6 私は通販生活の妻ではないのですが

 通販は、とても便利です。

 ネットで商品を確認して、ボタンをポチッとすれば、全国どこでも商品が届きます。

 いえ、本当にきちんと届くようになっているんですよ。

 マジですごいな、と思います。

 それに最近は、「しゃぼん玉」とか「風船」とか昔なら当たり前のようにおもちゃ屋とかスーパーに置いてあった物がないので、某通販サイト様は、私にとって「神!」のような存在になっています。

 そんな物は百均にあるじゃないか、と聞こえて来そうですが、「ちょっと良い物」が欲しい時には、今はないんですよ。

 だから、どうしてもネット通販で探すことになってしまうんですね。

 それに、通販の煽り文句って、「これさえあれば、ダイエット成功!」とか、「これさえあれば、人生バラ色!」とか、まあ「この商品さえあれば、あなたの人生違うものになりますよ」っ的なとこ、ありますよね。

 私も、そんな煽り文句に踊らされている一人なのですが。

 でも、ね。

 「結婚」は、そんなものではない、とわかっているつもりでした。

 「旦那」という人が一人増えても、お互いに協力しあい、時にぶつかり合い、そうやって作り上げていくものだ、と。

 まさかね。

 通販の商品みたいに、「妻」が手に入れば、後は夢の結婚生活を勝手に作り上げてくれる、と旦那となる人が思っているとは、考えもしなかったですよ。

 でも。

 この考えすらも、旦那にとっては、「確定された未来」を叶えてくれない、「冷たい妻」だったのかもしれないな、とも思うのです。

        ★

 しかし、これはもう、後に考えたことで。

 話を巻き戻しますと、「旦那の部屋を整理整頓して、旦那と交流♪」作戦は不発に終わりました。

 整理整頓と言うのは、一度行うと、後は「如何にその状態を継続するか」なので、「夫婦で共同作業」と言うのは、出来難い。

 収納セミナ―も一緒に受けましたが、「一緒に受けただけ」なので、何か違うんですよね。

 映画が、収納セミナーになっただけの感じです。

「もうちょっと何かないかなー」と、私は呟きました。

 気合を入れてやるほどでもなくて、でも「共同作業」ができて、しかも「楽しい」と思える物。

 そして、継続的にやれる物。

 それだったら、「話し方教室か?」と思いました。

 何せ、私と旦那は「話し合い」ができません。

 それならば、「話し方教室」に通って、お互いに「話し合い」ができるようになると良いのではないか、と私は思いました。

『止めた方が良いと思います』

 しかし、これは。

 「話し方教室」をネットで探しつつ、念のため占い師さんに相談したら、そう言われました。

「どうしてですか?」

『習い事を一緒にするのは良いのですが、一番の目的は「交流」ですよね?』

「はい、そうです」

『ならば、「話し方教室」は、「交流」にはなりません。旦那さんにとっては、「強制」です』

 なるほど、と思いました。

 私としては「旦那の欠点も、そして私の言い方も変えられて一石二鳥じゃん♪」と思っていましたが、「欠点」として自覚させられ、「さあ、その欠点をクリアするのです~」とゴリゴリされるのは、まあ、嫌だろうなあと思いました。

 私は「自分の欠点、クリアするべし!」の思考人間なので、「ふふふ、成長している自分!」に酔えるのですが、多分、旦那はそんなタイプではない。

 「夫婦の交流」が目的なのに、旦那をさらに追い詰めるのであれば、それは本末転倒です。

『もうちょっと、気楽にできるものが良いですね』

 と納得する私に、占い師さんは告げます。

 あ、だいたい私が相談する占い師さんは、「電話占い」の方です。

「料理……とか?」

 と私が何気に呟くと、

『それが良いんじゃないですか!』

 と、占い師さんが言いました。

「料理?」

『料理を一緒にするのは、とても良いと思いますよ。良い「共同作業」になりますよ』

 ふむ、と私は占い師さんの言葉に頷きました。確かに「料理」は私も旦那も毎日作ります。

 しかし、旦那の作る料理はどうもローテイションがあるらしく、カレー→チキンのトマト煮→麻婆豆腐→シチューが主に交代でぐるぐるしており、それをご飯にかけて食べていました。

 要するに、全てのメニューが丼物になっていたわけです。

 見合いの時に、「『料理は好きでやっています』」と言っていたのに、これ?」と私は思っていました。

 旦那の部屋を整理整頓した時は、某全国チェーンの料理教室のレシピが出て来たのですが、それらのメニューを作った様子もありません。

 まあ、「日常の料理」ですから、そこまで拘らなくても良いのですが、やはり「料理は好きでやっています」と言っていたんだから、せめて、「おかず」「ご飯」「汁物」は作ってさ、皿に盛り付けようよ、と私は思いました。

 うん。作ってはいるんですよね、作ってはね。

 でも、何と言うか……私はJARO(日本広告機構)のCMを思い出しました。

 婚活は「盛ってナンボ」の世界でもあるので、(そして私も盛っていましたので)それはそれで良いのですが、「盛っていたから、ごめんねー」では、やっばり結婚生活は続かないわけです。

 ま、続きませんでしたけどね。

 と、突込むのはさて置いて。

 とりあえず、「料理」は良いな、と思いました。

 旦那と交流できて、お互いの調理力も向上して、上手く行けば、旦那と料理の交換会などもやって良いかもしれぬ。

 それに。

 食欲=性欲でもある!

 「食」から攻め込むのも良いわっっっっと思い、私は「料理教室」を探すことにしました。

 しかし。

 「料理教室」って、女性対象のものが多いんですよね。

 しかも、「特別なメニュー」なんて物がやっぱり多い!

 いや、私がやりたいのは、「日常」の料理。

 旦那と一緒に作ることができて、夫婦の交流ができる内容(もの)なのです!

 男性オッケーのものがあるけれど、居酒屋メニューを作るって、いやー、材料費高いからっっっ!

 「学ぶ」ならば、「使えるもの」。

 旦那と一緒にやる「共同作業」は。

 私にとって、「宿題」でした。

 それは、「やらなければならないもの」

 でもだからこそ、「日常」に活かしたかったんです。

 どーしたもんかなーと思いながら、調べて行くと。

 「家庭教師のトライ」が、なんと、「大人の習い事」として、家庭教師を派遣していると、ネット広告に出しているではないですか!

 自宅まで来てくれるのなら、それにこしたことはなしっっっと私は思いました。

 しかし、料理の家庭教師って、私が住む地域にはいなかったんですよ。

 ああ言うのって、やっぱ首都圏でないとなかなかないんですよ。

 多分、需要もないんでしょうね。

 まあ、赤の他人の家に行って、レッスンするのも、危険んちゃあ危険ですからね。

 じゃあ、地方のネットワークに宣伝載せるなっと思いながらも私はパチパチとネット検索すると。

 ありました、理想の料理教室!

 夕飯のメニューにも使えそうで、男性でも利用オッケーのところ。

 県庁所在地にあったのですが、当時私が旦那と住んでいた街からは、電車で三十分で行ける場所でしたし、無人駅とは言え、駅近でもありましたから、そこまで負担にはなりません。

 うん、良いなと思いました。

 さてさて。

 そんな感じで、私が夫婦の交流のために、「共同作業」をするべく、思案を続けていた頃。

 当の旦那はどうしていたのかと言いますと。

 相変わらずの、ジト目攻撃。

 健在です、ジト目攻撃‼

 旦那の悪口ばかりは言わないようにしよう、とは思っているのですが。

 本当に旦那、自分からの行動はこの「ジト目攻撃」と後一つ最後の最後にした行動(こと)があるのですが、それ以外はしませんでした。

 皮肉にも、その最後にした行動が私達を離婚へと導くのですが、まあそれは後のことで。

 その時の私は、正直、「何で私こんなことしているのかなー」と言う思いもありました。

 旦那とお互い交流し合って、自分の気持ちを出し合って、セックスのこともしっかり考える。

 それが、私の目標でした。

 だからこそ、仕事はひと段落したこの時期を逃してなるものか、と私は色々と「共同作業」なるものを思案していたわけです。

 とりあえず、「離婚」を考える前にやるべきことはしよう、と私は自分を叱咤して、料理教室の体験教室を申し込みました。

 その時に、旦那に都合の良い日を聞くことにしました。

「日曜日に行く方が良いと思うんだけど、今月の休みは二つあったよね。どっちが良い?」

 私は帰った後、夕飯の後片付けをしていた旦那に話しかけたました。

「えーと、この日が良いな。別の日は、出かけるから」

「んじゃ、その日にしよう。……こんな風に、段取りするんだよ」

 私は、旦那に視線は合わせないようにして、そう付け加えました。

「えっ?」

「あなた、私が『試験がある』って断った後から、自分から誘って来ないけどさ。そうやって、都合の良い日を聞くんだよ」

 旦那は、「えーと」と言う表情になっています。

「断られることが怖くて言わなくて、相手が言ってくれるまで待つってのは、相手に負担なんだよ。誘いたいなら、誘えば良いんだよ。都合の良い日は、お互い話し合って調整すれば良いじゃん」

 私の言葉に。

 旦那は、黙り込みます。

 多分。

 旦那は、そう言ったことを知らないでいたのかもしれません。

 友達はいるような感じでは言っていましたが、友達と遊びに行く約束をして、その段取りを話し合って、お互いに都合の良い日に決定する。

 子どもの頃から大抵の人は何気にしていたこういったことを、旦那は本当に「知らない」でいたようです。そして、その一方で。

 私としては、旦那には簡単なソーシャルスキルも伝えて行かねばな、と思っていたのですが。

 旦那にしてみれば、これも「否定」と感じていたようです。

 自分の望む「確定された未来」は叶えられず、ことごとく「否定」され続ける。……旦那側から見たら、とても辛い状況なのですが。

 これ、私から見れば、共稼ぎが必須の状況で、しかも正社員でなければやっていけないのに、専業主婦並みの「世話」を求められ、セックスに関しても自分で考えられず、言いたいことは言おうとせず、自分から何一つ改善案を出していないっていう状況でもあったのですからね。

 しかも、「こうすれば良いんじゃないかな」と言ったことでも、「否定された」と思う人相手。

「就学前の子ども達の方が、まだできているよ……」

 久々に再会した年下の友人に、私はカクテルを片手に愚痴りました。

「うーん。私は、kakuさんと話している時は、『あ、そうなんだー』と思うんですけど。彼氏がね、私が部屋の掃除をした後、『敷物はどけた?』って聞くんです。でも、私も仕事しているから、平日の掃除ではしないんですよ」

「えらいじゃん!」

 私は思わず感心してしまいました。

 私は簡単な掃除は平日にしますけど、掃除機をかけるのは、週末だけです。

「けれど、彼氏は怒るんですよ。『何で、敷物を外して掃除機をかけないんだって』」

「彼氏さんは、掃除するの?」

「しません」

「はあ?」

 自分はしないくせに、人の掃除にケチを付けるなら、それは本当に怠慢です。

 自分は手を動かさないくせに、偉そうに口だけで命令してやった気になるのは、役立たずの証拠でもあります。

「しないけど、帰って来た後に、そんな風に私に言うんです」

「捨てなよ、そんな男」

「あ、同棲は解消しようと思っています」

 私が呆れて言うと、年下の友人は手を振ってそう言いました。

「で、話を元に戻しますと、『何で、敷物を外して掃除機をかけないんだって』って彼氏に言われた時の私の気持ちって、何て言うか、『できないから、しょうがないじゃん!』なんですよね」

「『お前がやれ!』って話じゃないの?」

「まあ、そうなんですけどね。でも、旦那さんもそんな気持ちでいるかもしれないです」

「……約束事の段取りで?」

「その他のことも含め、です。もちろん、私の想像なんですけど、何かそんな気かするんですよね」

 年下の友人の言葉は、私の思ってもいない内容(もの)でした。

 要するに。旦那は、開き直っているということのようです。

 「できないなら、努力しよう!」は私の基本姿勢でした。

 But、旦那は「駄目な僕を受け入れて!」という思いがあるのは感じてはいました。

 「できないから、しょうがないじゃん!」というある意味、一種の開き直りも確かにその根底にはあるのかもしれません。

 でも。

 でも、ですよ。

 稼ぎは、おそらく私よりも低く。

 自分の「生」でもある、セックスは他人任せで。

 挙句、自分の意見はなかなか言えず。

 しかし、「男として尊重して欲しい」「男として頼って欲しい」という思いは強く。

 ……支えて行くにしては、負担が大きいわ、と私は思いました。

 子どももできず、ただ「妻に尽くされている俺」を堪能したいだけの旦那であれば、付き合う必要はないからです。

 ちょっと話が逸れますけど、旦那さんが出世して、浮気して、奥さんに離婚を申し出る話って時々聞きます。

 奥さんにしてみれば、旦那さんが仕事に夢中で相手にされず、たまに時間がある時ですら冷たくされ、挙句の果てに離婚を申し出されて、たまったもんじゃない。

 でも旦那さんにしてみれば、自分が仕事をしてキャリアを上げているのに、家に帰れば、不在がずっと続くことを責められ、一緒にいると暗い表情をしている妻に息が詰まり、しかも「女」としての魅力はなくなり、それを上げる「努力」もせず、ただ責められる。

 まあ……ジト目攻撃を受けていた私は、この時ばかりは、この「夫」の気持ちを痛感しました。

 ただ、それでも。

 「まずは努力!」と私は思いました。

 何はともあれ、お互いを理解するためには「共同作業」が必要なのです。

 やることをやらないで、楽な選択に行くのはやっぱり違うよね、と自分に言い聞かせ、私は旦那と共に、料理教室の体験入学へと向かいました。

 で、占い師さんに「くれぐれも注意してください」と言われたことがありました。 

 それは、『旦那さんへの突っ込みは、極力避けてください』でした。

『おそらく、kakuさんが思っている以上に、旦那さんの作業の手間は悪いです。思わず、突込みたくなるかもしれませんが、絶対にそれはしないでください』

 占い師さん、流石です。

 本当に良くわかっていらっしゃいます。

 さらに言うと、それだけのことを「占い」で察するとは(リーディング)、その能力は本物です!

 まあ、最初っから出だし崩れていましたからね。

 何せ、体験教室に向かうその当日。

 旦那はいつも持っている小型のリュックの他に、何故か大きいショッピングバックを持っていました。

 駅で旦那の持っているバックの大きさに気付き、

「それ、何が入っているの?」

 と、私は旦那に尋ねました。

「エプロンだけど……」

「えっ? 他には何も入っていないの?」

 私は少しびっくりしました。

 何故に畳んでしまえば小さくなるエプロンを、そんな特大のショッピングバックに入れているのか。

「ちょっと、考えなきゃ。電車に乗ったら、隣の人もいるんだよ。そんな大き袋なら、場所も取るから、邪魔になるじゃない」

 私としては、「今度からは気を付けなよ」ぐらいのノリで言ったのですが、その瞬間、旦那は涙ぐんだのです!

 正直。「はい?」と思いましたね。

 たかだかエプロンを持って行くために、何故特大のショッピングバックを選んだのかも、謎なのですが。(多分、袋がなかったのかもしれません)

何故にその程度で涙ぐめるのか、私には理解不能でした。

 いや、まあ。

 当の旦那にしてみれば、「そんなこと言わなくても良いのに……!」という思いがあったのかもしれませんが、一緒に行動するのは私ですからね。

 ソーシャルスキルの一つとして、やっぱり、「周りの事を考えた行動」は伝えておきたいじゃあないですか。

 BUT、涙ぐまれる。

 うむ、幼児ではなく、アラフォー世代の成人男子に!

 そして、いざ料理教室に通い始めたら、やっぱり旦那は手際が悪い。

 まあ男性だから仕方がないのかなーとは思いますが、先生に言われるまで自分から動くことはできないし、私や周りがやっていることを見て、自分も動くという感じです。

 作業も手際が悪いと言うよりは、鈍くさい……と言うか、まあ、間が悪いと言うか。

「そこで行くと邪魔だよ」とか、「その切り方おかしくないかな」とかは言いたかったですけど、そこは我慢しました。

 人前で注意するということは、旦那の面子を潰すということです。

 それは、流石に私もわかっていました。

 しかし、私が人参を切っている時に、黙って横に置いていた人参に手を伸ばそうとした時は、

「黙っていないで、声かけて! 危ないってば」と言ってしまいました。

 否、だって。

 下手したら、手を切ってしまいますってば。

 それは避けたかったので、声に出しました。

 後から考えてみますと、旦那、「集団で何かする」と言うのは、あまりしたことがない様子でした。

 まして、女性が多い集団ですからね。

 やり難さを感じていたのかもしれません。

 そして、肝心の料理の腕は上がったのかと申しますと。

 私、料理教室に通い始めた目的は、料理を通して旦那と交流することだったんですよね。

 ですが。

 まあ……手際が悪くても、料理は最後に美味しくできれば良いのよね、と私は思い直し、……無理やり思い直し、料理教室で習った白身魚のムニエルを作って、旦那の冷蔵庫に入れて置きました。

 ホワイトボードにも、「良かったら、食べてね」とメッセージを残したんですね。

 そうしたら旦那、嬉しかったみたいでですね。

 「お返し」にシチューを貰ったんですよ。

 お、これは良いと思って、ホームベーカリーで焼いたパンをハムチーズトーストにして食べようとしたんですが、不味いっっ!と、食べた瞬間まず思いました。

 いやーグチャグチャになったミックスベジタブルと、硬くなった鶏肉。

 そして味はない。

 正直に言いましょう。

 私、そこそこの人生の時間生きていますが、あれだけ不味いシチュー食べたの初めてでした。

 多少不味くても、私は食べる自信がありますが、食べられたものじゃあなかったです。

 これ、本当に美味しいと思っているの⁉って愕然としました。

 捨ててしまいたかったですが、せっかく旦那が作ってくれた物なので、完食はしました。

 けれど、こりゃもう二度と食べたくないわ、と思いました。

 次の日の旦那は、ワクワクした表情で仕事から帰って来た私を見ていましたが、

「シチューありがとうね。でも、肉硬かったよー。早く入れ過ぎた?」と正直にそこだけは言いました。

「あ、えーと……」

「次の料理教室では、シチューを教えてもらおうか」

 「美味しかった」と言う言葉を旦那は期待していたのかもしれませんが、お世辞にもそう言えるレベルではなかったので、私はそう流しました。

 下手に「美味しかった」と言えば、また何を作って差し入れされるか、わかったもんじゃない、と考えたからです。

 この頃の私は、本当に「最悪」と言って良い環境にいました。

 いやー、本当に、「最悪」の環境の中にいたんだよねーと、そこを離れた今は思いますが、当時としては「大変」とは思っていました。

 そんな中、「自分の食べたい物」を作って「食べる」という行為は、本当に唯一の日常生活の中での「癒し」だったのです。

 なので、旦那にはそれ以上言わず、今度の料理教室はシチューを課題に選ぼうかな(コースの中に、シチューもその時はあったんですね)、とは思っていたのですが。

 旦那、次に私に料理を渡してくれましたよ。

 旦那が定番にしている、チキンのトマト煮ですね。

 味はしない、ビチャビチャしている、肉は硬い。

 ……拷問ですか、と思いました。

 「それでも食べたんですか?」と聞かれる方もいるかもしれませんが、答えは「イエス」です。ええ、食べました。

「それ、多分ブイヨン(コンソメ)入っていませんよ」と、後日この出来事を前の職場で働く栄養士さんに愚痴ったところ、そう言われました。

「料理の下手な人は、独自の解釈で作るから不味いんです。料理と言うのは、レシピ通りに作ればある程度は美味しくできます。だけど、そこに書いてあること以外のことを付け加えたり、逆にしなかったりすると、一気に不味くなります。でも、料理が最高に上手い人は、『舌』がやっばり肥えているんですよね」

「舌?」

「舌も『学習』するんですよ。日頃から美味しい物を食べている人は、『舌』の味を感じる力が豊かだから、料理の『味付け』も上手なんですよね。『妻に美味しい料理を作って欲しかったら、外食させろ』は、決して眉唾ではないんですよ」

「それって、逆に言うと旦那は……」

「そうですねぇ。自分が作る物を、『美味しくもなければ、不味くもない』と思っている可能性はありますね」

 元同僚の栄養士さんの言葉に。

 私は、考え込んでしまいました。

 私が旦那に自分の料理をおすそ分けする時は、自分が「美味しい」と思う物を渡して来ました。

 だから、旦那にお裾分けするつもりで作ったおかずでも、「あ、これは辛すぎだわ」と思ったら、自分で食べるようにしていました。

 いくら「愛」が減って行ったとしても、それは人として「最低限の礼儀」だと思っていたからです。

 でも、旦那は。

 自分の作る料理が「美味しい」と思わなくても、私にお裾分けしてきたわけです。

 それは、何故なのか。

 今から思えば。

 そこにあるのは、旦那の「頑張っているのを認めて欲しい」という思いだったのかもしれません。

 だから。

 自分が作る物を私に渡して、認めて貰おう、褒めて貰おうとしていたのかもしれません。

 ……健気だな、と思う方もいらっしゃる方もしれません。

 でも、旦那にはその思いだけで、「相手の気持ち」を考えることはなかったのだと私は思います。

 もし、私が相手に「美味しくなかった」言われたのであれば。

 「どうしてなのかな」と考えて、改善することはすると思います。

 やっぱり、「美味しくない物」を相手に薦めて、「美味しかった」と言う言葉を求めるのは、礼儀に反するからです。

 今までだって、私にも似たようなことはありました。

 喜んでくれるかな、と思った作った物を手渡しても、相手の反応が芳しくなければ、やはりその後のことは考えます。

 しかし、旦那は私がぼかしながらも「美味しくなかった」と伝えているのに、「自分の作った物」を私にお裾分けしてくるのです。

 そこには、私を思いやる気持ちはないな、と思いました。

 あるのは、「優しくして欲しい」と言う、己の気持ちだけ。

 と言うか、不味い物は不味いんだから、もう差し入れは結構ですっっっ!と言うのが、私の本音でした。

 でも、旦那の「思い」もわかりはするわけです。

 不味い物は食べたくないし、美味しい料理が作れるようになっては欲しいけれど、旦那の気持ちを考えると無理強いはできない。

 と言うか、もうこの時期に旦那に「突っ込む」ことは、旦那のメンタル値を考えたら、とてもタイミングを考えることでした。

 けれど。

 私の方も、キャパがいっぱいいっぱいでした。

 仕事は仕事でおいおいおいおい、の環境。

 そして、旦那は本当に頭の天辺から爪の先まで「駄目な自分を受け入れて欲しい」と思っていて、それ以外は考えていない。

 まあ、ね。

 相手の全てを受け入れると言うのは、やっぱりキャパが必要なんですよ。

 そしてそれには、「愛情」が必須なわけで。

 旦那にはシチューの作り方を覚えて貰って、私も一緒に正しい調理のやり方を覚えよう、と言うのが私のキャパで。

 さすがに、半煮えのじゃがいもとにんじんのきんぴらを差し入れされた時は、「もう限界だな」と思いました。

「ごめん、差し入れは当分良いわ。相手のことも考えないと、それは『押し付け』になるよ」とホワイトボードに書いておき、旦那は、「わかりました」と返事を書いていましたが。

 「せっかく差し入れしたのに、『もういらない』って言われた」と思っていたことは明白で。

 これ以後、旦那が私に作った物を差し入れすることはありませんでした。

 料理教室でシチューの作り方も習ったんですが、旦那がシチューを作ることもなく。

「このままじゃあ、いかんなあ……」

 と、私は思い始めました。

 私の気持ちとしても、旦那と関わらない方が楽、と言うのが本音でした。

「離婚」という言葉も、正直何度も頭に過ります。

 けれど。

 今はその時期ではないと思い、久々に人生の先輩に相談することにしました。

 まずは、ラインで相談することにしました。

「エプロンを入れるために大きいショッピングバックを持っていたから、『小さいバックにしないと』と言ったとたん、涙ぐむ旦那と、どうやったら上手くやっていけますかね?」

と送ると、

「どういうこと⁉」

 速効で返事が来て、久々に会う事になりました。

 どういうことも何も、もう本当に事実そのままです。

「三十代も後半だろ、旦那は」

 はい。

 三十代後半も、アラフォー世代です。

「大きか子どもがおってもおかしくなかとに、何でそぎゃんならすと?」

「わからないです……」

 私は、ため息を吐きながら言いました。

「旦那さんは、発達障害と? 今、旦那さんが発達障害で、奥さんが心の病気になる『カサンドラ症候群』ってものもあるたい」

「それも、わからんです。ばってん、私が幾ら話しても、『何に言っているか、わからない』的な表情をされることもあります」

 旦那が発達障害かどうかは、私はプロではないので、判断はできません。

 ただ、「普通の」と言われる人達ができることを、旦那ができないことは「事実」でした。

「……もう、余計なことはせんで、ストレートに言った方が良かっじゃなかかな」

 私の答えを聞いて、人生の先輩は真面目な表情をして言いました。

「ストレートにですか?」

「そぎゃんたい。旦那が発達障害かどうかは横に置いとって、セックレスに対して、どう対処しなはるか、それを見ても良かっじゃなかと?」

 人生の先輩の言葉に。私は、考え込みました。

「夫婦は、続けて行けばいろいろあったい。これから先は、親の介護とか出て来るだろ?そん時に、一緒に解決して行けるか、そぎゃんことも考えてみったい。夫婦で協力してやっていけるのか、上手くいかんでも、旦那さんが誠実にやって行ってくれるんなら、救いにはなったいね」

 確かに、人生の先輩の言う通りでした。

「上手に対処してくれなくても、頑張ろう、前向きにやって行こう、という姿勢を見せてくれたら、がまだせる(頑張れる)たい」

「そぎゃんですね」

 私は、人生の先輩の言葉に、頷きました。

「そのためにゃ、やっぱ夫婦できちんと話し合わないかんよ。『話し合い』は、基本中の基本たいね」

 結婚生活を続ける「先輩」としての言葉も、やはり経験があるだけあって、重みがあります。

 そう、「話し合い」。

 赤の他人が一緒になって、「生活」を築いて行くのですら、それは必須事項なのです。

 ですが。

 この「話し合い」が、旦那とはできない、と言うのは前にも書いた通りです。

 「話し合い」は自分の気持ちや意見を出し合い、「落としどころ」を探っていくのが基本です。

 それは、子ども同士であろうが、国同士の首席であろうが、基本は一緒です。

 この「話し合い」は、結婚生活をしていく上で、基本中の基本であり、最重要事項でもあるんだと、私は思います。

 ですが、結局旦那とは最後まで、この「話し合い」ができませんでした。

 それは、何故なのか。

 人生の先輩が言っていた、「発達障害ではないか」と言う言葉は、実は私も疑ってはいたのです。

 しかし、前にも書きました通り、私はプロではないので、拘らないようにはしてきました。

 ですが、後から考えると、「そうなのかもしれないな」と思うことはあるのです。

 実は私が働いていた場所には、土曜日は小学生を相手にしている部門があり、私も土曜日はそこで仕事をしていました。

 利用している子で、周りのことはお構いなしに、自分のやりたいようにする子がいたのです。

 何かしようとすれば、我先に一番になろうとし、楽しくなって気持ちが昂れば、おふざけを始めます。

 ですが、決して本人は、悪気はないのです。

 当然周りの大人達はその子を注意したり叱ったりするのですが、「どうして怒っているの」と言う、不本意そうな表情をしています。

 その子にとっては、「自分は一番になりたいのに、大人達が邪魔をする。楽しい気分でやっているのに、怒られる」ということで、大人の言葉は入ってきません。

 わざとではなく、本当にわからないのです。

 だから、「こういう時は、並んで待つんだよ。それがルールだからね」と、言葉やイラストで伝えれば、理解はできますし、「守らなきゃいけない」としようともしますが、それでも「やりたい」という気持ちが昂れば、それらは全て飛んでしまいます。 

 発達障害の子達の中には、「相手の気持ち」を考えることが苦手な子達がいますが、特にその傾向が強いのが、「アスペルガー」と言われる子達です。

 この子達は、脳の仕組みの違いで、コミュニケーションを取ることがとても苦手です。

 実は人間の「脳」っていうものの正体はまだよくわかっていなくて、「どうして相手の気持ちを考えられるのか」や、「どうして何も言わなくても、相手の気持ちを察することができるのか」などは、その仕組みは解明されていないそうです。

 だから、アスペルガーの子達は、この「脳」の仕組みが違うために、コニュニケーションを取ることが難しいのではないか、と言われています。

 そして、一番この子達が苦手とするのは、「相手の気持ちを想像する」ことなのです。

 「相手」がどう思っているのか、それを考えるのができないから、一見すると、自己本位に見える行動をしてしまう。

 相手の気持ちを考えることができないから、「自分の気持ち」を優先させてしまうわけです。

 で、最近では「大人の発達障害」という言葉も出て来て、「発達障害」に関しても世間で広く認知されるようになりましたが、「大人」の発達障害については、まだあまり子どものような「療育」はされていません。

 実は、アスペルガーの子達が人間関係を良好にしていく術は、パターン学習しかないのです。

「やりたいことがあっても、順番に並んで待つ。横入りはしない」

「いけないことをした人がいても、声には出さない。注意したい時は、近くの大人の人に言う」などを、繰り返し伝えて行きます。

 そう……私が旦那にやろうとしていたことも、無意識的とは言え、実はこのパターン学習に近いんですよね。

 ですが、「大人の発達障害」の人達が一番厄介であり大変なのは、この「パターン学習」や子ども達のやっている「療育」といわれる内容のものを受けることで、「屈辱感」を持ってしまうことなのです。

 まあ……ね。

 もちろん、「これを受けることで、自分の人生が少しでも変わるなら!」と前向きになれる人もいますが、対人関係で屈辱感を持って来た人達は、さらに屈辱感を抱くことなんて、したくないわけです。

 だから、「療育」というものが、早ければ早いだけ良い、と言われるのはそれもあるんだろうなーとは思います。

 そして旦那は、どうもこの「アスベルガー」と言われる中でも、「受動型」と言われるものだったみたいです。

 この「受動型」とは、人から積極的に関わりを持たれれば動くが、自分からは動かないタイプと言われています。

 そう考えてくると、この後の旦那の行動は、「さもありなん」、と思えてくるのですが、それはそれとして、話を元に戻しましょう。

 人生の先輩から「真正面から、セックレスの問題に立ち向かえるために、話し合うべし」と課題を出され、私も「その通りだな」と思いました。

 しかし、いざそれをするとなると、それはやはり「難問」ではあったのです。

 まず何よりも、旦那は私が「こうした方が良いんじゃないかい」と言う思いで言ったことも、「否定された!」と受け取ってしまいます。

 私としては、「あ、そうだね」と返すレベルじゃん⁉と思うことでも、「僕は否定された~!」と勝手にダメージ倍増してくださるのです。

 まして、事は旦那がおそらくは死ぬほど畏怖している「セックス」のことなわけで、さて、どうするのか。

『まあ、直接言った方が良いですね』

 そこで、占い師さんに相談してみることにしました。

 今回は、「旅館に行くと、雰囲気が盛り上がるわよ★」とアドバイスをくれた占い師さんです。

「ストレートにですか?」

『はい。ストレートに言って、旦那さんに現状解決のためには、どうしたら良いのか考えてもらった方が良いです』

「それで、旦那は考えることはできますでしょうか?」

『kakuさんが思うような答えは多分、返って来ないです。むしろ、幻滅するような答えでしょう。でも、それが「話し合い」ではないでしょうか?』

 しかし、占い師さんの言葉には、あまり「救い」はありませんでした。

「でもできたら、私はスムーズに話し合いたいです……!」

『結婚はね、同じレベルでするもんじゃないんです。どっちかが、「先導役」となって、相手を引っ張っていくんです。そうすることで、お互いが成長していきます。まして、前世からの因縁もありますからね。「離婚」は、簡単にするもんじゃないんです。あがいて、あがいて、あがいた先にするものなんです』

 何と言うか。

 壮大な序曲を聞いているような気がしました。

 いや、別に。

 私は、旦那とフツーに話し合って、フツーに問題を解決していきたかったのですが、まあ……それができる状況ではないことはわかっていたので、それを少しでも可能にする方法を知りたかったのです。

 しかし、占い師さんからのアドバイスは、「背水の陣」のごとき、覚悟がいるような口ぶりで、さらにはここから先、長い苦しみがあるようで……。

 前世でも、私は旦那と何かあったんかい、と心の中で突っ込みました。

 「前世の因縁」と言われても、私が知りたいのは今現在の、「旦那とのスムーズな話し合い方」なんですよね。

 まあ、私も占い師さんによく相談する身なので、「前世」もまあ、興味がないわけではないのですが、「前世知って、どうにかなるんかい?」と言うのが、この当時の私の率直な意見で。

 でも、この「旦那に直接はっきり言う」ってのは、実は正しいアドバイスでした。

 結局。

 旦那には直接言っても伝わりませんでした。

 まあ、「お前の稼ぎがないから、お前の望むようにはならない」と言うのは、あまりにも直球(ストレート)過ぎるので、「私達は共稼ぎだから、あなたの望むようなことはできないよ。それにセックスができないならば、私は離婚も考えている。きちんとお互いが『結婚』に望んでいることを出し合って、話し合おう」ってな感じで言うことにしました。

 この時点で。

 結婚して十か月。

 一緒に暮らして、八か月。

 仕事でも、次の月から忙しくなってくることはわかっていました。

 余力のあるうちに、「話し合い」ができる下地を作っておかねばと、私は思いっ切って旦那に話すことにしました。

 はい。

 仕事から帰って来て、旦那が部屋から出て来るのを待って、先ほど書いた内容のことを、そのまま話しました。

 はい。

 皆様。

 先ほどの文章を読んで、どう思われましたでしょうか?

 ①私達は共稼ぎだから、あなたが「確定された未来」と思っていることはできません。

 ②セックスができないのであれば、離婚も止む無しと私は考えています。

 ③きちんとお互いが「結婚に望んでいることを出し合って、話し合いましょう―と、私は伝えたつもりなのですが。

 これ、それ以外に、どんな意味として伝わりますか?

 旦那、私が「離婚も考えているの」と伝えると、「嫌だ!」と言い放ちました。

 その言い方は、まるで駄々を捏ねている子どものような言い草でした。

「『嫌だ』って言っても、セックスできんなら、私は『夫婦』とは言えんと思うもん。そっちの方が、私は『嫌』なの。『嫌』ならば、きちんと『解決方法』を考えなきゃいけないんじゃない? 子どもの駄々じゃないんだよ」

と、私は旦那にできるだけ冷静になって伝えたつもりです。

 とりあえず、私も正直「離婚した方が楽じゃろなー」とは思っていましたが、それでも、「やるだけのことはやろう」という思いもありました。

 そうして、旦那に言った言葉を自分の頭の中にも反芻させました。

 旦那だけに、「セックレス」の責任を押し付けたら駄目だ。

 「自分のセックス」のことを、私もきちんと知らなければならない、と思いました。

 そう……私とて、そこまで経験豊かとは言えない。

 だから。

 きちんと、「知識」として、「自分の身体」のことを知ろう、と決めたのです。

 そう。

 簡単に言えば、私は「膣トレ―ニング」をすることにしたのです。

 「膣トレーニング」とは、要するに膣の筋肉トレーニングのことです。

 昨今、話題になっていますが、現在の私達女性の「膣」は、ナプキンや運動不足のせいで、膣の筋力が衰えているそうです。

 だから、セックスの時もなかなかイケないし、膣が緩み過ぎて、尿漏れをしたりすることもあります。

 また膣の筋肉である骨盤底が硬い人は、挿入時に痛みを感じることもあるのです。

 で、そもそも何故私はこの「膣トレーニング」に行きついたのかと申しますと、「セックス」のことで「何か良い本ないかなー」と探していた時に、たまたまアマゾンで見つけた本がありました。

 それが、「潤う力 腟圧調整ストレッチ」(鈴木貴惠著 飛鳥新社)です。

 これにより、セックスをスムーズにするためにも、「膣」を鍛えることが必要!ということがわかったのです。

 そして、感じやすくなるためには、柔軟性が必要ということが、この本からわかったのです。

 ならばと私は思い、日々のストレッチを「膣トレ―ニング」仕様にすることにしました。

 が、しかし。

 しかしです。

 相変わらずの、旦那ジト目攻撃―の、この頃ぐらいから「僕は哀しくて閉じこもっています」の部屋に閉じこもり攻撃が加わっていましたから、モチベ―ションが上がりません。

 どうしたもんかなーと思いながらも、バレエストレッチの先生に「膣トレをしたいんです」と相談すると、

「プリエ(バレエの動き。膝を曲げる)は、膣トレ―ニングにいいんですよ。膣トレは、結局『インナ―マッスル』を鍛えることです。メニューの中にも入れますね」

 と言ってくれました。

 そして、その通りにレッスンを展開してくれて、呼吸法とかプリエとか、ストレッチなどを私はストレッチバレエ教室で行うことができました。

 が、これまた、しかし。

 他にも一緒にレッスンを受ける生徒さんがいる中で、「旦那と上手くセックスができません」とは言えません。

 膣トレーニングをする理由は、表向きは「尿漏れ対策」とか「インナ―マッスルを鍛えるため」と言えるのですが、私の場合、「旦那とセックスできないから、膣のトレーニングをすることで、セックスの知識を増やしたい‼」なので、真正直に言うことができません。

まあ……できませんわな。

いくら私が言いたいことはきっぱりと言う性格とは言え、T(時)・P(場所)・O(目的)は考えますわ。

まあ、もうちょい日本はセックスには開けっぴろになれば良いなーとは思うのですが、しかしそれは日本と言う国の文化でもあります。

「僕、包茎なんですが、どうすれば良いですか?」

「剥けばよいんじゃね?」

 と言う会話をする自信はありますが、場の空気を凍らせるわけにはいきません。

 自分でやりようにも、「膣トレーニング」もディープになると、インナ―ボールを膣の中に入れるだの、バイブレーションを使うだの、まあ……ちょーと、勇気いるよねーって感じなんですよね。

 今の私は使っているんですが、「⁉」となった方、これはおいおい説明していきますので、この件については、一旦横に置いといてください。

 ただ、この時点での私はやっぱりインナ―ボールとか、バイブレーションとかは、未知の世界。

 そう……右も左もわからない世界には、やっぱり道先案内人が必要です。

 とりあえず、確かな「知識」を手に入れるためには、「その道のプロ」に頼むのが一番なのです。

 と、言うことで。

 ネットでクグること、開始です。

 いやー、やっぱり「膣トレ―ニング」は「セックス」と関係しているだけあって、あやしいサイト、出て来ます!

 まあ、ですねー。

 「セックス」となると、途端に空気が何と言うか、サイトの色が、「甘い蜜を撒いて、こっちにおいで」と言う感じになるんですよね。

 後ろに、密かにほくそ笑む人が見えるって言うか。

 まあー、「お金をどれだけ払わせようかなあ」と、オオカミか口を開けて待っていますって感じですね。

 そんな中で、ひょっこりと、素朴なサイトが出て来ました。

 エンジェルヒーリングとかの言葉もありますが、「膣トレーニング」という項目がメニューの中にあり、しかも、その方は助産師の資格も持っていらつしゃったのです。

 これは良い!と思いました。

 「誠実」という言葉が、このサイトからは漂い出ています。

 セックス関係のサイトにある、「さあ、お金をどれだけ巻き上げちゃろうか!」感が全くありません。

「この人良いかもしれんなー」と。私はパソコンの画面を見ながら呟きました。

 念のため、占い師さんに相談することにもしました。

『良いと思いますよ。kakuさんのためには、とても効果があると思います』

 まるで序曲のように言った占い師さんとは、違う電話占い師さんに相談しています。

 それでも、この方との付き合いも十年になります。

『ただ、そろそろ「見切り時」を決めた方が良いのかもしれません』

「見切り時、ですか?」

『はい。人には、やっぱり「度量」と言うものがあるんです。特に「結婚」は、お互いの価値観や考え方を擦り合わせてやっていくものなんです。それを、お互いが五十パーセントずつ譲って行ければ良いのですが、頑張っても十パーセントぐらいしかできない人もいます』

「それは……」

『そこに合わせることで、『喜び』を見出せるならば、まだ良いんですよ。でも、ずっとそのままではなくなるんです。子どもができたりとか、『結婚』は、何かしら『変化』があります。そこで、やっぱりお互いの気持ちや考えの磨り合わせや譲り合いが必要になって来ます。でも、それはなかなか難しいことなんです。昔は、特に女性は結婚していないと、なかなか生きて行き難い社会でした。だから、夫に合わせて生きるのが、一番確実な生き方でもあったんです。だけど、kakuさんはそうではないですよね?』

「まあ、どんな時代でも、自分を殺して生きるのはゴメンです」

 生きて行く術は、仕事にしろ家事にしろ社会的なものにしろ、人並みにはこなしていく自信はあります。

『そう。だからこそ、安易に『離婚』は勧めません。でも、自分の求めているものを、相手が返せない時、自分はどうするのか、をしっかりと考えていた方が良いです。十パーセントしか返せない相手に合わせるのか、そして合わせることはできるのか。そこを、よく考えてみてください』

 と、電話占い師さんは私に告げました。

 まあ、簡単に言えば。

 「確定された未来」を何時までも叶えて貰えず、勝手に絶望し続けて。

 その一方で、己の「生」でもある「セックス」のことは妻に何とかしてもらいたいとの考えで。

 挙句、「男として立てて貰いたい。大事にしてもらいたい」との気持ちは強い夫を。

 どこまで、許容できるのか、ってことです。

 多分、壮大な序曲のように告げた占い師さんの方も、同じことを言いたかったのだと思います。

 無理ですわ、これ。

 正直、占い師さんの言葉を聞きながら、私は思いました。

 だって、私が欲しいのは「夫」であって、「息子」ではなかったですからねー。

 まあ、でも。

 「膣トレーニングを受けるのは良い」とアドバイスを貰ったので、私は早速、素朴なホームページを作成した膣トレーニングの先生に、問い合わせのメールを送ることにしました。

 さて、その一方で。

 当の旦那は、何をしていたのかと申しますと。

 一見すると、「何も変わらない」でした。

 家に帰って、「ただいま」と私が言えば、「お帰り」と言うし、まあ、会えば簡単な話はします。料理教室にも一緒に出掛けます。

 しかし、私の「問いかけ」には、答えないままでした。

 ただこの件に関しては、私は「待とう」と思いました。

 「離婚」と言う重い言葉も出したのです。簡単に出せるものではないはずだ、と考えました。

 まあ、本音を言えば。

「さっさと出さんか、ごらあっ!」でしたが。

 しかし、待つことも大切だと私は思い、旦那からのアクションを待つこと、十日余り。

 仕事を終え、ガチガチになった身体を回復させるために整体に行った私は、いつもより少し遅く帰りました。

「ただいま」と言って、旦那が「おかえり」と部屋から出ないで声をかけてきます。

 それは、私も同じようなものでしたから、気にしません。

 まあ正直、気持ちはテンションただ下がりーでしたから、「何を話して良いのかわからない」状態は続いていたのです。

 しかも、前述の「問いかけ」の答えもないわけで、私も「さっさと出さんか、ごらあっ!」と言いたいのを必死で抑えてもいたので、旦那との接触は、自然と避けがちにはなっていたのです。

 全ては、旦那が「結婚に望んでいる事は何か」をきちんと出してからだ、と私は自分に言い聞かせ、私はどさっと持っていた荷物を床に置きました。

 テーブルの上には、洗濯物が置いてあります。

 旦那が畳んでくれたものです。

 そんな洗濯物に混じって、小さな紙袋が置いてありました。

 旦那からの差し入れかな、と思ってよく見てみると。

 下には、三つに折られた紙が置いてありました。

 何じゃろなーと、思いながら開くと。

 まあ……皆様、予想は、されていましたよね。その通りです。

はい、この章の冒頭の文来ましたよ。

『kakuちゃんへ

僕は、kakuちゃんに話しを聞いて、考えました。

 僕はkakuちゃんとの結婚生活を守りたいと思っています。kakuちゃんは「僕の望み通りできない」と言っていたけど、僕も手伝うから、kakuちゃんも頑張ってください。kakuちゃん、愛しています。今日は夫婦にとっての記念日でもあります。一緒に成長していく記念日にしましょう』

 と、書いてありました。

 さて、皆様。

 もう一度、確認しましょう。

 私は、旦那に、

 ①私達は共稼ぎだから、あなたが「確定された未来」と思っていることはできません。

 ②セックスができないのであれば、離婚も止む無しと私は考えています。

 ③きちんとお互いが「結婚に望んでいることを出し合って、話し合いましょう―と、伝えたつもりでいました。

 文章にしても、漏れはないよね、と今書きながらも思いました。

 なのに、全然伝わっていないではないですかっっっ!

 正直。いくら話が通じないとは言えど、ここまで通じていないとは思っていませんでした。

 確かに、この手紙を受け取った日は、夫婦や結婚に関しての記念日でもありました。

 すぐに返事をしなかったのは、この日を狙ったのでしょう。

 そして、手紙の内容は、要約すると、「これからも結婚続けたいけん、僕の『確定された未来』叶えるために、頑張ってね。僕も手伝うけん」です。

 ないわ、と思いました。

 今まで、婚活も含め、色んな男性と出会って来ましたが、ここまでアッパラパーな言葉を貰ったのは、初めてでした。

 そして、手紙にあった、「愛しています」という言葉が、本当に空しく響きました。

 旦那にとって、「愛している」と言う言葉は、お金と一緒なのです。

『僕は、kakuちゃんを愛しているよ。だから、僕のために頑張ってくれるよね』ということなのです。

 要するに、旦那は『愛しているよ』という言葉と引き換えに、私に「注文書」を送り付けて来たわけです。

 そこには、私が今まで伝えて来たことは、一切合切入っていませんでした。

 旦那にとって、「結婚」とは、「『妻』という役目の人が、自分のためにあれこれ世話を焼き、尽くしてくれて、なおかつ、自分を『男』として立ててくれる。苦手なことは、一切しなくて良い」ものだったわけです。

 それも、自動的に。

 「愛している」という言葉だけで、それが叶うと信じていたわけです。

 だから、当然。

 私は叫びました。

「これ、ないから! 私は通販生活の『妻』じゃないからっっっっ!」

 ええ、本当に。

 心の底から、叫ばせて貰いました。



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