第27話 佐藤利奈の成仏。そして。

「精神病院に送られたのか……」

「そう。誰とも連絡がとれず、建物内から一歩も出ることもできない。刑務所で無期懲役よりひどい。でも、どうも、上層部はそれだけじゃ安心できなかったらしい」

「えっ」

木下が書類の最後のページを見て驚いた。

「……病院内で心臓麻痺による死亡?」

「なんだって!」

あわてて、石原も書類をめくって、目を見開いた。

「どうして……。入院した次の日に死ぬってあきらかにおかしいだろ!」

「そう。これは殺しです」

「しかし、どうやって。安藤さんの家から押収した道具を使って殺したとか?」

日下部は首を振る。

「誰がやったかは想像つくんじゃない?」

「……もしかして『正義の殺し屋』ですか?」

「どうやら、警察上層部からの依頼のようですね」

日下部は淡々と話すが、木下はなんとも収まりが悪かった。

なぜ、わざわざ隔離した安藤を殺す必要があったのだろうか。

刑事が連続殺人犯であることが世間に知れ渡ることが、人ひとりの命より重いのか。

「納得はできんが、事件はひとまず解決……か」

「石原さん」

「仕方がないだろ。俺たちは犯人を捕まえるのが仕事で、正義の味方じゃないんだ。……皮肉だがな」

目眩がするのは朝陽の眩しさによる疲労が残っているのか、精神的なダメージか。頭の芯が鉛のように重くなるのを感じた。

警察の信用を地に落とさないという大儀名分のために、警察が正義を名乗る男に依頼して殺人を為す。しかし、その殺人犯を個人の生命、身体及び財産の保護と犯罪の予防、公共の安全と秩序守るはずの警察が逮捕することができない。確かに、皮肉な話だ。

木下が頭を抱えると、その肩に手が乗せられた。

手の感触はなかった。だが、木下にはそれが誰のものかすぐにわかった。

横に目をむけると、やはり佐藤里奈の霊だった。

「…………っ」

思わず立ち上がり、佐藤里奈に頭を下げた。

そうだ。この捜査は彼女のために行われたのだ。

このような結末になった以上、成仏できないかもしれない。

できれば、彼女が納得できる形で幕をひきたかった。

「なんだ? 誰か……あ、とり憑かれているという幽霊か?」

「このような形になってしまってすまない」

日下部の問いには答えず、木下は警察という組織を代表して謝罪する。

しかし、佐藤里奈は笑顔で首をふり、少し悲しげな表情をして、深々とお辞儀をした。

そして、そのままーー消えていった。

成仏したのだろうか。

「…………」

「おい、大丈夫か?」

半ば放心状態となった木下に、石原が後ろから声をかける。

我にかえったのか、すとんっ、と席につく。

「彼女は納得したのか?」

日下部はなにが起こったのか、まるで見えていたかのように聞いてきた。

「うん……たぶん」

「どういうことですか?」

「僕にもわかりませんが、おそらく、彼の反応から推察するに、佐藤里奈の幽霊は自分を殺した連続殺人犯が捕まった時点でこの世に未練はなくなっていたのでしょう。最後の挨拶として、安藤が殺されたことは気にしていない、と木下に伝えるために現れたのではないかと」

「そういうことですか。まぁ、なにはともあれ、幽霊から解放されてよかったじゃないか」

明るく言うが、本当に幽霊を信じているかは疑問だ。

「しかし、本当の意味では解決してないのも事実で、これからどう刑事を続けていけばいいか悩むところです……」

「ドラマや活劇のように幕がひけば、はいさようなら、というわけにはいきませんか。刑事の再就職として探偵はおすすめですよ」

「はは、こんなことがあっても、この仕事は好きですからね。辞職はしませんよ。なぁ?」

この陽気な会話も落ち込んでいる木下を少しでも慰めようとしているのだ。それくらいは解っている。

それでも、いまはひとりになりたかった。

木下はまるで別人か、夢を見ているかのようにぼぅとした表情で虚空を見ていた。

「まぁ、どのみち、私たちは数日謹慎の身だ。少しずつ日常に戻っていけばいい」

石原が木下の肩を叩きながら言うが、それはまるで自分に言い聞かせているようでもあった。

しかし、確かに、この気持ちが癒えるのは千の言葉でも、万の理屈でもなく、少しの時間なのかもしれない。

「その子は最後になんて言ったんだ?」

「…………」

長いつきあいになる友人は窓の方を向き、空を見ながらそう聞いた。おそらく、彼女の存在は見えてもいないし、気配も感じてないはずなのに、どこまで理解しているのだろう。

「“ありがとう”、そう言ってくれたよ」

なんだか、勝手にひとりで事件に振り回されていた気分になり、遣りきれなくなった。

気づくと目眩は治まっていた。

「それじゃあ、そろそろ失礼するよ」

そう言って立ち上がると、石原も席をたつ。

日下部探偵事務所の看板娘の美咲姉妹にも挨拶をして外へ出ると、アスファルトにこもった熱気をもろに浴びる。

「暑いですね」

不意にでた一言で、もうすっかりと日常に戻ったような気がした。

「このまま、二週間くらい夏休みもらえませんかね」

「やっとお前らしくなってきたな」

どちらかといえば堅物な先輩がちょっとだけ笑った。


見上げると雲ひとつない晴天だった。

佐藤里奈が成仏するにはいい日かもしれない。

ふと、そんなことを考えながら、石原と別れた。

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