第20話 所轄刑事の意地
午後四時を少しまわった時刻。
疲れ切った表情で、課長が署に戻ってきた。
「いや~……まいったまいった、希望ちゃん、お茶」
「はーい」
勢いよく背もたれに背中を預けて椅子に座ると、近くに座っている、課長の専属秘書状態になっている希望にお茶をいれてくれるよう頼んだ。
女性をお茶くみに使うとは時代錯誤ではあるが、希望は課長を尊敬しているのか、文句は言わない。
「課長! どうでしたか?」
まず石原がだだだっと課長に身を乗り出して問いかける。
そのあとを木下が怖々と近づく。
課長は苦々しい笑みを浮かべながら、ピースサインをする。
「結論から言えば、おまえ達の捜査から外す案件は取り消しになった」
「さすが、課長!」
調子よく、石原が両手を叩き、課長をよいしょする。
「まてまて、それで話が終わったわけではない」
課長も両手を前にだし、焦るな、と止める。
「ペナルティーは当然、消えたわけじゃない」
そこで、希望ちゃんが入れてくれたお茶が机におかれ、課長はゆっくりとお茶をすする。
「……おまえ達には明日から五日間の自宅謹慎を命じる」
「え」
「マジっすか」
「大真面目だ。これでも条件を最小限に抑えたんだぞ」
「……わかりました」
「はい……」
木下は素直に、石原はしぶしぶといった顔でうなずく。
「なお、これはおまえ達が気にすることはないが」
そう言って、課長は咳払いをして間をおく。
「わしと署長は今回の件で、監督不行届ということで半月分の給料をカットされた」
「「……!」」
それを聞いた瞬間、木下と石原が申し訳ないという表情に変わった。
「すみませんでした」
「いや、繰り返すが、おまえ達のせいではない。わしの命令に従っただけ。それだけだ。だが、わしにできるのはここまでだ。自宅謹慎中は捜査のことは忘れて、じっくり休んでくれ。特に、石原。おまえだ」
「俺ですか?」
「おまえは独断専行の常習犯だからな。勝手に捜査して、また上に睨まれたら目もあてられん。くれぐれも、わしの顔をつぶすようなことだけはせんでくれよ?」
「わかりました」
「……本当にわかってるのか?」
「わかってますよ。明日から自宅謹慎ですよね。ということは、今日はまだ大丈夫ってことですね。木下、ちょっとこい」
「こらっ! 石原! 全然わかっとらんじゃないか! 待て!」
石原が木下の腕をひっぱり、覆面パトカーまで連れてくる。
「どう思う?」
車内に入り、ふたりになると、石原が単刀直入に聞いてきた。
なにが「どう」なのかわからず、木下が黙っていると、懐から電子たばこをとりだし、口にくわえる。
「本庁のやつら、俺たちに出し抜かれて面白くないと思ってるのは間違いないんだが、捜査から外すなんて、やり方がバカに強引すぎると思わないか?」
「そう言われてみれば」
「どんなに取り繕っても、落ち度のない俺たちを捜査から外すのは、不当人事のイメージが付く。それでも警察という組織の中では、白い物も上官が黒といえば黒くなる。そういうもんではあるが、今回はどうしても納得できないんだよな。そんなことをすれば、俺たちに負けたと認めるようなもんだからな」
石原はしきりに首をかしげる。
不思議に思うのは、木下も当然思っているが、それよりも不思議なのは石原が内緒話をするかのような雰囲気で自分を車の中に連れてきて、こんな話しをするか、ということだった。
「俺は誰かが入れ知恵したんじゃないかと思ってる」
独断専行で、よく先走ったり、ミスをすることで定評のある石原だったが、その反対側で犯人を見つけたり、確保に成功することも多く、相棒である木下からみたら『刑事の勘』というやつは誰よりも優れていると感じていた。
その、石原が木下をじっと見つめて問いかけた。
「おまえ、もしかして犯人を知ってるんじゃないか?」
「……!」
心臓が高鳴ったのが自分でもわかった。
まさか、死んでいる佐藤里奈の霊から聞いたと知っているわけはないと思うが、知り合いの探偵から情報を得ていると考えているのだろう。
「……安藤さんです」
木下はいつになく、真剣な表情で答えた。
警察官の、それも所轄の中ではトップクラスの重鎮だ。それなりの覚悟がなければ、犯罪者と疑うことすら禁忌に近い名前だ。
このタイミングで言わなければ、信じてもらえないだろう。
「そう、か……」
石原の検討者リストには入っていたのか、やっぱりか、と言った表情で眉間にしわを寄せて、天井をみつめる。
「信じてくれるんですか?」
「本庁の判断に意見できるのはあの人くらいだろう。もちろん、直接、俺たちを捜査から外せと提案したとは思えないが、あの人を支持している人間はキャリアにも多い。キャリアを味方にすれば本庁も動く」
石原は右手の人差し指と左手の人差し指をクロスさせる。
「俺たちを捜査から外せば、本庁の捜査方針を操れる安藤はもう自分に手が届くことはない。そして、本庁は証拠を見つけられてメンツを潰された俺たちに腹いせと責任の押しつけることができる。そのふたつの思惑がうまく合致した、というわけだ」
「僕たちはたまったもんじゃないですけどね」
「そうだ。だから、この事件は俺たちで解決する」
「……え?」
「『明日』から自宅待機だが、『今日』はまだ刑事だ」
やっぱり、この人はすんなり自宅待機を受け入れる気はなかったようだ。
「課長にあそこまでさせて、ただ黙ってたら刑事じゃない」
いやいや、その思考は昭和だから。
その思想に自分を巻き込まないでくれ。
木下は目でそう訴えるが、石原はまったく気づいていない。
「無理っすよー。あと一時間もないですよ」
定時の五時で帰る気か。それもそれで刑事としてどうかと思うが。
もちろん、木下も本気で定時で帰ろうと思ってるわけでもないし、木下には殺された佐藤里奈のためにも犯人の安藤を確実に捕まえるつもりだ。決意だってある。しかし、幽霊とアンタッチャブルな探偵の捜査に、石原を巻き込むのは気がひけた。
「あほか、今日はまだ七時間以上あるじゃないか」
やる気に満ちた石原を見て、諦めたように携帯電話を取り出した。
「じゃあ、情報をくれた探偵に連絡してみます」
写真以外の証拠を手に入れたかもしれない。
「もしもし、あ、恋ちゃん? まこさんいる?」
まこさんとは、日下部真のことだ。
中学で知り合ってから十年以上、この名前で呼び続けている。
電話にでたのは、日下部探偵事務所の唯一の良心・美咲恋だった。
保留の音楽が数回流れると、日下部が受話器に出る。
『よお、どうだった? 犯人捕まえたか?』
「それどころじゃないよ。それから、あの部屋、なんもなかったよ」
『……は?』
電話で詳細は説明しづらいので、かいつまんで話すと、向こうも心外といった声のトーンになる。
『もぬけの空だと? 俺は確かに……』
「わかってるよ。被害者の髪の毛はあったから、あの部屋で犯行がおこなわれていたとは思うけど、まこさんが帰ってからすぐ部屋を撤去したんだろうね」
『……なかなか勘のいいやつだなとは思ったけど、まさか想像以上だったか。よし、こっちも本気だしてやる。おまえ、今日、これからこっち来れるか?』
「これから? どうかな……」
木下はどうしますか? というように、ちらっと石原を見る。
『犯人について、報告することがふたつあるんだが、電話では伝えにくいんだ』
「行くと言ってくれ」
通話の内容が聞こえてるのか、石原が小声で木下にささやく。
「わかった。これから向かうよ」
そう締めて電話を切った。
「その探偵、ここから近いのか?」
「二、三十分くらいです」
「よし、じゃあ、行ってくれ」
「わかりました」
木下はシートベルトをしめ、エンジンをかけて車を発車させた。
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