から願っていることか」、ってことが一番大切、ってことなのです。
壮大な序曲のように告げていた占い師さんが伝えたいのは、このことだったのです。
「とにかく、旦那さんに病院に行くように伝えてみたらどうですか?」
ため息を吐いた私に、膣トレーニングの先生は言いました。
「旦那さんが治療をする気があるかは、少なくとも確認できます」
「どこかオススメの病院はありますか?」
私がそう尋ねると、先生は懇意にしている病院の名前を教えてくれました。
どうしようかな、とは迷っていたのですが、ここでぐずぐずしていると、後悔することになるな、と思いました。
時間は、無限じゃないんです。
これから先は、家族に起こることは良いことよりは悪いことの方が多くなってくる。
幸いにも、この時点では旦那の親も私の親も元気で、自分達のことを考えていれば良かったのですが、時間が進めば進んだ分だけ、確実に「変化」は起こってくるわけです。
いつまでも、「子ども」のままではいられない。
ならば、躊躇う時間は短ければ短い方が良いわけで、私は旦那を傷つけることを覚悟で、「病院に行って、検査を受けてみないか」と言ってみました。
そうすると、
「治療に行っている」
と、旦那が言うではないですか!
ぬわんと、と思いました。
「kakuちゃんの話を聞いて、病院探して受け始めた」
とのこと。
旦那にとっては、私があまりにも尻を叩き続けるため、嫌々ながらも行ってます、という感じでしょうか。
「じゃあさ、どんな結婚生活を送りたいのか、それは考えた?」
私は問いかけますが、そこは黙り込みます。
そんなに難しいことなのか、と私は思いましたが、旦那にとって、「難しい」ことなのであれば、待つことも必要なのでしょう。
と言うより、「今は旦那より『自分』に意識を集中!」と決めていた時期でもあったため、
「念のため、この病院にも行ってみてくれる?」
と伝えただけで、それ以上の言葉を重ねることは止めました。
ただでさえ、「男のプライド」を傷つけることを強いているのです。
その点での配慮は、「やっぱりいるよなあ」と思いました。
なので、「後は旦那の報告を待ってからだな」と、しばらく様子を見ることにしたのです。セックスカウセリングに行くことですら、旦那にとっては、多大なストレスのはずなのです。「急ては事を仕損ずる」とも言います。
この件に関しては、ある程度旦那に任せるしかないな、とこの時は判断しました。
まあ……しかし。
ある程度時間がかかることとは言え、それから半月ぐらいしてから、旦那から
「体に異常はないって言われたよ」
と、報告は受けましたが、それ以上の動きはなし。
私としても、「急ては事を仕損ずる」はわかっていましたが、それにしては、「何もない」
挙句の果てに、ちょうどその頃、結婚記念日一年目を迎えることにはなっていたのですが、多忙になることはわかっていたので、翌月の旦那の誕生日と一緒に祝うことを提案して、旦那にも了承は貰っていました。
ただ、それでは味気がないよなーと思ったので、ケーキぐらいは用意するか、と私も思っていました。
ただ、ですね。
仕事があまりにもタイト過ぎて、ケーキを出すのを忘れたのです!と言うか、当日の朝、旦那に「ケーキあるよ」と声をかけるのを忘れていたのですよ。
そうしたら、ですね。
疲れたーと、何時もだったら、リセットのためにコンビニとかに寄り道する私も、流石に真っ直ぐに自宅のアパートへと戻りました。
来月になったら、また仕事は落ち着くから、それまでの辛抱だ!と思いながら、「ただいまー」と言った瞬間。
思わず、「出た~」と思いましたよ!
どうも、旦那は自分用の冷蔵庫から何かを取り出そうとしていたタイミングらしく、帰って来た私を、見ていました。
その、目が。
ええええええ!と、思うぐらい恨みがましいんですっっっっ!
はいいいい⁉となりましたね。
私、霊感とかありませんけど、本気で「怨霊か⁉」と思いましたもん。
と言うか、幽霊の方がマシですっ!
泊っていたホテルで幽霊に覗き込まれた時は、「BLって最高よね!」と言い放つと消えて行ったし、仕事場でお菓子を作っていた私を覗き込んだ幽霊は、「何を作っているのかなー」と言った感じだったし、最近見た幽霊は、走っているバスの窓にぶら下がっているだけでした。
しかし、旦那は。
その瞳に怨恨を宿して儂を見ています。それはまるで、「リング」の貞子でした!
皆様、言っておきます。
幽霊は怖くありませんっ!
怖いのは、生きている人間の怨恨ですっっっ!
で、私は。
「見たくない物を見た時はスルーしましょう」と言う、本能の命じるままに、旦那の怨恨にまみれた眼差しを、「見なかったこと」にしました。
ま、疲れていてそれどころじゃなかった、と言うのが本音でしょうか。
とりあえず、私は旦那から視線を外すと、自分の部屋に荷物を置き、お風呂に入る用意を始めました。
そしてそのままお風呂に入ると、その後は夕飯を用意して食べました。
その間に、旦那は自分の部屋へと戻っていました。
旦那としては。
「結婚記念日だから、何かしてくれるはず」と思っていたのかもしれません。
しかし、私としては事前に「来月にしようね」と伝えていたため、ケーキぐらいは用意したものの、それ以外は「後のお楽しみ」ぐらいでいるつもりだったのです。
結局、次の日に旦那の冷蔵庫に「ケーキ出すの忘れてたー」と書いたホワイトボードを貼って、中にはケーキを入れて置きました。
帰った後は、旦那は元に戻っていたため、どうも私の予想はビンゴ!だったようです。
「でも、それって、kakuさんは事前に伝えていたんですよね?」
そのことを、年下の元同僚さんに会った時に話すと、彼女は不思議そうな表情になって聞いて来ました。
「うん。そう。仕事が忙しかけん、来月の旦那の誕生日と一緒にさせてって言ったんよ」
「旦那さんは、何て言ったんです?」
「『うん、わかった』ってば、言いよった」
「じゃあ、何で不満なんか持つんですか?」
「ほら、子どもが中学生ぐらいになって、『誕生日にケーキなんか要らん』って言っても、実際、ケーキが用意してなかと怒るたい。それと同じじゃなかとかなあって」
「それ、変じゃなかですか?」
けれど、年下の元同僚さんは、不思議そうな表情のまま続けました。
「旦那さんは、子どもじゃないんですよ? だったら、ご自分で『やっぱり記念日だから、何かしたい』と伝えれば良いじゃないですか。それに、自分が『したい』と思っているなら、自分が計画して段取りすれば良いじゃないですか」
それは。
本当に、「真っ当」な意見でした。
「でも、私が『忙しか』で断ると思ったのかもしれんしなあ」
「だったら、違うスケジュールを考えたり、『俺が全て用意するから、来てくれるだけで良いから』ってすれば良いんですよ」
元同僚さんが言う言葉は、本当に真っ当すぎるほど、「真っ当」でした。
実は。
旦那は、頭はメチャクチャ良いのです。
合格が難しいと言われる国家資格を取得して持っていていました。
ただ、ソーシャルスキルが著しく低い旦那は、その資格を仕事で使いこなすことはできていなかったのです。
年下の元同僚さんの言葉に、私はあることに気付きました。
皆様は、「旦那さんが可哀そう」と言う方もいらっしゃると思いますが、思い出されてください。
旦那は、お弁当のおかずを勝手に食べて私が怒った後、仕事から帰って来た私を見て、自分の部屋に駆け込んでいます。
そのあまりの表情の酷さに、私は頭がフリーズしてしまい、「見なかったこと」にしてしまったのですが、あの後、旦那は「どうして何の反応もないのだろう」と言うように、部屋から顔を出しています。
そう。
旦那は、「可哀そうな自分」を出すことで、物事を自分に有利に動かそう、としていたのです。
別に、それは特別のことではありません。子どもは、相手によって態度を使い分け、自分の思い通りに事が運ぶようにしています。人間であれば、大なり小なり、皆やっていることです。
よく聞く、不機嫌になった旦那さんが奥さんを無視する、と言うのも同じでしょう。
まあ、そう考えると旦那がカウンセリングに通いながらも、私が「あきらめる」ことを待っている、あるいは期待していることは明白で。
「本当に、旦那さんはカウンセリングを受けているんですかね?」
と、膣トレーニングの先生にも言われました。
「多分、受けているとは思います。嘘を言う人ではないので」
旦那の性格からは、「嘘を吐く」ことはできる人ではないので、きちんとカウセリングには行っていると私は確信していました。
「基本的に、セックスカウセリングは夫婦で受けるものなんですよ。最初は確かに一人で受けますが、だいたいしばらくすると、『パートナ―の方と一緒に来てください』と言われます。旦那さん、言われてないんですか?」
「わかんないです。何にも言って来ないので」
私の言葉に、膣トレーニングの先生はため息を吐きました。
「もし、旦那さんに『カウンセリングに一緒に来て欲しい』と言われたら、どうします?」
「多分、『一緒の部屋では受けたくない』って言うと思います。旦那には聞かせたくない言葉も、言ってしまいそうですし」
正直に申しますと。
この時点で、私は旦那とのセックスは、「無理だな」と思うようになって来ていました。
私がやりたかったのは、夫婦協力して何事も作り上げていくこと。
たとえセックスが「できない」と言う事実があったとしても、お互いに話し合って、より良い形になって行けば、それで良かったんです。
しかし、旦那が選んだ方法は、表向きは私の意見に従って、その実、時間をかけて私が諦めるように待つ、というもの。
確かに、旦那の気質と能力を考えたら、それが最良の方法でした。
旦那にとっては、一旦結婚したら簡単に離婚できるものではない、という考えの基だったのでしょう。
ただ、私にとっては、「お互いが理解し合えないなら、結婚生活は続けていく意味がない」でした。
最後の手段だと思っていた、「離婚」の字が、現実的なものとなって来たのはこの頃からでした。
でも、まだ耐えられるかもしれない。
まだ、頑張る余地はあるかもしれない。
そう思いながら、私は「自分のことに集中する」期間をやり過ごし、仕事が落ち着く期間を待ちました。
そうして、結婚記念日の月でもあるその月は、旦那と共に過ごすために、料理教室以外にも、映画を見たりして、旦那と共に過ごす時間も確保するようにしました。
しかし、これは案外努力を要しました。
もう本能は、「もう、離婚で良かろう」と言っているのに、理性は「まだ頑張れるはずだ」と言うわけです。
『いや、もう良いでしょう』
そんな時。
相談に入った、電話鑑定の占い師の男性は、そう言いました。
私の場合、女性の占い師さん達にずっと占って貰っていたのですが、旦那の気持ちを理解するためには、男性の占い師さんが良かろう、という思いで選んだのです。
で、その方に相談したところ。
前述のように、そう言い放ってくださったのです。
「無理、ですか」
『あなたの旦那さんは、鉄筋のコンクリートのイメージなんです。ですが、基礎工事ができていなくてガタガなんです。でも、それを自分でどうにかしよう、とは思っていないんですね』
「それは、どうしてでしょうか?」
『自分がするよりも、他人がしてくれる方が上手くいくからでしょう。それが良い悪いではなくて、あなたとは根本的に生き方が違うんですよ』
「離婚……が、ベストでしょうか?」
『でないと、病気になりますよ。どちらが先かはわかりませんが、時間の問題でしょうね』
まあ、確かに。
旦那のキャパを考えると、もうこれ以上の無理はさせられないかもしれない、と私は思いました。
私は「大人」である以上、まして夫婦であれば、自分の意見はきちんと伝えあって然るべき、という考えでした。
それは今でも変わっていません。
ですが、旦那がそれを受け入れることがてきない以上、そして私もそんな旦那を受け入れることができない以上、一緒にいる意味はないわけです。
「でも、まだ離婚は考えられません……」
私は、力なく男性の占い師さんに言いました。
『別居もね、良いと思いますよ。一緒に住むことが、夫婦ではないですからね』
そんな私に、男性の占い師さんは、そう答えてくれました。
『ただ、旦那さんと「夫婦」関係を続けるのは、あまりお勧めできません。あなたにとっても、旦那さんにとっても、バランスが悪すぎるからです』
と、男性の占い師さんは、言葉を続けました。
まあ……確かに。
パートナーと共に柴刈りに行きたい私と、パートナーにお花畑を生み出して維持してもらいたい旦那では、もう、本当にバランスが取れません。
このままで行けば、確かにもう未来には、共倒れしかないわけです。
でも、ね。
うん、と私は思いました。
私的には覚悟を決めてしまえば、「離婚」に進むことは、何の躊躇いもなくできる自信があります。
けれど、「離婚」は、一度しかできないわけです。
迷いがあるうちは離婚することはできない、と私は思いました。
そうしているうちに、結婚記念日と兼任する、旦那の誕生日が近づいて来ています。
「何か美味しい物でも食べに行こうか」と旦那とは話し、「どこか良い店ないかなー」とネットでくぐった私は、自分達が住む場所から一駅離れた場所に、とても良さげなお店があることに気付きました。
かつての職場の若い同僚さんが、「とても良いお店ですよ」と言っていたお店でもありました。
旦那に「どうかな?」と聞くと、「良いんじゃないかな」とのことだったので、そこのお店に予約入れました。
お互いに仕事が終わった後、直接そのお店に行くことにしました。
現地集合、現地解散、ですね。
結婚記念日と旦那の誕生日ですから、会計は夫婦共同の会計と、私の方から出すことにして、準備も万端です。
けれど。その一方で。
旦那から、セックスカウンセリングについての話はなく、まあ……同居人のような生活は続行していたわけです。
そんな中、私は「クリエティブ・メソッド」を進めるうちに、思うようになって来たのです。
「何故、本人が嫌がっていることを、無理にさせようとするわけ? 『その事実』が不都合なのは、自分だけじゃん」と。
私自身は、「セックスがしたい。夫婦である以上は、それに向かって努力したい」と思っていましたが、そこにそんな思いを抱くようになりました。
そしてさらに、
「もう良いんじゃね?」
と言う思いも抱くようになったのです。
「旦那は、私の思う通りにはできない。そして、そんな旦那受け入れることはできない。でも、それの何がいけんの?」と。
『まあ、気持ちはわかります』
そうして、私はまるで序曲のように告げた電話占い師さんに、また電話をかけて、そんな風に思っていることを伝えました。
『まずは、離婚するしないではなく、「離れる」ことを選んでみてはどうでしょう? 旦那さんもあなたもお互いの「存在」から自由になれるので、今よりはマシになりますよ』
「別居ですか……」
『「離婚」の結論を出すのは、まだ早いです。きちんと話し合うことを、まだ諦めないでください』
「それを、いつ告げれば良いですか?」
『前振りは、結婚記念日の食事の後でも良いと思いますよ。「このままの状態を、いつまでも続けるつもりはない」と、食事の終わった後に告げれば、旦那さんも気が引き締まると思います』
「引き締まっていなかったんですか⁉」
『危機感はないですね。何か、「いつか解決するだろう」って思っているみたいです』
占い師さんはそう告げましたが。
何かそれは、当たっているかのような気もしました。
『旦那さんは、セックスカウセリングに行っているんですよね?』
また、別の日。
相談した電話占い師さんは、確認するように私に尋ねて来ました。
「多分、行っていると思います。病院名もはっきり言っていたので」
『じゃあ、きちんと行っているですね。……ただ、お医者さんのカードを見ると、「あまり伝わっていない」という意味のカードが出ているんですよね』
「『あまり、伝わっていない?』」
『何と言いますか……『毎回、同じ反応だよな』って感じです』
それには。
何となく、心当たりがありました。
もちろん、「占い」なので、それが本当かどうかはわかりません。
ですが、私の言っていることを、「何言っているのか、わからない」という表情で見ていた旦那を思い出すと、さもありなん、とも思うのです。
おそらく、セックスカウンセリングのお医者さんは、旦那に今後のアドバイスをするものの、旦那はその言葉に頷きながら、おそらく、「我が事」としては、受け止めていることができていなかったのでしょう。
それが、「アスペルガー」だからできなかったのか、もともと旦那の気質としてできなかったのか、それは私にはわかりません。
でも、旦那には「カウセリング」は、効果はない方法みたいでした。
まあ、それゆえに、一緒に住む前に受けた「セックスカウセリング」も、意味はなかったのでしょう。
相手の言うことはわかる、言っている意味も理解はできている、だけどそれを自分に当てはめて、行動することはできない。
つまりそれは、「自分のこととして、考えることができない」ってことなんですね。
さて、ずーと引っ張って来た伏線を回収しましたが、これを読んで納得されたる方、「いや、もうちょっと受け止めてあげても良かったんではないかい?」と言う方、様々だろうでしょう。
でも、結局。「セックス」って究極のコミュニケーションなんですよね。
ここまで書いて来て、私は思います。
やっぱり「できないこと」を、「できるようにしよう」と強要されることは、とても辛いことなんだろうな、と。
ま、それはともかくとして。
話を元に戻しましょう。
そんなこんなで、旦那と結婚記念日+旦那の誕生日の食事会へと出かけました。
ぎこちない空気が流れています。
この頃は、本当に旦那と会話するのが苦痛で、自分のテンションを上げるのがすごく大変でした。
友達や元同僚さん達とご飯を食べに行く約束をするとすごくテンションが上がるのに、旦那と出かけるのは苦痛でしょうがない。
それでも、ご飯は美味しいし、「楽しむことが先決」という心意気の元、私はどうにかこうにか、旦那との時間を過ごしました。
しかし、旦那の方もテンションが低めです。
話しているのは、主に私のみ。
もうちょっと、何と言うのか、「努力してくれよ」と思ってしまうのは、私の我儘なのでしょうか?
本当は、どうしようかと、迷っていました。
序曲のように告げた占い師さんのアドバイス通り、「このままでは、もうやっていけないと思う」というのを、言った方が良いのか。
それとも、「楽しい食事会」で終わった方が良いのか。
ですが、この月を逃すと、今度は二か月間、仕事が忙しくなります。
まして、今の雰囲気は「全然楽しくねー」です。
ならば、今この時が、「良い頃合い」なのでしょう。
「あのね、私はやっぱり今のままでは、結婚生活を続けるのは難しいと思うの。続ける意味がないからね」
旦那は、驚いたような表情で固まっています。
「今はまだ、頑張れるかなと思うから一緒にいるけどね。でも、私は『もう無理かな』と思ったら、先に進むよ」
えええ⁉という表情を、旦那はしています。
けれど、私はその表情に、内心、「ええええ!」となりました。
ある程度予想していたとはいえ、やっぱり旦那はどこか呑気に「他人事」のように、捉えていたのでしょう。
「相手の気持ち」というのが、どんなものなのか、思い付かないのかもしれません。
「とりあえず、再来月の私の誕生日には、美味しい物食べに連れて行ってくれる?」
そうして。
そんなことを思いながらも、そう言葉を続けると、旦那はどこかほっとした表情になりました。
私としては。
旦那に、「誰かのことを思って、何かをする」ということを、やってもらいたかったのです。
そうすることで、何かしら、見えてくるものもあるのではないか、と考えたわけです。
まあ……本音は、「自分の思い通り用意していないと、怨念飛ばすんだから、私の誕生日ぐらい、きちんと段取りしてよね!」でしたが。
で、二か月後の私の誕生日に、その「段取り」ができていたのかと、言いますと。
まあ……ね。
皆様の、予想通りですよ。
相手の好みをリサーチしつつ、幾つかのお店をピックアップして。
「どれが良いかな」と相手に聞いて、相手が選んだお店、あるいは自分が決めたお店に電話をして予約する。―できませんでした、旦那。
私の誕生日の前日に、「どこに行くの」と聞いて来ましたからね。
その言葉を聞いた瞬間、私は、「もう駄目だな」と思いました。
「どこに行こうか」と、聞き返しながら、当日何かしてくれるかもしれないな、とも思っていましたけど。
とりあえず、その日は日曜日だったので、自分への誕生日プレゼントに、スーパー銭湯に行って、マッサージ受けて。
そこから出ても、旦那からの連絡はありませんでした。
この時の旦那の気持ちは。
今でも、私にはわかりません。
別に、記念日とかそういうのでサプライズ的なものをして欲しかったわけじゃないです。
ただ。
そう……ただ。
「私のことを思って、何かをして欲しい」
まあ、それだけのことでした。
自分の望みを叶えるために、私に対してアクションをするのじゃなくて。
本当に、単純に「私のために」私がリクエストしたことを、叶えて欲しかったのです。
だから。
夕ご飯をうどん屋さんで済ませて、家に帰った時。
ホワイトボードに、「来週どこか行こうか」と書こうとしていた旦那を見て、「もう、いっか」と思いました。
時間は、二か月ありました。
その間、セックスのことも、どんな結婚生活が送りたいかも、一言も自分の考えを言わずに、頼んだことも、これ。
わからなければ聞けば良かったのに、そこは、「男のプライド」が邪魔をしたのかもしれません。
「他人のために、何かするって大変でしょう?」
私は、旦那にそう言いました。
私の問いかけに、旦那は「え?」という表情になります。
「大変なんだよ。他人のために、『何か』するって言うのは、とても大変なの。してもらえなかった時に、『何でしてれくれないの!』って思うことはね、とても簡単。でも、する方は、大変なんだよ」
私は、ため息を吐きながら言いました。
「私、この家出るわ。もう、良いわ」
その瞬間。旦那は、驚愕の表情になりました。
「何で、嫌だ!」
「うん。私も、嫌。できないことを責められ続けて、望んだことは、叶えられない。どちらが悪いってわけじゃないけど、もう、良いわ」
自分は百を望むのに、私のために「何かする」ことは、ない。
「上手くできなかったらどうしよう」と言う、男のプライドの方が先に来ているのであれば、それは、旦那の「事情」です。
私が、配慮する必要も付き合う必要もないわけです。
私は、聖母ではないのですから。
まあ、ここまで書けば。
「いや、聖母のようになれとは言わないけど、もうちょっと旦那さんに猶予あげれば良かったのに」
と言う人もいらっしゃるかもしれません。
皆様。
「聖母」と言えば、「イエス・キリスト」の母・マリアを思い浮かべる人がほとんどだと思います。
ですが、皆様。
勘違いをしてはいらっしゃいませんか?
「聖母」・マリアはイエス・キリストの「母」なんですよ!
マリアさんには、「ヨセフ」という大工の旦那さんがいたんです。
このヨセフさんは、自分の婚約者であるマリアさんが「神の子を身ごもった」と告げた時、婚約を破棄せずに、彼女と結婚をし、「神の子が生まれる」という予言を恐れたローマの皇帝の迫害を避けるため、マリアを連れてエジプトまで逃げています。
どうですか、皆様。
「聖母」と言われるマリアさんには、こんなタフでナイス・ガイの旦那さんがいたんですよ!
「聖母」が欲しければ、「ヨセフ」にならないと、いけないんですよっっ!
ただ。私は、スーパーナイス・ガイの旦那が欲しいんじゃなくて。
一緒に、「生活」を築いていけるパートナーが欲しかったんです。
とりあえず、このままま一緒に生活していても、先には進めない、と私は思いました。
未来にあるのは「離婚」だったとしても、旦那と「話し合い」をしないと、やっばり「前」には進めない。
それが、最後まで、私が拘ったことでした。
一緒に生活していると、「ケンカ」し難いということもあるし、離れた方が本音でこれからのことを話し合えるかもしれない、
うん、と私はそんなことを考えながら頷きました。
ならば、早速アパートを探すべし!と検索をしながら、「良か物件はなかかなあ」と探していた時。
ラインの通知を知らせる音がしました。
誰じゃろうかい、と思いスマホを見ると、何と旦那からでした。
同じ家にいて。
すぐ隣の部屋で声をかければ良いのに、ラインです。
で、その内容は。
『もうどうしても無理ですか? 猶予というか、一度だけのお願いでも無理ですか? はっきり言えなかったけど、口の中に出来物ができていて、癌の可能性もあるそうです。今は大学病院の受診前で、不安に陥っています』
でした。
……正直。
またこのパターンかよ、と私は思いました。
何かしら自分の不都合があると、「転職をしたいけど、相談していいのかわからなかった」とか、「癌かもしれないで不安です」とか、「弱い自分」を前面に出して来ます。
勿論、それは嘘ではないのでしょうが、それにしても「弱い自分」を出すことで、少しでも自分の不利な状況を改善しようとしているのは、見え見えです。
確かに、自分の「病気」が何かわからないのかは、不安でしょうがないのかもしれません。
ですが、何故、今このタイミングで。
それを、言うのでしょうか?
私は、思わず深いため息を吐きました。
『今回の問題と、健康の問題は別だよ』
それだけ、私は返事をしました。
旦那が病気だった場合、「家族」として対応するつもりでした。
離れて暮らす家族が、看病のために病院に通うのは、特に珍しいことではありません。
それに、はっきりと「癌」と決まったわけでもないのです。
もっと前に言ってくれたら私も違った行動をしたのでしょうが、旦那の場合は、本当に「自分の不利な状況を変えるため」であることは、もう一目瞭然で。
「それはそれ。これはこれ」と割り切って対応することにしたのです。
『どうしても精神的に落ち着かない……。せめて後一年とは言わないまでも、半年間は猶予欲しかった』との返事が来ましたが、その猶予期間に、何一つしなかったのは、あなたなのだがなーと私は思いながら、その日は寝る準備をしました。
とにもかくにも。
私としては、「旦那ときちんと話し合う」ことを目標にしつつも、「離婚」も視野に入れた別居を目指すことにしたのです。
地味なジト目攻撃を受け続けることはやはりダメージが蓄積されますし、後のことを考えると、本音全開ができなかったのも事実です。
例えサシでケンカしたとしても、別々の家に帰れば離れることができるのですから、一緒に暮らすよりも距離が取ることができます。
それに、「離婚」に向けて動き出した場合も、「別居」をしていれば、「話し合い」になった時に旦那とは離れていることができますし、「別居していた」という事実が、「離婚」を有利に進める材料の一つになってくれます。
序曲のように告げた占い師さんの言う通り、まずは「旦那ときちんと話し合う状況を作る」ことを目的として、「セックレス」の問題を前に進めるためにも、旦那の主治医ときちんと話すことにもしました。
料理教室にも通い続けて、旦那との交流は必ずするようにしよう、と決めました。
『両輪で考えた方が良いと思います』
電話占い師さん達も、私のこの考えには賛成してくれました。
『どちらを選べるようにも考えて、動くようにしておけば、無駄はなくなりますからね』
「やっばり……『離婚』ですかね?」
私がそう問いかけると、
『そうとも言えるし、そうではないとも言えます。はっきりと、わからないんですよ』
と、これまた皆さん口を揃えました。
『ただ、このままだと確実にヒモ化しますよ』
しかし、男性の電話占い師さんだけは、違いました。
「ヒモ化ですか……」
『旦那さんはね、表面的には「このままではいけない。何とかしなくては」と、思ってはいるんです。けれど、心の底では、『でも、結局は受け入れてくれるだろう』って思っちゃうんですよね。今までそれで生きてきていますからね……。何回も言いますが、それが良い悪いではないんですよ。それをあなたがどう受け止めるかってことなんですが、一人のほうがね、旦那さんちゃんと生きていける人なんです』
……。
何かね、この占い師さんの言葉はグサグサと刺さりましたよ。
一概にこれが全てだとは言えないんですけど、引きこもりをやっている人のご家族が、その人だけを置いて引っ越して、行方をくらませるってことがたまにあるそうです。
引きこもりをやっているご本人さんは当然警察とか親類に相談するんだけど、「生きてはいらっしゃいますが、あなたには住所を教えるな、と言われています」と言われて、途方にくれるんですよ。
だけど、生きて行くためには、自分で何とかするしかない。
だから、生活保護の相談のために市役所に行ったり、短期間だけどアルバイトなんかを始めて、自活を目指していくんです。
もちろん、これは「成功例」であって、孤独死されるパターンもあります。
ただ、「発展途上国」と言われている国々には、あまり「引き籠り」と言われる人達がいないのは、「結局は助けてくれる存在」がいないからなのでしょう。
「結局、助けてくれるからしない」と言うのが、本音なのかもしれません。
どんなことでもそうですけど、「本人」がやる気にならないと上手く行かないのは、人間の歴史を見ても明らかです。
皇帝さんがどんなに社会を良くしようとしても、「上から」した政策は結局中途半端で終わっています。
「革命」が起きないと、世の中は変わりません。
それは、「自分を変える」こともそうです。
結局。
旦那にとって、「自分を変える」ことよりも、「私に助けて貰う」ことの方が、重要であった、ってことなんですよね。
まあ、それは。
旦那にも言えることだとは思います。
私は結局、旦那が最も苦手としていた「夫婦で話し合うこと」を望んでいましたし、セックスも「夫婦であるならば、したい」と思っていました。
とにもかくにも、私は占い師さん達の「別居は良い手段だと思います」と言う言葉に背直を押されて、別居の準備を始めました。
別居の準備には、一ヶ月もかかりました。
引っ越しをしようとしてもアパートは急には見つからないし、保証人の問題もあります。
実は、両親には内緒にしておきたかったのですが、即効でバレました。
『どういうことだ⁉』
保証人は要らないということでしたが、不動産経由で実家へと連絡が行ったのです。
正直に申しますと。
「不動産屋~~~!」と、心の中で舌打ちをしておりました。
父は、通話越しでも怒っていることがわかりました。
「まあ、そういうことよ。家を出ようと思ってね」
『何を考えているんだ⁉』
「サシで、ケンカしようと考えとるよ」
『はあ?』
私の言葉に、父は素っ頓狂な声を出します。
「ちゃんとサシでケンカして、夫婦の今後ば話し合いたいとよ。それには、同じ家にいたらできんたい」
『お前は……何を言っているんだ……?』
「だけん、サシでケンカすっとよ」
『何でだ、何でケンカする必要があるとか⁉』
「あん人は、夢の国ば私に作って欲しかとよ。ばってん、私は一緒に柴刈りに行きたかと」
『……要するに、お互いの結婚に対する認識が違い過ぎるから、きちんと話し合うために、別居をするってことか』
父は、私の言いたいことを、正確に読み取ってくれました。
「うん。あん人の性格ば考えたら、一緒に生活しておったら、ケンカができんもん」
『いや、別にサシでケンカせんでも、話し合えば良かじゃなかか』
「泣かすけんね、できんとよ」
『はああ⁉』
両親には、あまりこの辺のことは言っていなかったのです。
まあ、言ったところで。
心配をかけるのは、目に見えていましたので。
「だったら別々に住んでね、本音全開で話ばしたかとよ」
『それで、何でケンカをする必要があるとか』
「それぐらいの覚悟でやるってことたい。ぎりぎりまで、やってみたかとよ」
私の言葉に。
父は、絶句しました。
ですが、今の時代。両親が結婚した頃とは様相が変わっています。
とりあえず、父も母も私が自活しているなら、と言うことで「黙認」することにしたようです。
こういう時。
仕事をやっていて良かった、と思います。
とりあえず、自分の生きていく分は稼いでいけます。
まあ……私は、後々、お世話になった弁護士さんやお医者さんに、こう言われます。
「あなたは、とても恵まれている。とてもラッキーな条件で離婚できた」と。
確かに。
私の離婚は、この後トントン拍子に進みました。
傍から見たら、とてもスピーディーで、短期で解決した事案だったと思います。
実際、離婚はなかなか話がまとまらず、裁判まで行く話も聞かないわけではありません。
けれど。
私は、この「揉めに揉めた離婚」が、「羨ましい」とすら感じていました。
十分に苦しんで。
離婚した時は、晴れやかな気持ちになったというお話を聞くと、あまりにも、自分の「離婚」が呆気なさすぎるように感じたのです。
そう。
それは、コント。
私にとって、別居から離婚までの一連の出来事は、まるで「コントのごた(みたい)」という思いを抱くのには十分でした。
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