第12話 執事の第六感
月末になり、以前にガンレットから招待されていた隣国の使者団の歓迎式典の日になった。一番の目玉は王太子が話していたように彼の見合いの場なので、夜会に王侯貴族が集まっても静かに社交するだけだ。簡単な近況報告などがメインで子供を連れて参加する者は少ない。ましてやデビュー前の未婚の女性を連れていくなど本来であるならば眉をひそめられそうだが、今回ばかりは王命なので仕方がない。
わかってはいるが、アルゥバースの内心は悪態つくどころか怨嗟を吐き出すレベルで荒れ狂っていた。だがそれを全く外には出さないのだから、公爵家の使用人を筆頭に周囲はいつもより物静かな憂いすら感じさせる青年に微笑ましげな視線を寄越す始末だ。
もちろん、葛藤している本人は気づかない。
サラヴィは公爵夫妻とともに参加することになっているが、招待状が別なので馬車も二台用意して向かうことになった。サラヴィの付き人はもちろん、アルゥバースである。一緒の馬車に乗り込んでこの日のためにあつらえたドレスを堪能する。
成人前の初々しいドレスは、水色でふんだんにレースや造花を飾ってある可愛らしいものだ。はちみつ色の長い髪をひとつに結ってはいるが、そのまま下ろしている。頭に飾られた造花は白で統一されており、この世の美を遥かに凌駕した存在になっている。
尊い、尊すぎて自身の穢れた魂が昇天してしまいそうだ。
「あの、先ほどから震えが伝わってくるのですが寒いのですか…?」
「お嬢様があまりにいと気高き存在になられていたので、罪深い自身と闘っておりました」
「ええーと、つまり?」
「お美しくお綺麗でお可愛らしいですね、お嬢様は!!」
「あ、ありがとうございます…アルも眼鏡似合ってますよ」
出掛ける前に渡された誕生日プレゼントは、リクエスト通りの眼鏡だった。視力が悪いわけではないので、レンズは単なるガラスだ。
去年は銀縁の丸いレンズの眼鏡だったが、今年は武骨な太いフレームの黒い眼鏡だ。レンズは細い四角なのでアンバランスな印象を受けるが、大切な主人から貰ったという事実が大事なので、デザインなど二の次だ。そもそも平凡陳腐な自分が眼鏡が似合わない訳がないと信じてもいる。
幸せな気持ちのまま王城につき、案内されて会場に向かう。
会場は王城の離れに建てられた迎賓館だ。城とは長い回廊で繋がっているが、その回廊にはたくさんのランプが掲げられていて室内以上に明るくなっている。
会場まで来ると回廊に佇んでいたカンターレ公爵夫妻が待っていた。成人してまで付き人を連れてくるかどうかはその家々の考え方がある。カンターレ公爵夫妻はいらないと考えているので付き人はいないため、公爵家の使用人で会場にいるのはアルゥバースだけだ。
そして使用人なので、会場には入れない。
にこやかに見送るだけだった。
「早めに戻ってきますから」
「お待ちしております。旦那様、くれぐれもお気をつけください」
「わかってる! だから、その顔でにらむな…はぁ、行ってくる」
「いってらっしゃいませ」
三人を見送って王城の入り口近くに設えた使用人控え室に顔を出すと、いくつか備えられた応接セットの一つで見慣れた顔がお茶を飲んでいた。
正式な招待を受けられるのは社交デビューを果たしている者だけだ。
なので学園の生徒は年齢が足りない。成人は16歳で、なった年にデビュッタントするはずである。
「こんばんは、アーメイナさん。いい夜ですね」
「こんばんは。あなたがいるということは、カンターレ公爵令嬢様も参加されておられるんですね」
「も、ということはセントル伯爵家のご令嬢も呼ばれたのですか?」
「そうなんです。招待状が届いたので。ガメイン公爵家も同じらしくてこうして愚痴を言い合っていたんです。あまりに急なお話で準備が大変でしたわ」
アーメイナの前には白に近い金色の髪色をした侍女がお茶を飲んでいた。アルゥバースの視線を受けて軽く会釈される。この前レイチェルに付いていた侍女とは違う者で、面識はない。
「カンターレ公爵家執事兼付き人のアルゥバースと申します」
「ご丁寧にどうもありがとうございます。私はガメイン侯爵家侍女のホルマと申します。主に屋敷付きなのでお嬢様方と学園に行くことはないのですが」
「そうですか。王太子の婚約者候補がこうして呼ばれたわけですから、今夜にでも決まりますかね」
「正式には学園の卒業時に公式に発表されるでしょうけれど。今夜招かれている隣国の第三王女様はそれは可憐な方らしいですわね」
「うちのお嬢様もどこからかお聞きになられてそれはもう大変な荒れようでした」
アーメイナの言葉に、ホルマがぶるりと身を震わせた。
すぐに頭に血が上る直情型のレイチェルを思い出して、思わず同情してしまった。その点、サラヴィは滅多に激昂することがない。悲鳴などはあげるが、怒鳴り散らしたりすることもなければ、八つ当たりすらない。
ただできないことや力及ばないことに対してひたすら落ち込むのだ。その姿は涙を誘うほど可憐で憐れになる。庇護欲を掻き立てられ、しばしば暴走してしまうのは自分のほうだ。
それを困ったような顔をして宥めてくれるのもアルゥバースの敬愛する主人である。
「あの、やはりお噂のように、殿下はカンターレ公爵令嬢を慕っておられるのですか? お嬢様はそれはもう嫉妬されていらっしゃって…毎日、毎日聞かされるのですけれど」
ホルマがためらいがちに口にした内容に、アーメイナははっと息を飲み、アルゥバースは完璧な笑顔を向ける。
「お嬢様は女神もかくやな存在でございますから。もちろん、殿下のお心をもがっしりと掴んでおられるでしょう」
「は、はぁ…?」
「ああ…悪魔のささやきが始まった…そ、そうだわ。来週に学園で始まる卒業試験ですけれど、口述試験が最も厳しくなると伺いましたが本当ですか?」
「そうですね。筆記よりも口述試験に重きをおいているようですね。まあ、うちのお嬢様は口述試験だろうが筆記試験だろうが完璧にこなしますけれど。時々、寝言でも試験内容を話していることもありますので、本当におかわいそうで。ああ、この身が恨めしい。できることならばすぐに代わって差し上げるのですが…」
なぜアルゥバースが主人の寝言まで把握しているのかといえば、サラヴィの安眠を傍で見守っているためだ、と答えるだろう。だが、賢明な侍女二人はあえてスルーした。
「あ、あの…カンターレ公爵家の執事様は隣国にも名をはせるほど優秀な方だとお伺いしておりましたが……噂とはだいぶ異なる方のようなのですが…?」
「時々、重度の発作が始まるのです。禁句は『公爵家のお嬢様』ですよ…」
「それは存じませんで、申し訳ありません…」
アルゥバースはみるみる青ざめたホルマとうんざりしたように額を抑えたアーメイナにサラヴィの素晴らしさを滔々と語って聞かせる。サラヴィ教を布教する準備はいつでも整っている。
なにせネタは毎日得られるので、日々逸話は増える一方なのだから。むしろ神話、だ。そのうち聖書にしてサラヴィの行動をまとめてもいい。
「うちのお嬢様は日々の努力は怠らない、勤勉で実直で真面目な方なので試験のための勉強などはほとんど必要ないのですが、そうはいっても不安なのでしょうね。いつも青い顔をしながらペンをとる姿に、神の啓示を見るのです。さながら咎人にも慈悲を与えんとする女神の所業で! ああ神々しい。盲目の羊には―――ん、お嬢様?」
二人の侍女が心の底からうんざりした顔をしていても一切構わずに延々と語っていたのだが、アルゥバースは会場となる迎賓館のほうに顔を向けた。
「お、終わったんですか…?」
「どうかしましたか?」
「今、お嬢様に呼ばれた気がしまして…」
「え、まだ宴も途中でしょうに。いくらなんでも早すぎません?」
「少し様子を見てきます」
アルゥバースはそう言うやいなや、疾風のように部屋を飛び出すのだった。
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