第11話 妹の王子様(レイチェル視点)
「おかえりなさい、お姉様」
愛らしく声をかけられて、びくりと震えてしまった。
自宅の玄関ホールから顔を上げれば、階段をゆっくり降りてくる少女が見えた。彼女は口元に微笑を浮かべてはいるが、機嫌は悪いようだ。眼鏡の奥の緑色の瞳は決して笑っていないのだから。
背筋がぞくりと震えた。
ガメイン侯爵令嬢レイチェルは同じ髪色を持つ妹のタリにぎこちない笑顔を向ける。
「ただいま。玄関までわざわざ迎えに来てくれるなんてどうかしたの?」
「だって待ちきれなかったんですもの。お話聞かせていただきたいわ、特に昼間の課外授業について」
誰が報告したのだろうと青くなったが、なるべく顔にださないように努める。
妹が恐ろしいだなんて、誰にも言えない。
特に妹は学園内では目立たず大人しいイメージを作っている。一部から嫌がらせをされていた時期もあるほどに陰気に見える。
それが見かけだけだと知っているのは、ごく僅かだ。
嫌がらせをしていた連中と自分だけだろう。
自室に向かうと妹もついてくる。逃げることもできない。
「ねえ、お姉様。王太子殿下と話せて楽しかったですか?」
「最初はほとんど会話はしていないわ。お誘いしたけれど断られてしまったし」
「ですから、今はまだ時期ではないとお教えしたでしょう。なぜ、約束を破られたの?」
「カンターレ公爵令嬢と殿下が仲良くなさっていて、つい…魔が差したのよ。決してあなたの言い付けを破るつもりはなかったの」
「そうですか。そうまでしたのに、ほとんど会話ができなかったのは何故です?」
「それは、貴女の…」
妹の王子様が、止めてくれたからだ。
これ以上話さず引いたほうが、ガンレットに恥をかかさず恩を売れると忠告してくれた。おかげで、植物園からの帰りは彼がエスコートしてくれたのだから。
なるほど、妹の機嫌が悪いわけがわかった。彼女は自分の想い人に人が近づくのを極端に嫌う。
こちらが心当たりがあることを悟った妹は口を尖らせた。
「お姉様は殿下が欲しいのでしょう? 私のお慕いする方に近づくのは止めていただきたいわ」
「別に近付くつもりはなかったのよ」
妹が嫉妬から彼に近付く相手を追い払っているのを知っている。
どんな方法を使っているのかはわからないが、犯罪すれすれの行為であることは察しているのだ。
ただ彼には一言礼を言いたくて、思わず呼び止めてしまった。
妹が執着するほどの何があるのだろうと興味もあったことは否めない。
そうして、彼の容姿を真近で見てしまい、後悔したものだ。
きっと魔性とは彼のことを指すに違いない。
驚くほど美しい男だった。茶色の髪色は特段目を惹かないのに、その下に隠された菫色の神秘的な瞳は切れ長で吸い込まれそうな色をしている。まるで原野の中の幻の花をみつけたかのような印象を受けた。
なぜ、初見で気づけないのだろうと不思議に思うほどに。
だが一度気づいてしまうと目が離せない。
確かに誰もが彼を手に入れたいと欲するほどだ。
もし彼が傍にいて自分に仕えてくれるのなら、何を差し出してもいいと思えるほどに。
レイチェルが惑わされなかったのは、彼が妹が執着している相手だからだ。
そうでなければ、自分もすっかり彼の虜になっているだろう。
「ようやくあの女を彼が追い出してくれたのですから、これ以上私を煩わせないでくださいね」
「あの女?」
「ナグレル侯爵令嬢ですわ。あの方を自分の従者にするように手紙を送ってらしたのよ。ですから彼が手に入る方法を助言して差し上げましたの。もちろん嘘ですけれど。信じ切って行動してくれたおかげで、きれいさっぱり学園からいなくなってくれましたわ」
「な、なにをしたの」
「ですから助言ですわ。あの方の主人を脅せば喜んで会いに来てくれるとお伝えしましたの」
「脅すって…まさか、あの噂は…」
サラヴィが斧を振り回して自分の机を壊したのだとか、よくわからない噂が広まっていたがまさかその件だろうか。それがどういうわけでナグレル侯爵令嬢の退学につながったのか、自分にはよくわからない。
むしろ詳細など知りたくもない。
だが妹はおかしそうにくすくすと笑った。
レイチェルはただただ恐ろしく身を震わせるだけなのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます