第15話 尾行(後半)

壁全体に張られている木の板に、数十枚の写真がかざってある。

最初、見たときに死体と思えなかったのは、人形かと思うほどに綺麗に化粧されていたからだった。

これを見た瞬間、殺人とは安藤にとって、アートなのだと悟った。

まるで眠っているかのような死体ばかり。

おだやかな表情のまま殺すことを徹底しているのか、なるべく傷つけないよう気をつけているのが写真から伺える。

その中でも目をひいたのが、制服のまま、水の入ったバスタブへ漬けられている写真が多い点だ。

“美”を意識している構図の写真が多いのはわかる。

不思議に思ったが、謎を解くのは日下部の仕事ではない。

急いでスマホを取り出し、木下へ電話をかける。

『もしもし、いま仕事中なんだけど……』

「安藤はクロだったぞ」

『……っ!』

その言葉で、木下は息をのむ。受話器の向こうで、疑惑が確信に変わった様子が伺えた。

『どういうこと? なにかわかったの?』

「詳しいことはまた会って話すが、安藤の後を尾行していたら、住処に辿りついたんだが、この部屋には殺人の証拠となる写真がたくさんあるぞ」

『部屋に入ったの!?』

木下の驚く声にスマホから耳を少し離す。向こう側でも誰かに声が大きいと怒られ、謝っている音が聞こえる。

『……で、いま、どこにいるの?』

木下にマンションの住所を伝えると、しばらくの間、近くにいる知り合いとの会話が続く。

『もしもし、やっぱり、安藤さんの住所はそこじゃないみたい。表札はなんて書いてあった?』

「あ、見るの忘れてた」

『ちょっと、そこ大事なとこじゃ……』


がちゃがちゃ


「しっ! 静かにっ!」

木下が文句を言っている最中、どこかへでかけたはずの安藤が帰ってきたようだ。玄関で部屋の鍵を開ける音が聞こえた。

「まずい。帰ってきたようだ、とりあえず切るぞ」

あわてて、木下との電話を終わらせると、スマホの電源を切ってズボンへしまう。

しかし、逃げようにも窓は全部、木の板で覆われており、出入り口は玄関のひとつのみ。

このままでは見つかってしまう。

どうしたらいい。どこかへ隠れるか。

急ぎつつも音をたてずに、風呂場へと向かう。

「…………」

浴槽は男性の一人暮らしにしては綺麗に片づいていた。

日下部は暗闇の中、目が慣れると何気なく風呂場全体を見渡し、この部屋にはなくてはならない物に気づいた。

石鹸。シャンプー。洗面器。椅子。

やはり、生活感の無いこの部屋は、安藤が殺人を犯すためだけに用意された部屋のようだ。

暗くて周りが見えない中、嗅覚が敏感になっているのか、浴槽に貯まっている水から不自然な臭いを感じた。

「これは、塩か?」

鼻を近づけると、海水のような臭いが鼻孔を刺激する。

「……なんで風呂に塩水が?」

日下部が首をかしげた瞬間、風呂場の電気が点いた。

「!」

急いで手を入り口へ向かってかざす。

扉が開いて、安藤がこちらを見る。

「…………」

しばしの静寂がふたりを襲う。

「……声が聞こえたようだったが、気のせいか」

独り言をつぶやき、安藤は風呂場から出て行く。

再び、電気が消えると、日下部はため息をついた。

催眠術。

日下部が探偵として超一流を名乗れるのはこの特殊能力のおかげが大きかった。

テレビでよく見るような、相手を自由に操れる力などではなく、日下部が持つ力は相手の『意識』をずらすだけだが、人はこの『意識』を操られてしまうと、なにも認識ができなくなる。

脳が誤作動し、そこに存在していたとしても、認識ができないため、存在していることすら理解できない。

よく、カメレオンやナナフシなど、背景や植物に擬態している動物・昆虫が例にあがるが、日下部はそれらに近い能力を自由に操れることができた。

尾行が得意だと言った理由はここにもある。

人は元々、他人との距離感を測ったり、他人の気配を感じる能力を持っているが、日下部はその感覚をずらすことで気づかれずに追えるのだ。

しかし、この能力も無敵ではなく、弱点はいくつもある。

少し離れていれば、存在感を薄める程度で他人から認識されず見つけられてしまうことはないが、直接、姿を見られてしまった場合は、さきほどのように強めの暗示をかけて、相手の視覚を操作しなければバレてしまう。

「…………」

一息ついた日下部は、待つこと十数分。

今度こそ自宅へ戻るであろう、安藤が部屋から出て行くのを確認すると、風呂場から這い出る。

久々に緊張したせいで身体が痛い。

長居して、また戻ってきたら困るので、急いで日下部は部屋の写真を撮ると、飛ばし(身元がバレないために他人名義や架空名義の携帯電話)の携帯電話を使って木下のスマホへ画像を送る。

「これで一件落着……かな」

首をごきごき鳴らしながらつぶやく。

日下部も本心ではこれ以上、被害者がでてほしくないので、殺人者相手のこの危険な任務を引き受けたのだ。

だが、ここから事態は急展開を迎えたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る