第22話 幻影少女
安藤はいつものように定時で仕事が終わらせ、いつもと同じ電車に乗る。
最寄り駅で降りると、寄り道もせずまっすぐ帰宅する。
これがあと何週間も続く。
つい、十日ほど前に自分が作ったルールだったが、早くも嫌気がさしてきた。
原因は順調にいっていた殺人の証拠を警察に見つかってしまったからだ。
自分と繋げる物は早々に処分できたが、捜査に進展したことで次の少女への“救済”はしばらく延期しなければならなくなった。
正義が執行できない。その焦る気持ちがフラストレーションになっていた。
連続殺人犯、安藤は歩きながら、眉間を右手で軽く揉む。
どんっ
注意力が散漫になっていたせいもあり、商店街にあるドラッグストアの前で、一人の男性とぶつかる。
「ああ、すみません」
男は安藤に謝る。
「いえ、こちらこそ。注意してなくて申し訳ない」
その刹那、目眩がした。
どこにでもいるような顔。そんな印象を感じたと思ったら次の瞬間、なぜか脳が目の前の男を「すぐに忘れていい人間」と認識し、いま顔をあわせたばかりだというのに、もう記憶から消えている感覚に戸惑った。
「では」
「……あっ」
再び頭をさげ、去る男の背中に声をかけようとするが、なにを言っていいかわからず、黙って後ろ姿を見送る。
姿が見えなくなると、安藤は気をとりなおして、歩き出した。
商店街を通り抜けると人込みにまぎれて、信号が変わるのを待つ。
夕方の混雑時の商店街は昼間と違ってどこか寂しさが漂っている。
ふと、そんなことを安藤が考えていた時。
視界のすみの方でひとりの少女が立っていることに気づいた。
「!」
それは制服を着た少女だった。
水でもかぶったのか。全身が濡れているようだった。
しかし、気が動転した安藤にはそれに気づかない。
目の前を車さえ通ってなければ、信号が赤でも走って少女のもとへ近寄っていただろう。
信号が青にかわり、車が止まるのを焦りながら待つ安藤を挑発するかのような視線を送り、少女は歩きだした。
待て! と叫びたい気持ちを必死で抑え、少女が向かう先と信号を交互ににらみつける。
「……っ!」
やっと信号が青になった瞬間、安藤は少女を追いかけるために全力で走りだした。
たどり着いたのは風俗街が並ぶ雑居ビルの路地裏。
そこには誰もいない。人どころか、動物の気配すらない。
少女と安藤のふたりだけだった。
「……君は誰だ?」
黙っている少女の背中に、安藤が声をかける。
「…………」
少女はなにも言わず、振り返った。その顔を見た瞬間、安藤が目を剥く。
「なぜだ。……なんでだ!」
いつも冷静な自分がここまで感情を表にだすとは想像もしなかっただろう。それほど、安藤は動揺していた。
「君はたしかに、私が天国へ導いたのに! なぜ、なぜここにいる!」
許し難い、というように怒りに任せて安藤は頭を抱えた。
「私の正義が間違っていたというのか!」
「あんたの正義がどうしたって?」
安藤がゆっくりと後ろを振り返ると、そこには石原と木下が立っていた。
ふたりには安藤が何を見て、なにに動揺しているのかわからなかった。
日下部に言われた作戦とは、安藤が自白に近い行動をとるであろう“催眠”をかけてこの場所へ誘導するから、そこにきた安藤の行動を見張れというものだった。
そして、その言葉通り、安藤はこの場所へやってきて、“幽霊でもみたかのような”顔で、独り言を叫ぶところが見ることができた。
「……君たちは、石原くんと……木下くんだったね」
虚ろな瞳でみつめる安藤の声はか細く、とても聞き取りにくかった。
「何の用かな。いまは仕事の話はしたくないんだ……」
「いえ、そういうわけにはいきません。いま、言っていた言葉の意味を教えてください」
「……なんでもないさ。仕事でイライラすることがあって叫んだだけだよ」
日下部が見せた“幻覚”の衝撃がすさまじかったのか、安藤はもはや、ごまかす言葉も選ばず、声をとがらせて額をかく。
『君はたしかに、私が天国へ導いたのに! なぜ、なぜここにいる!』
石原が懐からだしたボイスレコーダーから安藤の声が再生された。
「これはどういうことですか?」
「…………」
一歩踏みだし、追求するが、安藤の表情は変わらない。
「演技だよ」
「は?」
「演劇さ。趣味で自作の演劇用のシナリオをここで演じただけ。ただの登場人物のセリフだよ」
「あなた! そんな事が通用するとでも……!」
「通用するさ。そんな盗聴されたものが自白の証拠になると思ってるのかい?」
「……う」
今度はこっちがひるむ番だった。石原と木下が半歩さがる。
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