第28話 予期せぬ来訪者


長いようで短い謹慎期間が開けた日、木下はいまだにあの事件を引きずっていた。

もはや、自分になにもできないことはわかっていたが、次の事件に頭を切り替えられずにいた。否。もう、認めた方がいい。木下にとっては、佐藤里奈の霊が成仏したことの方が消失感が強いことに。

それは、恋とか愛ではない。おそらく。しかし、まるで身体の一部がぽっかりと抜けた、そんな妙な感覚だった。

木下が無気力で机の前で頬杖をついているところは、周りの同僚たちからは事件解決の完全燃焼とか、謹慎のショックなど好意的に受け取ってもらえているが、これが続けばまた再び怠け者刑事と呼ばれることだろう。

「おいっ、木下」

謹慎中の貯まった仕事を片づけているように見せながらうっつらとしていると、頭から課長の声が聞こえた。

「はいっ!」

寝てませんよ、と言いながら勢いよく立ち上がる。

「ばかもんっ! なんだそのだらしない顔は」

「すみません」

「……まったく。お前に客だ」

ばつの悪そうな顔で頭をさげると、課長の隣に誰かが立っているのに気づいた。

「客? あっ……!」

「今日、痴漢を現行犯逮捕して警察まで連れてきてくれた工藤さんだ。さきほど感謝状を渡したんだが、どうも以前、お前に世話になったから挨拶だけでもさせてほしいと言われてな。それじゃあ、工藤さん、私は仕事があるのでこれで。今回はありがとうございました」

「いえいえ。こちらこそ案内していただいてありがとうございました」

課長は頭を下げると、席に戻って行った。

「…………」

「ここじゃなんなんで、人目のつかない所に行きましょうか」

木下が工藤をじっと睨みつけると、飄々とした表情でロビーの方を指さしながら歩き出す。

「わかりました」

飛びかかりたい気持ちを押し殺し、木下は工藤の後を着いていく。

「最上階なら人もいないでしょう」

ロビーにつくと、今度はエレベーターのボタンを押して乗り込んだ。

「……どういうつもりだ?」

まさか、自首しに来たわけでもないだろう。

「貴方、というより貴方に憑いている方に用があります」

「なんの話だ?」

「佐藤里奈の話です」

それをどこで知ったのか。そして、なぜ幽霊がいるなど信じられるのか。頭の中が一瞬、怒りで支配された木下にはその程度の疑問も浮かばなかった。

「……彼女はもういない」

「まあまあ、その話は部屋についてからにしましょう」

微笑の表情を変えぬまま、工藤がそう言うと同時にエレベーターは最終階に到着した。

この階は署長室と会議室があるため、会議がない限り、ほとんど人の出入りはない。

「この時間なら会議室は空いています」

下調べも済んでいるのか。工藤は会議室の扉を開けて入る。

「さあ、どういうつもりか。答えてもらおう」

木下は言ってから、自分にこんな高圧的な態度ができるのかということに初めて気づいた。

少し気持ちを落ち着かせてから、もう一度聞き直す。

「自分から警察に来るからには自首でもしに来たんですか」

「まさか」

「貴方が心臓麻痺に見せかけて殺人を行っていることはわかっています。大人しく逮捕された方が身のためです」

「でも、それらは事件になっていない」

そう。工藤が殺したと思われる被害者はすべて、事件ではなく、事故扱いとなっている。物証がなければ殺人事件と断定されず、警察は動けない。

安藤は心臓麻痺で人を殺す装置を所有していたため、かろうじて物証となり、自供が手伝って逮捕することができたが、彼はその物証が無くても殺しができるため、自白がなければ逮捕しても証拠不十分で釈放されてしまう。

「今日はさきほども言ったように、君にとり憑いているという、佐藤里奈さんに謝りたいと思ってね」

「彼女はもう、成仏した」

工藤を睨みながら木下が言うと、彼は腕を組みながらこう答えた。


「いや、彼女はまだそこにいる」

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